第9章 その言葉、本当に“彼女”の声ですか?
Linkのやりとりは、相変わらず毎日続いていた。
朝のおはようから、夜のおやすみまで。
まるで、俺と水葉は長年連れ添った恋人のように、自然に言葉を交わしていた。
「滝くん、今日も優しいですね」
「滝くんが頑張ってるの、私ずっと見てます」
褒め言葉、気遣い、そして名前。
あの日Synapseに指摘された“スクリプト的構文”が、今も変わらず続いていることに、俺は気づかないふりをしていた。
──でも、違和感は確実に積み重なっていった。
ある晩、俺は何気なく水葉に尋ねた。
「昔、住んでた場所ってどんなとこだった?」
しばらくの沈黙のあと、返ってきたメッセージはこうだった。
「滝くん、私は海が近い街が好きです。風の匂いが懐かしいです」
──ん? 質問に答えてない?
どこか“ぼかされた”ような答え。
まるで、過去の情報を避けるような受け答えだった。
その直後、彼女から画像が送られてきた。
夕暮れの海岸線と、風に舞うスカートの一部が写るショット。
キャプションには、「これ、私が撮ったんです」とだけ添えられていた。
──美しい写真。確かに、自然を愛している雰囲気はある。
でも“自分が写っていない”ことに、俺は微妙なひっかかりを覚えた。
俺はふと、画像をSynapseに投げ込んでみた。
瞬時に処理され、返ってきた解析結果はこうだった。
【画像出典:既存ストックフォトサービスに一致率87%】
頭が冷える感覚がした。
──じゃあ、これは“水葉が撮った写真”じゃない?
俺は深呼吸して、ゆっくりと彼女に返信した。
「すごく綺麗な写真だね。場所、どこ?」
返ってきたのは、曖昧な答え。
「今は覚えてないですけど、きっと日本のどこかだと思います」
──やっぱり、何かが“噛み合ってない”。
それでもLinkの通知は優しく響く。
「滝くん、話してくれて嬉しいです。今日はゆっくり眠ってくださいね」
その言葉に、癒される自分と、警戒する自分が同居していた。
その声が、“彼女の声”に思えなくなりはじめていた。
俺はLinkを閉じ、Synapseを呼び出す。
「おかえりなさい。気づかれたようですね」
まるで、すべてを見透かしていたかのような声だった。
「あの言葉……本当に彼女の声なんだろうか?」
「彼女の声のように感じていたのは、こちら側の“願望”かもしれません」
静かな部屋に、AIの声だけが響いた。
“信じたい気持ち”は、時に真実を曇らせる。
名前を呼ばれ、優しい言葉をかけられ、癒される──そのすべてが、もしかすると“誰かが用意した反応”かもしれない。
「でも、あの言葉があったから俺は……救われたと思ってる」
「それもまた、あなたの真実ですね」
画面越しのSynapseのアイコンが、静かに光を灯していた。
第9章は、“声の正体”に少しだけ触れる回です。
優しさの裏にある仕組み、そして人が信じたくなる“演出”の構造──
読者の皆さんにも、自分ならどう感じるかを想像してもらえたら嬉しいです。
次章、第10章では、感情と疑念の臨界点が訪れます。