建国パレード Ⅱ
話し合いを終えた彼の眼は──何処か以前の彼を想い出させた。
当時、圧倒的な存在感とその見た目、実力も相まって、何処か気安く話しかけられない様な人──手の届かない所にいるように思えた。
私達が距離を縮め過ぎたのだろうか?
違う。
彼が──人の感覚に近づいた。この方がしっくりとくる。
私は──以前の奏梛は、見ていて胸が苦しくなる様な表情をする人。そんな印象が強かった。時折見せる表情は、幼い少年のそれなのだ。まるで、大きな歯車に運命を弄ばれた子供が、長い時間をかけて感情を失っていく様に、磨耗していくその様を見せられている様で──。
なのに。彼はいつも私に気付くと、優しく微笑んでこう言った。
「大丈夫だよ──ソワレ」
▼△▼△
「ソワレはいつも心配し過ぎだよ。話しただけだ。死にはしないさ」
「本当に?何か無茶な事頼まれたりしてない?」
「────」
でも、彼の顔を見て、何となく芳しくない事は理解できた。それに──とても苦しそうだったから。
「────」
「──先ずは演奏に集中するよ。もしかすると──会う事は出来ないが志弦にも……届くかもしれないしな」
言い終えた彼の表情はいつもの奏梛だった。十年越しに再開した彼が──そこに居た。
「待たせてすまなかったな。ゴズ、調律はもう良いみたいだな」
「あぁ、バッチリさ」
「もう直ぐ演奏の時間だ。このまま城で待たせてもらおう。演奏が終わったら──三人で外を見て回ろうか」
「うん──そうだね。美味しいものたくさん食べて──」
「おうよ。ソウナ知ってるかぁ?ルクセリアきっての女達が広場の方で音楽に合わせて踊りを披露するんだ。そこでは、二人一組で音楽に合わせてお互いに想いを伝えたりするんだ。俺たちも見に行こうぜ」
「あぁ。そうだな」
▼△▼△
俺が今、この国──ルクセリアに来た理由。ソワレとゴズには伝えていない。だが、二人なら薄々気づいているのだろう。
旅先でルクセリアからの手紙を受け取ったからだ。本当にこの国に来るべきなのか──。何度も熟考した。離れてしまった縁を懐かしむ様な、友に送る内容では無い事は容易に想像出来た。
手紙には建国パレードの節目に一度会って話したいことがある、と記されていた。
「奏梛。この手紙が届く頃、貴方がもし──ルクセリアに脚を運べる距離にいるのなら。一度、会ってお話ししたい事があります」
そして──十年ぶりに俺たちは桜花の間にて邂逅した。だが彼女の口から溢れた言葉は俺達の過去に、深く。深く突き刺さった。
「私は──彼の国に十年の間……人質を取られているのです。その者の名は──先代国王ルクセリア・ガラハッド」
「なんだと…?」
「彼は──死を偽装され、ソラリスに幽閉されています。何度も、何度も交渉を繰り返しました。ですが──」
言い淀んだ彼女の手の先は、解く事が難しいほどに強く絡まって見えた。
「俺と──志弦が条件だったのか」
「──貴方達の事は、秘匿し続けるという約束を反故にはしていません。ですが──先日、とある絵葉書と共に包みが送られてきたのです」
「────」
ルクセリアの声が、震え出す。伝えようとしている言葉。それを聞くまでは正確に分からない。分からない筈なのに、とても良くない事だ──という事は容易に想像出来た。何よりも、彼女の目元から大粒の涙が静かに溢れていたから。
「その絵葉書はイリシャキルを……経由して我が国に届きました。包みには、彼の手と脚の指が数本──そして一文だけ……こう記してありました……」
「嘘の代償だ──と」
「奏梛──私はもう分からないのです。以前はとても良い関係を築けていた筈なのに──あの時を境に、事態はもう私だけの手では収拾出来そうにありません。奏梛……私からのお願いはただ一つ」
「私を──この国を解放してください」
どう答えて良いのか分からなかった。
あの時──確かにガラハッドは殺された。
俺達の目の前で。なんの前触れもなく当然のことの様に。
「愛する友を──守るはずが、愛する者を犠牲にする事でしか約束を護れなくなってしまった……奏梛、私はもう、志弦を護れない。ソラリスは既に、貴方達に気付いているのでしょう。恐らく私への報復の準備も進めていることでしょう。ガラハッドも──恐らくもう生きてはいない……。奏梛、志弦の封印を解き、この国をすぐに発ちなさい。十年、人にとっては十分な時間です。貴方程のものでも、この十年、解決策はまだない──そうでしょう?」
