第二節 おかえり ①
光陰について調べるためにヒノワ国に行こうという話をしてから数時間が経った頃。
テオドルス・マクシミリアンにとって喜ばしいことが発覚した。
この時をもって、彼は良くも悪くも『自分らしさ』を隠すことができなくなり、空気を読んで控えることもできずに常に爆発させることしかできなくなってしまった。
「ユリアー、どないしよー。急に『兄を名乗る不審者』が爆誕したんやけどー」
「……へぇぇぇー、『兄を名乗る不審者』かぁぁぁー……」
ユリアの自室の扉がノックされると、扉越しにアシュリーが気の抜けた──というよりは、状況についていけてなさそうな声で、そんな言葉を発した。ユリアは呆れを通り越して、もはや自分でも意味不明でコミカルなテンションの声を出してしまう。
誰が不審者なのかとは言っていないが、瞬時にあの人だと理解できた。〈預言の子〉という神と同等の立場でもあったユリアに対しても、ノリノリで『テオお兄ちゃん』と自称していた彼。時代が変わろうと、出会ったばかりだろうと、相変わらず斜め上のノリの良さを爆発させている。
『彼らしさ』の暴発は、遅かれ早かれいつかは起こる事だろうとユリアは感じていた。それでも、こんなにも早く起きるとは思わなかった。いったい何があったというのだ。
「──聞いてくれ、ユリア!! この時代にも、オレに『きょうだい』ができたんだ!!」
テオドルスの騒がしい声が少しずつ近づいてきたと思えば、いきなり「バァン!」とユリアの自室の扉が開いた。その扉の前にいたアシュリーは、視界が解放されたユリアの自室を見て呆けている。
「ハァ?」
相変わらずテンションが上がると細かい気配りができなくなる男だこと。これでも女の部屋なのよ、デリカシーがなさすぎるわよ。せめてノックをしなさい。ゆっくりと開けなさい。扉が壊れたらどうしてくれるのよ──そう言いたげな目で、ユリアは嬉々としながら自室へ入り込むテオドルスを見た。
「ラウレンティウスたち四人は、一番目の姉上の子孫にあたる者たちだと発覚したんだ! そうだと判ったきっかけは、この楽譜だ」
なんて思われていることなど少しも気にしていないテオドルスは、一枚の紙をユリアに差し出す。濃く黄ばんだ楽譜には、彼の素の文字に似た、黒いインクで書かれた読みにくい文字──ユリアが生まれた時代に使われていた古いヒルデブラント語──が書かれてあった。
「これは、ベレンガリア姉上が、まだ小さかったオレのために作ってくれた小品なんだ。保管が良かったのか、千年経っても手書きのものがそこまで劣化することなく残っていた。そして、なおかつこの曲はのちに何代か前のローヴァイン家の当主が編曲し、ピアノの練習曲として一族に弾き継がれていたらしい……! ロマンすぎる話だとは思わないか!!?」
目を宝石のように輝かせながら、テオドルスは同意を求める。どうせ彼の早とちりか何かだろうと思っていたユリアは、意外にもしっかりとした理由があったことに驚き、うまく言葉が出なかった。
「──ローヴァイン家の初代当主の妻の名前が、テオドルスの姉君とまったく同じだったんだ。旧姓が同じで、なおかつ伯爵家の出身だったからまさかと思っていたら『ビンゴ』だったというわけだ」
ユリアが呆けていると、ラウレンティウスがやってきていた。
「その曲、テオドルスの楽器練習のために作られた曲だったんだとさ。だからすぐに判ったんだってよ」
そして、クレイグ。
「それから、譜面に書かれてる文字は、まぎれもなくテオドルスさんのお姉さんの文字なんだって」
イヴェットもやってきた。アイオーンはいないようだが、おそらく台所で夕飯の準備をしてくれているのだろう。
「ああ。この文字に関しては、間違いなく我が姉上のものだ。見てくれ。ミミズがのたうち回ったようなこの下手くそな文字を──こんな文字はベレンガリア姉上以外ありえない」
「あなたの素の文字とどことなく似ているわね」
姉の文字をボロクソに言うテオドルスにユリアが事実をさりげなく突き付けると、彼はさほど気にしていなさそうに笑った。
「あっはっはっ。オレのほうがまだ判りやすいだろう?」
「どっちもどっちよ。──というか、こんな古いものよく残っていたわね……」
「そういうのが未だにどこかで眠っているのがローヴァイン家だからな。この屋敷の屋根裏にもまだあるし、別荘にもいろいろあるぞ」
と、ラウレンティウスは何でもないように言うと、ユリアはあり得ないと言いたげな目を彼に向ける。
「ヒルデブラント国内でも有数の歴史ある家系なのに、この楽譜に価値があるとはあまり思っていなさそうな反応だけれどそれは正直どうなの!? 普通に博物館行きの代物でしょうコレは!!」
「そう言われてもな……。こういうものが屋敷にありすぎて、正直もう新鮮味がないというか……普通になってるんだ。この廊下に置いている壺だって五百年は前のものだぞ? お前が屋根裏から探してきたあの花瓶も三百年くらい前のものだ」
「やめてくれない!? もう余計に掃除しにくくなるから現代で作られた物を買って飾ってくれない!? 歴史的価値は見出せないくせに昔から謎に物持ちが良すぎなのよこのローヴァイン家とかいう一族!! というかラルスはなんでいちいち制作年代を覚えているのよ!?」
