第五節 花の聲 ③
「──アイオーン……? もしかして、頭痛いの……?」
アイオーンの近くにいたイヴェットが案ずる。
「ああ……。だが……頭痛そのものは、この社に来てからずっとだ──。リュシエンヌがいることに気が付くまで、ずっと軽く締め付けられているような頭痛が続いていた……」
初めての症状に、ユリアを含めた仲間たちは目を見開いた。
「……? そんなこと、初めてだよな……?」
「初めてやな──この社に、なんかあったりするとか……?」
クレイグとアシュリーが思案しながら言葉を交わす。
「──少し休もう。アイオーン」
「……そうだな」
ラウレンティウスの提案にアイオーンは息をついて同意する。
「……テオ。あなたも」
「……ああ──」
◇◇◇
ユリアがリュシエンヌの案内で更衣室に向かってから、しばらくののち──。
「まさか、舞手の関係者席が用意されているとは──! これは有り難い」
六人は、リュシエンヌから話を聞いた神職の者から、舞手の関係者ということで特別席を用意された。その席とは、舞台からほど近いところにある社務所の二階にある広い窓だ。双眼鏡がなくても舞をしっかりと鑑賞できる。
すると、テオドルスは大気中の魔力を操作した。テオドルスの手元あたりが歪むと、彼はその歪みに手を突っ込み、大きな機材のような黒くて長いものを取り出した。
「って──おい……なんだ、それは……? わざわざ魔術を使って持ってくるなんて──」
ラウレンティウスが呆気にとられたような声を出すと、アイオーンはなぜかバツが悪そうにテオドルスから目線をそらす。
「携帯端末を固定する三脚台というやつだ。カメラ機能を使って動画を撮るためのな」
「は?」
「フフ……オレの読み通りだった。やはり、ユリアはこの魔術を見破れなかったな……! オレがイタズラで仕込んだ罠だって、見破られた回数は少ない──。ともあれ、これで一秒もユリアの舞いを見逃すことはないということだ!!」
テオドルスは歓喜の声を上げると、誰もが茫然としていた。ただひとりを除いて。
「それ、なんの魔術なん!? 初めて見たで!?」
「姉貴、ツッコむとこ違ぇ」
アシュリーだけは未知の魔術を見て興奮し、クレイグがそれにツッコんだ。
「収納魔術さ。小さな異空間を作り、そこに入れていたんだ。この魔術を使えば、収納した物はどこに行ったとしても取り出せる──だが、この魔術の難易度はやや高めだ。覚えてみたいというのなら、時間があるときに教えてあげよう」
ふふん、とテオドルスは得意げに笑うと、アシュリーは「ひょ~、ありがてぇ~」とノリノリで喜ぶ。
「つーか、録画とか兄バカかよ……いや、兄バカだったな。ユリアガチ勢の」
姉がツッコまないためクレイグが仕方なしにツッコむ。
「あの、テオさん。録画中にも、あたしたちの声がうっかり入るかもしれませんけど……?」
あまりのガチ勢っぷりに不安になったのか、イヴェットがおずおずと質問すると、
「別に構わないさ。むしろ、まったく問題ない。君たちの声だからな。──できれば、ユリアの舞いと一緒に、楽しむ君たちの声も残したいと思って持ってきたんだ。ユリアが踊っていてもたくさん話そう」
なにやら想像していたこととは違う答えが返ってきた。しかも、ものすごく爽やかでキラキラしており、なおかつ優しい声で。
「あ。はい──」
「じわじわくる重い感情の言葉を爽やかにぶん投げてくんな」
これを機に、ようやくアシュリーはツッコみに回った。
「……おい、アイオーン……。録画なんてしていたら、絶対にあとでユリアと一悶着あるぞ。なんで止めなかったんだ?」
四人のやりとりを見ていたラウレンティウスは、小声で隣にいたアイオーンに問う。
「止めて止まる男じゃないんだ、あいつは……。お前にもわかる時が来る──あいつは止められない」
「二回言ったな」
「大事なことだからな」
軽快に言葉を交わすも、アイオーンは今でも頭痛がしているようで顔色が少し優れない。
その後、舞台の周辺で拡声器によるアナウンスが入った。テオドルスは三脚台を即座に組み立て、携帯端末を設置して動画機能を起動した。
『──ただいまより、舞奉納・花纏いの舞を開始いたします。皆様、私語は控えてご鑑賞くださいますようお願いいたします』
一同は、舞台と繋がる短い階段の前で立つ人物を見た。
淡い金色をした長い髪をなびかせる、ひとりの女性──ユリアが着ている舞衣装は、異なる神を信仰する者でも思わず自然に頭を垂れさせてしまいそうな気配をまとっていた。
衣装は、ヒノワの古式に則った舞手の装いだ。白を基調とした上衣は、絹のような布地が月光を滑らせるように光を反射し、動くたびに水面のようなさざめきを描く。深紅の下衣は、夜明け前の空を閉じ込めたような深い色で、角度によっては青や紫の気配を生み出す。
