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第五節 花の聲 ②

「本当に……俺は、こいつをヒノワに連れてきてもよかったのか……? 今更ながら不安になってきたんだが……」


「だからって、ヒルデブラントでひとりにさせんのはもっとヤベェだろ……」


 一緒についてきたクレイグの顔にも疲労が浮かんでいる。嫌な予感がしたユリアはふたりに話しかけた。


「……想像以上に疲れているわね……。──絶対にあの人が面倒くさいことを起こしたからでしょうけど」


「面倒くさいどころか、飛行機の中でもこのテンションでずっとはしゃいでたしよ……。なによりヤバかったのは、出国審査の時にガチのほうの本名を名乗ったことだな──」


「え」


「パスポートの名前を名乗れって伝えてたのにだぜ? アイツ、謎のうっかりミスしやがってよ……。空港でてんやわんやだったんだからな……」


 と、クレイグは、テオドルスのパスポート──王家に頼んで作ってもらった臨時のパスポートだろう──の手帳を差し出した。

 手帳を開くと、そこには『テオドルス・ローヴァイン』という名前があった。本来ならこの名を名乗らないといけないが、『テオドルス・マクシミリアン・フォン・ラインフェルデン』のほうをうっかり名乗ってしまったようだ。


「……ごめんなさい。その謎のうっかりミスは、少年期の頃からあるのよ……」


 初めて出逢った時にもうっかりミスを発動して騒ぎを起こしたことをユリアは思い出す。わりと重要な場面でそれを発動するから困ったものだ。


「あら〜……。ユリアさんが問題児と言った意味がなんとなくわかったわ……」


 すると、ナナオが呆れた笑みを浮かべる。


「けどよ、ひとりくらい元気なのがいたほうが気ぃ紛れるだろ」


 リチャードは意外にも彼の性質を前向きに見た。


「元気というか、常識を無視するアホといいますか……」


「──しかし、まさかヒノワの伝統的な舞踊も見られるとは……! しかも、ユリアが踊るとはな! 俄然、楽しみだ!」


 間近で元婚約者からボロクソなことを言われているというのに、テオドルスはいまだに気にすることなく──というか、本気で気付いていない──異国の歴史と伝統に対する好奇心が止まらずにうっとりとしている。


「今日ももうすぐ舞の練習よ。近くのホテルから先生が来られるわ」


 と、ナナオが言うと、テオドルスはさらに目を輝かせて一気にナナオに近づいた。


「邪魔はしないから、見学してもいいか!? 本番の衣装はどんなのを着るんだ!? というか、本番はいつだ!?」


「落ち着つけバカ」


 アイオーンは彼の背中の服を掴んで進行を阻止するが、テオドルスはそれでも前に進もうとしている。服が伸びていくため、やむなくアイオーンはジト目をしながら両肩を掴んだ。


「本番は九日後よ」


「ん? やけに練習期間が短いな」


「急に決まったものですからね──でも、踊り自体は単純な動きしかしませんから。それに、意外と舞う時間も短いの」


「ナナオさんはそう言いますけど、なかなか難しいんですよ、これ……。慣れないながらも記憶をしっかりと留められる魔術を使って、身体の動きを『記録』しているからなんとかなっているだけで──。微妙な間違いがあったら、そのたびに正しい情報に書き換えないとですし……」


 と、ユリアはぽつりと呟く。


「衣装はどんなのだ?」


「衣装はこんなのを着るのよ。男性の場合はこれね」


 ナナオは持っていた携帯端末で写真を見せると、


「なんとも気品ある意匠だな! 間違いなくユリアに似合う! ──というわけで見学させてくれユリア!」


 テオドルスはきらきら輝く顔でユリアに頼んだ。


「え。嫌よ」


 当人は真顔で即答する。が。


「あたしも見学しよ〜」


「ウチも見学しよ〜」


「なんなら、みんなで見学しましょ〜」


 ユリアの意思を聞かなかったことにしたイヴェット、アシュリー、ナナオが続く。


「ちょっとナナオさんまで!? 止めてくださいよ! 変に緊張してしまいますから!」


「本番でも緊張して失敗したら大恥よ? というわけで、恥ずかしさになれる練習です。──さあ、みんな! 見学するわよ!」


「いやだああああ!?」


 結局、全員が見学することになった。

 練習中は、ユリアが失敗するたびに誰かが何かの反応を示し、彼女の顔がむくれっ面になったり赤く染まったりした。そのあとは決まって『野次』という名の茶化す言葉が飛び交った。学校での中休みの時間のような、騒がしい昼下がりだった。



◇◇◇



 春らしい温かな陽気に包まれた快晴の日。

 舞を披露する日がやってきた。


「とても広い社ね──」


 舞台がある(やしろ)は、ベイツ家の屋敷から高速幹線鉄道を使って数時間のところにある古都にあった。その間にも、テオドルスは高速幹線鉄道の列車の意匠がカッコいいだの速いだのと一人で盛り上がり、ユリアたちは子どものようなはしゃぎを見せる彼を諫めながら、道行く周囲の人たちに向かって恥ずかしそうに謝罪しつつ目的地に到着した。


