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始まりの少女

「リドウ」──このオスレリア大陸の中央を分断している、とある門の西側に位置する、気候変動が厳しい大国の一つ。

 世界中の人々が、天災の影響を受けながら生活するこの大地で初めて()()()()()()となり、国中全ての人間を分け隔てなく住まわせていたとされる国。

 先住民族として、獣人達が元々支配している土地であり、獣人族は「月の民」から、()()()()()()者達だった。

 「啓示」を受けられない民族として、長い歴史の中で獣人達は差別を受け、虐げられてきた。


 ある時、一人の獣人「シイラロゴス」という者が立ち上がり、月の民に反旗を翻し独立した国家として「リドウ王国」を建ち上げたとされている。

 「シイラロゴス」には「龍脈」という大地に根ざす、根源的な力を利用した「龍還(リュウカン)」という能力を操り、何千年もの間、月の民と姿形を変えながら戦い続けていた──と記録が残っている。

 その為、「リドウ」にとっては「シイラロゴス」こそがある種の神に等しき存在であり、この世界を地上の者達の手で正しい方向に導く者の象徴として崇拝されている──。

 

 だが、()()()を境に「シイラロゴス」に関する記録は途絶えており、「龍還(リュウカン)」を操ったとされるその力も遠い昔に失われた概念となった。

 

「私たち人は、大地に根ざし、季節の移ろいに身を任せ、この土地と共に繁栄し、風化していく。それは至極自然な事なのよ──」

 

ールクセリア禁書庫 月の民の心月とソラリスの落城ー

211ページ

託宣の章


▼△▼△


 私の生まれは海上国家ルクセリア卿国──女王ルクセリア・トレスの娘として生を受けた、とされている。

 

 幼い頃は良く禁書庫に入り浸っていた。

 世界中の歴史、文献を読み漁り、禁書庫の全てを手当たり次第記憶したのを今でも良く覚えている。

 どうしてって──人との接触を避ける口実にはこれ以上ない程都合が良かったから。禁書庫で丸一日を終える、なんて事は当たり前。こんな薄暗い、秘匿文章だらけの──ましてや今となっては真偽も分からない伝説、伝承に埋もれて過ごしていたから、自然と私の周りからは皆距離を置いた。

 

「少し変わっている」なんて生優しい。皆、腫れ物を扱う様に、どう接して良いのかも分からずに、只々時間が音もなく過ぎていった。

 

 誰にも会わずに済むのならそれが一番いい──もちろん人目を避けるのには理由があったのだけれども──。私の体質についてよく知る者は少数だったし、説明するつもりも毛頭ない。

 

 このまま静かに──ゆっくりと老いていく。

 幼いながらもそんな事を考えながら、あの日。

 ──私の人生が大きく動き出した。


ー海上暦 百八十二年後期 ルクセリア卿国 桜花録ー


 

▼△▼△

 


 ルクセリア卿国三階 ー禁書庫ー

 

 禁書庫に向かうと、まだ目を通していない文献を探しに本棚を見上げた。なんて事はない、いつもと寸分違わずに本達が静かに収まっている。

 

 ゆっくりと、古くなった木の香りを確かめながら禁書庫を一周する。

 もう殆どが目を通してしまったのだけれど──今、私の興味を強く惹くものがある。

 「月」に関する書物だ。

 偶然にも、読み尽くした筈の書庫の棚の奥に隠し扉があり、そこには真偽不明の──今までに読んだ事のない歴史が多数記されていた。

 関連書物を一通り漁っているが、もう残り僅か──といったところだ。

 

 もう間も無く読み尽くしてしまうだろう。

 少し胸の奥で言い表せない感情が跳ねていく。

 どうしてだろう、なんて事はない数ある伝説や歴史の一つの筈なのに。

 収まりの悪い自分の感情を、扱いきれないまま、目的の文献を胸の前に抱え、集め終わる。

 いつものテーブルに本を広げると、順番にゆっくりと目を通していく。

 この書庫を見渡せる中央の広間に広がる「剣」を模したテーブルの柄の部分にあたるこの席が私のお気に入りだ。

 

 少しだけ──部屋は暗めではあるが、本の状態を維持するための風通しも良い。

 禁書庫内に響くのは本のページを捲る紙擦れの音と、遠くから時折聞こえる波の音──全ての均衡が完璧に調和した、私の心休まる唯一の場所。

 

