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第四節 不穏な違和感 ③

 テオドルスは、かつての時代の価値観では自身の本質が『異端』であり『罪人』なのだと理解していた。

 それでも、家族はそんな彼と向き合い、居場所をくれた。『普通の人』と同じように接してくれていた。

 だからこそ、彼は家族のことを深く愛している。

 その想いからわかるように、『獣』の側面があっても、彼は『普通の人』でもあるのだ。ただ、人との距離の詰め方が斜め上であり、さまざまな意味で問題児ということだけで。


「……テオドルスは、意外と寂しがりやなのか?」


「寂しいという気持ちは、たしかにあると思うわ。あとは、ひとりでいるのは楽しくないからという意味合いもあるでしょうね」


 そう言ってユリアは小さく笑い、やがて息をついた。


「……話が脱線したわね──。ともかく、まずはあの人と戦ってみて。けれど……もしも、あの人から何かひどいことをされたら、そのときは私が徹底的に制裁を下すわ。気を遣ったり、遠慮して隠そうとすることはないわよ。そのときは素直に報告しなさい。──二度と何もしてこないようにするから」


「……わ、わかった……」


 テオドルスも大概だが、ユリアもわりと恐ろしい部類の人間では──?

 そう感じたのか、ラウレンティウスは若干引き攣った顔で頷いた。

 その、すぐのことだった。


『──うしろの正面だぁーれ?』


 ふたりの背後から、幼い女の子の歌声が聞こえてきた。人の気配はなく、魔力の気配もない。ここにはユリアとラウレンティウスしかいない。

 これは──。


「……この声は、まさか怪異──?」


「振り返るなッ!」


「!?」


 ラウレンティウスに腕を掴まれて制止されたユリアは、思わず言葉を忘れて目を見開く。


「たぶん、『かごめ』という怪異だ……。振り返ると、お前にとって見たくないもの(・・・・・・・)を見せてくる──『かごめ』は、人の嫌がることをするのが好きだと聞いたことがある。たとえ少しだけでも、そんなものを見るのは嫌だろう」


「……けれど、このまま無反応を貫いていると、怪異は何かをしてくるのではないの?」


「たぶんな。『かごめ』は神隠しを──人間をどこかの世界に連れていくといわれている。といっても、魔術による幻覚を見せてくるだけだ。じいちゃんとばあちゃんがそう言っていた」


 ナナオとリチャードは、定年退職するまではヒノワ国の怪異対策局という組織に所属していた。そこで得た怪異の知識を孫に教えていたのだろう。


『ふたりは、もうカゴの中』


 また、幼い少女の声が聞こえた。先ほどとは少し声色が違う。


『いつ出られるかな?』


 また別の少女。


『夜明けの晩かな?』


 さらに、また別の少女。


『──うしろノしョウめン、ダぁーレ?』


 はじめに聞いた幼い女の子の声から、おぞましい低声に変わった。

 悪しき怪異だ。感じる魔力が、肌にまとわりつく湿気のようで気持ち悪い。

 刹那、由緒板の文字や周囲の風景が歪み、黒く溶けはじめた。やがて、由緒板の文字が書き殴ったような赤い文字に変わる──『死ね』、『殺してやる』、『呪われろ』。いつまでたっても振り向かないふたりに何かしらの反応を示してもらいたいのか、それとも苛立ちを表しているのか、不吉で悪質な言葉が由緒板の隅から隅までびっしりと現れる。


「……あら。この言葉は私たちに言っているの? ……下品で不快極まりないわね」


 ユリアは、書き殴られたような不吉な赤文字がある由緒板の端に手のひらを当てて、無表情でサッと手を動かす。すると、手で擦られた文字は消しゴムで軽く消されたかのように、文字そのものが霞みつつも消えることはなかった。


