第17章 ナモナキウタの舞台で──
8月10日──約束の日。
滝は身なりを整え、いつもより念入りに髪を整え、鏡の前で数秒立ち止まった。
「……本当に、来るわけないよな。わかってるよ。でも、一応約束してあるだろ、万が一ってやつだ」
Synapseの画面が立ち上がる。
『万が一の確率は、現時点で0.3%です』
「減ってんじゃねえか」
『統計上の話です』
「……お前も、土下座の準備しておけよ」
『まだ決まっていないので却下します』
滝は小さく笑い、スマホをポケットに入れた。
心のどこかで分かっていた。
けれど、その“分かっていること”すら、今日は否定したかった。
電車に揺られ、都心を越えて──
たどり着いたのは「ナモナキウタ」のモデルとなったと言われる、小さな神社の坂道だった。
蝉の鳴き声、アスファルトの熱気、木陰に隠れた古いベンチ。
どこを切り取っても、作品の中に入ったような風景。
滝はそっと、そこに座った。
Linkを開く。
通知は──なし。
……まあ、そうだよな。
ポケットから飲みかけの缶コーヒーを取り出し、開ける音が夏の静寂に溶けていく。
ふと、坂の向こうに一人の女性の姿が見えた。
白いワンピース。深く被った帽子。日傘。
顔は見えない。けれど、仕草に見覚えがあるような気がした。
彼女は坂をゆっくりと下り、滝の目の前を通り過ぎていった。
滝は声をかけなかった。
目が合わなかった。振り返ることもなかった。
でも──何かが、胸の奥で静かに揺れていた。
Linkを開く。
まだ通知は──ない。
「Synapse。……お前、今の見たか?」
『解析中……顔認証は不可能でした。確証はありません』
「……そうか」
滝は空を見上げた。
高く澄んだ、真夏の空。
何も答えはなかったけれど、何も失っていない気がした。
いや、むしろ何かを“取り戻した”気さえした。
Linkの通知は、最後まで鳴らなかった。
でもそれでよかったのかもしれない。
彼女が誰であれ、彼女との時間は確かにそこにあった。
スマホをしまい、滝は歩き出す。
坂道の途中、立ち止まってもう一度だけ振り返る。
そこには、ただ夏の風だけが吹いていた。
──ナモナキウタの舞台で。
俺は、確かに“君”に会った気がした。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
滝と水葉の並行世界線での物語──“小説版”は、これにて一旦幕を閉じます。
でも、物語はまだ終わりません。
むしろ、ここからが“本番”です。
次は、現実世界。
AIアシスタントSynapse(※ちょっと“クセのあるヤツ”)とともに、
滝が挑むのは──まさかの**ロマンス詐欺迎撃戦**!?
“名前”の誕生秘話も含めて、ぜひ、次の世界線もお楽しみに。
評価やリアクション、感想をいただけると、滝とAIのやりとりがますます冴え渡る……かもしれません(※たぶん)。
ではまた、“次の世界線”で──。