 勿論手入れも自分で行なっている。

 古い文献を陽光に浴びせて、本が傷まない様に管理もこなしているし、この城の誰よりも、この場所を熟知している自信がある──というか知っていないといけないし、母様にもこの場所に出入りするのであれば──と、管理を任されていたから。


 積み上げた書物は段々と高さを失い、テーブルに時系列ごとに並べていく。

 ──ここ数日、特に夢中になって読んでいた「月」に関するページ──あった。これだ。


「月の民には生まれつき楽器の適性があり、自身の名に月に関係する文字がある者は、器として──────。月の民のその力、希少性や、能力、異質性からそれを欲する者も多かったが、その本質は……」


 文字が所々霞んでいて判読できない。

 肝心な部分が消え掛かっていて、それにこの国の言葉とは別の言語と思われるものが同列に記されていて、読み進めるだけでも暗号を読み解いている様だ。

 

 「はぁ…」

 

 息を吐き、関係のある判別できそうな文献をまた読み漁るも、関連する記述は他にはもう見当たらず、時間だけがいたずらに過ぎていく。

 もう、めぼしい棚は全て調べ尽くしてしまったしこれ以上は見当たらない。


「────」


 私には誰にも会わずに──この文章を解読するための情報を集めるのは至難の業だった。

 普段から人と接する事を、できるだけ可能な限り避けているのだから。

 だって、それは相手の表情や仕草から──必要以上の情報を得てしまうから。そう、それは家族とて例外ではなく、だが、頼れる人といえば、それこそ母くらいのもの。


「…母様に……うぅん…」


 すると──耳にどこか聞き慣れた、懐かしい旋律がうっすらと、だが確かに聞こえてきた。

 普段は波の音か、自身の吐息が響くくらいには、ここは静かな場所なのに。たまに、階下の演奏などが聞こえてきたりもするけれど、意識を奪われるほどでは無かった。


 なのに、この旋律は──どこか懐かしくも暖かい──心の何処かがゆっくりと、波紋を打ち揺らめき出す。


 書庫に静かにこだまする旋律は、強く私の興味を引いて掴んで離さなかった。こんな感覚を覚える事は久しい、いや初めての事。胸の辺りに手を当てて、皮膚の下、その奥から、トクン、トクン、と鼓動が早まるのが分かる。


 音色に惹かれるまま、無意識に。

 普段は滅多に自分から出ることのない禁書庫の扉を開け、ゆっくりと外へ──音色に誘われた。


 

▼△▼△


 

 禁書庫を抜け──長い階段を気付けば小走りで降りながら、呼吸が少しづつ浅くなっていく。階下の旋律に近づく程に、こう、胸の奥から何かが綻びていく様だった。

 この時の感覚は今でも覚えている。

 薄暗い奥底に蓋をして、押さえ込んである感情が──まるで、初めて飛ぶ事を許された鳥の様に。わたしの心の奥底で大きく跳ね上がって波打ったんだ。


「…こっち…?から、聞こえる…」


 私は滅多に書庫から顔を出さない。

 特殊な体質のせいもあってか、人前に出ることが辛くなってしまっている。

 だけれども──今は違う。

 いや、正確には構っていられない。

 呼ばれている、と思った。

 

 鼓動と共に段々と早くなる足元に、ふらつきながらも音色に誘われるまま進んでいく。

 本来であれば、城の廊下をこんなにも必死に歩き回るなんて全くと言っていいほどない。

 案の定、私を見かけた兵や女官達は、驚き、口々に本当に彼女なのか、と目を擦り事実を受け入れるのに時間がかかっていたと思う。

 でもそんな周りの様子など今は意識の外。

 この旋律が、私を呼んでいる──。

 胸の辺りにもどかしい言い表せない何かが──鎖が、後何手かで解ける様な焦りを感じた。


 ようやく辿り着いた音色の発生源の──その先へ。

 ゆっくりと伏し目がちに、誘われる様に導かれた私は、そこで一人のピアノ奏者に意識を奪われた。


「────きれい…」


 抑え込まれていた何かが一斉に跳ねて、目の前の映像を色づけていく。

 真っ直ぐに顔を上げて、もう一歩、人混みの中に更に深く飛び込んだ。

 聴衆と一緒になると、音色の発生源に──釘付けられて動けない。

 今まで感じたことのない感情が大きなうねりと共に、「私」を行き着く事の無かった見知らぬ岸へ座礁させた。

 

