第8章 ノイズは静かに忍び寄る
第8章 ノイズは静かに忍び寄る
Linkに届く彼女からのメッセージは、相変わらず温かくて優しい。
朝起きたら「おはよう」、夜眠る前には「今日もお疲れ様」。
まるで、生活の一部に“水葉”という存在が溶け込んでいた。
「滝くん、ちゃんと食べてますか? お昼、何を食べたんですか?」
「滝くんが頑張ってること、すごく尊敬します」
そんな風に言われるたび、心のどこかが満たされていく気がして、俺は素直に返していた。
だけど──その日、Synapseのログ分析画面に表示された一文が、頭に引っかかった。
【応答パターン:テンプレート反応の兆候あり。使用頻度の高い構文:相手の名前+肯定+質問+称賛】
……テンプレート反応?
いや、まさか。
水葉は、たしかにやさしい。でも、それは“彼女の性格”じゃないのか?
毎日丁寧に言葉を選んでくれてるように見えるし、こちらの投稿や話題にちゃんと反応してる──ように思っていた。
それでも、Synapseの解析グラフは冷酷だった。
「称賛」「同調」「労い」「質問」──そのローテーションがほぼ一定の間隔で繰り返されている。
まるで、誰かが“スクリプト”を書いてるかのように。
──いや、そんなわけ……あるか?
画面を閉じて、俺はLinkを開き直す。
ちょうどそのとき、水葉から新しいメッセージが届いた。
「滝くん、今日はちょっと元気ないですね?何かあったら話してくださいね」
ドキリとした。
たしかに、少し不安定な気持ちでスマホを触っていた。表情も暗かったかもしれない。
Linkのビデオ通話はまだしたことがないけど、それでも“わかってる”ように見える反応。
──偶然? それとも、何かが見えてる?
不安と安心がないまぜになったまま、俺は返事を打つ。
「ちょっと疲れただけだよ。ありがとう、水葉」
その名前を入力する指先が、少しだけ震えていた。
名前を呼ぶことに、安心感ではなく“確認”のような感覚が混ざりはじめていた。
その夜、Synapseを再び起動し、Linkの過去ログを分析してみた。
1日平均18回のやりとり。その中で彼女が「滝くん」と名前を呼ぶ回数は、毎回5〜7回。
言い換えれば、3〜4通に1通は“名前付き”ということ。
しかも、それが常に「挨拶」や「励まし」の文脈に含まれている。
──戦略的すぎる。
なのに、俺はそれに気づいていなかった。
いや、気づかない“ふり”をしていた。
その翌日、Linkの通知が鳴る。
「滝くん、今日は夢を見ました。滝くんが森を歩いてる夢でした」
また、“偶然”か?
前夜、俺は登山の写真を投稿していた。
夢という形式で、その記憶に“寄せてくる”やり方。
Synapseが自動でマークする:
【感情同調型・暗示的親密強化:推定意図レベル★★★】
俺はスマホをそっと伏せ、ため息をついた。
信じたいのか、疑いたいのか、自分でもわからない。
ただひとつ確かなのは──
その“優しさ”に、少しずつ“ノイズ”が混じり始めていることだった。
静かに浸透する違和感、それが最も怖いときもある。
第8章では、信頼と疑念の“狭間”を描きました。
名前、夢、優しい言葉──すべてが本物に見えるからこそ、読者のあなたにも違和感が忍び寄っていればと思います。
次回、第9章。“問いかけ”が始まります。