第十一節 夢の終わり ④
「──ここは……」
ある日、アイオーンから対面してほしい人物がいると言われ、目覚めた。
そして、ユリアは、久しぶりに自らの身体を動かした。
まず理解したことは、座っていること。場所は、ヴァルブルク城以上に豪勢な調度品がある室内であること。そして、中年の男性が机を挟んで前に座っていること──。
「あなたは……誰ですか……?」
「……わたしは、当代のヒルデブラントの王ハインリヒ・バシリウスだ。──初めて会ったな、ユリア・ジークリンデ。わたしは、そなたの母の兄にあたる人間だ」
「──伯父、上……?」
母の兄である人は、どことなく母に似ていたとユリアは思い返す。
ユリアがぼんやりと伯父を見ていると、アイオーンが心に語りかけてきた。
──テオドルスは、ハインリヒ・バシリウスとお前に手紙を残していたらしい。……活動が続いていきそうな魔孔を探しているときに、ハインリヒの使者と名乗る星霊と出会ったんだ。
「……テオが、私に手紙を……?」
ユリアがそう呟くと、ハインリヒは机上に手紙を二通出した。
「……ヴァルブルク城にある、あいつの居室を整頓していた者が、その手紙を見つけたようだ」
ユリアは、まず一通の手紙を開ける。達筆な文字で書かれている。伯父宛のものだった。
そこにあった内容は、ユリア・ジークリンデを『自由』にすること。彼女の苦しみを理解し、受け入れることなど──〈黒きもの〉を殲滅させた後の、ユリアのための手紙だった。
そして、最後には父と母の直筆のサインがある。
「父上と、母上の文字……」
両親の文字を、ユリアはこの時に初めて見た。
残りの手紙を開く。すると、一目で私信だとわかった。
一枚目の手紙と違って、明らかに丁寧に書くつもりがない彼の素の文字だったからだ。紙の上半分はユリア宛の文章、下半分はアイオーン宛の文章となっていた。ふたり宛の手紙は、紙が文字で埋まって黒くなるほどに文字数が多かった。
『きっと不機嫌になっている我が婚約者ユリアへ──。手紙の返事が遅れてしまってごめん。最近は、会話どころか顔すら見せられなくてごめん。未来の旦那は甲斐性なしだと、きっと君は怒っていることだろう。これでも、君からもらった手紙は一枚も捨てずに保管しているし、今でもたまに読み返している。オレの癒しでもあるからね。でも、今のところ未来の旦那は甲斐性なしだからってアイオーンに浮気しないでくれよ? これでも申し訳ないと思っているんだ。だから、君が気に入っているお菓子を持ってきた。これで機嫌を直して、また会えた時に可愛い笑顔を見せてほしい。君に愛されしテオドルスより──。次の文章からは、アイオーンに宛てたものだから、あいつに渡してほしいな。別に読んでもいいけど、本当なら読んでほしくないかな……。すごくかっこ悪いこと書く予定だから。あ、もしかしてアイオーンが先に読んでる? ともかく、次は、我が心の友兼ユリアの浮気相手にならないか非常に心配で腹立つほど羨ましくらいに美形なアイオーンへ──。たぶん、アイオーンにとったら、なんで俺はそんなにも警戒されてるんだって思っていることだろうね。でも、ユリアはきっとアイオーンの顔が好みなんだと思うよ。だって、君がいないところで綺麗な人だって言ってたし、見つめられるとなんだか照れるとか言っていたし! それが悔しい! 羨ましい! いいなぁ! オレだって凄いとかかっこいいとかユリアに言われたい! だから今度、武術の勝負をしよう! もちろん、大星霊アイオーンと勝負したってオレが負けるのはわかってるさ。負け戦だと解っていても、この世には挑まないと気が済まない勝負があるんだ。だから、挑ま紙足りない』
手紙のはずなのに、あの人が直接話しているかのような文章だった。手紙を読み終えたユリアは久しぶりに心から微笑んだ。
「……バカね。せっかく丁寧に書くことができるのだから、そう書けばもう少し長い文章は書けたはずよ。テオは、意識しなければ字が大きくなって雑になるのだから……。自分で『愛されし』って……本当にバカな人……。会えないのは仕方ないって、わかってるわよ……。お菓子でご機嫌取りなんて、昔から変なことろで子ども扱いするわよね……」
最後の『紙足りない』の文字は、狙って書いたわけではなく素で書いたのだろう。だが、それ以外の手紙の内容は大げさだ。気障で軽い文章を書いて、白けた笑いを誘うようにしている。その理由は、心配するなという意味合いだろう。
おそらく、菓子が入った箱とこの手紙を置いた後に集合の合図である弓を放ち、すぐに執務へと戻るつもりだったのだろう。それが出来ずに、『あの日』を迎えた──。
ユリアは、手紙のうえに涙を落とした。これ以上涙で濡らさないよう、ユリアは机に手紙を置いた。
「──このまま……行く宛もなく旅をするつもりなのか……?」
伯父が静かに問う。
「……」
ユリアは俯いたまま涙を流しつづける。
どこに行けばいいのか、わからなかった。
ただ、『あの日』の悲劇を思い出したくない。誰もが私を忘れてほしい──そんな場所に行きたいという欲望に満たされていた。
──……未来へ、行かないか?