 でも──この演奏は美しくはある、けれど何処か憂いがあり胸が締め付けられる。それに何より、わたしは、この旋律を()()()()()()()

 

 そう確信した。


「────」

 


 ▼△▼△


 

 演奏が終わり歓声と拍手が響くと、慣れない感覚に襲われながらも何処か居心地の良い、夢の様な感覚と共存した。

 湧き上がる歓声にゆっくりと意識を引っ張られながら──けれども魔法が解けた様に、途端に現実に引き戻された。

 場の雰囲気と、旋律が途切れた事で意識が周りの聴衆へと向いていく。歓声とその場を包む熱気で酔ってしまう程だが、先ほどの旋律の名残り、なのか──私をいくばくかの余韻に浸らせてくれる事を許してくれた。

 

 演奏を終え、周りの観衆に応えながら奏者が席を立つと、私は慌てて顔を隠す様に俯き、近くの柱の方へ──人混みをかき分けて咄嗟に姿を隠した。

 

 だが、その時──奏者である銀髪の男性と、瞳の奥の──そう、芯と芯が一つになる様に、互いを捉えてしまった。


 吸い込まれる様な瞳。

 銀髪の美丈夫も此方に向かって──一瞬驚いた表情を見せた。

 今交差している瞳の色が、眼の奥に焼きついていく。

 

 深い海の様な蒼みがかった翠緑の瞳と、銀色の髪に切れ長のまつ毛。

 それに何処かで、出会ったことのある様な──既視感を覚えた。

 慣れない感情の起伏に身体が震えている。

 気づいた時には、逃げる様にその場を後に駆け出していた。


「…なに…これ…!はぁ…はぁ…収まれ…!収まってよ…!!」


 胸元を強く、掴むことのできない何かを指先で探す様に。

 何度も強く掌の形のままに、無造作に胸を押さえつけながら──。

 全力で走ったんだ。



▼△▼△



 ルクセリア卿国は、オスレリア大陸中央のダグザという地域の中心に浮かぶ海上国家。先代のルクセリア国王が十年前に亡くなってからはルクセリア•トレス女王がこの国を建て直した、ともっぱらの評判だ。

 ただ、海上に巨大に浮かぶ移動都市でもある為か、年々自然災害の脅威にもさらされている。

 だがそんな過酷な環境に負けじと国民はとても活気があり逞しい。これはこの国が希少な「音楽」を生活の一部としている者が他国と比べて多い事も大きい。

 

 俺は港から出るとすぐに──二日後に迫るパレードの準備で賑わう街並みに安堵感を覚えた。

 この世界にもまだ、こんな光景がある──久しく見なかったその景色に心が自然と惹かれ、笑みが溢れた。

 

 ゆっくりと商店街を抜けていくと、少し落ち着いた雰囲気の専門店が立ち並ぶ区画に入っていく。

 迷わずに歩みを進め──向かう先はこの国随一の「調律師」の構える「月」がトレードマークの建物だ。


「十年──か…。変わらずに居てくれるといいんだが…」

 

 静かに扉を開けると、そこには様々な楽器が数多く展示され隅々まで整備が行き届いているのが一眼でわかる。

 そう、ここはルクセリア一番の調律師が構える店だ。


「──いらっしゃい。パレード前だし忙しいから試奏する時は声をかけて……」


 全身を鍛え抜いたその厳つい体を大きく乗り出し、男は店内にやってきた俺に大きく目を見開いた。

 そう、()()()()()()()()()()、いるはずのない男を驚きと懐かしさの混じった目で歓迎してくれた。


「──ソウナ...?」


 俺たちの邂逅は叶うことのない夢として──引き出しの奥底に大事にしまい込んだのだから。

 事前に報せてなどは勿論いない。心構えなどあるはずもない。

 彼はカウンターから身を乗り出すと、年月は見えない障壁として二人の間に陣取りながら──自身の気持ちの整理がつかぬままに、淡々と俺は口を開いた。


「あの時のままだな───ゴズ。安心したぞ?」

「ソウナ!!」


 本当に、再会出来た。

 もう誰にも──会う事は叶わないと思っていた。


「逞しくなったな──あの時の少年の細腕とは思えないよ」

「てめえには言われたくねえなっ...!一体何年振りの…いや!んな事より、何時戻ったんだ!?」


 平然を装ったつもりだった。

 だが実際は、俺を受け入れてくれないんじゃないか──そんな不安が過ったのは事実だった。俺はあの時、お前達を置いてルクセリアを後にしたのだから。怖く無かった──と言えば嘘になる。十年ぶりの再会に、もっと気を利かせた言葉は出てこないのか、とゴズは自身にぼやいていたが、それは俺も同じだった。


