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第十二節 道しるべと凶星 ②

──それじゃあ、そろそろヴァルブルクに向かおっか? 感動の再会(・・・・・)、早く見てみたいんだ。


「……何のことを言っている?」


──少なくとも、きみには乗り越えなくちゃいけない試練(・・)があるんだよ。


「試練だと……?」


 その言葉を認識した瞬間、ユリアの脳裏にあることがよぎった。

 それは、少し前に自身が抱いた『ありえない憶測』。心臓が強く鼓動したが、すぐに鎮めた。


──くすっ……。気になるんだったらさ……早くヴァルブルクに行ってみて?


 その言葉を最後に、『声なき意思』は干渉してこなくなった。


「……消えた……」


 前回のように、負の感情を指摘して反応を楽しむことはなく、代わりに意味がわからない言葉を残して消えていった。


「なんと言っていた?」


 アイオーンが再び問う。


「ヴァルブルクに行けと──試練があるとも言っていたわ……」


「試練……?」


「……感動の再会を、早く見てみたいとも言っていた……」


 ヴァルブルクはユリアの故郷だが、『再会』というよりは『帰還』という言葉のほうが正しい。まるで、そこで誰かに会うような言葉だが──。


(……──っ)


 その刹那、ユリアは今までのことを思い返し、背筋を凍らせる。

 違うと思いたい。

 こんなこと、ただの妄想だ。

 ──なにであれ、私は前に進むことを決めた。


「……私……ヴァルブルクに行くわ」


 ユリアが決意を伝えると、誰も反対の意は示さなかった。


「……今は、夜だ。今日は、食事を摂って休んだほうがいい。──疲れただろう?」


「……ええ……」



◇◇◇



 あと数時間ほどすれば、眠る時間がやってくる。そんな時刻に、ユリアは屋敷の屋根に登って星を見ていた。


「──」


 ユリアは、昔語りをした時間のことを思い返す。

 四人の反応には、拒絶や幻滅といった感情はなかった。そのことに、ユリアはひとまず安堵した。さすがに驚きや戸惑いは見られたが、まさか全員が『まだ負けていない』という言葉をくれるとは思いもしていなかった。

 あれは、己にはない『強さ』だとユリアは感じた。


(英雄だとか、神の化身だとか──仰々しい呼び方ばかりされていたから……私は、無意識に『立派な行動』をしなければいけないと思い込んでいたかもしれない──。まず意識することは、『立派ではない本当の自分』を許すことなのかしら……)


 そんなことを考えていると、誰かが近づいてくる。この魔力の気配は、イヴェットだ。


「……ユリアちゃん──」


「イヴェット……? どうしたの?」


「うん……ちょっとだけ、いいかな?」


「ええ、いいわよ」


 ユリアが言うと、イヴェットは彼女の隣に立った。イヴェットの顔には、少しだけ落ち込んだような雰囲気があった。


「……ユリアちゃんの本音を聞いてたら、なんとなくあたしも──自分の本音を、誰かに知ってほしいなぁって思ってね……」


 そして、彼女は言う。意外な言葉にユリアは目を丸くする。


「……どんな本音?」


「あたしね……実は……ラルス兄と、アシュ姉と、イグ兄が……コンプレックス──というか……『コンプレックス』って言葉は言い過ぎかな……。あたしも、ユリアちゃんと一緒で、三人と自分を比較してしまって……なんだか複雑な感情になるときがあるって意味──。そんな感情があるんだ……」


「そう、だったの?」


 四人はいとこ関係であり、それぞれの好みは違うことにくわえて、必要以上に踏み込まない性質であることから、他人から見れば淡白な関係に見えるかもしれない。それでも仲は良く、顔を合わせば雑談が弾む。喧嘩など見たことがない。だから、イヴェットの言葉にユリアは少し驚いた。


「うん……。だから、ユリアちゃんの話を聞いて、なんだかちょっとシンパシーを感じたというか……親近感? みたいなのを感じたんだ」


 それから、彼女は本音を吐露していく。


「いとこの三人はすごく苦労して、悔しさとか苦しい思いをしているのに……あたしは、そんなみんなに守られてばっかりで……。それに立ち向かう勇気がなかったからなんだけど……ユリアちゃんの過去を聞いてから、自分の感情を整理していったら……守られてばかりなのもイヤだなって思って……」


「……? アシュリーは……魔術師社会とは関わっていない、わよね……?」


 アシュリーは、確かに魔術師社会を嫌ってはいるが、彼女はそれとは無縁の研究職に就いている。


「アシュ姉は、研究第一でマイペースに見えるけど──あれでもイグ兄を差別した大人を殴ったことがあるんだよ。しかも、まだ十代前半か半ばの頃にね。……そのせいで、アシュ姉は魔術師が通う学校に居づらくなって、アシュ姉はお父さんとお母さんと一緒に、一時期はヒルデブラントの西部に住んでたんだよ。もちろん、魔力研究学を学ぶためっていう意味合いもあったけどね」


