側にいる者、いられない者
「じゃあ──行こっか」
「う、うん──」
私はソワレと名乗る女性の手を取ると俯きながら、広場を後にする。道中様々な景色が目に飛び込んでくる。あまりの情報量の多さに視界が揺れて、私の頭が悲鳴を上げている。
「大丈夫だよ。もう少しだから」
「────」
なんだか、ソワレに「大丈夫だよ」と言われるたびに。心の重石が少し軽くなる様な感じがした。
「もっと……」
「ん?どうしたの?」
「大丈夫って言って……」
少し恥ずかしかった。私は何を言っているんだろう。子供じゃあるまいし。でもどうしてだろう。彼女の言葉はすんなりと心の中に。心地良いところに落ちていく。
「──大丈夫だよ、志弦ちゃん。私も──さ、同じ様に辛い時。そう言い続けてくれた人がいたの。受け売りじゃないけど──私はその言葉に随分と助けられたから。月並みだけど、その人みたいに言えるかなって」
「──その人の事、好き……なの?」
私はいきなり何を聞いているんだろう。でも、心から湧き上がった最初の感情をそのまま言葉にしてしまった。だって──彼女は話しながら、とても大切な想い出を話す様に、穏やかに話してくれるから。
「好き──か……。ううん、ちょっと違う。上手く言えないけど」
「そう──。でも貴女の大切な気持ちは……なんとなく分かるよ」
「……ありがとう」
▼△▼△
私はソウナの演奏が終わった時、涙が止まらなかった。
様々な感情が溢れて止まらなかった。あの場にいた人達も皆涙を流していたし、救われた──そう感じている人も多かったと思う。本当に、少し悲しいけど美しくて──私達が前に進み出すキッカケを作る曲だった。だからなのか──あの場でソウナの演奏を聴いた時に、一人──異質な志弦ちゃんの存在は目を引いた。
私はルクセリアの生まれではない。ソラリスの出身者だった。隠したい過去の一つだったが、それは十年前に──置いてきた。
ソラリス出身の者には「脈」という人が元々持つエネルギーを、可視化する事が出来る、とソウナから教わった。
だからこそ──志弦ちゃんがソウナの演奏に共鳴して、色を纏った脈を放出しかけているのが見えた。咄嗟に私は演奏が終わった余韻を振り切って、彼女の後を追ったのだ。勿論、ソウナとゴズも私に目配せをし任せてくれた。
「ふぅ……やっと着いた。疲れたよね、少し横になってて?何か──食べられる?もう直ぐゴズも来るから──今日は外で食べるつもりだったけど。あ、あった。よし今日はおうちご飯かな」
てきぱきと段取りを決めていくソワレに、少し気後れしながら私は質問した。
「その──ここ、は?ソ、ソワレの家……?」
「そうだよ。私とゴズの家!好きなだけ居ていいから。居心地が良かったら……ずっと居たって良いんだから」
「あ、ありがとう。その──ソワレ」
「ん──?」
ソワレは手際良く食事の準備を進めている。次第に食欲をそそる香りが今直ぐにでも立ち昇り始めるのではないか──そう思う程に彼女の手際は良い。
「どうしてって──思うよね」
「うん────どうして私に……良くしてくれるの。私の事──どうして知ってるの……?」
私は──それは、もう直ぐ分かる様な気がしてる。私の口からは何も言えないし、そう。当人同士で、大事な部分は知っていって──距離を縮めてほしい。そんな想いから──少しはぐらかす訳ではないのだけれども。直接的な返答は出来なかった。
「私は──志弦ちゃんがこんな小さな時に……少しの間一緒にいた事あるんだよ?覚えてない……よね」
「そうなの……?どうしてだろう。大体のことは覚えていられるはずなのに。ソワレ。私……何か大事な事をずっと忘れている気がするの。でも、どうしても思い出せなくて……」
「────ゆっくりで……良いんじゃないかな」
すると階下から入り口の扉を開ける音がした。私は慣れない音や環境も相まってか、ビクッと身体を起こしてしまった。
「ゴズが帰ってきたみたい。ねぇ、志弦ちゃん出迎えてあげて?多分凄いビックリする筈だから」
「ゴズ……も私の事知ってる……の?」
「勿論だよ」
「──分かった」
