第二節 おかえり ④
「……本当に、あなたが帰ってきてくれたのね。嬉しいわ」
ユリアは感慨深く言葉を紡ぐ。この彼は、昔から知っている。側近だった頃は、隣でいつも見ていた顔だ。それが現代でも見ることができるようになろうとは。
「ははっ。……まったく、君という人は。こんな『獣』に、そのような感動的な言葉をかけてくるのは君くらい──あ。でも、アイオーンもなんだかんだで似たようなことを言ってくれるかな」
「そうね、アイオーンなら言ってくれるかもしれない。──私は、『獣であるテオドルス』もひっくるめてあなたが好きよ。それに、揺るぎない覚悟と優しさと愛を持っているわ」
「……それが歪なものになる可能性を秘めているけれど」とユリアは小さく付け加え、さらに紡ぎ続ける。そう語る彼女の顔は穏やかだった。
「──なにより、私を『ただの女の子』として見てくれた『異端の大罪人』だもの。生まれて初めて『私』を認めてくれた」
ユリアからの想いを受け取ると、テオドルスは「フッ」と笑う。
「やっぱり、ユリアは最高だな」
そして、恍惚な笑みを浮かべた。
「そんな物好きなことをきっぱりと言いきってくれる女性は、君以外にいない。……いいのか? これ以上、オレを惚れさせて──手加減できなくなるぞ?」
刹那、彼の顔にまた『獣』が現れた。
滾る心を露わにしながら面白そうに獲物へ問いかける。
「あら、あなた──手加減をして私に勝てるとでも思っているの?」
そんな『獣』に、ユリアは慈愛の笑みを浮かべた。
「まさか──。思ってないに決まっているだろう!?」
テオドルスは楽しそうに吠えると、地面を抉るほどの爆風を放った。ユリアもそれと似た魔術を放ち、ぶつかり合うと暴風が吹き荒れた。その暴風の中で二人は斬り合いになり、またも魔術がぶつかり合って爆発が起こった。そして、間髪をいれずに十本の大きな雷が放射状に落ちていき、いくつもの竜巻が起きる。
それからも、ふたりは斬り合いと数多の強力な魔術を放ち続け、やがて大きな光の柱が上がった。もはや天変地異か世紀末の様相である。
そして、テオドルスは天高く飛び上がって剣と自身に魔力をまとい、隕石のように急降下した。ユリアは微笑みながらそれを受け止めると、地面が大きくひび割れた。それでも、ユリアには傷ひとつついていない。それから剣術による斬り合いがはじまり、やがて剣と剣を交差させたまま膠着状態となった。テオドルスは力を加え続けてユリアの動きを封じ、ユリアもその力を押し返す。ようやくふたりの動きが止まる。
「──ああ……良い時間だな……」
快楽にふけるような顔と艶めかしさを感じる声色でテオドルスは言う。
「しかし、ひとつだけ不満をあげるなら……血のにおいや混沌とした魔力の乱れがないことだな」
大気中に魔力が潤沢にあった時代では、魔術師同士が死を賭けて戦うと大気の魔力が混沌な気配となる。死があれば、おのずと恐れが生まれる。テオドルスのように愉しさを感じる者もいるだろう。
魔力には、感情を力に変換して増幅させる性質がある。このことから、魔術師がさまざまな感情を抱きながら戦うと、やがて大気中の魔力には混沌な気配──怖そうで近寄りたくないものや、身の危険を感じる嫌な雰囲気──になっていくのだ。彼はその気配に滾るという。
「あら。ということは、あなたを血祭りにしろと? それとも私を血祭りにするつもり?」
恐ろしい言葉を放つテオドルスに、ユリアはなんでもない普通の会話のように答える。
「まさか。オレは、被虐趣味も加虐趣味も持っていないぞ」
「血のにおいや魔力の乱れで『死地』を感じて、それゆえに精神が高ぶることは本当でしょう?」
「それについては否定しない。ただ、戦っているとそれらを求めてしまうということだ。許してくれ」
「それなのに、今は殺し合う気のない戦いよ──あなた、満足できているの?」
「君の戦う姿を余すことなく見ていられるからな。おおよそ満足だ。それに、『獣の気持ち』はこういった気持ちで相殺できる」
「まあ、余裕ね。軽口を言うなんて」
「うそじゃないさ。戦う君も、普段の君も、すべて魅力的だ」
そう言った彼の顔は、いつの間にか『獣』ではなくなっていた。ユリアから目をそらすことなく、まっすぐ見つめている。その顔には真剣さを感じる。
(今は、何もしてこないけれど……いつ何をしてくるのかわからない。だから目をそらすことも油断することもできない──)
今もまだ戦いは続いている。油断することはできない。
しかし、ユリアの心は平常ではいられなくなっていた。
(……どうして、何もしようとしないで見つめてばかりなのよ──!?)
剣の重みは変わらずある。しかし、彼の目には戦いを楽しむ雰囲気はなく、じっとユリアを見つめていた。それに、何も言ってくれない。
妙な時間が流れるなか、ユリアは冷静さを保とうと必死に頑張っていたが、とうとう目線を泳がすようになってしまった。
どうして無言で見つめてくるのか。なにか気になることがあれば言ってほしい。まさか、顔になにかついている──?
