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第七節 『獣』と『きょうだい』 ⑤

「──あ。そのときにできた傷、見てみるか?」


 と、その刹那、いつもの爽やかなテオドルスの声色に戻る。

 あまりの切り替えの早さと、トラウマであろう記憶の爪跡をさも面白いものとして見せようとするノリに、クレイグは思わず叫ばざるをえなかった。


「さらっとキツい思い出の痕跡を嬉々として見せようとすんな!! ──おい、脱ぐな脱ぐな!」


 見せようとするなとツッコまれている最中、テオドルスは服の裾を上げ、服を丸ごと脱いで傷跡を見せようとしていた。クレイグは彼の手がこれ以上に上がらないよう素早く止める。服が上がりきった肌には、戦闘でついたであろう長くて幅のある切り傷の跡。そして、魔物の牙が食い込んだ跡なのか、円形状に肌の色が違う箇所があった。

 『見たい』とも言われていないのに見せようとするとは──案外、トラウマではないようだ。


「……それで、その時にアンタは何を思ったんだ? 何かを感じたから、『今のアンタ』になってんだろ?」


 そして、クレイグは手を離し、テオドルスを見る。


「君は洞察力に優れているな」


 言わずとも察する──若干、ツッコミに疲れてきた顔をしている──クレイグに、テオドルスは嬉しそうに笑う。


「──ああ、思ったさ。血まみれで意識が朦朧としていたが……その時に浮かんだのが──『この魔物を倒したい』だった」


「……」


 その瞬間、クレイグの思考が止まる。

 対して、テオドルスは言葉を紡ぎ続ける。


「その頃のオレは、まだまだ未熟だった。普通の子どもで、しかも五歳だ。ユリアのような特別ではなかったから、ただ食われるしかできなかったんだけどな」


 と、テオドルスは平然とそう語る。クレイグはうまく言葉が出てこないのか、反応に困っているような顔で黙り込む。


「それから、父上たちが助けに来てくれてな。──奇跡的に回復した後、オレは父上と母上に、あの日に生まれた気持ちを伝えたんだ。オレの両親なら、きっと共感してくれるって思っていたんだ。……でも、ふたりに浮かんだ顔は……恐怖のようなものだった」


「……そりゃビビるだろ」


 ようやくクレイグの口から言葉が出てきた。食い殺されている時に思い浮かんだことが『倒したい』とは──あまりにも常軌を逸している。


「そうだろうな。オレ自身も驚いたものだ──」


 その後、テオドルスはどこか遠い目をした。


「両親は、そんなことを言い出したオレに『恐怖感を抱いた顔』を向けた。その顔に、当時のオレは無意識に恐れを抱いてしまって──いつの間にか、他者の顔色を伺ってしまう時期があった。それも無意識にだ。そのときの精神状態が、オレの体内で生み出される魔力に作用してしまったのか……気づけばオレは、他者から生み出される魔力を察知しようとすると、『魔力に込められた感情』がなんとなく判るようになってしまっていたのさ」


「……」


 クレイグがふたたび黙り込むと、テオドルスは肩を落として微笑んだ。


「信じられないか……?」


「いや……そうじゃない──。『そういった体質を持ってしまった現代の魔術師がいる』という報告書を、魔道庁で読んだことがある。だから理解できる。その人は、どうやら非人道的な実験を受けさせられた末に開花した能力らしいけどな……。その能力は、現代でも稀有な能力だったから、その人は極秘部隊に所属することになって世間から秘されているらしい」


 クレイグが魔道庁で見たという、報告書に書かれていた情報はそれだけだ。

 しかし、そのことをもしもユリアが知れば、彼女は直感するはずだ。

 その実験を受けていたのは、もしかすると当時は幼い少年。最近、新米の極秘部隊となったばかりのジョシュアという十七歳の少年ではないかと──。


「そうか……」


 テオドルスは安堵する。


「その能力は、当時でも稀有な能力に分類されていた。だから、人には少し言いづらくてな。理解しにくいだろうし、なにより秘めている感情が判る人間なんて近寄りたいとは思わないだろう。──でも、悪いことばかりじゃない。オレが〈預言の子〉だったユリアに強く惹かれて、そのあとに縁を結べたのは、この能力があったおかげだ。あのときにユリアの本性を見抜くことができたから、今のオレたちがある」


 それでも、テオドルスはさまざまな想いを含んだ目を伏せつつ口を閉じ、ややあって開いた。


「……オレを恐れる両親の顔を見て、オレは思ったんだ。──ああ、オレは『違う』のかってな。ならば、これはなんだ……? ……そうか。『獣』か──と、幼いながらも思った」


 どこか寂しそうな声──クレイグは、そんなテオドルスを真っ直ぐに見つめた。

 ここまで本心を語ったのは、おそらくクレイグの過去が〈持たざる者〉──魔術師の家系に生まれながら、魔力を作れない者──だったからだろう。

 テオドルスは、クレイグが身を持って知っている『孤独』に共鳴したのだ。そして、彼もそれに気付いた。だから、普段ならば出さない『負の感情を感じる声』が出ている。


「……クレイグ」


 しばらく静かな時が流れると、テオドルスはいたずらっぽい目をしながら唇に人差し指を添えた。内緒だぞ、というように。


「ユリアには、オレのこの能力があることを秘密にしておいてくれないか? 知られたら、彼女に避けられてしまうだろうからな──。ユリアは、そういう人間を必ず避けようとするはずだ」


