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第三節 ヒノワ国 ④

「怪異か」


「ええ。その気配ね──」


 不可解な魔力の気配と声が届いたにもかかわらず、リチャードとナナオは冷静だ。


「……そうでした。この国には、怪異がいましたね……」


 ヒノワには、この国特有の現象があることをうっかり忘れていたユリアは、子どもの声とはいえ思わず臨戦態勢をとりかけた。何度かヒノワ国に来たことがある彼女だが、実は怪異と呼ばれている現象を体験したのは今回が初めてだった。


 怪異とは、ヒノワ国に現れる『魔物でも星霊でもない、特殊な存在』である。

 では、その怪異がどのようにして生まれるのか。実は、いまだにはっきりとは分かっていない。

 今のところ有力とされている説は、『何らかの魂』と、『ヒノワ特有の思想』──すなわち「そういう存在がいる」と信じる心とが、魔力を介して結びつくことで怪異が生まれているというものだ。

 魔力には、心の想いが込められることで力を増す性質がある。そして、その強い想いは、ときに思いもよらぬ力を発揮し、奇跡すら起こすとも言われている。この性質ゆえに、前述の説は信憑性があるとされている。


 こうした背景から、怪異とはヒノワ人の精神文化から生まれる『魔術のような現象』ともいえ、ヒノワ国では自然現象の一種として認識されている。

 ヒノワは、どこよりも古い歴史を持ち、古来の文化や価値観が色濃く残る国である。そうした文化が急激に変わることはまずなく、また魔力の濃度が維持されるかぎり、怪異もまたこの国に現れ続けるだろう。


「子どもの無邪気な笑い声だったから、大きな害は起こさないと思うわ」


 ヒノワ国は、ほかの国と比べて大気中の魔力濃度が高く、この国では魔力を生成できる子どもがよく生まれてくる。

 くわえて、ヒノワ人は昔から『想像したものを具現化させる』魔術を得意としていたようだ。そのことと独特の思想が合わさって、ヒノワ国の人々は昔から怪異を生み出してきていたのではないかとも言われている。昔に比べると、怪異の出現頻度は少なくなっているようだが。

 大陸から離れた島国ということにくわえ、自然災害が多い。その事情からも独特の文化や価値観を持っており、信仰のあり方も特殊だ。

 その独特さの例をあげると、ヒノワ人の大半は魔術師であるにも関わらず、魔術師だと自覚している人はかなり少ないという。仕事以外で魔術師として魔術を使う者は少なく、それによって魔力や魔術に関する事件の発生は少ない。

 だからといって、魔術師としての練度が低い国民ではないのが驚きだ。逆にヒノワ人の魔術技能は高く、他国からは『危機感が無さそうに見えて、実際には戦闘民族だ』と言われているほどの強さを持っている。


「けどな、これだけは注意しとけ──子どもとはいえ、笑い声が誰かを嘲っているような不快なものに感じた場合は危ねえヤツだ。そん時は触れねぇで逃げたほうがいい。たとえお前さんでもな。怪異ってやつは、魔物や星霊とは勝手が違う」


「わかりました。遭遇した怪異のことがすぐに判るなんて、さすがは元『怪異対策局』の人ですね」


 怪異対策局とは、ヒノワ国の警察組織に属する組織だ。リチャードとナナオはそこに属していた。


「ヒルデブラントの魔道庁にいる頭のおかしな魔術師よりも、怪異のほうがよっぽど扱いやすい。怪異と魔術師社会どちらがマシかと聞かれたら、俺ぁ怪異を選ぶ」


 リチャード・ベイツの出身はヒルデブラント王国だが、母国で魔道庁に勤めるのではなく、ヒノワ国の伝統的な武術を学ぶために怪異対策局に就いた。リチャードは母国の魔術師社会の息苦しさを嫌っており、そのことからヒノワに移住したという。


「リチャードさんが若かった頃のヒルデブラントの魔術師社会は、やはり酷かったですか?」


「ああ。多少はマシになったとはいえ、今でも嫌だな。だから、俺は国から出たんだが──今でもその社会のなかで生きてる孫たちは、いったいどういう神経してんだかなぁ……。ヒノワ人としての名前も持ってんだから、こっちで暮らしても問題ねえってのに」


「私たちの娘とふたりの息子は、すべてを受け入れてローヴァイン家の三人きょうだいと夫婦になったけれど……何も選べなかった孫たちには、『逃げ道』としてヒノワの名前も付けて、こっちの文化にも馴染ませていたのよ。でも、意外と必要なかったのかしらね──強いわ、あの子たち」