普段であれば、絶対に。人に積極的に会いに行こうとしないのに。今日という日に限ってこれで何度目だろう?今まで必要以上に恐怖を感じていた様にさえ思ってしまう。特にこの家に来てからは、心地のいい香り──木々の香りが私を優しく包んでいる。
私は階下へ手すりを伝いながらゆっくりと降りていくと──そこにはたくさんの楽器達が並べられており、どれも輝くほどに磨き上げられ、手入れが行き届いた空間が広がった。さっきは裏口から家に入ったから、ここが正面──お店を構えているのだろうか。私はゴズを迎えに行く事を失念して、楽器達の広がるその場所で静かに立ち尽くしてしまった。
「ここからの眺めが最高なんだ」
「──ゴ、ゴズ……さん?」
突然低く響いた声に肩が飛び上がりそうになった。けれど彼もまた──不思議と嫌悪感は感じなかった。私の倍くらいの身長があり、見上げると鍛え抜かれた筋肉が大きく視界を埋め尽くす。
「おかえり志弦ちゃん」
「──た、ただいま?ち、違うよ。私がおかえりって──」
ゴズの言葉につられて、ゴズを迎えるつもりが私が迎えられてしまった。
「どうだ──触ってみたい楽器はあるか?志弦ちゃんなら好きに見ていいぞ」
「ほ、ほんと?わ、わたし音呼びの事──少し勉強した。私に反応してくれないんじゃ──」
「へぇ……!さすがだよ。そう、楽器は俺たちが持っている脈に反応して、楽器が奏者を選ぶんだ」
「う、うん──勉強したから。でも──私は自分の脈が……色がまだ発現していないの。だから──」
言いかけて、私の周りに突如粒子状に──薄い紫色の脈が集まり、私を誘った。
「これは──」
そこには、誰のものか分からない。旅の荷物がまとめられた一角に小さなヴァイオリンケースがゴトゴトと、音を立てて私を呼んでいる様な気がした。後ろから、ゴズが「それは──」と静止しようとしていたが、気づかずに私はそのケースの前まで歩みを進めた。私の顔の周りをくるくると飛び回っていた粒子状の脈は、ケースを手に取ると飛散し、消えて行った。そのまま蓋を開けようとケースに触れると、鍵が勝手にガチャリと気持ちのいい音を立てて蓋が開かれた。
そこにはヴァイオリンの本体はなく、中には上質な布で包まれた弓が入っていた。
「────志弦ちゃん。そいつは預かってるもんなんだ。見終わったら上に上がっておいで。ソワレが夕食を作ってくれている筈だ」
「う、うん──」
私は、本体のないその弓を優しく見つめながら暫く動けなかった。
▼△▼△
「お、美味しそう……」
「ふふーん、でしょ?今日は腕によりをかけたんだから!」
「志弦ちゃん、たくさん食べてくれよな。ソワレの作る料理は王城にも引けをとらないぜ」
「でも……私こんなに、た、食べれないよ?それに四人分くらいある」
ソワレが私を──本当に困ったとでもいう様に。だが、とても優しく微笑みながら続けた。
「うん、今日はね。誰かさんに届けてあげるから──少し余分に作ったんだ。さ!一緒に食べよう?」
「い、いただきます」
▼△▼△
食事をしながら、段々と少しだけではあるけれど二人の事が分かった。
十年程前に私と王城で生活を共にしていた事。
ソワレは以前、ソワレのお父さんがお城で料理長をしていた事。
ゴズはこの国でも一二を争う調律師である事。一階に楽器がたくさんあったのはその為だった。
そして──今日の事は、ゴズが母様に伝えている様で私が一人王城を抜け出した格好となった訳だが、この二人に任せると言っていた事。少し腑に落ちないところはあった。今までは私が人前に出られないのは勿論だったが、それゆえに。母様はいつもとても心配していたのだから。その母様やクガネが捜索隊を出さずに容認している事。分からない事は多かった。けれど、この家の居心地の良さは私の精神をとても穏やかに保ってくれる。ゴズが少し説明をしてくれた。調律師には人の脈を安定させる力があると。それだけじゃない事は、なんとなく察していた。
一つ確かな事は、この人達は──私の大切な人だったという事。
私達は食事を終えると、ソワレは食事を包み「誰かさんがお腹を空かせてる筈だから届けに行く」──そう言って家を後にした。