「えっ……!? アシュリーが西部にいた理由って、そういったこともあったの……?」


「そう──。あたしは……誰かと対立するのが怖かったから……こんな自分は情けないって思ってたけど、みんなが守ってくれることに甘えてたんだ……」


 だから、彼女は、コンプレックスに近い感情を年上のいとこたちに抱いていたようだ。


「……そういったことに立ち向かうのは、難しいわよね……。それでも、誰も情けないとは思っていないと思うわ。私なら、家族はできるかぎり苦労することなく、綺麗な世の中で生きてほしいと思うもの」


「それ、ラルス兄とイグ兄とアシュ姉にも言われたよ……。『イヴェットは綺麗なとこで生きろ。こっちに来ようとするな』って──。あたしが選んだ夢は、魔術師社会とは離れたところにあるものだったけど、三人はそれぞれの立場で魔術師社会に立ち向かってる。なのに、あたしは『ことなかれ主義』っていうのか……三人が強すぎて、立ち向かうことを選べない自分が情けなく感じて、イヤだったんだ……。三人のことは尊敬してるし、大好きなのに──」


「よくわかるわ、あなたの気持ち。──それじゃ、いつかすごく勇気が出てきたときに、それと向き合ってみるのはどうかしら? そういう気持ちは、けっこうたくさんのエネルギーが必要になると思うから」


「……うん。そうしてみようかな──。ありがとう」


 そして、イヴェットは両腕を夜空に伸ばした。少しだけすっきりとした顔をしている。


「さて、と──湿っぽい話は、これでおしまい。先生になるためにも、いろいろなことを経験して、魔術のことも知っていかなきゃ。それこそ、魔術師社会のこともね。だから、ユリアちゃんには、これからもいろいろと教えほしいな」


「ええ。もちろんよ」


「明日、あたしたちはヴァルブルクには行けないけど……気をつけてね。おやすみ」


「ありがとう。おやすみなさい」


 過去を言わなければ、彼女が秘めていた一面を知ることはなかっただろう。

 イヴェットが自室に戻っていくと、ひとりになったユリアはまた夜空を見上げた。

 雲がひとつもないため、星がよく見える。


(──……テオが教えてくれた星座が、いくつもある)


 それを教えてくれたときも、このような温かな春の夜だった。星座は、季節によって見えるものが違う。なので、今見える星たちはあの頃とほぼ変わらない。

 静かな時間のなかで、ユリアは彼から教えてもらった星座をひとつひとつ目線でなぞっていく。


(今でも、覚えている──)


 彼は、死を身近に感じる戦いが好きだと言っていた。強者を見つけると心が高ぶり、抑えが効かなくなるのだと。だから、その欲を満たせる可能性を見出したがために、〈預言の子〉であるユリアの側近になることを決めたのだとも言っていた。それだけを聞くと、なんとも物騒で近寄りたくない人物だと思うだろう。彼自身は、そんな厄介な一面があることを自覚していながらも、その欲に勝てたことは少ないと言っていた。それゆえ、彼は自身のことを『飢えた獣』だと称していた。

 そんな一面を持ちながらも、彼は物知りで多趣味だった。明るくて爽やかで、風のように自由で、敵には一切容赦しないが、家族と友はとても大切にする人だった。

 『義』と『獣』。それぞれの一面を持つ、不思議な魅力を持った人だった。

 こうして夜空を見上げていたら、後ろから彼が来てくれるような気がした。


「……星を見ているのか、ユリア」


「あ──アイオーン……。どうしてここに?」


 ユリアが気づかないうちに、アイオーンが後ろにいた。


「イヴェットから、お前がここにいると聞いてな。だから、俺も、少し風に当たろうかと思ってここに来た──。テオドルスのことを思い出すと、まだ感傷的になってしまう……」


「……そう言うわりには、昔話を話しているときのあなたはとても冷静だったわね。感情を隠すのが上手というか」


「そうして己を律しておかないと、さまざまな感情に囚われるんだ。これでもな……。──少しは落ち着いたか?」


「ええ……。何も知らないみんなに言えたことで、少しすっきりしたわ。……だから、あなたも抱えていることがあったら話してね。ときには甘えることも必要だと思うわ」


 ユリアが言うと、アイオーンは「フッ」と小さく笑い、優しい声色で言い返す。


「お前に言われてもな」


「私は、これからは気をつけるわよ。……変わるためにもね」


「──ひとつ、聞かせてほしいことがある」


「? どうぞ」


「……ユリアは……今の己の人生を、どう思っている……?」


 当時、ユリアが生きていた理由は、テオドルスの遺言とアイオーンの望みである『生きろ』という言葉をもらったからだ。今でこそ明るい雰囲気をまとう女性になっているとはいえ、かつての時代では、望んでいたものは何も手に入らなかった。そのことから、内心ではどう感じているのか──アイオーンは問う。

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