第三節 ヒノワ国 ③
「四人とも。いつかはテオドルスの『自由な暴走』を止められるようになってくれ。今は練習期間だぞ」
アイオーンがそう言うと、クレイグが「は?」と言葉をこぼす。
「必須科目かよ」
「なんで国王代理に選ばれたん……?」
アシュリーがもっともな疑問をアイオーンに問う。
「テオドルスこそが、ユリアの父シルウェステルが所望した『国王代理』という役割に適した者だったからだろうな──『あの時代に生まれながらも神を信じていない』。あるいは、あえて信仰しない者。『そのうえで〈預言の子〉を人間とみなし、シルウェステルの望みを理解できる者』。そして、『王という立場に就けて、責務をこなせるもの者』だった。これでもテオドルスは、大抵のことは上手くやれる男だ。意外にも国王となれる素質もあったんだろう」
彼は多面性を持つ青年だ。明るくて、自由で、好奇心旺盛すぎて、そして獣性という危うい一面を持ちながらもまた好青年な雰囲気にもなれるという『厄介』な青年だ。
それでも不思議ことに、彼が国王代理として国を治めていた期間は、国家転覆といった大事は起きていなかった。唯一あるとすれば、神の化身として崇められていた〈預言の子〉との婚約を発表した時くらいか。
それを発表した当時は、神の化身をただの人に降ろすような行為に混乱や暴動じみたことはあったかもしれない。しかし、彼の演説によってヴァルブルク王国の民の考えが少しずつ変わっていったのだろう。
「──そうだ、ラウレンティウス! オレにピアノを教えてくれないか? あの鮮やかな音色で、姉上の曲を奏でられるようになりたいんだ。そして、君とも共に音楽を楽しみたい!」
自分のことでいろいろと言われているにも関わらず、テオドルスは自身の欲望を満たすことを優先し、子どものように目を輝かせながらラウレンティウスの手を引っ張った。彼の後ろに垂れている三つ編みが、喜ぶ犬の尻尾のようにブンブンと揺れている。
「……そら、ラウレンティウス。振り回されまくられながら手懐け方を学んでくれ」
と、アイオーン。「どんな学び方だ……」とラウレンティウスは肩を落とし、テオドルスに引っ張られていった。
「……私、そろそろ空港に行ってくるわね。万が一、テオが暴走したらアイオーンが頑張って止めてちょうだい。ちょっと手荒くなってもいいから」
空港行きの直通バスの発車時刻が近づいている。本当ならテオドルスの自由さに慣れるまでは、彼らの負担を減らす役割をしたほうがいいのだろうが、ヒノワ国に行ってアイオーンの不老不死のことも調べたい。
「……ああ」
アイオーンはげんなりとしている。
彼の暴走エンジンが起動し始めるのはもう少し時間が経ってからだと思っていたのが、まさかテオドルスのテンションが爆上がりするネタ──実姉がローヴァイン家に嫁いでいた──があったとは、さすがにふたりも読めなかった。
◇◇◇
飛行機のなかで十数時間を過ごし、ようやく到着した。
事前に刀を持っていくことを申請していたため、光陰を持っての入国審査も問題なく通過した。
ヒノワ国。
どの国よりも長い歴史を持ち、島国ゆえに独特の文化を持つ。世界的にも有名な美しい霊峰・常世山をはじめ、多くの単独峰や山脈に抱かれた列島国家だ。ヒルデブラント王国も周辺国と比べても山が多くある国なのだが、ヒノワ国はそれ以上にある。
ヒノワ国は文化や歴史も魅力的だが、美食の国でもあるため食事面も捨てがたい。ヒノワ人が秘める『食にかける深い情熱』は、他に類を見ないほどであり、ユリアはその情熱に深い敬意を抱いている。
なにせ、毒があってもそれを無力化するか、毒の原因を探して取り除き、どうにかして食べようとするのだ。何人もの死者を出す食べ物など普通は避けるはずなのに、ヒノワ人はなぜか食べることを諦めなかった。そして、食べられる方法を編み出していったのだ。どうしてそんな面倒な過程を経てまでして食べようとしたのかとツッコミを入れたくなる食べ物まで存在する。
(この国に来ると、常にお腹が減ってしまうのよね……。なにを食べても美味しいし──毎日、何を食べようかしら)
ちなみに、ヒノワ国の住宅は、ヒルデブラント王国とはまったく違う。
この国は気候的に多湿である期間があるため、調湿性に優れた素材や建築技法が用いられている。
ラウレンティウスたち四人の祖父母が住むところは、ヒノワ国の伝統的な建築技法が用いられ、木材を主体とした大きな屋敷だ。
(瓦屋根の、重厚感のある立派な門構え──。こういった門を見るたびに、ヒノワに来たのだと感じるわね……)
ユリアは空港から電車とバスを乗り継ぎ、市街地から少し離れた人気の少ない田舎にやってきた。バスから降りて周囲を見渡すと、田んぼや畑がたくさんあり、民家がところどころ点在している。その遠くには山々が連なっている。そこからキャスター付きのキャリーケースを引いて歩く。しばらくすると、瓦屋根の大きな門が現れた。そこから背の高い石垣が長く続いている。
門の扉を開き、屋敷の敷地内に入ると、ヒノワの伝統的な雰囲気を漂わせる庭が出迎える。道となっている飛び石と細かい砂利。ところどころに生えるヒルデブラントにはない木々。大きな石と苔。小さな葉っぱが密に集まり、丸く切り揃えられた膝あたりまでの低い木。そして、屋敷の玄関の近くには池があり、そこを泳ぐのは赤と白の鯉。この国の伝統的な庭には、ヒルデブラント王国の庭園のような華やかさはない。しかし、この清廉とした奥ゆかしさが心を癒し、落ち着かせてくれる。
