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第十三節 白昼夢の赤い糸 ②

「ここまで街ごとしっかり残ってりゃ、歴史学者なら何が何でも来たいって思うだろうな──。こんな状況じゃなけりゃ、オレだっていろいろ見てまわりてぇし……」


 クレイグも知的好奇心をくすぐられ、そんなことをこぼした。


「……特に、問題はなさそうか……?」


 と、ラウレンティウスは警戒しながら周囲を確認する。魔力は薄くなっているが、それ以外は何もない。


「……入ってみるか」


「ええ……」


 アイオーンとユリアが足を動かし、門をくぐった。

 変な気配はない。はずだった。


「……え──?」


 夜が、なくなった。

 明るい。空が青い。

 ──昼間だ。


「──ッ!!?」


 その瞬間、背筋や二の腕に悪寒が走った。

 即座にアイオーンの方を見る。だが──。


「アイオーン!? みんな!? どこにいるの!? 返事をしてッ!」


 すぐ隣にいたはずなのに、いない。仲間たちもいない。

 その代わりに、たくさんの花びらが風に乗って舞っていた。


「──はやくはやく! こっちこいよ!」


「まってよー! もっと、ゆっくりー!」


「おそーい!」


 遠くから聞こえてきた子どもたちの大声は、現代の言葉ではなかった。


(私が育った時代の、言葉……!? ──違う! おちつけ! 私を惑わすために、誰かが幻覚を見せているだけよ! じゃないと、こんなことはあり得ない!)


 ユリアは何度もそのことを頭に巡らせ、自身の心を落ち着かせた。

 どうにか歩けるまで驚きを鎮まらせると、ユリアは小さく足を進ませた。


「──……」


 ここは路地のようだが、人がいない。しかし、街の向こう側は賑やかだ。

 ユリアはゆっくりと歩き続け、人通りが多い道に繋がっている細い路地に入った。細い道と人が通る道の境目に、ふたりの女性が会話をしている。服装は、当時のヴァルブルクではよく見かける意匠のものだった。


「ねえ……。お酒の量、足りないと思うんだけど──。お祝いだから、みんな飲みまくるわよ」


「代理様によれば、いろんなところから差し入れ品としてお酒を貰ってるんだって。もうじきここにも届くと思う」


(……代理、様……?)


 それに、お祝いとはなんのことだろう。

 怪訝な目で近づくと、ふたりの女性はユリアのほうを向き、そして驚愕した。


「ま、まあ……! ユリア・ジークリンデ様ではありませんか! 」


 正式な名前を呼ばれたユリアはビクッとした。民からは〈預言の子〉や暁様などとばかり呼ばれていたことから、ユリアは咄嗟に言葉が出てこなかった。


「このようなところからお帰りになられるなんて──まさか、お忍びですか? なんだか、お顔の色がよろしくないように見えますが……」


「あ……ああ……」


 民の前では、女性らしい柔らかな口調は使わない。その癖は自身の身に深く染みつていたのだとユリアは自覚する。


「ああ、そうだわ。──この度は、ご結婚おめでとうございます」


 結婚──? 私の?


「……何を、言っている……?」


 あり得ない。ヴァルブルクは消滅した。もう、テオはいない──。

 呆けた顔をしながら、ユリアはその言葉をこぼした。


「何って──」


 そんな彼女に、ふたりの女性は呆気にとられている。


「……やはり、お疲れになられているのではありませんか……? もう、お城にお戻りになってください。すぐにお休みになるべきです」


「そうですよ……! 明日は本番なのですから、あとのことは他の人たちに任せて、ユリア・ジークリンデ様は体調を整えましょう! この通りで叫べば、誰かが来てくれると思いますよ! ──憲兵さーん!!」


 ひとりの女性が、人が行き交う道に顔を出して大声を出した。


「い、いや……! やめてくれ──ひとりでいい。気を遣わせて悪かった」


 まだアイオーンたちを見つけられていない。憲兵に連れていかれては探しにくくなる。

 ユリアは、そそくさに路地の奥へと走っていった。

 しばらくの後、通りが騒がしくなった。ユリアの名を呼ぶ声がいくつも聞こえてくる。あのふたりが憲兵に話したのだろう。


(違う……! 民たちは、私に向かって本名を呼ぶことはなかった──!)


 神の神託により生まれてきたユリア・ジークリンデは、民から本名を呼ぶことを意識的に避けられていた。その理由は、民たちは皆、ユリアを神聖な存在とみなしていたからだ。本名を呼んではいけないという決まりなどなかったのだが、呼ばれた記憶がユリアにはなかった。

 だから、街の者たちがユリア・ジークリンデという名を呼ぶことに、彼女は違和感を抱いていた。


(ここは、壊すべき世界──。本物のヴァルブルクではない、ただの幻影にすぎない……! おそらく聖杯が使われているはず。アイオーンたちを探し出すことも大事だが──犯人に捕らえられている可能性も否めない。まずは、犯人を捜すべきか)


 己がすべきことを再確認したユリアは、拳を握りしめ、覚悟を決めた。

 そして、気配と姿を隠し、街の中央にそびえ立つ立派な城を目指した。


(もはや直感でしかないが……犯人は、おそらく城の中にいる。……こんな世界にいるせいか、心臓が──鎮まってくれない……)