 リチャードとナナオが言葉を紡いだその時、魔力の気配が近づいてきた。そして、縁側と庭を仕切る戸が勢いよく開く。


「──! いきなり戸が……。これは、怪異のイタズラ……ですか……?」


「そうみたいね。声だけを出せる弱い怪異だと思っていたけど、物を動かす力はあるようだわ」


 しばらくしてから、戸がガタガタと揺れはじめる。

 すると、ナナオは遠くまで響くほどに手を強く叩いた。


「──これ以上イタズラすると怒りますよ!?」


 そして、大声で怒鳴ると、


『くすくす──』


 また子どもたちの笑い声が聞こえ、それがやがて聞こえなくなり、怪奇現象も止まった。


「……叱るだけでいいのですか?」


 ユリアが怪訝そうに首を傾げる。


「ええ。倒さないといけないほどの害意はないように感じたから。子どもの怪異は、一度叱ればほとんどの場合なにもしてこなくなるわ。──例外はいるけどね」


 ナナオの言葉のあとにリチャードが続く。


「ヒノワでは、弱い怪異をむやみに消滅させると災いが降りかかるっつー言い伝えがある。イタズラされるのは面倒だが、対策を知ってりゃ近づいちゃこねえ。怪異除けの札を貼ったり、特別な香を焚いたり、怪異除けの代わりになる物とかを置いてな」


「一応、この家にもその御札はありますよね? では、先ほどの怪異は──」


「たまにすり抜けてくるのもいる。怪異と言われるものなら根本的な部分は一緒だが、細かなとこまでまったく同じというワケじゃねえ。好き嫌いがあるのと似たようなモンだ。その違いですり抜けてくるヤツがいるってワケだ」


「大変ですね……完全じゃないなんて……」


「なぁに。何事も『完璧』なんて有り得んことだ。俺らにしてみりゃあ、怪異は『畑に出てくるイノシシ』みたいなかんじだな。イノシシやらクマやらが出るからって住む場所は変えんし、畑を耕すことも止めねぇだろ?」


 畑に出てくる猪のようだという解釈に、ユリアは呆気にとられた。このような状況は、魔物避けの魔術を張った街なのに、それをすり抜けてくる魔物のようなものなのだろうか。大きな被害はないとはいえ、討伐することなく追い返すことは、少し感覚が違うとユリアは感じた。


(私が荒っぽいのかしら……。倒さないのは、少し不思議だわ。野生動物は排除しすぎると生態系が崩れてしまうけれど、怪異は違う──。そもそも怪異は人間ではないし、人間が怒っている意味を判ってくれているとも限らない……)


「子どもの見た目や声をした怪異は、幼くして亡くなった子どもたちの悲しみや親の無念から生まれたものだと言われているわ。実際、ああいった怪異たちは、ただ遊びたいだけの場合がほとんどなの。私たちに近づいたのは、きっと遊んでくれるかもと思ったのね」


「子どもだからって、遊んだら満足して離れていってくれるっつーワケじゃねぇのさ。怪異は人間とは違う。子どもであっても、倒さねぇと消えんものだ。──だが、倒すにはちょいと忍びねぇのもいるんだ。目に余る行動をしでかすようになったんなら、仕方ねぇんだがな」


 と、リチャード。


「さっきのような子どもの怪異はね──生きている人間の魔力からその人の気持ちを読み取って、遊んでくれそうな人や幼い頃に不満を抱えている人に寄ってくる傾向があるの。幼い頃に不満を抱えている人に寄ってくるのは、もしかしたら『仲間』だと思っているのかもしれないわね」


 そんなナナオの言葉に、ユリアはふと思う。

 あの子たちは、もしかして自身の魔力を読み取って、あの子どもたちは寄ってきたのだろうか? そう思うと、なにか遊んでやれなかったかと思う自分がいる。

 ユリアはヒノワ国には何度か訪れたことはあっても、怪異に遭遇したのは今回が初めてだった。

 どうやらヒノワでは、怪異という存在を『人間の暮らしの邪魔をする厄介者』という存在ではなく、『意思を持つ人間とは異なる存在』のように接している。意識的には、どことなく『異種族』に近い存在なのだろう。


 怪異を構成する『なにかの魂』とは、人間の魂も含まれているといわれている。

 そして、この国には壊れた物を修理し、その際に残る傷跡も芸術的な模様のひとつとして捉える伝統技法がある。さらには、家畜に感謝し、その魂を弔う文化が根づいている。

 だからこそ、怪異を邪険に扱わないのかもしれない。そうでなければ、怪異という存在すら生まれることもないのかもしれない。

 怪異のことはまだ不明な点が多い。しかし、このような存在がいるのはヒノワ国だけ。だからこそ、多くの人が『怪異の発生は、ヒノワ国ならではの文化がひとりひとりに深く浸透しているから』という仮説に帰結する。


「……本当に、ヒノワという国は他とは違いますね」


「おもしれぇ国だろ? そこが良いと思って、ヒノワ語を覚えて移住したんさ」


「あら。私がいるから移住したんじゃないの?」


 と、ナナオは眉を顰めながら口角をあげる。


「──ヒノワの文化とお前がいたからだな」


 リチャードは急いで付け加えると、ユリアは笑った。

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