第七節 『獣』と『きょうだい』 ②
「ああ……。それを伝えたとき、両親から将来を危ぶまれてしまったが、見捨てられることはなかった。しかし、もしも本当に見捨てられていたら……オレは『人間』にはなれなかっただろう……。両親が愛してくれたからこそ、今のオレがいる。オレはそう思っている──」
冗談を言っていない真剣な目つき。そして声色。
ユリアとの出逢いがきっかけではない。両親に愛されたからこそ、彼は『今の自分』がいるのだと感じている。
「……もし、両親から愛されんかったら──?」
「救えないほどの戦闘狂。人の優しさや尊さを知らない『野人』同然か……。いや……きっと『魔人』だったろうな──」
今でも、たまにその片鱗を感じるときはある。だが、それよりも遥かに非人間的な精神となっていたかもしれないという。あまり想像したくないものだが。
返答に困ったアシュリーが口を閉ざしていると、代わりにテオドルスが言葉を紡いだ。
「……もしもよければ、『青き狂獅子の鎮魂歌』という物語を読んでみるといい。少し前に調べてみたが、現代でも読めるものだとわかったからな」
「……? なんなん、それ」
「約千年前に作られた物語だ。ここでも携帯端末が通じるのなら、『青き狂獅子の鎮魂歌』と検索してみるといい」
「まあ……一応、ここでも電波通じるから──調べてみるわ」
アシュリーはリュックの中から薄い板状の携帯端末を取り出すと、画面に指先を置いたり滑らせたりして操作していく。やがて、とある情報を見つけた。
「へー……こんなんあったんやな……。歴史界隈でやったら、わりと知られとるモンなんや──あ。最近にも改訂版、出版されとる。出版されるくらいには人気なんやな……知らんかったわ」
「その主人公が、もしもユリアに出逢わなかった場合のオレに近いかもしれない」
「知っとったってことは、好きやったん? この物語」
「いや? この物語の作者が、オレの兄上と妹だったからだぞ」
「ぼぇえええッ!?」
あまりの衝撃的な言葉のあまり、アシュリーはとりあえず口から事実の衝撃的さを象徴する叫び声を放った。衝撃的な言葉を言った当の本人は一瞬だけポカンとしたが、すぐに彼女のおかしな驚き方に大笑いする。
「あっはっはっ! なんだ、『ぼえー』って! そこまで驚くことか?」
「驚くわ! なんで兄妹の合作でアンタがそのこと知っとんねん!?」
「『ユリア・ジークリンデ様と兄様のもしもの人生をモデルとした物語を作りたいので、その許可をいただきたいのですが』って妹からお願いされてな。だから、許可したんだ。すると、ロマンチストな兄上が恋愛ものにしようと助言したことで、この『青き狂獅子の鎮魂歌』という物語が出来上がったというわけだ。我が兄上と妹の合作だけあって、なかなか面白い作品に仕上がっているぞ!」
「どこからツッコんでどんなリアクションすればエエねんウチはぁ!?」
「『オレが辿ったかもしれない、もしもの話』をファンタジックに膨らませたというだけの物語だ。気軽に読んでみるといい」
「読めるかああああ!!」
その刹那、ふたりから離れたところで水筒のなかの飲み物を口に入れていたユリアが、アシュリーの激しいツッコミの声が届いた瞬間、驚いて吹き出してしまう。すると、そばにいたイヴェットから「きたない」と容赦なく言われてしまった。
イヴェットから激しくツッコミされようとも、テオドルスは止まらない。
「そうか? ──あ。ちなみに、君たち四人の先祖であるベレンガリア姉上は作曲家だったが、その『青き狂獅子の鎮魂歌』を題材として、本物の鎮魂歌を作ってくれたんだ。その鎮魂歌も、この世に残されているかもしれないな」
「は!? なんで!?」
「オレのもうひとりの姉上──アウグスタ姉上と双子の弟が、貴族の演奏会でその鎮魂歌を演奏したんだ。その際、楽譜がほしいと言ってくれるほどに好評だったとの報告の手紙が来たからな!」
「アンタのきょうだい全員どんな感性持っとんねん!?」
アシュリーは直感した。ラインフェルデン家は、絶対に愉快でどこかおかしな一家だっただろうと──。
そんなこんなで、今日も鍛錬漬けの一日となった。
◇◇◇
そして、ベイツ邸に帰ってからの夜のこと。
食事を終えると、各々は自室に戻って好きなことをはじめる。いままでの日常であればまだ起きている時間帯だが、鍛錬の疲れで就寝を選ぶ者が多くいた。
「──」
