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第十三節 白昼夢の赤い糸 ⑥

「──……ユリア・ジークリンデ。何のつもりだ……?」


 刹那、テオドルスの皮を被る『何か』の動きが鈍くなった。


「なにって──決まっているだろう……!」


 そして、ユリアは叫ぶ。


「光陰ッ!! 皆を連れて遠くへ逃げろ!!」


「心得た」


 迷うことなく、光陰は命令を受け入れた。アイオーンは悔しそうにしながらも、しゃがみ込むクレイグの腕を持って立ち上がらせ、まだ動けない彼を背負った。イヴェットとアシュリーはまだ動けそうだ。ユリアを残していくことを気にしながらも光陰のそばに寄る。


「ま、待ってくれ……! ユリアは──」


 ただ、ラウレンティウスだけは彼女の身を案じた。家族として、そして、恋心を抱いていた異性ゆえに。その感情が判断を惑わせる。

 そんな彼に、ユリアは苦痛に満ちていた顔で「違う」と放つ。傀儡術を抑えながら敵を拘束するのは、もう限界だった。


「違うッ!! 私ではない──早くこの場から離れろ! 行けッ! ラウレンティウス!!」


 初めて聞くユリアの怒号の命令に、ラウレンティウスは身体を強張らせた。彼にとって、今のユリアは見たことがない顔をしていた。感情と理解が追いていないラウレンティウスは、アイオーンに腕を引っ張られ、光陰の転移術により姿を消した。


「……は、ぁ……。うっ──ぅ……」


 ユリアの顔に汗が滲み、顔が俯く。刹那、テオドルスを演じる者への拘束術が解けた。

 光陰による転移術はどこまでいってくれたのか──おそらく、誰にもわからないはすだ。


「……予期せぬ邪魔者が現れるとは……『あいつ』は、このことを知っていたのか。それとも──まだ『あいつ』は、『この時』には居ないのか……?」


 演者は、テオドルスの口を使って意味のわからないことを呟くと、「それでも、時間はあるか」と言ってユリアを見た。そして、笑みを作る。


「……君のせいで逃がしてしまったじゃないか」


「嘘を、つけ……。あえて拘束術を……解こうと、しなかっただけ……だろう……」 


 息切れを起こしながら、ユリアは顔を俯かせたまま答える。


「なんだ、バレていたのか。──興味深い敵が現れたものだから、つい見入ってしまった」


「……もう……テオドルス・マクシミリアンの、ふりをするのはやめろ……。この上なく不快だ……」


 ユリアが口調を変えて言い放つと、演者は笑みを引っ込めた。


「──口調は完璧だろう? 性格も違和感はないはずだ」


「違う──本物のテオドルス・マクシミリアンならば……私かアイオーンしかいない場では……必ず『オレ』という言葉を使っていた……。『私』とは言わない……。公的な場での準則は一応守るが、堅苦しいことは……あまり好まなかった人だからな」


「想像以上に微々たる相違だが、出力していた情報に誤りがあったのか……。しかし、今となってはどうでもいい」


 演者は、あまり興味はないようにその言葉をこぼすと、片膝をついているユリアの頭を掴んだ。


(……!)


 その刹那、ユリアは口角をあげた。


「……ふふっ──」


 そして、不敵に笑う。


「……なにがおかしい?」


「いや……。貴様が私に触れた直後、気配を感じたのだ──。どうやら……テオドルス・マクシミリアンの精神は……殺せなかった(・・・・・・)ようだな……?」


 彼は生きている。弱いものだったが、その気配を感じ取れた。身体の主導権はまだユリアにあるとはいえ、演者の支配下に置かれていることと、直接ユリアに触れたことから、微弱ながらも彼の気配を感じ取れたのかもしれない。

 理由はどうあれ、奇跡を見つけた。希望はある。

 ならば、それを掴むまでだ。


「……それで? 傀儡術を完全に解くこともできず、甘い夢のなかを溺れていた脆弱な貴様に何ができる?」


「さあ……。なんだろうな……?」


 術に抵抗する苦しみを滲ませながらも、ユリアは笑みを崩さない。彼女はなにも諦めてはいなかった。

 できることはある。アイオーンたちを信じることだ。そして、もうひとつの策がある──誰にも話していないからこそ、できる策が。


「──テオ……。あなたは、きっと今も……暗闇のなかで耐え続けているのでしょう……? ならば、私が……あなたを見つけて、助けてみせる……。あなたが『私』を……見つけてくれたように──。もう少しだけ……待っていて……」


 ユリアは、テオドルスの目の奥を見つめて語りかけた。演者は、冷たさと憐れみを抱いた目でユリアを見返す。

 この時、ユリアの心には、永遠に消えぬ炎(・・・・・・・)が生まれていた。しかし、彼女はそれを悟られぬよう巧みに隠した。演者は、そんなことなど知らずに──。


「無意味な声を発する力があるのなら、幻だけを愛する者となれ。現実との区別がつかなくなるほどに、深く堕ちろ」



◇◇◇



「奴らの気配は、今もこちらには来ぬな……。我らを所有していた彼女は、殺されることはなくとも、幻術で惑わせて人質となっておろうが──」


「だろうな……。──四人の状態はどうだ?」


「我らの力により、そなたらの身体に入っていた余分な魔力を排除した。不調となった臓器の治癒力を活性化させたうえで、一時的に魔力を取り込まぬよう術式も施している。どれだけ濃い魔力があろうとも、我らがいるかぎり死ぬことはない」


