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第十三節 白昼夢の赤い糸 ④

「わかったわ、約束する。……だから、二度と私のそばから離れないで……。ずっとそばにいて」


 どうして、こんな言葉が出てくるのだろう。一度、手の届かないところまで行ってしまったことがあるかのような──。

 ユリアはまだ気づいていない。自分の記憶が、偽物の記憶に少しずつ置き換えられていることを。

 この世界は『幻』。後悔、苦しさ、悲しさ、寂しさ──彼女はそれらの感情を今でも強く抱いていたために、その感情を弄ぶ何者かによる術に嵌ってしまっていた。


「ははっ。何を言っているんだ。私が君から離れるわけがないだろう? いつだって私は、君を愛しているんだからな」


 ──オレは、ユリア・ジークリンデをいつまでも愛している。


 ──何があっても生きろ。生き抜いてくれ。


「……」


 突如として、その言葉がユリアの脳裏に流れた。

 これは、この人が言った言葉だ。たしか、これは、この人の最期の──。


「──違う」


 違う。

 何をしているの、私は──!?


「……なにが、違うんだい?」


 本当は、もっとこの人の声を聴いていたい。この人の笑顔と、優しい言葉がほしい。

 でも、この状況は『正しくない』──無意識のうちに、甘い誘惑に囚われていた。


「テオ……あなたは……」


 ここが夢の世界であることに再認識したユリアは、あることに気がつく。

 この人は、幻影ではない。

 本物の人間の気配がする。


「うん?」


 なぜ、あなたがここにいるの?

 どうして、こんなことになっているの?

 それならば、やっぱりあなたは──。


「……セオドア……なの……?」


 ユリアがその問いを放った刹那、テオドルスの言葉が止まった。

 そして──。


「……フ……ははっ──」


「!?」


 嘲笑うかのような声に、ユリアは急いで身体をよじり、自身を抱き締める彼の腕を力づくで解き、そして、拒絶の意思を込めてテオドルスを強く突き飛ばした。


「おっ、と──。突然、力いっぱいに突き飛ばすなんて……悲しいじゃないか」


 そう言った彼の声は、まったく悲しそうなものではなかった。むしろ楽しんでいる。

 そんな彼の目は、見つけた獲物を逃さないような不穏な気配を放っていた。


「ここは、幻……それなのに──」


 そうだ。嘘の世界だ。それなのに、この人は『違う』。


「あなたは……幻影では、ない──! なぜ、あなたがここにいるの!?」


 あり得ないものを見るかのように、ユリアは声を震わせながら叫ぶ。


「それは、こちらのセリフでもあるんだが……ひとまず、君の質問に答えよう」


 と、テオドルスは小さく息をつく。


「ここに流れ着いたのは……今から数年前のことだったかな──。君が放った魔術に飲み込まれた私は、気が付いたらこの時代にいたんだ。行く当てもなく彷徨っていると、ひとりの魔術師を見つけた。その人物の魔力を経て、私は現代のことを知り──やがて、ユリアがここにいるということを知った。だから、正体を隠しながら現代社会に潜り込んだんだ。そして、魔力や魔術の技術や知識を売りながら、過去に戻る方法を探し求めたのさ。叶えられなかった君の夢を、叶えるために──。ユリアと君のご両親が辿った、無慈悲な歴史を変えるためにもな」


「私と両親のため……?」


 魔道庁からの情報通りに、過去に囚われてはいる。

 だが、彼自身の過去ではなかった。


「……さて、私のことは大雑把ながらも話した。だから次は、私から質問させてくれないか? ──君はどこの時点で、犯人が私ではないかと気が付いたんだ? きっと君は、ずっと私が死んだものだと思っていたはずだが……。あ──もしかして、極秘部隊として廃墟の遊園地を調査していたときに奇妙な気配でも感じたのか?」


「私が……極秘部隊であることも知っているのね……」


「ああ、もちろん。魔道庁に所属する一部の人間は、昔から私の『情報提供者』となってくれているからな。もっとも当人たちは、自分がそんなことになっているとは思ってもいないはずだ──誰にも見つからないように忍び込んで、適当な魔道庁の職員から魔力に刻まれた情報を読み取っているからな。だから、極秘部隊の情報も多少は知っているというわけだ」


 魔道庁にも侵入していると知った瞬間、ユリアの目が攻撃的なものに変わる。


「──まさか、ダグラスさんにも……!?」


「『ダグラスさん』というのは──魔道庁のトップであるダグラス・ロイのことか? 彼には何もしていない。私の気配になんとなく気づきそうだったからな。……ところで、その人は君にとっては大切な人なのか? 魔道庁の誰かから得た情報によると、ときどき個人的な雑談をしていることがあったみたいだな」


「あの人は、私の遠い親族にあたる人よ。あの人に何かしていたら……あなたであろうと、私は許さない……!」


「へえ……? 君の遠い親族だとは思わなかったな……。ヴァルブルク王家は断絶しているから、彼はヒルデブラント王家の人間ということか。彼が一般庶民ということは、彼が王家から勘当された人の子どもか孫にあたるから、現女王の庇護下にあるということかな? 都合の悪い噂を流されたら、王家も嫌だろうからな。──そういえば、ラウレンティウス・ローヴァインやクレイグ・ベイツという男にも関わりがあった気がするが、このふたりも大切なのか?」


