第十二節 道しるべと凶星 ①
「……そして、私たちは眠りについた後、伯父上は『ユリア・ジークリンデは死亡した』と発表したの。伯父上は、私の葬儀を盛大に執り行い、その時に集まった賓客や民衆たちに、禁忌である記憶操作の魔術をかけたらしいわ──その時に、人々の記憶にあった〈預言の子〉という言葉を消したの。そのことは、ヒルデブラント王家に伝わる伯父上の手記に書かれていると、カサンドラ様はおっしゃっていたわ」
ユリアは、無表情で涙を流し続けながら言葉を紡いでいた。
誰もが「もうやめていい」と思うなか、彼女は己の決意を曲げぬために、家族と思う人たちにすべてを伝えるために、進み続ける。
「さらに伯父上は、私たちとの約束を守るために、多くの創作を交えた私の記録を世に広めたわ。そんな事実など露とも知らない後世の人々は、伯父上が書いた本を『英雄』のことが詳細に書かれている数少ない資料だと認め、ユリア・ジークリンデの人生はこういうものだったと決定づけるものとなった──」
それが、今の英雄ユリア・ジークリンデの歴史。
「……生きていてほしかった三人を、手にかけなければならなくなって……そのうえ、『生きて、すべきことを成し遂げたい』という願いすら捨てなければならなかったから……正直なところ──自分の人生に絶望したわ……。アイオーンとテオの言葉がなければ、生きる意味を見つけられなかった……」
深く息をつき、ひと通りの真実を語り終えたユリアはそう呟いた。
〈預言の子〉という立場は、ユリアにとっては己の存在意義であった。
しかし、両親とテオドルスを自ら手にかけたことは、自己のアイデンティティが崩壊した瞬間だった。〈預言の子〉や英雄という肩書きが空虚なものに感じ、悲劇から立ち直ることができなかったことから、存在意義でもあった使命をアイオーンに託してしまった。
そのことで、ユリアには深い自己否定感が生まれた。『使命すら果たせなかった自分には、もはや価値などない』──しかし、テオドルスの最期の言葉やアイオーンの願いもあって、彼女は生きることを選んだ。それでも、今でも『彷徨い続けている』。
生きろと望まれている。でも、己の使命をアイオーンに託してしまった自分は、存在している意味などあるのか。これから、何をしながら生きていけばいいのか。
明確な答えは、今でも見つけられていない。せめてもの罪滅ぼしとして、ユリアは極秘部隊に所属し、名も知らぬ大勢の人々のために働きはじめたのだった。
「感情があると心が疲れる──。だから……いろいろなものを簡単に手放せる人や、狂った感性を持つ人が……羨ましいと思っていた時期もあったわ……。その精神性を理解することは難しいけど……そうなれたほうが、いっそのこと楽だったかもしれないから……羨ましかった──」
何かを放り投げるか、あるいは狂うことができていれば、こんな苦しみはなかった──過去の記憶を語ったことで、暗い感情に囚われていたユリアは、息を吸うようにそのことを話していた。ラウレンティウスたちは言葉を失っており、アイオーンは静かにユリアの感情を受け止めていた。
それから、「……そんな想いを抱えながら……私は、あなたたちと出逢った──」と話を続ける。
「この十年間は楽しかったわ。こんな本音を聞いた後だと、その言葉は嘘じゃないか思うかもしれないけれど……本当に楽しかったのよ……。だって、知りたかったことをたくさん知ることができて、私を『ただのユリア・ジークリンデ』として普通に接してくれたから……。……十年が経ち、『あの日』の悲しみも、少しずつ薄れていった……」
と、ユリアは笑みを浮かべながら、ゆっくりと目線を天井のほうに向けていく。
「──いつの間にか、あなたたちは子どもから大人になって……現実を見据えながら、見つけた夢を目指すようになっていた。あなたたちの夢を追う姿や、何かのために働いている姿を見ていると……私の中に、『このままではいけない』という漠然とした気持ちが生まれたの……。この感情が生まれる理由は、ほかにもあるけれど……一番初めに抱いた『このままではいけない』という感情は──」
そこで彼女の口が止まった。なにかを言い淀むように口を少しだけ開くも、すぐに閉じ、やがて自身に呆れたように息をついた。
「……初めて抱いたときの、この感情は……嫉妬から来るものだった……」
「……嫉妬……?」
イヴェットが問うと、ユリアは己を嘲笑した。
「比較を、していたのよ……。みんなは自分の意思で夢を見つけて働いているのに、私は『役に立たないといけない』という焦りや不安といった負の感情に囚われて、働いている──そうしないと許されない気がするから……。私は、もう〈預言の子〉という立場ではないけど……私は、『自由』になる資格などないと感じて……ずっと彷徨ってしまう……。役に立てなければ、ここにいることが許されない気持ちになるから……」
