第十三節 白昼夢の赤い糸 ①
木々はなく、植物もほとんど生えていない夜の山道を走るのは大型のオフロード車。
このあたりから、魔力濃度はすでに高くなっている地域だ。魔力を生み出せない普通の人間にとっては死地であり、魔術師であっても薬や防護マスクが必要となる。
なぜこのあたりに植物がほとんど生えないのかというと、生きるために魔力を必要としない植物は、その環境が毒となり育たない。しかし、魔力が必要となる植物にとっては、まだ魔力は薄いほうであるため、そちらもうまく育たないからだ。
「ダグラスさん、ここまでで結構です」
「いいのか? この程度の山道なら、まだ先まで行けそうだぞ。今のところは、魔力濃度もそこまでだからな」
周囲の山と比較すれば、ここはまだ低くてなだらかな山道だ。薬の効果のおかげで、今は誰もがこの魔力濃度でも耐えられる。
「いや。念のため、やめておいたほうがいい。ここにも夜行性の魔物が出る。くわえて、車があっても日が出てきたら安全とは言い難い。魔物でも魔術を使ってくるからな──。だから、ダグラスはここから一番近い村まで戻れ」
アイオーンに理由を告げられたダグラスは「んじゃ、しゃーねーか」と呟き、車を停めた。そして、懐から小さな折りたたみの長方形の機械を取り出し、それをアイオーンに差し出す。
「──これ、持っとけ。ヴァルブルクの魔力濃度観測塔を介して連絡できるようになってる」
「わかった」
そして、ユリアたちは車の外へと出た。極秘部隊に所属するユリアとアイオーンは、その制服を。ラウレンティウスとクレイグは魔道庁の制服。アシュリーとイヴェットは、動きやすい私服でやってきた。
月は雲に隠れている。明かりは車のライトのみであるため、その先に見える景色はどこも非常に暗い。
「魔術で目の機能を向上させて、暗闇の中でも見分けられるようにしましょうか。魔術で明かりを灯していたら、魔物がたくさん寄って来てしまうわ。余計な時間や体力は消費しないように進みましょう」
人間であっても、魔術で夜行性の動物のような目の能力──もっとその技能を高められれば色の識別もでき、昼間の時間と遜色ない見え方が可能となる──を獲得できる。
「ヴァルブルクの街まで俺が案内する。魔物に見つかっても追いつかれないよう、風を使った魔術による移動と身体能力を向上させる魔術を使って動くつもりだ。──それでも問題ないな? アシュリー、イヴェット」
と、アイオーンは彼女たちを見た。
ラウレンティウスとクレイグは、魔道庁の魔術師として戦う必要があるため、それらの訓練はおこなっている。しかし、このふたりは研究員と教員免許取得を目指す学生であるため、戦いとは遠い立場にある。
「細々とした魔術をいくつか同時に使うって技術は、昔から散々練習しとったからな。それに、これでも魔力の研究員やから魔術はお手のモンやで」
「あたしも大丈夫。今でも、魔術の訓練は毎日やってるから」
「──なら、行くぞ。ついてこい」
「念のため、殿は私がするわ。あなたたちは先に行って」
ユリアが五人の背後を守ることを名乗り出ると、アイオーンは地を蹴り上げて強い風が起こると、ほかの四人も風を切りながら駆けていった。少し遅れて、ユリアも風のように野を走る。
春の夜風は気持ちが良い。こんな状況でなければ穏やかに心地良さに浸れるのだが、そう思っていられない。
「──」
しばらくしてから、ユリアは魔物が持つ魔力が少しずつ近づいてくる気配を察知した。その気配には数があるため、おそらく群れだ。様子を見ながら襲うつもりか。きっと、ほかの仲間たちも気づいている。
(魔術を使って、一気に接近して襲うつもりなのね──)
読み通りに、数体の魔物は突如として距離を縮めてきた。狙っているのは誰だろう。もしもアシュリーとイヴェットであれば、ラウレンティウスやクレイグと比べて戦い慣れていないため、助けに入ったほうがいいはずだ。
「──ウチらに襲ってくるとかマゾな魔物やなァ!?」
ユリアが魔物とふたりの間に入ろうとした、その時。いきなりアシュリーが吠えた。
そして、彼女は距離を詰めてきた狼のような魔物に右フックをかまし、魔物を殴り飛ばした。
「……あら」
魔物は空中で身体を回転させながら、やがて地に落ちた。地を駆けているため、倒れて動かない魔物が視界から遠のいていく。そんな魔物を見ながら、ユリアはぽかんとした。
「そんなヒマないのにこっち来ないでよ邪魔だからぁッ!」
次にそう叫んだのはイヴェットだ。そして、彼女も飛びかかってきた魔物の脳天に凄まじい勢いのチョップを喰らわした。
「まあ──」
イヴェットの攻撃を受けた魔物は、地面を凹ませた。それを見たユリアは思わず能天気な声をもらす。
魔物は脳しんとうを起こしたのか立ち上がらない。二頭がすぐに倒されたことで、ユリアたちを追っていた残りの魔物の気配は少しずつ消えていった。