「……ふたりのことも、知っていたなんて──」


 ユリアは拳を強く握り締める。


「安心してくれ。そのふたりにも何もしていない。君にそこまで想われるなんて、少し妬けるが……。──それで? どこの時点で、犯人が私だと気づいたんだ?」


「……アパートにあった罠よ……。巧妙に隠された罠には、あなたのクセを感じる術式があった。それに、その罠に設置されていた矢が──昔、あなたが私の狩りのために作ってくれていた矢と、そっくりだった……。矢羽根の部分は、フェニックスフェイクの羽でしょう? 肌触りやあの模様の羽から、フェニックスフェイクしかいないと思ったわ」


「へぇ……そんなところで気が付いたのか。まさか、魔道庁の職員が行きそうな現場で、ユリアが出向いていたとは思わなかったな……。あそこでは、たしか私は──死人が出ない程度の罠を張って、魔道庁の捜査を誘導するために『邪魔者』のロケットペンダントを置いたんだったっけな」


「あのアパートにロケットペンダントがあったのは、あなたの仕業なの……?」


「ああ。あの女社長は、亡き娘を求めるがあまり、物知りな私のことを探ろうとしていたからな……。正体をできるかぎり隠し通したい私にとっては、そういう存在は邪魔者でしかない──。だから、魔道庁に彼女を『逮捕してもらった』のさ。彼女が自身の持ち物を現場で落とすという『うっかりミス』を装ってね。彼女のロケットペンダントは、傀儡術で操った人間に盗ってもらった」


(本当に……この人は『あの人』なの……?)


 このような犯罪行動ももちろんだが、本当にこの人物は自分が知るテオドルス・マクシミリアンなのか。何から何まで、彼なら絶対にしないであろうことだ。それに、声色もいつもより暗い。微笑むだけで、満面の笑顔を見せない。いつもの彼は、太陽のように明るい人だというのに。


「……では……聖杯を盗んだのは──」


「それも私だ。けれど、この空間は聖杯の力じゃない。ヴァルブルクの街を守る防壁──そこに刻まれていた術式を、『このような世界』となるように少し弄ったのさ。聖杯の力を借りたのは、特定の区域内での魔力濃度を調整したいというのが理由なんだ。あれだけは、さすがにこの力を使わないとできないことだからな」


「……ずいぶんと、いろいろ詳しく教えてくれるわね」


「君に逢えた嬉しさで、口が軽くなっているんだ。まさか、本当に生きているとは思わなかったからな。……本当に、また逢えて嬉しい」


 と、テオドルスは甘い言葉と微笑みを贈る。ユリアは一瞬だけ心を喜びに染めたが、目を伏せて呼吸を整え、冷静な目を向ける。


「──……では、わざわざヴァルブルクの魔力濃度を一部の区域のみ下げたのは、ここに魔道庁の人たちを誘き寄せるため?」


「『誘き寄せるため』という意味があるのは正解だ。けれど、あの総長ならば、いきなり魔道庁の職員を行かせることはしないだろう──まずは、君のような極秘部隊の誰かに頼むんじゃないか?」


「私を誘き寄せるために、ヴァルブルクに異変を起こしたのではないの……?」


 「おおよそは、そういうことだと捉えていい」とテオドルスは少し煮え切らない言葉で肯定すると、ユリアに微笑みかけた。


「……さて、そろそろ本題に移ろう。……過去に戻り、歴史をやり直したいとは思わないか? ユリア」


「思わないわ。そもそも、そんなことは聖杯があっても無理なことよ」


 ユリアは毅然と否定すると、彼は首を振った。


「いいや──『彼』がここに来てくれたら、それが可能となるんだ。むしろ、ここに来てほしかった人は、君じゃなくて『彼』だ」


「『彼』……?」


 アイオーンのことかと思ったが、違う。

 あのヒトは無性別だ。そのため、テオドルスはアイオーンを『彼』と言ったことは過去に一度もない。


「けれど、君が先に来ても別に構わない。今は関係のないことだ──。私は、君に幸せな未来を贈りたいと思っている。本当に血の繋がりがある両親から愛されることは、君だって求めていたことだろう? 私を経由して伝えられた言葉ではなく、目に見えて実感できる『愛』をね」


「──」


 その瞬間、ユリアは静かにテオドルスを睨みつけた。しかし、テオドルスは面白そうに微笑むだけで意に介さない。


「そうだ。友達をたくさん作れるようにもしよう。もちろん、対等な友達だ。素直な君なら、たくさん作れるだろうさ。……けれど、同性だろうが異性だろうが、近寄りすぎないよう注意してくれよ? 君の友に嫉妬心をむき出す──なんて、情けないところは見せたくはないからな」


「……私のことばかり話すけれど……アイオーンのことはどう思っているの? 仲が良かったのに、一度も話に出てこないわね?」


「──すべてのことは、君の選択次第だと言っておこう」


 なぜか、その質問には答えてくれなかった。触れたくないのか。


「……あなたは、本当にテオドルス・マクシミリアンなの……?」


「ああ、もちろん。本物だ。疑うなんて酷いな──そんなにも偽物に見えるか?」


「……本当に、あなたがテオならば……私は……もう一度──あなたを……」


 その言葉を呟きながら、ユリアは手のひらに魔力を集束、凝固させ、月白色の剣を作り上げる。


「……ここまで信じてくれないとは……。ああ……悲しいものだな……。私は、こんなにも君を愛しているというのに──」


 と、テオドルスは言ったが、その顔は少しも悲しんではいなかった。

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