 幻影と解っていても、手や足はかすかに震え続けている。身体がふわふわとしているような感覚もある。

 それでも、ユリアはヴァルブルク城へと近づく。立ち向かわなければ、求めるものは手に入らない。逃げても何も変わらない。

 もう逃げないと決めたのだから。


「……」


 そして、城を囲む城壁を抱く大きな門の前に到着した。ここがヴァルブルク城の正門だ。

 そこにユリアが姿を現すと、鎧を身につけた門前の憲兵たち──人間三名と、人の大きさほどの飛竜と鳥の星霊──は驚いた。


「ユ、ユリア・ジークリンデ様ではありませんか……!?」


「我の至らぬ行動により、街を騒がせてしまった──。すまないが、街を警備している者たちに、私が城に戻っていることを伝えてくれないか。それで騒ぎは収まるだろう」


「はっ!」


 二体の星霊は、すぐさまそれぞれの方角へと飛び立っていく。


「……ところで、不審な者たちがいたという情報などは──入ってきていないか?」


 残りの人間の憲兵たちにユリアは問う。


「はい。そのような情報は入ってきておりません」


 この世界には、アイオーンたちはどこにもいないのだろうか。

 ならば、自分だけがここに飛ばされた?

 それとも、自分にだけ幻影術をかけられているのか。


「そうか……。では、門を開けてくれ。城外での用事は終わった」


「かしこまりました」

 

 憲兵たちが帯剣していた剣を抜き取ると、切っ先を地面に突き刺した。剣の先が輝くと、大きな門が音を立てながらゆっくりと開いていく。

 門をくぐると、その先には長い階段がある。ユリアが登ろうと一段だけ乗せると、地面に光の湖が現れ、その瞬間、ユリアの姿が消えた。次に彼女の目に映ったのは、城内の玄関先の風景だった。誰かが転移術をかけてくれたようだ。


「──おかえりなさいませ、ユリア・ジークリンデ様。僭越ながら、階段に刻まれている転移術式を起動させていただきました」


 ヴァルブルク城の使用人の制服を着た男性が一礼して近づく。


「助かった。あの階段をあがっていくのは存外大変だからな」


 ここでも、ユリアは小さな違和感を見つけた。

 かつて、城に入るとかけられる言葉は『おかえりなさいませ』ではなく、『何のご用ですか』だった。

 ユリアは城の隅にある塔に部屋があり、この城は家ではない。城内では、ユリアは〈預言の子〉では王家の者ではないという周知は徹底されていたはずだ。


「特に変わりはないか?」


「はい。明日の結婚式の準備は完了しております」


「……テオドルスは……ここにいるのか?」


「もちろんでございます」


 この幻影の国に、彼がいる。

 一目だけでも見たい──そんな欲望が生まれたが、すぐに消した。


「……差し出がましいことかもしれませんが──明日は、朝からユリア・ジークリンデ様とテオドルス・マクシミリアン様は慌ただしくなることでしょう。なので、今日の残りのお時間は、あの御方とご一緒に時間を過ごされてはいかがでしょうか?」


「──……」


 ユリアの望みを読み取ったかのように、使用人の男性はそんなことを言った。

 だが、テオドルスも幻影だ。結婚式などあり得ない。


「あの御方は、率先して式の準備を進めておられました。なので、ユリア・ジークリンデ様と共に過ごせる時間が増えれば、あの御方も大喜びなさるかと──」


「……なぜ……」


 幻影の存在に、そこまでする必要があるのだ──。


「なぜ、と申されるとは……。相変わらず、未来の旦那様には少し素っ気ない反応をなさいますね」


 すると、使用人の男性はユリアの言葉を違う意味に解釈し、微笑んだ。「まさか、喧嘩でもなさいましたか?」という言葉を添えて。


「──たしかに、あの御方は、風のように自由で子どものように困ったことをなさる方ではありますが、間違いなく貴女様のことを一人の女性として深く愛しておられます。『〈預言の子〉は神の化身だ』という認識が深く根付いている国であったのに、あの御方は臆することなく貴女様との婚約を発表しました。当然、多くの家臣や民衆たちからは猛反発を受けました。〈預言の子〉と大星霊に認められているとはいえ、〈預言の子〉をただの人間として見るなど許されない行為──お前は異端者だと……」


「……やはり……私たちの婚約には、大きな反発があったのか……」


 テオドルスは、そんな素振りは何も見せなかった。ただ嬉しそうに『婚約者になったからよろしく』だの『浮気はしないでくれ』だの、浮ついた言葉ばかり並べていた。きっと、その後に待っている苦労をユリアが心配しないようにするためだろう。彼なりの強がりだったのだ。


「ええ──しかし、あの御方は一歩も引きませんでした。むしろ、笑っておられましたね……。まるで、生まれてこのかた『恐ろしい』という感情など、一度も抱いたことはないというような雰囲気で──。それでも、自分ひとりがよければそれでいいというわけには参りません。その反発を受けて、テオドルス・マクシミリアン国王代理は演説をおこないました。よろしければ、その時の『場面』をご覧になられますか?」


「見れるのか……?」


「はい。魔術による記録が残っております。ご案内いたしましょう」

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