「──あら、やっぱりユリアさんの気配だったのね。いらっしゃい。待っておりましたよ」
ユリアが玄関先に到着すると、ヒルデブラント語を流暢に話す上品な佇まいの老婆が玄関扉から現れた。ナナオと彼女の夫のリチャード・ベイツも、ユリアとアイオーンの正体を知る人物だ。
「お久しぶりです、ナナオさん。魔力の気配を察知する力は、まったく衰えておりませんね」
「ええ、毎日鍛えておりますもの。私は自分が老人だなんて思っていなくてよ」
と言って、ナナオは得意げに二の腕の筋肉を見せた。
「──さあ、どうぞお入りなさい。シュウゴから話は聞いているわ」
「……久しぶりに『シュウゴ』という名前を聞くと、一瞬誰だったか考えてしまいます。『ラウレンティウス』とは、とても雰囲気が違いますので……」
と、ユリアはわずかに考えた自分に対して小さく苦笑する。
「ヒルデブラントにいると、基本的にその名前は聞かないものね。この名前を呼ぶ人は、おそらくヒノワにしかいないわ──れっきとしたあの子のミドルネームなのにね」
『シュウゴ』とは、ラウレンティウスのもうひとつの名である。
ラウレンティウスだけでなく、アシュリー、クレイグ、イヴェットも『ヒノワ国の名前』を持っており、それは戸籍にも登録されているので実名として使えるのだという。祖父母は、孫である四人をヒノワの名前のほうで呼んでいる。
ちなみに、『シュウゴ』という名前に使われているヒノワの文字には、『学びを修めること』や『真理を悟ること』といった意味が込められているという。初めてそれを知ったとき、なんとなく彼らしい真面目な意味合いだとユリアは感じた。
「はい。──あ、リチャードさん。お久しぶりです」
「おうおう。久々。またデカくなったか?」
横開きの玄関扉を入ると、玄関にはタンクトップ一枚と下着のパンツらしき姿で、年齢にそぐわぬ見事な肉体美をさらしている老年の男性が立っていた。両手には重たそうなダンベルを持っている。
「さすがに背はもう伸びませんよ。……というかリチャードさん、下着姿で筋トレですか」
「このほうが動きやすいんさ。春になったしな。──なんにせよ、よく来た。ゆっくりしていけ」
「はい。ありがとうございます」
春になったといっても、朝はたまに寒さを感じる。年齢を重ねても筋肉をつけているからか寒さは平気なようだ。
「……いろいろと話は聞いたわ。短い時間のあいだで、たくさんのことが起きたものね……」
玄関でスリッパを脱ぎながらナナオが言う。
「……はい。私も、まだ少し頭が混乱しております」
ユリアが靴を脱ぐと、リチャードは「だろうなぁ……」とこぼす。
「自分も、いろいろとまだ信じらんねぇよ……。ともかく、ここには気が済むまで休んでけ──と言いたいとこだが……ユリアさんがここに来た理由は、光陰のことを調べるためなんだっけか?」
「はい。あとは、アイオーンの不老不死についても何かの情報があればと思っています」
「あのヒトの不老不死について、ね……」
ナナオは難しそうな顔をしてしばらく口を閉ざし、やがて開いた。
「──不老不死のことは、正直よくわからないの……ごめんなさい。けれど、光陰のことについて何か知っていそうなヒトは知っているわ」
「誰ですか? 今は、わずかでも手掛かりがほしいです」
「実はヒノワにはね、千百年ほど前に生まれた星霊がまだご存命なの。そのヒトは今、人のかたちをした器に核を移しておられるわ。そのヒトなら何か知っているかもしれない」
ユリアが生まれるよりも、さらに百年前に生まれた星霊が生きている。ユリアは希望を見つけたように目を見開く。
「一応、私の実家であるスエガミ家とは縁があるヒトだから、会えないことはないと思うけれど──どうしましょう?」
「会ってみたいです。──お願いします」
「わかったわ」
「あと、不老不死の伝説や伝承を調べるなら、やはり図書館が一番手っ取り早いでしょうか? もしかしたら、それがアイオーンの不老不死と繋がっている可能性もあるのではないかと思うので、少し調べてみたいのです」
「手あたり次第、探すつもりか?」
リチャードが問う。
「はい。そのために私は、一足先にここへ来ました」
「焦る気持ちは解るけど……少しは肩の力をお抜きなさいな。そんなにも張りつめていたら、いつか倒れるわ。ただでさえ、つい先日には大変なことがあったのだから」
と、ナナオはかすかに眉を顰める。
「もちろん、ヒノワを観光しながらです。無茶はしません」
ユリアはそう言うが、彼女の性格を知るナナオは憂うように息をついた。
「……ここには、家事を手伝ってくれる人たちが通いで来てくれているから、気を遣って手伝おうとすることはありませんよ。ここにいる間はゆっくりと休みなさい」
「はい」
「では、部屋に案内するわ。いらっしゃい」
ヒノワの伝統的な住宅であるこの屋敷は平屋だが、かなりの広さを持っている。敷地の広さはローヴァイン邸を超える。
風が入り込む縁側をユリアたちが歩いていた、その時。
『──くすくす』
『──あはは』
「……!」
魔物でも星霊でもない気配を感知したと同時に、小さく子どもたちの笑い声のようなものが聞こえてきた。