自分の意思で、未来を決めていけるみんなが羨ましかった。
生き苦しい社会や差別があっても、『自由』でいられて、前に進める強さがあって、目指したい夢を見つけられる。だから、四人が羨ましくて嫉妬してしまう。
ユリアは思う──これが、廃墟の遊園地へと向かう前日に抱いていた『焦り』と『苛立ち』の正体だ。
これが、嫉妬という感情。今まではっきりとは知らなかった。現代にやってきて、ようやく理解できた感情だ。
「それに……あなたたちは、両親から愛をもらえて──」
そのまま無意識にこぼれ出ていた言葉を、ユリアは急いで止めた。
自分の両親は王と王妃という立場だった。一般市民ではない。
わかっている。比較することではない。だから、これを言うのは筋違いだ。
「……私は、強くなりたい……。せめて、道しるべとなる『星』のようなものだけでも……見つけたい……」
これから行くべき『道』は、どこにあるのだろう。
どのように生きていけばいいのだろう。
「……自分の『道』すらも判らない私だから……〈黒きもの〉に負けたのでしょうね……」
その後、ユリアはなた自分を嘲笑した。
静かな時間が流れる。返答に困る話をつらつらと話してしまったとユリアは思った。もう、この話はやめよう。誰も良い気持ちはしないのだから──。
「……まだ、負けてなんかいない」
ラウレンティウスの声が聞こえた。
ユリアはぽかんとした顔で彼を見る。その時の彼は、まっすぐユリアに目を向けていた。
「あたしもそう思う……。ユリアちゃんは、まだ負けてないよ」
イヴェットも否定する。
「……負けたから、ここにいるのよ」
傀儡術を跳ね返せる心の力があれば、おそらくこの時代には来ていない。〈黒きもの〉がいなくなるまで戦えていたはずだ。その意味を込めて、ユリアはもう一度その言葉を紡ぐ。
「違う。負けてない」
「ちゃう、負けてへん」
しかし、クレイグとアシュリーの姉弟が同時に否定した。
「負けていないから──『ユリア』は、ここにいるんだ」
ラウレンティウスが言う。
どうして、そんなにも否定するのだろう。こころなしか、四人はムキになっているように見える。
すると、アイオーンが口を開いた。
「……このままではいけないと、自分では思っているんだろう──?」
「──」
彼らの言葉の真意は──。
ユリアの目に少しずつ力が入る。
(みんなが言いたいことは……『立ち上がること』……? だから、あなたたちは前に進めるの──?)
淀んだ感情があってもいい。転んでもいい。今はともかく、まだやれるのだと思っているのなら立ち上がれ──そう言っている意思を感じる。
負けず嫌いなのだ。負けることを受け入れたくない。だからこそ、まずは立ち上がる。それができるから『強い』と感じるのだろう。
「……私は──」
今の自分は、『あの日』と比べれば、立ち上がる力はあると思う。
だからこそ、過去を伝えることができた。自分が抱えるものはこのままでいいのかと、ささやかでも思うことができた。
「私は……──まだ……戦える……」
では、何を目指して戦い続けるのか。
今は、セオドアを捕まえること。そのあとのことは、わからない。だが、これからも極秘部隊として任務を遂行し続けるだろう。争いの種火を摘み取り、できるかぎり平和が長く続いてほしいと思うから。
きっと今は、この意思があるだけで十分だ。
「だって……悔しいもの……。私だって……テオやヴァルブルクのみんなのようになりたかった──。私も、あなたたちのようになりたい……! こんな感情を抱えたまま生きるのは……苦しい──!」
変わりたい。現状に流されるだけでは、この苦しみは続くだけ。
変わろうと思って変われるものなのか──でも、立ち上がって探していかなければ、何も変わらない。
やってみて見つけられなかったことと、何もやらずに見つけられずにいることは、全然違うはずだ。
テオドルスやアイオーンは、『生きろ』と言った。だが、ふたりの言葉がなくとも生きたいと思えるようになっていた。
きっと、この十年間があったから、このことを言えるようになった。
そして、この嫉妬心や悔しさがあるから立ち上がれた。良くない感情でも、それが力となった。みっともない立ち上がり方であっても、また立ち上がれただけで──。
──偉い偉い。やっと前に進めたね。
「ッ──!?」
その瞬間、ユリアの顔が強張った。
脳が、突如としてその意思が表れたことを理解した。まるで耳から入ってきた声に驚くように。
「どうした、ユリア──」
彼女の異変にアイオーンが問う。
「声なき、意思が……」
「!」
アイオーンは目を見開く。
『声なき意思』は、そのまま意思をユリアの頭に刻む。