 真っ暗な平原にて、女性用のヒノワの伝統衣装らしき服を身にまとう光陰は、現代人四人にひと通りの術を施し終え、アイオーンに説明した。


「……光陰って、刀のときは魔力が全然感じなかったのに……今は、すごいあるね……? ユリアちゃんやアイオーンみたいに──」


 イヴェットが問う。

 彼女の疑問は当然だった。人の形となった光陰には、明らかに人間とは違う膨大な魔力を漂わせている。


「その理由は、我らにも判らぬ。ただ、そなたらの危機を感じ取り、目覚めたのだ」


「なんでオレらの危機で目覚めたんだ……? まあ、結果的に助かったけどよ……」


 クレイグが腑に落ちない顔で呟く。


「記憶がないのって、なんだかアイオーンみたいだね……」


 イヴェットがそう言うと、光陰はちらりとアイオーンを見た。

 すると、クレイグが「そうだ……!」と何かを思い出す。


「──アイオーン。あの男が魔力を放った時に、『変な気配』を感じたんだ。ユリアのなかにあった『得体の知れない気配』とよく似てた……!」


「『得体の知れない気配』──」


 アイオーンが目を身開くと、光陰が口を開く。


「その『得体の知れない気配』とやらは、おそらく我らの敵の気配だろう。アイオーンとやらの友の身体は、奴らの器となっている。表に出ている人格は我らの敵であり、そなたの友のものではない」


「器となっている人は……生きているのか?」


 ラウレンティウスが問うと、光陰は目線をそらした。


「……それは判らぬ。もう少し、あの場に居て調べることができていれば、さらに詳細なことを明かすことができたやもしれぬが……。あと判ったことといえば、あの地には、幻術の裏側に『別の魔術』の気配があったことくらいだ。術式の気配から察するに、邪魔者を排除するための魔術だろう」


「邪魔者を排除するための魔術──? なんか、変やな……。過去に戻りたいとか抜かしとったのに、その術式やないんや……」


 と、アシュリー。


「憶測だが、強力な敵がほかにおるのやもしれぬ」


「そういえば……誰かおらんと、なんもできひんとか言っとったな……。つーか、ちょっとしか()れへんかったのに、よくどんな術かわかったな?」


「……どうしてであろうな」


「……なあ。アンタって、刀の付喪神みたいなもんなん?」


「つくもがみ……? その言葉が指す意味はわからぬが──この姿を見て、そう思ったのか?」


「まあ、せやな。それ、どう見てもヒノワ国の民族衣装やし。やから、そうなんかなって思っただけや」


「この姿に転じたのは、そなたらと落ち着いて言葉を交わす必要があると判断したため、ならば人型が妥当かと思っただけだ。どうしてこの衣服なのかは我らでも解らぬのだが、ともあれこの姿で出てきてしまった。しかし、人間以外の姿にもなれる」


「種族は星霊なん? さすがに人間やないやろ」


 アシュリーの疑問に、光陰は少し困った表情を見せた。


「おそらく……星霊でもない。──この者に、近い存在かと思われる。同胞という言葉が相応しいほどに、近しいものを感じるゆえ」


 と、光陰が目線を向けたのはアイオーンだった。


「俺が……同胞……? 」


「我らの正体は、我らにも判らぬ。漂う気配から、同胞のようだということが判るというだけだ。……我らには、大半の記憶が欠けている。しかし──(えにし)ある者たちに危機が迫るとき、その者たちに我が力を貸すことを誰かと約束した。それだけは覚えている」


(えにし)ある者たち……」


 不思議に思っても、記憶喪失となっている光陰にも判らない。しかし、記憶喪失という点はアイオーンも同じだった。


「……光陰。聞きたいことが二つある。まず、お前は自らのことを『我ら』と言っているが、その身の内側には、今のお前ではない『誰か』がいるのか?」


 アイオーンがそれを聞くと、光陰は迷いなく口を開く。


「我らに記憶はないが、この身は数多の『想い』と『意思』によってできていると認識している。ゆえに、我らは『我ら』と称するのが適切だと判断したのだ」


 たくさんの『想い』と『意思』によって存在している──わかったようで、わからない。光陰は記憶を失っているため、これ以上疑問を投げてもわからないだろう。


「……お前が俺を『同胞』だと表現したように……実は俺も、お前の気配はどこか懐かしいものを感じている。──ならば、この四人にもそう感じるんじゃないか?」


 と、アイオーンはラウレンティウスたちに目をやる。

 突然、話が自分たちのほうへ向かったことで、彼らは唖然としている。


「ちょっと待てよ。なんで、オレらが──って……あ、いや……。でも、なんか……そういうことを、かなり昔に言ってたような……」


 異を唱えようとしたクレイグだったが、何かに引っかかったようで言葉を止める。やがて、その理由が判明した。


「あ──そうだ、思い出した。ユリアとアイオーンに初めて出逢った時に、アイオーンがそんなかんじのこと言ってた気がする。急に変なこと言いだす星霊だなってそん時は思ってたから、いつの間にか忘れちまってたけどよ」


