第十三節 白昼夢の赤い糸 ③
そして、使用人の男性はユリアをとある場所へと案内した。人気がない通路を進んでいく。
到着した場所は、ヴァルブルク城の端にある尖塔の最上階。四方に窓がある木材の簡素な小部屋のなかには、流麗な彫刻が彫られた丸机のような台座があり、その上には、青白い光を発しながら浮く球体があった。使用人の男性がその球体に手をかざすと、あたりが急に暗闇に包まれ、やがて空間が変わった。
「これは……」
ユリアの目に見えたものは、険しい顔をした大勢の民たち。そして、高い舞台に立つテオドルス──演説の光景だった。
『──神託があったからこそ、ユリア・ジークリンデは神聖な存在となったのではない。神聖と呼ばれるに相応しい魂を有していたからこそ、彼女に神託が下ったのだ。しかし、神託があろうとなかろうと、素晴らしい人間は後世に名を残すものだ。過去の偉人や英雄たちは、神託こそなかったにしろ、ユリア・ジークリンデと同等に尊い魂を持った存在だったのだと私は考えている。ただの人間であっても『神聖たる魂』は生まれてくる。『神聖たる魂』は、変化によって生まれてくるものでもあるのだ』
ここで、国王代理の演説を聞いていた民たちからざわめきが起きる。神と同等な存在である〈預言の子〉──ユリア・ジークリンデを人間として扱うことは、この時代では罪であったからだ。侮辱罪や不敬罪となり、最悪、処刑されることもある。それを、国王代理が恐れることなく言い放っている。民たちがなにを言っているのかはわからないが、間違いなく演説に対する疑念や反対だろう。
しかし、国王代理は民たちの反応を恐れることなく言葉を続ける。
『忘れたか、ヴァルブルクの民たちよ。我々にも、神聖と呼ばれるに相応しい魂を有しているではないか。ヴァルブルクの民は、ユリア・ジークリンデから『地に輝く星々』と称され、愛されているではないか──。過去のヴァルブルクでは、神聖な存在たる〈預言の子〉が必要だったのかもしれない。しかし、現在のヴァルブルクには必要ないと感じている。だからこそ、ユリア・ジークリンデは我々を『地に輝く星々』と称賛したのだ。何ものにも代え難い、素晴らしい輝きを持つ者たちだと──』
刹那、国王代理の表情が氷のように冷たい気配を帯びる。
『……もしや、この言葉を世辞だと感じる者がいるのか? ユリア・ジークリンデに称賛されたヴァルブルクの民が、彼女が決意した未来を穢れたものと称する──それは、彼女の想いを裏切り、穢す行為ではないのか!?』
迷いのない、力強い言葉。テオドルスの顔には静かな怒りがこもっていた。
民の顔には、先ほどまで滲ませていた怒りや疑念は失せ、戸惑いが生まれている。
彼は、王たる素質を持っているのではないか。そう思わせる演説だとユリアは思った。記録での光景を見たユリアは心を震わせていた。さらに、羨望と敗北感、そして罪悪感を抱いた。
やがて、景色が元の簡素な部屋へと戻る。
「……時間の都合上、演説の一部分のみを再生いたしました。──その演説から、人々がテオドルス・マクシミリアン国王代理を見る目が変わりました。しかし、あの御方だけは何も変わっておりません。どれだけご多忙でも、いつも貴女様のことばかりを考えておられます。この前は、執務の合間を縫っては『お菓子以外に、女性が好みそうなものは何だろうか』と使用人たちに聞いてまわっておりました」
「……少しは……自分の身体のためにも、しっかりと休みなさいと……言っておいてくれ……」
そう呟いたユリアは、涙が浮かびそうになった目を隠すように深く俯いた。
その話は、昔にしていた手紙のやり取りで彼から伝えられたことがあった。『使用人たちに、オレの婚約者は素晴らしい女性だと自慢してやった』と誇らしげに書かれていたことをユリアは思い出す。──そうか。この演説をした後だったからこそ、使用人たちに自慢できていたのか。
「はい、申し伝えておきます。──ですが、結婚披露宴では、きっとお酒を飲みながら、ほろ酔いで貴女様の惚気を来賓の皆様に喋りつづけることでしょう。そもそも、あの御方は、あまりお酒に強くはありませんから」
「判っているのなら、その時はお前も止めてくれ……。酒に強くないのは当人も判っているはずなのだが──場の雰囲気に心を踊らせ、その勢いに乗って酒を飲みたがる人だ。祝いの席で誰かに迷惑をこうむる酔っぱらいが旦那など、恥ずかしいことこの上ない……」
「はは。そうおっしゃられるだろうと思いました。ですが、あの御方はきっと、貴女様の尻に敷かれることに満更でもないかと──。ですから、存分に叱って手綱を引いてもご本人は嬉しがるかもしれません」
「……手間のかかる男だな──」
微笑みを浮かべながら言葉をこぼした時、ユリアはかすかにハッとする。
何をしているのだ、私は。まるで、ここが本物の世界だというように話してしまっていた。
すると、部屋の窓が開き、そこから白い鳩が飛んできた。
「……なんだ? なぜ、鳥が……」
そして、飛行しながらなんらかの魔術を使用人へと放ち、どこかへと飛び去っていった。ユリアは、たまにしか城内に入る機会がなかったため、このような光景を初めて見た。
「城内で伝令の役割を担っている術式でございます。ここで働く使用人にのみ、伝令が届けられる仕様です。……そして、その内容でございますが──ユリア・ジークリンデ様を、謁見の間にお連れするようにとのことでした。テオドルス・マクシミリアン様がそちらでお待ちでございます」