「──隙あり!」
「え!? あっ、ちょっ──ひゃッ!?」
ユリアは、テオドルスに足を引っかけられた。情けない声を出しながら足のバランスを崩し、尻餅をつく。急いで立ち上がろうとしたが、その前に、テオドルスはユリアが起き上がれないように覆いかぶさった。目の前にテオドルスの顔がやってきたため、彼女は思わず上半身を地に倒してしまう。
「──オレの勝ちだな」
悪童のような微笑みでテオドルスは紡ぐ。今の自分の体勢が、これから『食べられてしまう』かようなものであることに気が付くと、顔を真っ赤に染め上げた。
「ね、ねえ……! な、なんというか……さっきの、にらめっこみたいなのはズルいと思うのだけど……!?」
「ズルくはないだろう? してはいけないことのルールなんて、とくに設けてはいなかったはずだぞ? ということで、ユリアの負けだ。敗因は、昔から変らない君の恥ずかしがりやな性格と異性に対する耐性の無さだな」
と言ってテオドルスは、地に倒れたユリアの顔の側面に手をつき、彼女の真っ赤な顔を真上から覗き込む。
「──オレの言うことを、なんでも聞いてもらうぜ?」
どうしてそこで囁くように言うのか。羞恥のあまり、ユリアはますます顔を赤らめて両方の口の端を下にさげた。
「……はい」
敗者は勝者の言うことをなんでも聞く。それを了承したからこそ戦った。だから二言はない。
こんな体勢だからキスされるのかしら──ユリアはぼんやりと思う。もしかしたら過激なものが来るかもしれない。何が来てもいいように覚悟しておこう。
「ヒノワにいる間に時間があったら、オレとデートをしてほしい。誰も邪魔しに来ないように、ふたりきりで」
「……デ、デート?」
想像以上に純粋な頼み事だったことに、ユリアは呆気にとられた。
「意外だったか? オレは君に嫌われたくない──だから、段取りを踏むことにした」
「いや、段取りを踏むのは普通──……でも、あなたはそうじゃないわね……。つ……つまり、そのデートで……告白の返事を決めってほしいということ……?」
「いいや、違う。──テオドルス・マクシミリアンという男のことを知っていってほしい。少しずつでもいいから、認識を改めていってほしいんだ。オレの内側にいる『獣』も、そのままにはしない。具体的にどうしていけばいいのかは、まだ判らないが……『獣』を従えられるように頑張っていくつもりだ。だから……兄のような男ではなく、ひとりの男として見てほしい」
熱を帯びる彼の目線に、ユリアは困惑するように目線を少しずつそらしていく。
「──君が、オレとの婚約をすんなりと受け入れてくれたのは、オレを『家族』として見ていてくれていたからだよな?」
そんな彼女に寂しさを抱いたような声で、テオドルスは問う。すると、ユリアは彼の声色に焦りを見せながら頷いた。
「えっ……ええ……。テオと婚約する前から、私はあなたのことを家族のように見ていたわ……。そして、結婚というものは、家族となるための儀式のようなものでしょう? だから、嫌だとは思わなかったし、結婚しても大丈夫だと思っていたわ。婚約しても『テオドルス・マクシミリアンの妻』という肩書きが増えるだけだろうという感覚だったから──」
「ということは、婚約しても今まで通りの関係が続くと思っていたということか」
「うん……。 あなたは『妻』としての自覚を持ってくれと言っていたけれど……どういう自覚を持つべきなのか……今でもよくわからない……」
ユリアが素直に自分の気持ちを伝えると、テオドルスは複雑そうな顔で息をついた。
「君とまともに関われる異性なんて、オレだけだったからな……。それに、あの時の君が本当に欲しかったものは──」
両親と、家族としての時間を過ごしたい。
家族と呼べる存在がほしい。
温もりに飢えた幼い子どものような願い──それが彼女の願いだった。
だからこそ、家族だと思っていたテオドルスとの結婚を拒まなかった。ユリアにとっては、家族に憧れを抱いていたからこそ決意した──。
それを理解したテオドルスは、目線をそらして黙り込む。それからしばらくの後、彼はユリアに優しく微笑んだ。
「……なあ。プラネタリウム、科学館、美術館、博物館。このなかだと、ユリアはどれが好きだ?」
「……どれも好きだけど、今はプラネタリウムに行きたい気分だわ」
「なら、まずはそこに行こう。たしか、科学館と併設されていたな。科学館も楽しめるからお得だ」
そして、テオドルスは体勢を崩し、でこぼこな地面を魔術で直しながらユリアの隣に寝ころんだ。
天を見上げ、空色を目に映す。
「──こんなにも綺麗さっぱり肩書きがなくなると、いっそのこと清々しいな」
何も気にしていないかのような明るい口調で彼は言う。しかし、ユリアには、彼の弱音のように聞こえた。
彼は、まだ現代に慣れていない。
彼が現代で生活をしていると自覚できるようになってから、まだ数日しか経っていないのだから。
現代の言葉や常識を知っているとはいえ、セオドアだった頃の記憶はほぼ無い。その記憶がないことは、ある意味では不幸中の幸いなことだったかもしれない。
だが、テオドルスにとっては何の自覚や覚悟もないまま、当時の時代にはもう戻れず、愛する家族には二度と誰にも会えず、望んでもいないのに現代で暮らせざるをえない状況となってしまった。