「なのに、よくそんな昔のことを思い出せたな。──……そうだ。俺は、昔から……初めてお前達に出逢った時から『懐かしい』と感じていた。お前達を見ていると、不思議と懐かしい気持ちが沸き起こっていた……。それは外見や雰囲気の話ではなく、お前達が持つ魔力の気配がそう思わせていた」


「魔力が? アイオーンはかなりの長生きだから、長い歴史を持ってるローヴァイン家の魔力がそう思わせてんのか……? それか、ナナオばあちゃんの実家の──スエガミ家の魔力か……? そもそも、光陰はヒノワの刀だよな……?」


 クレイグがぶつぶつと考察しはじめると、アシュリーが問う。


「……なあ、光陰。実際のとこ、どうなん? ウチらはアンタらの『同胞』?」


「否。しかし、遥かなる時を経た、(えにし)ある者だとは感じている」


(えにし)……」


 その時、ラウレンティウスは息をつきながら話題を遮る。


「──待ってくれ。光陰や俺たちのことよりも、今は『これからどうすればいいか』の話をすべきじゃないか?」


 すると、光陰は首を振った。


「いいや。これは、無駄話ではない。これからどうするのかという話を進めるためにも、有益な話だった」


「……なんだと……?」


「これからどうするか──それを提示できる案が、我らにはひとつある。しかし、この案は最終手段としたい。そなたらには、これから使えそうな手札はあるか?」


 光陰にそう問われるも、誰も答えることはできなかった。


「いや……無い……。星霊であれども、造り物の器に入っている俺では、テオドルスには歯が立たない……。あの研究の進捗もまったくだからな……」


 と、アイオーンが言うと、アシュリーは「せやなぁ」と肩を落とした。


「なにをしているんだ? 研究って」


 ラウレンティウスが問う。


「アイオーンからの提案で、ユリアが持っとる大きい力を、一時的にウチらでも扱えるようにしてみるっていうのやっててな……。機械でどうこうやるっていうんやなくて、薬飲んでどうにかするかんじで──。けど、それ始めたんはつい最近やからさ……」


「セオドアのことを調べていくうちに、思ったんだ……。いつかは、こういったものが必要になるかもしれないとな──。セオドアという存在は、俺やユリアに匹敵する魔術師であり、なおかつ俺たちでも苦戦する者であるような気がしていたんだ──」


「……もしかして、なんとなくでも犯人の正体に気付いていたのか?」


 ラウレンティウスが言うと、アイオーンは頷いた。


「ああ──。だが、絶対にありえないことだと思っていた……。……それが真実だったが……」


 テオドルス・マクシミリアンは、何者かに肉体を操られ、必死に抵抗するも、自分かユリアかが死ぬまで解けない魔術であることを悟った。そして彼は、ユリアに殺されることを望み、死んでいった。

 しかし、先ほどの彼は、死者ではなく生者の気配をしていた。何が起こったのかは誰にもわからないが、少なくとも彼の肉体は生きていることには間違いない。


「──勝機は、まだある。我らの提案を受け入れるならば」


 長い沈黙の末に、光陰が言った。全員が光陰に目線を向ける。


「純粋な人間であっても、そなたらが持つ『(えにし)』は、我らの力と馴染むはずだ。ゆえに、我らが力を与える。我らとの『(えにし)』は、きっとそなたらを助ける──我らが目覚めた理由は、この力を与えることにあると思うのだ」


 そして、光陰はラウレンティウスたちを見つめた。


「縁を持つ者たちよ。望む未来を手にしたくば──覚悟を決めよ」


 生きるために、戦う覚悟を決めろ。


 身近に戦場を駆け抜けた英雄と星霊から指導を受けていたこと以外は、四人は現代の魔術師となんら変わらない生活のなかで生きていた。魔道庁に勤めるラウレンティウスとクレイグは、命を落とす危険性がある任務を受けることもあるが、今起こっていることは、きっとそれとは比べられないものだ。敵は、約千年前に生きていた英雄と肩を並べて戦っていた者を操っている。

 それに、光影の力を得て勝てたとしても、そのあとの生活はどうなるのだろう。もはや、普通の現代人とは言えない存在になってしまっているのではないか──。四人は、すぐに答えを出すことはできなかった。

 アイオーンは、ずっと黙り込んでいた。そのことを気にしたラウレンティウスが、ふと目を向ける。


「……お前達には、選ぶ権利がある。……本当なら、こんな選択を選ばせたくはなかった……。こんな『ありえない』危険に行かせるなど……」


 そして、アイオーンは拳を握り締め、苦悩を浮かばせながら口を開く。


「だが……今の俺は、お前達に頼らなければ……ユリアを救う方法を見出せない──。……頼む。助けてくれ──」

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