「弱っ。一発で終わったやん」
「あんなんじゃ、すぐに絶滅しちゃいそうな気がする」
「……なんだか、殿とか隊列云々のことは別に要らなさそうね……」
余計な心配であったことにユリアは苦笑し、地を駆ける仲間たちの横に並ぶ。
「──イヴェットとアシュリーは、最近ユリアとの稽古はしていなかっただろう? それなのに動きがまったく鈍ってないな」
と、ラウレンティウス。
「筋トレとか自主練は毎日やってるもん。口先だけの『ダメな先生』にはなりたくないし」
「鍛えてれば魔力生成力も維持できるし、研究機材も楽々運べるし──あと、長く研究できる健康も手に入るやん?」
「……けれど、魔物と対峙するのは今回が初めてでしょう? 怖くはなかったの?」
ユリアがそのことを問うと、
「ユリアとの稽古よりマシや」
「ユリアちゃんと比べたら全然」
と、同時に言った。
「……そう」
思えば、似たようなことをラウレンティウスとクレイグにも言われた気がする。
「──っていうかさ、クレイグ。アンタ、今の身体どないな感じなんよ?」
クレイグは、十五歳までは特異体質──生み出した魔力が血管を巡らず、すぐに体外に出してしまう体質──だった。その体質はユリアとアイオーンの力によって矯正できたが、魔力生成力は平均よりも低いため、魔力の耐性も低い。
「今んとこ問題ねぇよ。みんなより強い薬も飲んでるし。──にしても、なんか異様で気持ち悪ぃな……」
「まぁな……。薬飲んどっても、普通やったらここまで来られへん……。こんなん、今までなかったことや……」
魔孔から噴き出る魔力が濃い旧ヴァルブルク領は、現代人にとっては近づいただけで死が待っている大地だ。その地に足を踏み入れている──魔物のことはそれほど恐怖を感じなくとも、前代未聞の現象が起こったことには、恐ろしさを感じていることだろう。
「アイオーン。ヴァルブルクを今の状況にするなら……どのような方法が思いつく?」
物憂げに駆けるアイオーンに、ラウレンティウスが問いかける。
「……一部の区域だけの魔力濃度を減少させるには、多くの人間か星霊の協力者が必要だろうとは思う。それ以外の方法なら、相応の力を持った物質が欲しい。……聖杯のようなものがな」
「聖杯……。──今のヴァルブルクは、旧ヴァルブルク領の端側の一部から中央部に続くところまでが低くなっていた。……まるで、『現代の魔術師でも行けるように一本道を作ったから、ここから来い』とでも言っているかのように感じたが……」
「誰かを誘き寄せたがっていることは読み取れるな。……誰かが来ることを求めている」
「なんらかの過去を求めているがために……」
「……そろそろ着くぞ。警戒を怠るなよ」
「……わかった」
平原を駆け抜けて丘陵地帯に入ってから、およそ一時間ほどが経った。遠くには尖塔らしき建造物の輪郭がぼんやりと見える。
「──ヴァルブルク城の一部が見えた。このまま街に向かう」
アイオーンが仲間たちに伝えると、ユリアは物憂げな顔を浮かべた。
(……この地に眠るヴァルブルクの民たちは……私を、どう思っているかしら──)
ユリアの胸には恐ろしさがあった。非難、失望、幻滅──もはや誰もいないが、そんな声が飛んできそうな気がした。
それでも、ここに来ることを決めたのは自分自身だ。
一行は、やがて城壁に囲まれた街に到着した。
「すごい……。城壁なのに彫刻や絵がある──豪華なデザインだし、それが今も残ってる……。おもに、神話の神さまを描いてるのかな……?」
この街が生まれたのは約千年前のことだ。それでも、城壁は想像以上にしっかりと残っていた。〈黒きもの〉や不信派との戦いの最中だったとは思えないほどに華美で豪奢だった面影とともに。その面影に、イヴェットは見惚れていた。
「ええ……。戦上手な神や、守りに長けた神とかが描かれているの。ヴァルブルクは共存派のために戦い、守っていた国だから──」
「……なんか別世界って感じやな」
当時のヴァルブルク王国やヒルデブラント王国、あるいはその周辺諸国では、戦争で疲労する人間や星霊たちの慰みや鼓舞する役割として、美術、芸術、音楽といった文化面が華やかだった。
もともと、この地域の人間や星霊は過去の時代では芸術にこだわりを求めていた傾向がある。そのため、民家や城壁だけでなく、監視塔であろうとも流麗な彫刻やステンドグラスで彩られた建築物が軒を連ねている。
現代では、この時代よりも華美さはない。
ヴァルブルクの時代と比較すると質素であり、色味も慎ましやかで上品な様式の建物が多い。それは、ヴァルブルクから少し経ったあとの時代の社会的背景によって、質素な暮らしを重んじるように変化していったからだ。
なので、イヴェットやアシュリーにとっては幻想的な世界のように見えるのだろう。