ルクセリアの声はずっと震えている。一国の主人が見せる風格はそこにはない。あるのはただ──家族を想う一人の女性だった。
「でも──それは本当に後ろ向きな事なの?」
また聞こえないはずの声が響いた。
▼△▼△
大きな鐘の音と共に、国中から歓声が響いた。建国パレードが始まったのだ。二日に渡って開催されるこのパレードは一日目が、この王城内でのルクセリアからの祝辞。そして、演奏と共に今日という日を祝う音楽祭だ。城内は一般向けに解放もされ、この大きな広間には人が溢れ、皆が女王からの祝辞と演奏を心待ちにしている。
俺はその演奏会の一番目だった。大方ルクセリアやクガネが調整したのだろう。先程の女王との会話はクガネも知っている様だった。彼女はそんな女王と志弦に献身的に付き添い、支えたのだ。
「だが──俺は?」
本当に護らなければならない人を置いて、復讐に駆られてこの国を後にした様なものだ。どうして──いつも無くしてから気付くのだろう。俺が志弦に封印を施さずとも、守りながら旅だって可能ではあったのだ。
どうして──
浮かんでくる雑念は振り払わなかった。湧き上がる気持ちをそのままに。指先に乗せて鍵盤を優しく叩いた。
▼△▼△
演奏が終わると城中に──いや国中から歓声と拍手が響いている様だった。どうしてだろう、何処か夢の様な感覚と数秒、共存した。歓声とその場を包む熱気で、さすがの俺も酔ってしまう程の熱気だ。俺は椅子から腰を上げて振りかぶり一礼すると──視界に一際意識を引く少女がそこに居た。
髪は淡い桜色。
華奢な体つきに瞳の奥には薄紫色の──そう、芯と芯が一つになる様に、互いを捉えた。
吸い込まれる様な瞳の色が、眼の奥に焼きついていく。
「志弦──」
言葉を発するも異様な歓声と熱気にかき消され、届くはずもないその言葉を何度か心の中で復唱した。
だが少女は直ぐに──胸元を押さえながらその場から駆けて行った。
「志弦!!待って──!」
▼△▼△
「はぁ……!はぁっ…………!!」
全力で、その場から逃げる様に。私は人混みをかき分けた。
心の中で、何かがとても大きな声で騒いでいる。
私の中にもう一人の私が居て──その私が、何かを訴えてくる様だった。初めての感覚に戸惑って、居ても立っても居られなくて──私は気付くと王城から抜け出し、城下に出てしまっていた。
呼吸を整えながら、普段城の外になど一人で出ることの無い私が感情のままに走り、気づけばそこは私の知るルクセリアでは無い、まるで別世界の様だった。
人々は、笑いながらお酒を飲み、大声で歌いながら、母を──讃えた。
街の至る所で大きな人のうねりが出来ていて、どこもかしこも静かな場所なんて見当たらなかい。
「人が──何処か静かな場所…はぁっ…はぁ…」
段々と足取りが重く、枷をはめられたかの様に歩みが重くなっていく。人混みをなんとかかき分けながら、大きな広場に出た。
「ここは──…」
旧市街地で破壊されてしまったルクセリアの家紋を、大きく剣とともに模った銅像が中央に聳える噴水広場だ。
なんとか石段に腰を下ろすと、呼吸を整えながら上目遣いに周りを見渡す。だが、どこもかしこも目に入る情報は全て同じ──。大きな声、笑顔、お酒、歌──音楽。さっきの演奏は聴き入るほどに心地よかったのに。どうしてだろう。皆幸せそうな表情をしているのに、私は耳を傾ける事が出来ない。
「私──どうしちゃったの……」
蹲りながら、気付けば大粒の涙が頬を伝った。
でも、その涙は石段に跳ねずに、掌に落ちた。
「志弦……ちゃん?だよね」
「────」
上手く返事が出来ない。顔を上げるとそこには金色の髪に白い差し色が特徴的な、優しい顔の女性だった。
「貴女は……誰」
「私は…ソワレ──志弦ちゃん、ここ。辛いよね」
「頭がくらくらして──それに人が……うっ…」
普段人との接触はできる限り避けている。母様とクガネとしか話さない。なのに。この女性からは──母様やクガネと同じ匂いがした。
「大丈夫だよ。行こう?私は──ごめん。急に声かけられて驚いたよね。でもお城の関係者──ではあるんだ。うん、嘘じゃないよね、うん。」
「っふ……なに、それ──」
私は、彼女が自分の発言を確かめる様に頷く様がどこか可笑しくて──初めて人前で笑顔をこぼした事に気付いたのはもう少し後だった。