第一章 陽炎 ♯01
「第零区管制塔より、白鷺ナンバー092へ。第三滑走路に着陸後、誘導灯に従い格納庫前へ――」 「ナンバー092、了解」 「司令官並びに第零区一同、貴殿の到着を心より歓迎いたします」
「フッ、聞きました?“歓迎”ですって。実に楽しみなことですね」 榊原は機内無線を聞いて、思わず吹き出した。
「形式的な挨拶でしょう。真に受けないでください。それに、この第零区の前線基地については、先生からしっかり忠告を受けています」 小紫はそう言いながら、広げていた端末をバックパックにしまい始める。
「へえ、“先生”って防衛大学校の?そういえば、あの先生は小紫さんに随分“ご熱心”だったようですね」 含みのある言い方に、小紫は舌打ちして苛立ちを隠さない。
「私は勉学を教わりに行っていただけです。癪に障るような言い方は控えていただきたいですね」 「おや、癪に障りましたか?これは失敬、失敬。いやぁ、俺も歳だなぁ」
(この狐……本当に人を苛立たせる天才ね) 監査局に採用されて以来、小紫は仕事に誇りを持って取り組んできた。 だが、何かにつけて榊原と組まされることだけは、どうにも不満だった。
ゴォオオオオ……ガコン、ガコン―― 車体が振動とともに軽く上下に揺れる。 窓の外には、焼け焦げ、崩れ、捲れ上がったアスファルトの滑走路が広がっていた。
(あちこちボロボロ……こんなのでよく戦闘機を飛ばそうとするわね)
滑走路の先、奇妙な形をした格納庫らしき建物から、二人の男性と……少女(?)のような人影がこちらへ向かってくるのが見えた。
(誰……?あの体格のいい二人は基地の高官として……でも、あれはどう見ても――)
「無事到着です。お疲れ様でした、小紫監査官・榊原監査官」 副操縦士・加山の元気な声が機内に響く。
「よっ、お疲れ岸本さん。迎えもよろしく頼むよ」 榊原は操縦席の岸本の肩を軽く叩くと、後部ハッチへ向かって歩き出す。
「ありがとう、岸本さん。彼、イラつくでしょ?私、忠告しておくから」 「お気遣い無用です。あの人、いつもあんな調子ですから。我々はこのまま白鷺へ帰還します。一週間後、またお迎えに上がります」 「よろしくお願いします。行って参ります」
軽く敬礼すると、操縦士たちはシートに座ったまま振り向き、敬礼を返す。 「お気をつけて、いってらっしゃい!」
(さあ、藪をつついて蛇が出るか、鬼が出るか……) 小紫はエアコンジャケットのフードを被り直し、スーツの襟を整えて出口へ向かった。
外に出た瞬間、勢いよく吹き付ける熱風に思わず息を呑む。 (聞いてはいたけど……すごいわね。年中吹き荒れる熱風。よくこんな場所で生活できるものだわ)
「すごい熱風でしょう?今日はこれでもマシな方ですよ」 すぐ横から声がかかる。
出迎えたのは、二人の男だった。
「お初にお目にかかります、小紫監査官。私はこの第零区前線基地を預かっております、海堂剛士です」 海堂はそう言うと、隣で誘導灯を持ったまま突っ立っている男を肘でつつく。
「あ、えーと、はじめまして。境です。ここの戦闘機やら武器を管理してます。あと、いろいろと……」
海堂は40代ほどの軍人らしい体躯。妙に長い髪を後ろで束ねており、ポニーテールのようだ。 カッターシャツにカーゴパンツ、エアコンジャケットは着ていない。
境もそこそこの体格だが、髭面で目は虚ろ。整備服はボロボロで、あちこち汚れている。
(今までの基地とは明らかに違う……) 戸惑いを隠しながらも、気持ちを奮い立たせて声を張る。
「お出迎えありがとうございます。本日より一週間、第零区前線基地にて監査を担当いたします、小紫水蓮です」 「同じく、監査官・榊原です。久しいですね海堂さん、お変わりありませんか?」
「ええ、こちらは相変わらずです。榊原さんはまた痩せたのでは?」 榊原は握手を交わし、ヘラヘラと笑みを浮かべる。
「小紫監査官、今日からよろしくお願いいたします。いやぁ、お綺麗ですね。万年日焼けしてる我々とは違って、透き通るような肌つやです」
(“俺たちとは違う”って言いたいのね) 「日焼け止め対策の物品は定期的にお送りしているはずですが。それに、お二人ともジャケットを着ておられませんね?」
語気を強め、少し威圧する。
「ああ、いえ。我々はここが長いもので、この暑さに多少なりとも慣れております。物品はきちんと受け取っておりますので…… もしご気分を害されたなら、お詫びします」
海堂は深々と頭を下げる。
「お気になさらず。ここは、私がこれまで訪れた前線基地の中では、その……」 「ボロボロでしょ?資源を守るって言っても、東側に比べれば大した資源もないし、仕方ないですよ」 境が笑みを浮かべながら言う。
「……わかりました。今回の査察は不義・不正行為の調査だけでなく、基地の改善提案も含まれます。ご安心ください」 「お、よかったね海堂司令官。滑走路、綺麗になるといいなぁ」 榊原はあっけらかんと言う。まるで“できもしないのに”と言わんばかりに。
海堂はそれを察してか、少し苦笑いを浮かべる。
「ところで司令官、少し気になったのですが……後ろに控えている彼女は、ご息女か何かでしょうか?」
窓から見えた少女のことが気になっていた。
「ん?ご息女?この子?」 海堂は驚いた様子で境と顔を見合わせ、榊原の顔をうかがう。
榊原はやれやれといった様子で、説明してやれと軽く頷く。
(え、なに?どういうこと?) 小紫は場違いなことを言ったのかと戸惑う。
「……ああ、そうか。小紫監査官は初めてでしたね。澄怜、自己紹介を監査官に」
司令官の言葉に促され、後ろに控えていた少女が一歩前へ出る。 凛とした佇まい。長い黒髪、灰色の瞳。制服は隙なく整えられ、所作に無駄がない。
(すごく綺麗な子……外にいる人間とは思えない)
「初めまして。第零区前線基地・航空隊、通称“播磨熱風隊”副隊長、綾瀬 澄怜です」
その言葉に、小紫は一瞬絶句する。 (副隊長?でも、どう見ても未成年……)
「彼女は播磨熱風隊の副隊長であり、エースパイロットです」 司令官は澄怜の頭を無造作に撫でながら、鼻を鳴らす。
(嘘……どう見たって十代。下手すれば十四、五歳よ)
「とりあえず基地へご案内します。さあ、行きましょう」 司令官が戸惑う小紫を促す。
澄怜は何事もなかったかのように踵を返し、淡々と歩き出す。 一同もそれに続く。
その中で、境がふと呟いた。
「―――今日も相変わらず乾いてるなぁ」