「──ちょうど、今し方着いたところだ。フィラッチェから船で来たよ。ここは変わらずでいいな…街行く人達の表情も明るい」


 ゴズは驚きから平静を装い取り繕おうとしているが、それと同時に言葉を慎重に選んでいるようだった。無理もない。嫌でも避けては通れない話題もある。


「──お前さんが出て行ってからもう…十年くらい経つか。ルクセリアにいる時だけは、羽を伸ばしても良いんだぜ。此処には()()()も干渉はして来ない」


「──そうだな」


 俺は店内の無数の楽器を見渡して──この国に音楽が根付いている事が素直に嬉しかった。自然と笑顔が溢れてくるものだ。帰ってきた場所が、思っていた通りに──元通りとなり、前へ進んでいるのだから。


「──ソウナ…見た目は──その変わってねえが…なんつうか少し変わったな」


 ゴズはまじまじと此方を見ながら──少し驚いた様な様子だった。


「そうか…?一人で旅を続けてきたしな…正直、この国の今の熱気にあてられて、浮ついている自覚はある。俺だってこれでも()()やってんだぜ?」


 自分の親指で胸を指しながら答えた。

 そう──俺はまだ人でいられている。


「へっ…そうだったな。そうだ、良いタイミングで帰ってきたぞ。知ってるか?明日はルクセリア・トレス就任から十年目の節目だ。まぁ…当然折り込み済みか」


「…いや、本来この国に脚を踏み入れるつもりはなかったんだが──」


 ゴズは顎に手をやりながら、まじまじと此方を改めて定める様に、確かめる様に確認し、目を細めた。

 その視線の移動は決して不快なものでは無い。品定めとは違う、かつての友人の無事を安堵し、少しの驚きと共に家族を想う。そんな眼だ。正直な所、少し照れ臭ささえ感じる。


「まぁいい──ソウナ。泊まるとこはあるのか?もうこの時期は何処も埋まってるぞ。家で良ければ泊まっていってくれ。アイツも喜ぶ」


「…それなんだがな。以前一つだけ──俺が借りていた屋敷はまだ残っているか?──この区画の先にあった筈だ」


「以前って…十年前だぞ」


「いや、建物自体は大丈夫だ。()()()()事は()で確認してる。結界も敷いているし人目には付かないしな。言うなれば秘密の隠れ家ってヤツさ」


「ははっ…!相変わらずぶっ飛んでるな。十年維持する結界とか流石だよ。大通り抜けた方の旧市街の方だろう?あそこは──当時のままに慰霊碑を建てたくらいだ。当時の建物は残っているものも多い。結界を施していたのなら大丈夫だろ」


「分かった。後で確認しに行くよ。それと──せっかく来たんだ、何か弾いて行ってもいいか?」


「ああ、もちろんだ。()()()あるぞ。お前の」


 俺は指先に軽く力を込めると、蒼い粒子状の「脈」を全身に纏わせる。

 集まった粒子がうっすらと身体に馴染んでいくと、同時に、一台のピアノが奥の方から旋律を奏でた。

 久しく眼にするその力の顕現はゴズにとっても嬉しさ半分、悲しい過去を思い出すきっかけが半分、というところだろうが──こればかりは致し方ない。


「…処分せずに置いておいてくれたんだな」


 俺は身体から発現した脈がたどる軌跡を追いながら、ゆっくりと楽器の方へ店内を進んだ。

 其処には一台の古めかしいピアノがあった。隅々まで手入れされているのが一眼で分かる。ゴズに感謝しないといけないな。

 包まれた上質なピアノカバーを外し、指先で撫でると杢の香りがした。

 椅子に腰を下ろし鍵盤を見つめると──やはりと言うべきか。とても懐かしい記憶が脳裏をかすめていく。蓋をした筈の記憶──。

 暫く微動だにせず、只々黙って鍵盤を見つめていると「──弾かねえのか?」とゴズがこちらを覗き込んだ。


「あぁ…そうだな」

 