 テオドルスがそう言うと、クレイグは軽く息をつく。


「だろうな……。──しゃーねえ。さっきのは聞かなかったことにしておいてやるよ。だから、その能力でユリアを振り回して、あいつの『鉄の仮面』を外してやってくれ」


 クレイグが言う『鉄の仮面』とは、ユリアの心にある暗い感情だ。クレイグには彼女の闇を『仮面』のようだと感じているのだろう。


「ああ。約束すると誓おう」


 そして、いつものテオドルスに戻った。いつもの明るくて爽やかな笑みを浮かべている。

 彼の過去の話は終わった。受け止めるには想定外に重く、そしてツッコミも一段落したクレイグは小さく息をつく。


「──……そんなこんなで、アンタの両親は、このままだと『ヤバい大人になる』と直感して、アンタに世の中の美しさを叩き込んだってワケか……」


「ああ、そういうことだ。たくさん学び、美しさを知った。──たくさん見てきたが、何よりも『美しい』と感じたのは、両親の心だった」


 すると、テオドルスは誇らしげに微笑む。


「なぜなら、息子の精神が『普通とは違う』と知っても、息子を信じてくれたからだ。そんな両親の心が一番美しくて尊いのだとわかった。だからオレは、両親のことが大好きでな。恩義があって、敬意もある──君たちには、間違いなくその血筋を引き継いでいる。オレが愛した両親の『欠片』が見えるんだ──どれだけ時が流れていようとも、君たちも我が愛しきラインフェルデン家の血筋であることに変わりはない。だからこそ守るべきものだと思う」


「とか言いながら……なんか事情が変わったら豹変するとかねぇよな……?」


「ははっ。──それは、君次第と言っておこう。人は変わるものでもある」


 そう伝えるテオドルスの雰囲気に恐ろしさはなかった。ただの可能性であり、彼はクレイグを信じているからだろう。


「そう思ってんなら、アンタも自分は変われるって思ってんだな」


「それはどうだろうな……。変われない愚か者がいることもまた事実だろう?」


「それが事実でも、オレは変われるもんだと思ってる。じゃねえと、社会に『復讐』しようなんざ思わねぇし。──そう言う『今のアンタは』、変わろうとは思ってないんだな? まるで『自分には、そんな可能性なんか見たことありません』ってなかんじでよ」


「ははっ。容赦なく言ってくるとは、さすがはクレイグだな」


 そう言って、テオドルスは楽しげに目を伏した。


「──社会に『復讐』……。そうか……。君も『恐れぬ獣』だったな……。オレは、社会の常識など『失くしてもいいメモ書きした知識』としか思っていないだろうと言われたことはあるが──君も社会に歯向かう『静かなる獰猛な獣』だな」


「『腹違い』ならぬ『獣違い』、ってか?」


「『腹違い』ならぬ『獣違い』とは──面白い表現だな。気に入った。……どれだけ時が経とうとも、血は争えないのかもしれないな」


 そして、テオドルスは目を伏したまま、大切なものを見るかのように優しい目をする。


「ラウレンティウスも『獣』だった──なんとも愛おしい弟たちなものだ。せめて、妹たちはきれいに生きてほしいものだが──さて、どうだろうな……?」


 しかし、彼は知っている。

 イヴェットには、優しさや真面目な性格の裏にある『従兄姉たちと己への激情』を。従順なようで、抑えきれない欲ゆえに暴れたがっている『獣』がいる。彼女は気づいていないだろうが。

 アシュリーには、〈黒きもの〉のことはさておき、好奇心と我欲の赴くままに能力を発展させている。まるで理性なき『獣』のように──。


「きれいに、ねぇ……。オレにとっちゃ、〈黒きもの〉に挑むっていう『傍から見れば無謀な道』を選んでる時点で、『普通』とか『きれい』とかは無理だろってかんじだな」


「はは──それは言えているかもな」


 この時のテオドルスは、かすかに驚いていた。

 ここに『厄介でどうしようもない獣』の男がいるにも関わらず、さらに、クレイグを含めた四人は現代人にも関わらず、『〈黒きもの〉と関わりを持つ』ことが判明したというのに──誰もが、いつもと変わらないというように時を過ごしている。

 多かれ少なかれ戸惑いは感じているようだが、全員があまりにも『冷静』だ。

 ユリアとアイオーンという『昔の英雄ととんでもない力を持った星霊』がそばにいたことで、この四人の感覚はおかしくなっているのだろうか。

 『ユリアとアイオーンが受け入れてるなら安全圏』というフィルターがかかってるのかもしれない。あるいは、自分たちがすでに地獄で鍛えられすぎてて多少の異常では怯えなくなってるのか。


──そういえば、イヴェットは〈黒きもの〉と戦うのは怖くないと言っていたな。光陰から貰った能力と自分が持つ戦い方が合わず、それゆえに自信がないと言っていただけだった。


 そして、テオドルスは確信する。


──ならば、ここにいる我がラインフェルデンの血を継ぐ弟妹(きょうだい)たちは、自分と同じく『どこか狂っている』ということか──。


 そう直感したテオドルスは、四人への慈しみを深く抱くのだった。

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