第十二節 道しるべと凶星 ③
「……いろいろあった──。それでも……悪い人生ではないと思いたい。こんな私でも、『生きろ』と言ってくれる人たちがいるんだもの」
ユリアは、はっきりと言った。彼女の声や表情に、嘘はない。
「……お前は、絶対に弱い人間じゃない。強い人間だ」
アイオーンはそう感じたようだが、ユリアは納得のいっていない顔で星を見上げる。
「どうかしら──それでも、今よりもっと強くなりたいと思う……。だって……今でも、涙が出てしまうから──」
ユリアの声が少しだけ感情的になると、目を細めて涙を浮かべた。
アイオーンは、そんなユリアの隣に立ち、彼女の頭をぐりぐりと撫ではじめる。子ども扱いされていると認識したユリアは、複雑な表情を浮かべながら口角を上げ、浮かんでいた涙を拭う。
「……これから、どのように生きていきたいのかと聞かれると……まだ、はっきりとはわからない……。けれど……ヴァルブルクの戦士たちのような人間になりたいとは思うわ」
死と隣り合わせであっても、後ろにいる者たちのために恐怖を飲み込んで戦い抜く。ユリアは、今もその精神を美しいと思っていった。手に届かない『星』のように。だから、目指したい気持ちがあった。
「やはり、お前は『輝く精神を持った人間』だな。俺はそう思う」
「……そうかしら。よくわからないわ……」
「俺は、その『光』に救われた。だから俺は、ユリアがユリアで良かったと思っている」
「ありがとう。私は……これでいいのね……」
ユリアは目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。
『ユリアがユリアで良かった』──ラウレンティウスからも同じようなことを言われた。
私は、私のままでいいのだ。受け入れて、許してくれる人たちがいる。
(──……あ……)
ユリアは、ふと気がつく。
ぐちゃぐちゃだった心が、少しずつまとまっていくような気がした。過去を話し、自身の気持ちを再確認し、それでもいいと認めることができたからだろうか。
「……私は、アイオーンがいなければここにはいなかった。──いつも傍にいてくれて、ありがとう。……それから、あの時、ヴァルブルクの人たちに怒ってくれてありがとう」
ユリアは、己の存在理由を幼い頃から受け入れていた。とはいえ、はじめは諦念していたからそこの受け入れだった。しかし、そんな未熟な己を認めて受け入れてくれたテオドルスが傍にいて、世界の現状を理解できたことで、『そうありたい』という想いが変化した。
〈預言の子〉、暁を導く者、暁様、神の化身──平和な未来を望み、期待する者たちが付けた本名ではない呼び名を受け入れた。
それでも、『行き場のない怒り』は完全には消えなかった。ただの普通の人間としての『自由』を奪われた怒り。生まれる前から運命を定められ、選択肢を選ぶ『自由』のない未来──自らの人生をそのようにした、預言そのものに。だから、〈預言の子〉という名前だけはどうしても好きになれなかった。
それらの想いは、ずっと封じていた。だが、あの時にアイオーンが怒ってくれたことで救われた気がした。
「……あの行動は、お前の本性をヴァルブルクの者達に晒したようなものだと思うんだがな──今の俺にとっては、言うべき言葉ではなかったと思っている……。稚拙な感情を、身勝手に振りかざしてしまった……」
そのことに礼を言われるとは想定していなかったようで、アイオーンは困ったように笑っている。
「それでも嬉しかった──ありがとう」
あの怒りは、このヒトはずっと味方でいてくれるのだという安心感があった。そして、己の苦しさを肯定し、同情してくれた。〈預言の子〉という存在ではなく、ユリア・ジークリンデという『人間』であることを望んでくれていた証でもある。
「……そうか──」
良かった、とアイオーンが言った、その時。ユリアの携帯端末が着信音を鳴らした。
「っ──電話……?」
「誰からだ?」
「……『ダグラスさん』──」
ディスプレイに表示された名前を呟くと、ユリアはアイオーンの顔を見、すぐさま電話を繋いだ。
「はい。ユリ──」
『姫さんッ! 聖杯が……!』
ユリアが言葉を言い切る前に、ダグラスの焦る声が聞こえた。
こんな時に『聖杯』という単語が、話に出てくるということは──。
「聖杯に何かがあったのですか!?」
『研究所の保管室から無くなってやがる! 奪われた!!』
「奪われ、た……!?」
ユリアとアイオーンは目を見張る。
セオドアのことを知る前日に、ユリアは古代遺物である聖杯を発掘現場から運び出す任務を受けていた。
黄金に輝く大きな杯──聖杯は、現代ではありえないほどの魔力量を保有していた。濃い魔力を大気中から吸うことや、肌に触れることは、現代人に悪影響を及ぼす。このことから、安全を考慮して、魔力の知識や魔術に長ける極秘部隊に所属する魔術師に、その運搬作業を任せる運びとなった。その任務にユリアが選ばれたのだ。
運び出された後は、アシュリーが勤務している研究所の地下の保管室──厳重な設備が施された金庫のような一室──の中に入れられた。その保管室のセキュリティの高さは、聖杯をそこの中へと運んだユリアも知っている。
それが、奪われた。
古い時代に生まれたユリアでさえ、聖杯が保有する魔力に畏怖を感じている。魔術師であっても、それに現代人が近づくことは、猛毒を受けることと同等の意味合いである。
「──今から研究所へ向かいます! 少し待っていてください!」
そう言い、ユリアは電話を切った。
「聖杯を盗んだ人物は、おそらく──」
「セオドアだろうな……」
考えられることは、それしかない。
「行きましょう、アイオーン。ほかのみんなも一緒にね」
「ああ。あいつらにも教えて連れていかないと、恨まれそうだからな」
◇◇◇
数十分後。ユリアたちは国立魔力研究所に急行した。定時を過ぎていることから所内にいる人は少なかったが、その場にいた者たちは混乱と恐怖に陥っていた。
「あっ──ねえ、アシュリー! 話聞いた!?」
アシュリーの同僚らしき女性が、彼女の姿を見つけて話しかけにきた。
「聞いた! せやから、極秘部隊と魔道庁の人間連れてきたんや! 総長って、今、保管室んとこにおるんやんな!?」
「そう! 極秘部隊の女の子も一緒だったわ!」
(女の子?)