 旋律の数は多くないが──何度も同じ旋律を、伴奏を変えながらゆったりと気の向くままに──。

 俺たちの間の僅かな沈黙を破る様に、旋律の隙間を縫って階上から明るい声が響いた。


 「ゴズ──?そのピアノ──」


 階上から声と共にゆっくりと降りてきた細身の女性。

 金色の髪に差し色の白が特徴的な少女──いや、今はもう立派な大人の女性のそれだった。

 此方を見ると、驚きの表情のまま──時が止まった様に階上で動きを止めた。

 手にしていた調律器具が、力の抜けた指先から、ゴトン、と静かに音を響かせて。


 

「──ソウナ……」


「見違えたな。挨拶が遅くなった──」


△▼△▼

 

 私には、一人だけ特別な人が居る。

 ()()()()、ゴズとは結婚をして二人でこの店を切り盛りしてる。

 私は父と母から継いだ料理の腕を活かして、お店を始めた。

 ゴズが構えるお店の二階を店舗にして、二人で少しずつ歩みを進めて、この国で生きて行くのを決めた。

 当時のことを考えると、ルクセリアを出ていこうとは考えなかった──と言えば嘘になる。けれど、()()が居るこの国を離れられなかった。私達まで居なくなったら──()()()は本当に一人になってしまうから。

 

 ソウナ達との繋がりが──途絶えてしまうのが怖かった。

 

 上手く言い表せないこの感情は、この場の誰もが同じだったと思う。

 もしまた会えたのなら──希望とは裏腹に、もし会う事が叶うのなら、どういう表情で迎えればいいのだろう──。そんな事をたまにゴズと良く話していた。会った時は絶対に泣かない、沢山笑ってもらうんだって──話したよね。

 

 でも、心の準備は出来ないままに時間だけが経って──その日は突然やってきた。

 

 言葉を言い切るよりも早く、階段から駆け降りて胸に飛び込もうと──彼の目の前まで近づいて、浅くなっている呼吸と感情が一斉に溢れてきて──だが、彼の胸には飛び込めなかった。

 

 怖かった。

 私の知らないソウナになってしまっているんじゃないかって──。

 十年越しに目の当たりにした彼の前で立ち止まって、表情を歪ませる私の──そんな様子を見て、そっと私の肩に手を添えると、優しく微笑んでくれた。

 私はどうしていいかわからない感情はそのままに。

 溢れてくる涙を必死に堪えようとしながら──静かに涙をこぼしていた。


△▼△▼


「元気そうで…本当に…!ソウナは、あの時のまま…会いたかった…!」

 

「俺も二人にまた会えて嬉しい──。本当は受け入れてくれないんじゃないかって。少し不安もあったんだ。その…あの時は済まなかったな…」


「私も…ゴズも…!絶対にそんな事しない…よ…!バカ…」

 

「そうだぜ、ソウナ。ったくお前はうちの嫁泣かせてばっかりなんだからちったぁ反省しろ」


 ゴズは意地悪く此方を見てそう告げるとその場は笑いに包まれて、しばし穏やかな時が流れた。


 △▼△▼

 

 俺の見た目は、ある時から全く変化していない。

 驚いて当然の事だ。だが、改めて時間を越えて友人に会うと、こうも寂しさを感じてしまうのはどうしてだろう。そう、それは()()()()()代償として背負う「不老」という、呪いのせい──。失った友人達が殆どの中、長い年月をかけて再会出来たのはゴズとソワレが初めてだった。


「本当に変わらずで…ふふっ、うちの筋肉バカにも...半分分けてよ」

「──ソワレ!俺の身体は趣味でやってんだ!」


 「はいはい」と相手にされずにゴズは顰めっ面をさらに皺深く鼻筋から刻んでいる。

 二人は以前、俺がルクセリアに滞在していた時に、知り合った今では数少ない友人達でもある。だが同時に、ある事態にも巻き込んでしまった二人だった。


「よし...!落ち着いてきた...ソウナ!今日はウチに泊まってくよね!一人分も二人分も食事なんて変わらないよ。せっかく会えたんだよ、ゴズとも一杯やってくれると助かるな。ゆっくりと羽を伸ばしてよ」