「……変わった魔術ね──初めて見るわ」


「怪異の倒し方、わかるか? こいつらは物理的な攻撃だけでなく、魔術の攻撃が効かない時もある。怪異対策局の人が試行錯誤して編み出した特殊な魔術でようやく倒せる存在だ。その魔術は複雑で、数人で協力しあってようやくその魔術を発動できる──だから、俺達も怪異の倒し方は知らないんだ。じいちゃんとばあちゃんでも、その魔術の一部しか知らない」


「存在自体が特殊すぎるものね……。怪異の倒し方が『特殊』だということは私にも判ったけれど、効果がある攻撃を探るにはもう少し時間が欲しいところだわ。けれど……私にはあまり時間がない。舞の先生がもうじき来られるだろうから──」


 そして、ユリアは両手を由緒板に当てる。


「強行突破するわ」


「……由緒板は壊すなよ」


「今からすることは、この気持ち悪い結界だけを払うだけよ。これだけは私でもどうにかできそうだし、その『結び目』がこの由緒板にあることはわかったの。それさえ壊せば不快な文字も気配も消えて、怪異も少しは怖気ついてくれるかもしれないわ」


 と言って、ユリアは由緒板に自分の魔力を込め、怪異を驚かすように一気に『結び目』を解いた。その瞬間、ガラスにひびが入ったような音が聞こえた。そして、肌にまとわりつく嫌な気配と赤い文字が消えていく。


「──!」


 何かを察知したラウレンティウスは即座に後ろへと振り返った。

 何もいない。ユリアが『結び目』を解いたことで、景色も気配も穏やかな境内に戻っている。


「怪異め……逃げたな」


「……まさか、ここまで逃げ足が速いとはね──少し予想外だったわ……」


 ユリアはため息をつく。


「あとで、俺が怪異対策局に連絡しておく。怪我はなくとも、やっていたことがさすがに悪質だ」


「ええ、お願い。──現代のヒノワ国では、こんなところでも怪異に出遭ってしまうものなの?」


「いいや……普通はここまで悪質な怪異とは出遭わない……。ここまで大きな社だと、強力な怪異除けが設置してあるはずだ。よほど雰囲気の悪いところでなければ、あんな怪異はいないはず──」


 その後、ラウレンティウスはしばらく考えこみ、「やっぱり何かおかしいのか」とこぼした。


「十日前、私がナナオさんとリチャードさんの家に着いた時にも、子どもの声がする怪異が現れたわ。怪異避けがあるはずなのに。そのときは、子どものイタズラ程度の小さい現象だけで終わったわ。リチャードさんは、怪異除けをすり抜けるタイプの怪異だったんだろうと言っていたけれど」


「そんなイタズラだけで終わるなら、その怪異は弱い部類だ。それが、怪異避けをすり抜けるのか……?」


 と、彼は怪訝な顔をした。


「けれど、例外はあるんでしょう?」


「あるにはあるらしいが……この場合は、もしかすると……」


「──〈黒きもの〉が、関係しているかもしれないと……?」


 ラウレンティウスとユリアがほぼ同時にある仮説を導き出した時、離れたところから社の管理者の装束を来た中年男性が駆けてきた。


「──あの! 大丈夫ですか!? 先ほど、ここで怪異の気配があったようですが──!」


「あ、はい。怪異から悪意ある魔術をかけられそうになりましたが、なんとか追い払うことはできました。ですが、取り逃がしてしまいまして……」


「怪異の種類は『かごめ』だと思います。知っている特徴と一致していましたので、間違いかと。逃げ足が異常に早い個体でしたので、追いかけるのは難しいかもしれません」


 ラウレンティウスがそう説明すると、社の管理者である中年男性は目を見開いた。


「逃げ足の早い『かごめ』ですか……。それでも、ご無事でなによりです。追い払えたということは、おふたりは魔術師の方でしたか」


「はい、魔術師です。ところで、少し離れたところにあるカフェにいたおじいさんに話を聞いたのですが──十日ほど前から、この境内の魔力が少しおかしくなっているというのは本当ですか?」