突如、アイオーンがその意思を伝えてきた。
「……み、らい……」
──世界中の者たちの記憶は消せない。だが、この時代で、お前がここにいた証になるものを消しておけば、いずれお前の歴史には創作や脚色が入り、何が真実かなどの判別がつかなくなるはずだ。お前に似た異なる存在が、歴史に残るだろう。
「……」
──それに……俺も、遠い未来へ行きたい。未来に行けと、心のうちにある何かが急かす……。
「……未来に、行きたいです……。この時代のことが……何が事実なのかが判らなくなるほど……遠くに……」
突拍子もない言葉だった。それでも、ハインリヒは驚く様子もなく、静かに聞いていた。
「……アイオーン殿から聞いておる……。お前は、きっと歴史に残されることを嫌うはずだと──だから、お前がここにいた証を消してほしいとな……」
「消してください……。私には……名誉も称賛も……何もいりません……」
「……それでも、わたしは……ほんの少しだけ事実を遺したいと思っている。せめて、お前の真の名と、大まかな歴史だけは遺させてくれ──ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルクよ」
ヒルデブラント王家の後継者が、その名前を呼んだ。それは、ユリアがヒルデブラント王家の一族だと認められたことでもある。
「──望み通りに、お前が生きた証はすべて抹消しよう。だが、すべて消すのは困難だ。誰かがお前のことを何かのかたちで残し、後世に伝わるだろう……。それでも、何が真実かは判らぬようにする。……どのような歴史になっても、お前はヴァルブルク辺境伯家の当主シルウェステル・ヴィーラントと、我が妹カタリナ・ゲルトルーデの娘だ──その事実だけは残したい」
「……そう……ありたかったです……」
血の繋がりはあっても、『家族』にはなれなかった──。
そして、ユリアは口を閉ざす。
「……何もかも遅すぎるが──赤子だったお前に、多大な重荷を背負わせてしまい……すまなかった……。そして、深く感謝している」
「本当に偉大なのは、私以外のすべての戦士たちと、国を支えてきたすべての者たちです……。その感謝は私ではなく、みんなに向けてください──」
伯父の謝罪と感謝は、ユリアの心になにも響かなかった。この頃の自分は、心が空っぽの人間だったとユリアは語る。
心の支えだったのは、両親とテオドルス、そして、アイオーンだけ。ユリアの世界は、あまりにも狭かった。
「……どのように未来へ行くつもりだ……?」
そう問いかけられると、ユリアの身体の主導権がアイオーンに変わる。ぽつぽつと弱々しい話し方から、大人びたしっかりとした口調──アイオーンに変わった。
「──眠り続けるほかない。誰にも邪魔されないところでな。だから、長く活動しそうな魔孔を探していた」
「ならば、我が国の王冠を介し、〈血の誓い〉を結ばぬか? そなたらは、我がヒルデブラント王家が所有する神殿で眠り、わたしはそのことを子々孫々継いでいかせる。そして、眠りから覚めた時、その時代の王が世話をするよう手配しよう」
「……まさか、そのような提案されるとはな──」
「我らは……せめてもの償いを、ユリア・ジークリンデにせねばならんと思うておる」
そして、ハインリヒはゆっくりと息をつく。
「……姪は、その手紙を持っていかぬつもりか?」
「ああ……。『あの日』を思い出すから、手元には置いておきたくはないようだ」
「そうか……。ならば、こちらで保管しておこう──」
かくして、ユリアとアイオーンは、ヒルデブラント王家が代々管理する神殿の深部にて眠ることになる──。
これが、ユリア・ジークリンデと大星霊アイオーンの偽りなき過去だった。