ユリアは不思議に思いながらも、保管室へと走っていったアシュリーの後を追う。
やがて、地下二階までやってくると、ある一室の扉が開いたところにダグラスとリュシエンヌが話し合っていた。
「リュシエンヌ……!」
「……こんばんは」
まだ、だみ声だ。顔全体を包帯で巻いているため、顔色が悪いことも、どんな表情をしているのかもわかりにくい。
「あなた、どうして……。体調はまだ──」
「もう大丈夫。極秘部隊に入るような魔術師だから、すぐに治る。だから、任務を受けて、その都合で研究所に来ていた。──だけど、ここの職員のひとりが、原因不明の体調不調を訴えていて……その人の話を聞いていたら嫌な予感がしたから、聖杯の安否を確認した。そうしたら……その時には、すでに聖杯がなかった」
「不調を訴えていた人がいたから、聖杯の安否確認をしたの……?」
話の繋がりが判らず、ユリアは眉を顰める。
「魔術で精神を操られていた人は、しばらく頭が朦朧とする、立ちくらみ、倦怠感などの体調不良に陥るという魔道庁の報告書を見たことがあったから──その特徴がその人にあった。偶然、それを思い出しただけ。それから、聖杯がないことを確認したからロイ総長に連絡を入れた」
「謎の体調不良に陥ってたのは、研究所の所長さんなんだ。でも、魔力がめちゃくちゃある聖杯を持てるような人じゃねえ……。それに、どこの防犯カメラにも不審者はいなかったしよ……」
ダグラスが訝しげに呟くと、リュシエンヌは手を小さく挙げた。
「申し訳ないけど、皆さん。今から、『ここの所長さんは何者かに操られていた』という前提で、自分に話をさせてほしい。──ロイ総長、いいですか?」
「お、おう──」
「……いや、待て。その仮説を話す前に教えてほしいことがある。ここの所長が、何者かに精神を操られていたという説に、お前が妙に自信がある理由だ。まさか、体調不良の症例が一致したからというだけで決めつけたのか──? 俺も、魔術はそれなりに得意でな。そのあたりの説明を端折られると信じていいものかと思ってしまうんだ」
ダグラスが戸惑いながらも了承した瞬間、アイオーンが遮る。どこか威圧感ある物言いでそう言い放った。外見の美しさも相まって、初対面では人によっては尻込みしてしまいそうな雰囲気を醸し出しているが、リュシエンヌは怯えることなく説明を始めた。
「体調不良以外にも、所長さんには一時的な記憶障害があった。今日の夕方、所長さんは休憩室で夜勤に備えて仮眠をとっていたらしい。でも、その時間帯には、廊下で所長と出会って少しだけ世間話をしていたという職員さんたちがいた。……所長さんは、そのことを思い出せないらしいけど」
「なるほど……それは妙だな。──では、お前の仮説を教えてくれ。犯人はどのように所長を操り、聖杯を奪ったと思っている?」
「操られていた所長さんがしたことは、聖杯がある保管庫までの道に存在する、防犯カメラが設置されている場所の確認。そのカメラが映している景色の確認。そして、それらの防犯カメラのレンズの前に術式を施すことだと思う。操っていた人物が、所長さんの魔力を借りて魔術をすることが可能だとすれば、防犯カメラは欺けるだろうから」
「たとえば、どんな術式だ?」
アイオーンにとっては初対面の少女だというのに、なんだかやけにつっかかっている──そういった印象をユリアは抱いていた。普段のアイオーンなら、年下の子ども相手なら怖がらせないように気遣って接するはずだ。それに、術式やこの事件に対する疑問ではなく、幼いながらも魔術に詳しい少女自身に疑念を向けているように見えるとユリアは感じた。
「携帯端末の動画機能で、その実証が可能だと思う。──ベイツ先生。携帯端末の動画を起動してほしいんだけど、いいかな?」
「う、うん」
頼まれたとおりにイヴェットが自身の携帯端末を取り出し、動画機能をつけた。リュシエンヌは、カメラのレンズから映し出されたディスプレイの映像を全員が見えるように、イヴェットの立ち位置や端末の持ち方を変えるよう指示していく。
「──それじゃ、自分はこれから、端末のレンズの前に『特定の風景を固定した魔術のスクリーン』を作るから。大雑把に言うと、『大きな写真』を魔術で作るということになる」
イヴェットが構えるカメラの前に、リュシエンヌは魔術を施した。大気中に漂う微々たる魔力がかすかに動いている。




