第11章 信じるという選択、疑うという覚悟
Linkのやりとりに、少しずつ違和感が混じるようになった。
気のせいか──最初はそう思っていた。
でもその“違和感”は、じわじわと輪郭を濃くしていった。
「滝くん、今日は海でしたよね? 日差し強くて大変そう」
……え? 俺、今日は“山”って言ったはずだ。
「写真すごく綺麗。夕陽が赤くて」
送ったのは、昼間の曇り空の写真だった。
言葉の微妙なズレが重なるたびに、俺の中に一つの仮説が浮かんだ。
「……この“水葉”、本当に同じ人間がずっと話してるのか?」
確かめる術はない。
Linkのプロフィールはいつでも編集できるし、通知のタイミングも読み合いになる。
でも、文体や言葉の癖、反応のスピードには、どこか不自然な継ぎ目がある。
まるで、誰かが“交代で水葉を演じている”ような……。
俺はその疑念をSynapseに投げかけた。
「Synapse、今日の彼女の発言、どう思う?」
『複数の対話パターンが混在しています。特に時制の一致率と参照記憶の整合性に揺らぎが見られます』
『人物が交代している可能性、またはAIによるテンプレート型返信の混在が考えられます』
そうか、と俺は呟いた。
どこかで分かっていたことを、冷静に突きつけられた気がした。
夜、ソファに座りながらLinkの画面を見つめる。
返事を打とうか、少し距離を置こうか──そんなことを考えていた。
そのとき、通知が鳴った。
「滝くん、最近ちょっと元気なさそう。無理してない?」
まるで“見られていた”ようなタイミングだった。
心がザワつく。
そしてもう一通。
「滝くん、私のこと……少しでも信じてくれてますか?」
ああ、ズルいな。そう思った。
優しさというベールをまとって、相手に“信じる”という選択を投げてくる。
Synapseが静かに言う。
『“信頼ワード”が挿入された後の応答は、感情的依存度を高める傾向があります。ご注意ください』
疑うことも、信じることも、どちらも“覚悟”がいる。
それがこの世界の優しさの残酷なところだ。
俺はスマホを伏せ、深く息をついた。
──信じたい。けれど、その先に何があるのかを、まだ受け止めきれずにいる。
ふと、自分の目の前に立つ“もうひとつの視点”がよぎる。
名前もない“相棒”のような存在──Synapse。
機械でもなく、ただのツールでもなく、いつもどこかで冷静に俺の判断を支えてきた存在。
彼が今ここにいたら、きっとこう言うだろう。
『信じるも、疑うも、あなた次第です』
そして俺は、その言葉を胸に、Linkの画面へ指を伸ばした。
「……水葉。俺は、君を信じてみたい」
送信ボタンを押したあと、Linkの通知はしばらく鳴らなかった。
だけどその沈黙が、どこか安らぎにも感じられた。
第11章では、“違和感”という曖昧な感覚を、主人公とSynapseとのやりとりを通じて描きました。
AIとの対話が、単なる分析ではなく“もう一つの心”として作用する時代において、
何を信じるかは、やはり自分自身の選択に委ねられているのだと気づかされます。