ユリアは、我慢できなかった心の叫びを放つと、
「それぞれの意匠が年代を教えてくれるからな。あと、作家特有の個性も出ているから、誰が作ったのかが判る」
さりげなく美術の知識量の差を見せつけられ、
「まあまあ、落ち着けユリア。ともあれ、彼らについては我がラインフェルデン伯爵家の子孫だと判断していい。ということは、だ──」
さらに、テオドルスは自分の言いたいことについての話に変えた。ユリアは謎の敗北感を抱き、呆けている。
「この四人は、オレの弟と妹でもあるということだ!!」
そして、テオドルスはそんなユリアを余所にキラキラとしたドヤ顔を見せた。
「……そんなこんなで、急にきょうだい云々の話に飛躍して『兄を名乗る不審者』が降臨したからウチらは困惑しとったって話や」
アシュリーが息をつくと、彼女の弟や従兄妹ふたりも同じような反応を示す。
「別にいいじゃないか。どれほど家系図から遠かろうと、オレたちには血の繋がりがある。ならば、きょうだいと称してもおかしくはない」
テオドルスがそう言うと、クレイグはあることを思い出す。
「……そういや、ユリアも総長に対して似たようなこと言ってたな。廃墟遊園地の任務報告ん時に」
「あの発言、テオドルスの影響だったのか……」
と、ラウレンティウス。
「ユリアちゃん、境遇からしてテオドルスさんの影響をモロに受けてそうだもんね」
イヴェットまで納得しはじめる。
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい! 私とダグラスさんには十年の付き合いがあるから『家族』と言えたの! この人ほど急激に距離感は詰めてません!! 距離感はバグってない!! はずよ!!」
ユリアは思わず顔を赤らめる。たしかに家族と言ったが、まだ程よい距離感は保っているはずだ。この人ほど引かれる話ではないはずだ。たぶん。
「と、というか! そういうラルスだって、私とアイオーンのことを『家族』だと言ってくれたじゃない……!?」
なにを呆れたように言っているのよ。あなたも同類のようなものよ、と言わんばかりにユリアは指摘する。
「それは、ふたりが俺ん家の別邸に十年も住んでいるからだ。お前と総長は一回も一緒に住んだことはないだろ」
「それで『家族』は距離感詰めすぎだよなぁ」
ラウレンティウスとクレイグのもっともな意見にユリアは「がふっ」と見えない攻撃を食らう。
「かっ……家系図で……血の繋がりがあることを、証明できる……!」
「証明できっけど遠いんだよ。なんだよ『千年近く前』って」
クレイグのとどめの言葉でユリアは敗北した。
「いや──待ってくれ。なにもオレは、血筋のことだけで『きょうだい』と呼ばせてほしいと思ったわけではない」
すると、テオドルスは真面目な顔つきで語り始める。
「この時代の人にとっては、今でもヴァルブルクの地は魔力濃度が高い。ゆえに『死地』だと聞いた。それでも君たち四人は、大いなる力に恐れを抱きながらも立ち向かい、平和のために危険を冒してまで騒動を解決しようと決意し、そして、見事それを成し遂げてくれた。オレは、その勇気と平和への想いに感動したんだ……! だからこそ、是非とも『きょうだい』の契りをと思ったんだ。──そもそも、千年後の子孫と巡り合って『きょうだい』と言える関係なんてカッコいいとは思わないか!? たとえ自分の子孫ではなく、姉上の子孫であったとしても!!」
「ちょっとあなた?」
後半のテンションがぶっちぎった本音のせいで、国王代理のように戦士を称えた前半の言葉がすべて台無しになったことに、ツッコミをせざるを得ないと判断したユリアが勢いよく復活してツッコむ。年甲斐もなくテンションが上がりまくっている彼だが、ラウレンティウスたちの勇気に大感激したから、家系図を辿れば自分と繋がっているので『家族』と呼ばせてくださいと願い出たということだろう。
「あー、いや、すまん。テンションが上がりすぎてしまった。しかし、どれもオレの本音だ。ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットの精神は、誰もが当たり前に持っているものではない──間違いなく尊きものだ。まるでヴァルブルク王国が誇るかつての戦士たちのようだと思ったんだ」
あらためてテオドルスは四人をまっすぐに称賛し、爽やかな笑みを浮かべた。そんな彼に、四人は気恥ずかしそうにしている。
「それに、屋根裏部屋にひっそりと残されていた我が剣のことも礼を言わねばならない──。四人にとっては、自分たちが意識して保管し続けていたことでもなく、ただの偶然のことだと思っているかもしれないが……それでも、千年近くも所有しているものを売ることなく、傷一つなく残し続けてくれた。実はあの剣は、オレが国王代理となった時に家族が特注で作ってくれたものでな。個人的にも思い入れのある品なんだ」
まさか剣まで屋敷に保管されていたとは。意外な事実に驚いたユリアは、テオドルスの顔をふと見ると、彼はどこか寂しそうに微笑んでいた。
いろいろと問題ある性格を持つ彼だが、本気で家族を愛していた。それなのに、〈黒きもの〉のせいで──。彼の心に気づいたユリアは、なにも言えなかった。