ついに来た。『この時』が、いつかは来るのだろうとは思っていた。
「……わかった」
行かなければ。この幻影の世界が、過去の人物をそっくりそのまま再現しているのであれば──逃げたとしても、テオドルス・マクシミリアンはユリアを探しにくるだろう。
ユリアは、使用人とともに再び城内を歩きはじめた。城内にはたくさんの使用人や衛兵たちがおり、ユリアが近づいて通り過ぎるまでは礼を示した。
「──付き添いはここまででいい」
謁見の間に繋がる扉に着くと、ユリアは使用人の男性に伝えた。
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
使用人が一礼して去っていくと、ユリアは扉に手のひらを当てて深呼吸した。
この世界は、すべて偽物だ──。
「──……」
ゆっくりと、扉を開いた。
玉座の前にいるのは、深みのある青い髪を持った青年の後ろ姿。肩甲骨まで届く三つ編みを揺らしながら、彼は振り返る。
「──ああ、おかえり。すぐに戻ってこないから心配したぞ。民たちから引き留められて、話し込んでいたのか?」
顔も声も話し方も、深紅の豪奢なマントの下に銀色の鎧を装備していることも、あの頃となにひとつ変わらない姿。
(これは……偽物……)
ユリアは感情を動かさないように、彼の顔をじっと見つめていた。
「……どうした? まるで死んだ者が化けて出てきたかのような顔だな」
(違う。これは作り物──)
テオドルスが一歩、近づいてきた。
ユリアは反射的に一歩下がる。
「……おーい。なんで一歩下がった──」
不貞腐れた顔と声。しかし、次の瞬間、彼の脳内でとある憶測がよぎる。
「……──! まさか……結婚の間際になって、ようやく私を異性として意識してくれるようになったのか!?」
と、まるで子どものように爛々と目を輝かせて喜びはじめた。人懐っこくて、太陽みたいで、爽やかな春か夏を感じさせる顔だ。
もちろん、そんなことはない。テオドルスの前向きな性格がそう思わせた『都合の良い解釈』である。だから、本当なら「バカね」とユリアは言いたかった。彼が、本物であれば。
「……っ──」
しかし、この人は偽物だ。
先ほどの彼のセリフのなかにも違和感があった。なのに、それを指摘できなかった。
「っ……! あ、ぁ……」
殺したくなかった。そばにいてほしかった。
逢いたかった彼の姿に、ユリアは嬉しさに満たされていた。
「おーい……? 本当にどうした? 大丈夫か?」
「テ……オ……」
もう二度と、本人に対して呼ぶことはないと思っていたあだ名。ユリアは頬を涙で濡らし、彼に手を伸ばしながらそれを口にする。引き寄せられるかのように、ユリアはゆっくりと彼に近づいていく。テオドルスは、そんな不安定な精神の彼女を不審に思うことなく、彼もユリアへと近づいていく。
「……ほら、おいで」
ユリアを抱きとめるように腕を広げ、彼女が抱きしめられるほどの距離に来ると、テオドルスは抱きしめた。
「泣くな泣くな──なんだ? 悩み事があるなら、テオお兄ちゃんに言ってみなさい」
「……」
ユリアは嗚咽を漏らしながらテオドルスにしがみつくいている。
「もしかして、明日が結婚式だということに緊張して、精神的に不安定になってるのか? 結婚前には、そんな気分になりやすいと聞いたことはあるが──まさか、ユリアがなってしまうとはな」
そして、テオドルスはそのまま彼女を抱きしめながら頭を撫でる。
「不安になることは何もないさ。慣れないことは、これからふたりで一緒に慣れていこう。ゆっくりでいい──。何か困ったことがあれば、遠慮なく私に言ってくれよ」
(……本当に、この人は幻……? こんなにも、温かいのに……)
テオドルスのぬくもりを手放さないように、ユリアはきつく抱きしめた。想像以上に強い力だったのか、テオドルスは「ぐぅっ」と情けない声をもらす。
その声で力を込めすぎていたことに気が付いたユリアは力を緩めるが、彼から離れようとはしない。
「……今までいろいろと大変だったから、疲れがたまっているだろう? だから、明日から旦那となる男として、今夜は思いっきり甘やかしてあげよう」
「甘えてもいいの……?」
「ああ、もちろんだ。音楽が聴きたいのなら私が楽器を弾くし、身体が凝っているのなら気が済むまでほぐしてやる。──なんなら……明日に響かない程度に『大人なこと』でも──あー、いや! やっぱりなんでもない! 今のは取り消すから、気にしないでくれ」
テオドルスの声が、後半から急に小さくなったが、それをかき消すように明るく振る舞った。
そして、「今日までは、まだ『テオお兄ちゃん』だからな」と、テオドルスは自分に言い聞かせるように言いながらも肩を落とした。そのしばらくの後、息をついて調子を取り直す。
「──だが、明日からの私は、君の『夫』だ。もう『兄』ではないということは、少しずつでもいいから理解していってくれよ? ……でないと、拗ねるからな?」
と、テオドルスは少しだけ不貞腐れた子どものように言った。彼は自らのことを『兄』と言っていたが、ユリアは一度も彼のことを兄とは言っていない。相変わらずどこか子どもっぽい婚約者に、ユリアは笑う。