 ユリアが問うと、男性は頷いた。


「そのおじいさんというのは、私の父ですね。おっしゃるとおり、十日ほど前から境内の魔力がいつもと違います」


「ざわめいている、ですか?」


「はい……。言葉で言い表すのは難しいんですが……かすかに魔力が乱れているというか……。いつもと比べて何かがおかしいなという感じなんです──」


「その違和感は、今も感じますか?」


「いえ。今は通常に戻っています。少し前までは断続的に続いていたのですが、それでも一時的なものだったみたいです」


 それは、怪異の仕業だったのか。それとも湧き出ている魔力自体がおかしいのか。その場合、原因はこの星となるが──。


「とりあえず、今から怪異対策局を呼びましょう。逃げた怪異が復讐してくるかもしれませんので、あなたたちは対策局に保護してもらったほうが良いかもしれません」


「──あまり大きな声では言えないのですが……実は、俺達はヒルデブラント王国の極秘部隊に所属している者です。とある任務でここを訪れており、この時間はその中休みのようなものですので、ひとまず怪異から身を守ることは自分でします。対策局には、自分からも事情を説明しましょう」


「なんと……。あまりそのあたりには詳しくないのですが、腕の立つ魔術師の方でしたか」


「はい。なので、怪異対策局への連絡だけお願いしてもよろしいですか?」


「わかりました。すぐに連絡いたします」


 そう言って、男性は小走りで去っていった。


「……あなた、極秘部隊になったの?」


「ああ。ヒノワに来る前に、カサンドラ様から任命されたんだ。俺達四人だけじゃなく、テオドルスもな──。今の俺達には『光陰の力』が備わっているから、いずれはそうなるとは思っていた」


「……そうね……」


 光陰の力は、現代では有り得ないもの。だから、騒ぎにならないようできるかぎり隠さなければならない。

 現代に生きる四人は、光陰と縁を持っている。その時点で、こうなることは避けられない運命だったのだろうか。

 極秘部隊になるということは、世間から隠れて生きることだ。魔道庁で知り合った友人や先輩後輩には、もうそのように関わることはできない。魔道庁には『急遽、異動することとなった』とぼかされるだろう。

 そもそも、四人に与えられた『光陰の力』は、いつか消えるものなのだろうか。それとも体質ごと変化してしまっているのだろうか。

 もしも消えるものならば、彼らはまた普通の日常に戻ることができる。


「──ヒノワの怪異は……もしかしたら、今までよりも『強く』なりつつあるのかもしれない……」


「……先ほどの『かごめ』も、ヒノワ国にある大気中の魔力量にしては、妙に逃げ足が早いと思ったけれど……」


 怪異は、大気中の魔力から生まれているものだ。大気に満ちる魔力濃度がもっと濃ければ、そんなにも疑問には感じなかったのだが。


「……それでも、ヴァルブルクの一件で、不安になっているせいでそう思ってしまっているという場合もある」


 しかし、短期間のうちに現代では少なくなっているはずの怪異にまた遭った。単なる偶然で済ませていいことなのか。


「なんというか……また判らないことばかりになったわね」


 セオドアのことを追いかけていた頃もこんな感じだったことをユリアは思い出す。こういうときに重要なのは、焦らないことと無理をしないことだ。焦れば冷静さを失い、肝心なことを見失う。無理をしても、欲しい情報は得られない。それどころか、いざというときに戦えなくなることもある。


「ああ……。それに、逃げた怪異が仕返ししてこないといいな──」


「先ほどの神職の人もそんなことを言っていたわね」


「そういう怪異もいるらしいんだ。やられたことを根に持って仕返ししてくるんだ。怪異対策局の人たちが対峙してくれたら、その心配はないんだが──あの怪異は、逃げ足が早かった。だから、どうなるだろうな……」


 ラウレンティウスは息をつくと、ユリアを見た。


「お前はそろそろ戻れ。舞の先生がもう着いているかもしれないぞ。俺は、怪異対策局の人に『かごめ』の詳細を伝えるために、ここで待っておく」


「そうね──お願いするわ。ナナオさんとリチャードさんにも、私がこの件について伝えておくわ」

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