風に流れる長く淡い金色の髪には、小さな冠のようなものが据えられている。金と白銀で編まれた細工──それは華美ではなく、むしろ静謐なものだ。けれども気高き神性を感じる。金属の縁には細かな文様が刻まれ、日の光を受けて輝いている。
肩には、流れるように垂れる長細い布がある。風を受けるとゆるやかに舞い上がるその布は、まるで神聖たる気配の『流れ』を映し出しているようだ。その布の縁には、銀糸で複雑な線が織り込まれている。花にも星にも似たその印は、どこかの時代の「祈り」が象られたような記号の連なり──そして、その文様は、袖や裾、衣の縫い目にも密かに刻まれていた。神に捧げる舞のための衣装にふさわしい。
腰には幾重にも巻かれた細紐が交差し、揺れる装飾が静かに音もなく震えている。その装飾はささやかなものだが、ユリアから発せられる神聖さを封じ込めて際立たせているようにも見える。
顔には軽く化粧が施されており、唇には濃い紅が塗られている。
彼女は、舞台を見つめながら静かに深く息を吸った。
──かつて、神の化身と崇められていた私が、異国の神のために舞うとは……不思議な成り行きだわ。
昔は、神など信じていなかった。しかし、この社には『なにかがいる』ような気持ちになる。近寄りがたい『大いなるもの』のようで、意外と身近な存在でもあるという矛盾した不思議な気配だ。
その気持ちが、ユリアのなかにある願いを吐き出させる。
(異国の神よ……どうか教えてほしい。私は、この世の理に反したアイオーンの不老不死の能力を消したい。あの人には、『普通の人間』のように……人間と同じように生きて、死を迎えてほしい。それができる方法は、どこにある? そして、〈黒きもの〉は、ここにもまだ存在しているのか──?)
ユリアは、帯刀したことを確認し、すべてが純白である扇と小枝のような棒にたくさんの金の小鈴がついた神具を持つ。
そして、短い階段の前で背筋をのばし、手に持つ扇と鈴を胸元で抱きかかえるように持ちながら、身体を前へと傾けて一礼した。それを終えると、扇と鈴を胸元に抱えたままゆっくりと階段を登って舞台の上に立ち、中央まで歩いていく。
そして、彼女はそこで片膝をつき、扇を広げて鈴の上に置き、それらを両手で差し出すような体勢をした。
その光景を、仲間たちは見守る。
「まとう雰囲気、いつもと全然違うねぇ……ユリアちゃん」
イヴェットは、神気をまとうユリアに見惚れている。
「あの凛とした人間が出来上がるまでは、照れるわ怒るわのドタバタの練習風景やったのに──その映像、あったらここで流したいもんやな」
「んなことしたら、ユリアがトチ狂った怪異になんだろーが」
アシュリーとクレイグが軽快な姉弟のやり取りをするなか、ラウレンティウスは静かに片膝をついて佇むユリアの姿を、吸い込まれるように見つめていた。テオドルスはそんな彼に何かを感じながら目を細めるが、あえて何も言わず、舞いについて質問する。
「──あの態勢のまま、扇の上に花弁が落ちるのを待つということだが……そう簡単に扇の上に落ちてくれるものなのか?」
「それが落ちてくれるんだよ。──さっきも言ったように、あの木は『神の意志を宿してる』って言い伝えがあるからな」
クレイグが説明した刹那、風が吹いてもいないのに一枚の花びらが落ちてきた。
その花びらは、ほのかに光を纏いながら舞い降りて、そっとユリアが差し出す純白の扇の上に乗った。
その光景を目にしたテオドルスは「……その言い伝えは、本当かもしれないな」とこぼす。
「ということは──扇にあの木の花びらが乗ることは、神から舞ってもいいという許可が下りたことを意味するのか?」
「ま、そんなかんじだな」
花びらが落ちてきたことをユリアは確認すると、扇に乗った花びらを鈴に触れさせる。すると、魔力が帯びたそれは溶けるように鈴と同化した。
ユリアは立ち上がると、花びらと同化したその鈴を一回ずつゆっくりと、しっかりと振り、遠くまで鈴の音色を響かせる。澄んだ鈴音は、空気を浄化してくれているような気持ちにするものだ。
「鈴をしっかりと鳴らす意味は?」
「場を清めるためやで。そのあとで、扇で舞うんよ」
またもテオドルスが問い、アシュリーが答える。すると、アイオーンが呆れた顔を見せた。
「……勉強会じゃないんだぞ、テオドルス。もう少し静かに鑑賞できないのか」
「異文化を経験しているんだぞ? テンションが上がらないわけがないだろう! それに、ユリアがヒノワの衣装を着て舞っているんだ! ──ところで、頭痛のほうは大丈夫なのか?」
「まだ少し痛むが……問題ない。──ほら。鈴を鳴らし終えたら、次は風呼びの舞がはじまるぞ。見逃したくないのなら、しっかりと見ていろ」
と、アイオーンは舞台で手順をこなすユリアを指す。




