第一節 新たなる局面へ ①
今回から二章のはじまりです。
よろしくお願いします!
朝が来た。
時は、ヴァルブルクの異変から二日後。ローヴァイン家の屋敷にて。
長い銀髪をひとつに括りあげているアイオーンが、キッチンワゴンを押して廊下を歩いていた。ワゴンに置かれているふたつの皿の上には、パイ生地に包んで焼かれた肉料理がある。
アイオーンがとある部屋の扉の前に着くと、そこを軽くノックして開いた。
「──おっ。アイオーンじゃないか。おはよう、良い朝だな」
立ち上がって窓から外を見ていた青年が振り返る。ラフな現代の衣服に身を包むテオドルスは、アイオーンが訪ねてきたことを知ると、そう言って微笑んだ。寝間着は寝台の上にたたまれている。
彼が昔の言葉ではなく、現代の言葉を話せているのは、セオドアだった頃に得た知識が残っていたからではないかとアイオーンは推測する。そのおかげで、彼は学んだ記憶や実感はなくとも、流暢に現代語を操れている。
「ああ、おはよう」
「なんだ? それに乗せているのは……って、ああ──朝食を持ってきてくれたのか。すまないな、わざわざ」
テオドルスは、昨日の昼頃に目覚めた。
彼は、目覚めてすぐに何があったのかを問うたため、アイオーンたちは、これまでのことをすべて伝えた。
テオドルスが『死んで』から、ユリアとアイオーンは何をして、どうしてこの時代にいるのか。
そのふたりが今、世話になっているローヴァイン家やベイツ家。現代のヒルデブラント王国。
千年前に〈黒きもの〉を消滅させたが、再び姿を現したこと。
そして、セオドアと名乗り、テオドルスを操っていた『演者』のこと。
テオドルスを直接助けたユリアは、まだ目覚めていないこと──。
「……それにしても──君の身長がかなり縮まったことに関して、やはりまだ変な感じがするな……。オレも背が高いと言われていたが、アイオーンはそれ以上あったというのに……」
「だから、縮まったわけじゃないと言っただろう。この『器』を作るための素材が足りなかったからこの身長になったんだ。──ほら、食べろ。パイだ」
「おおー、パイ料理とは懐かしいな。中身は……肉料理か? あの頃のものとは、少し違うようだが美味しそうだな」
「昨日のハンバーグの残りを詰めて焼いた。朝から高カロリーなものだが、お前の胃は頑丈だからいけるだろう」
「ん!? 昨日の料理を、違う料理にしたというのか!? アイオーンは天才だな!」
「ユリアでも思いつくぞ」
「ユリアもできるのか! そうか……。そういったことができるようになっていたんだな──」
セオドアのことを聞いた彼は、静かにそのことを受け入れ、現代人であるラウレンティウスたち四人に丁重に謝罪した。
四人は、セオドアとテオドルスはまったく違うことを理解している。むしろ、テオドルスは被害者だ。そのため、なんとかならないか模索すると伝えたが、テオドルス自身は自らの罪として受け入れることを主張した。
しかし、ラウレンティウスはその言葉に待ったをかけた。
セオドアと関わりがある犯罪者は、誰もセオドアの素顔を知らない。そのことから、魔道庁のトップであるダグラスに頼めば、セオドアは極秘で捕まったことにして、素顔や個人情報などの報道させずにどうにか有耶無耶にできるかもしれないとラウレンティウスは提言した。
それでも、テオドルスは微笑んで「精神は違うとはいえ、他人から見ればオレがしたことだ。これ以上、君たちに苦労をかけたくない」と言ったのだった。
「俺もここで食べる」
「おー、いいぞ。久しぶりに一緒に食べるか」
その後、テオドルスは「セオドアだった頃の記憶はないが、現代のヒルデブラント語や文化、一般的な常識は知っている。刑務所に入る前に今の時代を観光してみたいんだが、いいか?」と、屈託のない爽やかな笑みで質問した。
その笑顔は、先ほどの神妙な面持ちと比べてけっこうな温度差があったため、ラウレンティウスは呆気にとられた。唯一、彼をよく知るアイオーンは「なにも変わらんな」と答えて呆れた笑みを見せたのだった。
「──おかえり」
そして、今。
朝食を食べていると、アイオーンは脈絡もなく友にその言葉をかける。
「ん? 急にどうしたんだ?」
「いや……。そういえば、言ってなかったなと思ってな」
「はっはっは! 相変わらず変なところで真面目だな。──……ただいま」
テオドルスは豪快に笑い、そして、少し気恥ずかしそうにしながらも、嬉しさを隠しきれていない笑みを浮かべて答えた。
「……なんというか、君からそんな言葉が出てくるとは──。少しこそばゆいな」
「たしかに昔の俺では言わなかったことが、今では普通に言うぞ」
「そうなのか? やっぱり変わったな……。もちろん、良い意味でだぞ」
ニコッと笑うと、テオドルスは食事をはじめた。パイにかぶりつくと、生地の欠片をボロボロこぼしながらもぐもぐと口を動かす。彼は、食べる速度が早い。咀嚼する回数と少なく、すぐに飲み込んでいく。
「ゆっくり食べろ。消化に悪い」
「うまいからな。仕方ない」
と、まるでハムスターのように口の中に入っていた食べ物を頬に寄せてテオドルスは喋った。
「子どもか、お前は」
言うことを聞かないのは昔と変わらない。そんな青年に、アイオーンは軽く眉を顰めて笑う。
「……昨日にも話したが、この世の中は平和な時代だ。──お前の心のなかにいる『飢えた獣』は、おとなしくできるか?」