「すごい……。ここが、私が舞う舞台……」


 荘厳かつ神聖な気配が漂う舞台──舞台そのものは木製かつ真四角の形であり、その中央には何かを留めるように刀が深く刺さっている。その四方には、淡紅色の小さな花が大量に、どれもが美しく満開に咲き誇っている木がある。花を咲かせる四つの大木の幹には、それぞれ朱色と白色の紐で繋がっており、その結び目は花を象っているようだ。


「なんと優美で壮大な景色だろうか──可憐で美しい花が、天を雄大に覆うほどに咲き誇っているとは。この木がヒノワで愛されているのも納得だ……」


 柔らかく美しい風景にテオドルスは思わず息をのみ、心が静まったのか落ち着いた物言いでテオドルスは感動している。


「この四本の木の花は、花纏いの舞の最中に起こした風だけしか散らないんだぜ。そのうえ、花纏いの舞をやらないかぎり、この花は朽ちることもないんだ」


 クレイグが豆知識を披露するとテオドルスが食いついた。


「そんなにも特殊な木なのか!?」


「あの四本の木には、この社で祀られている神の意志を宿してるって言い伝えがあんだよ。実際、マジでヤバい暴風が来ても散らねぇくせに、花纏いの舞で舞手が起こす魔術の風では普通に散るんだよ」


「なんと神秘的な木だ……。まったく世界は広いな!!」


「……あら……?」


 クレイグの話にテオドルスが盛り上がっている時に、ユリアはある人物に目を留めた。

 ヒノワ語で書かれた腕章をつけている、深紅の色の短い髪。見たことがある後ろ姿。ユリアは惹かれるように近づく。この人物は──。


「……ちょっと、ごめんなさい。あなた──もしかして、リュシエンヌ……?」


 ユリアはヒルデブラント語で話しかけた。


「──ああ……こんにちは」


 その人物が振り返ると、顔すべてを包帯で巻いている冷静沈着な少女・リュシエンヌだった。


「どうして、あなたがここにいるの?」


「今日は、このお(やしろ)で催される舞の警備に就くことになってる。その次は、カサンドラ様から任務を命じられた極秘のものを遂行するつもり」


「あなたが、舞の警備を?」


「この舞台で披露される花纏いの舞は、それ目当てで国内外からたくさんの人が来るほど人気かつ有名なもの。本来なら、この催しの警備はこの国の治安組織がするはずなんだけど、実は今、怪異のことで忙しくなっているらしくて──だから、ヒノワからヒルデブラントに警備の援助要請が入ったと聞いた」


 極秘部隊は、とくに重大な事件が起きないかぎりは時間を持て余すときがある。そのため、このような警備の任務が舞い込んでくることがある。


「……国外からも人が来るイベントだったのね」


「花纏いの舞は、すごく綺麗だから」


「……なんだか、余計に緊張してきちゃったわ……」


「──なんでだい? 昔はよく人前に立って皆の士気を上げていただろう?」


 すると、いつの間にかテオドルスがユリアとリュシエンヌの近くに来ており、ふたりの話を聞いていた。

 仲間たちも来ており、リュシエンヌの存在に気付いたアイオーンは顔を顰める──また頭痛が起きているようだ。


「あっ、テオ──!? し、士気って、そんな大げさな……。だって、いろいろと違うもの。──ほら、早く向こうに行って……!」


 過去を怪しまれないようにユリアは返答に気を遣い、テオドルスの身体の向きを変えて「あっちに行ってて」と背中を押した。同じく秘密を抱えた極秘部隊の者であっても、何も知らない現代人にとってみれば『昔はよく人前に立って皆の士気を上げていた』という言葉は本当に意味がわからない。不審に思われそうな情報はうっかりでも漏らさないでほしいものだ。

 しかし、テオドルスはユリアから『早くこの場から離れてほしい』という行動をされているというのに、彼は断固として離れようとはしなかった。ユリアはさらにテオドルスの背中を強く押すも、やはりテオドルスは動かない。


「……もしかして、この舞台で舞うのはあなたなの?」


 すると、リュシエンヌは、ユリアとテオドルスのやりとりを特に気にすることなく質問する。


「そ、そうよ。いろいろあってね──私がやることになったの」


「だったら、準備は早めのほうがいいと思う。更衣室に案内するから、ついてきて」


「ええ、そうするわ。──というわけで、テオ。みんなと一緒にいて。勝手にどこかへ行っては駄目よ」


 と、ユリアはテオドルスの背中を軽く叩き、リュシエンヌについていこうとした。


「……君。自分の顔を曝け出したくはないのかい?」


 その時、テオドルスがふたりに背を向けた状態で口を開く。


「……はい」


「こら、テオ……! そのことは触れてあげないであげて。ほら、早くみんなのところへ──」


 刹那、ユリアの目にアイオーンが映る。顔をみるかぎり、まだ頭痛が起きているようだ。

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