ラウレンティウスはというと、自室から屋敷の縁側に出て、春の夜の風に当たっていた。暑くもなければ寒すぎてもいない。寝るなら長袖のほうがいいが、心地良い夜だ。
「……」
彼は、自分の手を見ながら浮かない顔をしていた。
その時、離れた場所から足跡が聞こえてくる。ラウレンティウスのほうへ向かっているようだ。
「──ああ。ここにいたのかラウレンティウス。よければ、少し飲まないか?」
やってきたのはテオドルス。手に持っているのは彼の手のひらの大きさほどの小さな瓶に、それよりも小さな陶器の器だった。
「リチャード殿からヒノワ特有の酒をいただいたんだ。いただいたのはいいんだが──オレは、あまり酒に強い体質ではなくてな。だから、君も一緒に飲んでくれ。君は強いんだろう?」
「体質に合わなければ断っていいんだぞ。それくらい、じいちゃんは気にしない」
「せっかくのご厚意だ。断るのも申し訳ない──ほら」
ラウレンティウスはまだ飲むとも言っていないというのに、テオドルスは小さな陶器に酒を注ぎ、それを彼に差し出した。強引に始まった酒の飲み交わしに、ラウレンティウスは呆れながらもそれを受け取った。
ラウレンティウスが縁側に座ると、テオドルスももうひとつの陶器の器に酒を入れ、彼の隣に座って酒を煽る。
「──滑らかで優しい味だな……美味だ」
そして、テオドルスは静かに微笑んだ。
「弱いんじゃなかったのか、酒は……。ヒノワの酒は度数が高いんだぞ」
「体質的には弱いが、酒自体は好きでな。しかし、酔って迷惑にならないよう気をつけるさ」
「……」
本当に『自由』な男だな、とラウレンティウスの目は言っている。その後、ふたりはしばらく春の夜風に当たりながら酒を堪能した。
「……ヒノワの田舎の夜は、不思議な雰囲気だな。なんというか──穏やかだ。優しくもあり、しかし、どこか寂しい気もする」
酔いが回ってきたのか、テオドルスは少しだけぼんやりとした雰囲気でそう呟いた。
「そう感じるのは今の季節だけだ。夏の夜は寝苦しくてカエルの鳴き声も煩い」
「クレイグたちが口を揃えて言う『高温多湿ゆえの地獄』というものか。サウナなるものに近いとか──まだその地獄を体感したことはないが、夏にヒノワで過ごすのには相応の覚悟がいるということは判る。しかし、季節によってさまざまな顔を見せてくれるのだな、この国は。ヒノワ各地の名所の写真を見てみたが、秋や冬の景色もまるで幻想的に描いた絵画のように美しかった。この国は実に興味深い」
と、テオドルスは目をキラキラとさせながら、興奮ぎみに早口で言葉を紡いでいく。
「……ところで、ラウレンティウス。君にとって、ユリアとはどんな女の子だと思っている?」
その直後、輝いていた表情をスッと引っ込め、夜空を見上げた。
「……武術の師」
ラウレンティウスは顔色を変えることなく、しかし目線をテオドルスに向けることなく、淡々と答えた。
「師か……。なるほど」
テオドルスは微笑む。そして。
「──では、舞台で舞っていたユリアに向けていた『熱っぽい目線』は、師への憧憬が高まったゆえのことだったのか?」
その微笑みのまま、テオドルスはラウレンティウスに目線を合わせて問うた。
「そう見えたのは、あんたの気のせいだろう」
しかし、ラウレンティウスは否定する。それでも目は合わせない。テオドルスは微笑んだまま、目線を持っていた陶器に移した。
「……アイオーンから教えてもらった。ユリアが己の両親を──そして、オレを殺したあとは精神崩壊を起こし、長らく立ち直れなかったのだと……。この世に残されているのは偽の歴史ゆえに、真実の過去や自らの本音を話すことを恐れ、ずっと隠し続けながら暮らしていたようだな。しかし、君たちと信頼関係を築き、そして君との話し合いの末に、ユリアは前に進めたのだと聞いた」
「……」
ラウレンティウスは反応を示さず、目も合わせようとはしない。しかし、テオドルスは笑みを浮かべながら彼を見た。
「心からの礼を言わせてくれ。ユリアの背を押してくれて、勇気を与えてくれてありがとう」
「……そういう言葉の裏で、複雑そうな気持ちがあるような気がするのは気のせいか?」
「すまない。気に障ったのなら謝罪する。──オレは、君がライバルになってしまわないかが怖いんだ。我が姉上の子孫であり、我が『弟』でもある君とは、できれば争いたくない。……きょうだい喧嘩というものは苦手なんだ」
と、テオドルスは困ったように眉を下げて言った。