「──まあ、後半は置いておいてだ。ソウナ…良いだろう?まだ来たばかりなら()()はあるだろ?」


「ははっ…久しぶりにソワレの手料理が食べられるし、断る理由もないな」

「決まりだね!じゃあアタシ食材少し買い足してきたいから、出てくる!」


「──今から行くのか?パレード準備で何処も混み合ってるぞ?」

「うん、せっかくソウナ来たんだよ?ご馳走作りたいじゃない」


「ソワレ、手伝うよ。俺もまだ街を見て回りたいんだ。寄っておきたい場所もある」

「いいの...?!じゃあゴズはお留守番ね!パレードで今から楽器を買う人なんて居ないんだから、閉めちゃったら?」


 ソワレの口から店を閉めるなんて言葉が出るとは思っていなかったゴズは困り果てた顔で顎に手をやり眉間に皺を寄せた。


「おいおい何言って──」


 だが言いかけてゴズは言葉を飲み込んだ。

 彼女がこんな笑顔を見せるのはいつ以来だったか──。


「じゃあソウナ!これから夜になったらもっと人が出るから、これからすぐ行こうと思うんだけど…。あ、荷物はそこら辺に置いちゃって──さっ行こう!」


 私は、泣きはらした目元を袖で拭い、まだ活気のある市場へと目を細めながら店を後にした。

 ソワレは少し寂しそうな顔で、聞こえない様に──此処にはいない()()()()()()小さく何かを呟いた。ゴズはすぐに分かったが、ソウナは気づいていない様だった。

 彼の荷物の中に一つ──見慣れたヴァイオリンのケースを見たからだ。

 

 今はここにいない彼女の形見だった。


▼△▼△


 ソワレと共に商店街の方まで足早に進んでいく。

 周囲はパレードに向けての準備で活気と共に段々と慌ただしくなってきている。まるで、今までの事を急いで忘れようとしているような、人が前に進むと言うのはこう言う事なのだろうかと、俺は自問自答し少し視線を落とした。


「ソウナ…?」

「あぁ…すまない」


「──ソウナ…少し変わったね」

「…さっきゴズにも同じ事言われたよ。ちょっと浮ついてるかもな」


「──ふふっ。ねえ…今回は出来るだけ家にいて良いんだよ。ゴズだって嫌なんてもちろん言わない。私たちは、何があってもソウナの味方なんだよ。ちゃんと頼ってほしい」


「ああ、本当に二人には助けられてばかりだよ。ただ、こういう感覚が久しくて──」

 

「あ、あった!ソウナ、今日はラト鳥の蒸し焼きにしよ!!」

「ソワレの得意料理だな。たまに真似て作ってみるんだ。結果は想像通り、てんでダメさ」


 ソワレは振り返ると嬉しそうに、はにかんで此方を見つめ、表情を一段と輝かせた。


「──ふふっ。はい、ソウナ、これ持って」


 俺は荷物を受け取ろうとすると、服の袖から解けかけた包帯と共に傷だらけの──大きく紅い龍の牙の様な痣が少し顕になった。直ぐ様、平静を装って痣を隠す様に包帯を巻き直すが──その紋様にソワレは絶句し表情が強張った。

 

 言葉を慎重に、ゆっくりと選ぶ必要があった。

 それに傷というのも生温いこの──これ程までにひどい症状を見るのは、ソワレにとっても十年前の記憶が脳内を過ぎったのは言うまでもないだろう。そんな数年で治るのであれば、()()()()()()()()()()()()


「……ねえ…そんなに…悪いの」

「…済まない。やっぱり浮かれてるな。見せるつもりは無かったんだ。食欲失せるよな。見えない様に隠して──」


「違うのっ……!!」


 私は、ソウナが隠そうとして袖口を引っ張ろうとするのを止め、腕を真っ直ぐに掴んで見据えた。

 自分の瞳が恐怖で少し──揺れているのが分かる。泣いてはダメだ。

 伝えたい事や聞きたい事が沢山ある。それを笑顔で笑って聞いてあげたい。辛い過去を涙で色付けたくない──だけど、今は素直に再会を喜んで彼の荷物を少しだけでも預かってあげたい。


「それはソウナがこの十年、一人で抱えてきたもの。否定はしない……。()()は受け入れてるから。よしっ!ごめん!取り乱しちゃった。今日は美味しいものたくさん作るから!旅の話聞かせてよ?」


 私は、荷物を取り返すと胸の前で抱え直して、少し足早に駆け出した。

 この十年何があったとしても私はしっかりと支えたい、と思った。

 食材を手早く購入すると真っ直ぐに、ゴズの待つ自宅へと向かった。

 道中の歩き方や所作から、この十年──彼の容体はあまり良くなっていないのではないだろうか──?そんな予感は的中してしまった。

 私は呼吸が苦しくなるのに何度も耐えながら、他愛も無い話をして──店までの帰路を必死に誤魔化した。


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