『飢えた獣』。それは、テオドルスの側面のひとつ──生死をわける戦いを好む一面だ。表面は明るく爽やかで多趣味な青年だが、彼の趣味のなかには『戦い』がある。
「……う〜ん……」
そのことを問われたテオドルスは、自信なさげに唸った。
「……たしかに、この世の中は平和だ。大気中の魔力はかなり薄まっていて、昔ほど魔術は使えない。そのせいで、魔術が衰退している。魔術師は国の管理下に置かれていて、そのうえ魔物もいない──。となると……君と戦うくらいしかできないか?」
「今の俺の身体は『現代人が造った器』だ。お前は、それを壊す勢いで戦うだろう。だから戦いたくない」
「そうか……。なら、仕方ない。他の方法でなんとかするしかないな。まあ、父上と母上から施された『教育』は、こういうときのためにある」
内側に潜む『飢えた獣』の存在を危険視したテオドルスの両親は、なんとか『獣の意思』を弱めさせようと、彼に対してさまざまな国の文化や芸術、文学、競技などに触れさせて、この世の美しさや人間の尊さを学ばせたという。
そのおかげで、彼は好奇心旺盛で物知りであり、要領良くなんでもこなせるようになった。彼曰く、特に自分が関心を持っているのは、音楽と他国の文化や歴史であるという。
しかし、『飢えた獣』は消えなかった。
それでも、そんな自分は厄介な性質持ちだという自覚はあり、そのうえで息子を恐れずに向き合ってどうにかしようとした両親に、彼は恩義と深い敬愛を抱いている。
そして、血の繋がった兄やふたりの姉、双子の弟、そして妹からは、周囲を振り回すうえ、死と隣合わせの戦いを好むという恐ろしい兄を持ちながらも『きょうだい』であり続けてくれた。たくさん呆れさせて、怖がらせて、焦らせてしまった。それでも『きょうだい』だと言ってくれた。
そのため、彼は、自分の家族は特別で最高だと語る。
「だからといって、好奇心旺盛なのもほどほどにしてくれ。斜め上の奇行をされたら俺達が恥ずかしい。止めるのも大変だ」
「その点はなんとか受け止めてくれ。頼んだぞ」
「『強敵といつでも戦える』と思ってユリアの側近になることを決めただけある大馬鹿者だな、お前は」
「待ってくれ。その言葉には少し語弊がある──。たしかに、その気持ちはなくもなかったし、それができなくても、〈預言の子〉の側近になれたら〈黒きもの〉と戦いまくれる。〈預言の子〉の側近になることを勧めてくれた父上はさすがだ! オレのことをよく判ってくれている! 最高! ありがとう! とは、思ったが──なによりも、怒ったユリアが可愛かったし、誰かのためにすごく頑張っているとわかったからこそ支えたいと思ったんだ」
「一番最後のセリフだけを言え。他のセリフは何一つとして要らん」
アイオーンがそう言うと、テオドルスは反省していない笑みを浮かべて「あははっ」と笑い、やがてその表情を消して、息をついた。
「……これでも、オレは心の中にいる『飢えた獣』とは、真正面から向き合うつもりでいる。無関係な現代の人々を怖がらせてしまうのは本意ではないし、あの四人から嫌われてしまいそうだからな」
そして、テオドルスは窓から青空を見上げる。
「──しかし、ここまで取り巻く環境が変わってしまうとは……。さすがのオレでも、そんなことが起こるとは思ってもいなかった……。家族だけじゃなく……ヴァルブルク王国も、もう存在していないとはな……」
明るく爽やかに、自身の心のままに動くことから周囲を振り回し、そして、厄介な一面を持っていても、彼は『人間』だった。彼の涙は、ユリアやアイオーンでも見たことがない。それでも、国王代理という立場に選ばれる人物なのだ。
「……さすがのお前でも、この状況には堪えるか」
「いや──オレは大丈夫だ。ここにはアイオーンとユリアがいる。それに、あの勇敢な四人もな」
「昔と変わらず前向きだな」
「逆に考えてるのさ。千年を越えた時代に来られる人間なんて、後にも先にもオレたちくらいだろう? ならばオレたちは、生まれた時代との違いを楽しみ、興味深いことを経験できる『特別』な存在ということだ。──ふっ。そう思うと、やっぱり楽しみだな。また趣味が増えていく」
テオドルスは、少し気取ったように腕を組み、満足そうに口角を上げた。
「そんなお前だからこそ、ユリアはお前をずっと頼りにしていたんだろうな──」
手に届かない何かを羨むようにアイオーンが呟くと、テオドルスは笑みを控えた。そして、彼はふと部屋の扉を見る。
「……ユリアは、まだ寝ているのか?」
「ああ……。さっき見てきたが、まだ寝ていた」
「オレも、ユリアの顔が見たい。行こう、アイオーン」
と、テオドルスは食事中にも関わらず、席から立ち上がった。
「それは食べた後でもいいだろう」
「もう立ちあがったから、顔を見てから食べるよ。君の料理は、冷めていても美味しいに決まっているからな」
「まったく……」
一応、冷めていても美味しいと褒めているが、彼自身は誰の料理であっても、冷たかろうが食べられればそれでいいと思っている。別のことをしていても、思い立ったらすぐ行動に出るのは昔からだ。
アイオーンは呆れつつも立ち上がり、テオドルスと共にユリアの自室へと向かう。
「──おーい、ユリアー。テオお兄ちゃんが来たぞ〜。起きろー、寝坊助ちゃーん」
テオドルスは、扉をノックしながら軽い口調で言う。しかし、返事はない。
扉を開けると、ユリアは寝台で横たわっており、静かに眠っていた。




