第九節 ふたつの『星』 ③
「あのヒトは、遠くへ行けと言っていたわ。戦いの邪魔だからと──。けれども……」
戦いを見ていたふたりには、ある疑問があった。
アイオーンは、もしかしたら本調子ではないのかもしれない。
(本当なら、あのヒトが言うとおりに、逃げたほうがいいのかもしれない──。それでも……)
かの者がまとう服をよく見てみると、長いローブのようなゆったりとした衣服には、切り裂かれた跡がたくさんあった。それに、外傷はないが動きにキレがない。このときに初めてアイオーンの戦い方を見たユリアだが、なんとなく身体が動かしづらそうだと感じていた。
気になることは他にもある。アイオーンが保有する魔力の気配は、間違いなく『大いなる者』だと思わせるもの。だが、そのなかで封じられているような気配が混じっているのは何故か。
そして、アイオーンは奥歯を噛み締めたような顔をしながら戦っている──。
「ッ──!?」
戦いに変化があった。
偽物の剣が、アイオーンの片方の肩を貫く。そして、偽物の身体がすべて泥へと変わり、地中からも泥が滲み出てきた。
「アイオーン殿ッ!!」
「こんなことをしたら、アイオーン殿に怒られるだろうけどな──!」
ユリアとテオドルスは、ほぼ同時に地を蹴り上げた。〈預言の子〉とその側近とはいえ、あの大星霊と呼ばれているアイオーンが劣勢となる〈黒きもの〉。
だから、なんだというのだ。
助けにいかない理由などない。
可能性があるかもしれない。
だから、身体が勝手に動いた──ユリアは当時のことをそう語る。
「──」
アイオーンの肩の傷が瞬時に治った時、ユリアとテオドルスがアイオーンの前に現れ、魔術と物理的な攻撃を通さない防壁を展開させた。
その直後、地中の広い範囲から黒い『泥』が溢れ出て、円形の透明な壁に包まれた三人に覆いかぶさる。
「……命知らず共が……」
薄暗い闇の中で、男性の低い声がふたりの耳に届いた。
「素直に逃げていれば……命は助かったものを──。なぜ……俺を助けようとした……?」
「私に名前を付けてくださったヒトを、見殺しになどできない! もう誰かが苦しむのは見たくない! それに……あなたは、私を助けてくれた……!」
迷いなく言い放つと、アイオーンは口をつぐむ。
「──っ」
その瞬間、頭痛が起こったのか痛みを堪えるかのように目を細めた。やがてそれは治まり、何かを思い出したかのように息をついた。
「……お前が、ユリア・ジークリンデか──。このようなところで出会うなど……」
そして、アイオーンは呆れ口調で続ける。
「……お前の活躍は、俺の耳にも届いていた。お前ほどの戦士ならば、こうなることが予測できたはずだ。〈黒きもの〉に呑み込まれれば、お前であってもどうすることもできずに死ぬ──。お前は、〈預言の子〉として正しくない行動をとったな」
「……」
判っていた。ただひとつの可能性を──確証のないことを信じたがゆえに助けようとした。
「お前を神のように崇めていた者たちは、さぞかし失望するだろうな……。〈預言の子〉が、このように呆気なく死んだのだから──」
「……お待ち下さい。私たちは、まだ死んではいません」
この時、ユリアは少し意外だと思った。
自分でも愚かな行動だとは思っている。だからこそ罵られると思っていた。しかし、かの者の口から出てきた言葉は、無謀な行動を叱るものだった。
「では……お前は、この状況をどう破るつもりだ?」
脳裏に浮かんだ可能性は、自身の力だけではどうにもできない──。
「──っ……。あぁ……くそっ……!」
その時、隣にいたテオドルスが膝をついた。
「テオ!?」
「……どうやらその人間は、その防壁を張っていても苦しいようだな」
この防壁は、物理的な攻撃や魔術による攻撃も通さないほか、魔力も遮るものだった。しかし、それでも内側に滲み出てくる。
アイオーンが指摘すると、「いや……。大丈夫さ……」と、テオドルスは苦しそうな顔を浮かべながら言い返した。
「強がるか。俺を庇って〈黒きもの〉にのみ込まれただけはあると言っておこう」
と言って、アイオーンはため息をつき、言葉を続ける。
「……お前達も知っているだろう。俺は不老不死だ。お前達の防壁がなくとも死にはしない──力が回復するまでは、苦しみ続けるだろうがな……。しかし、そんなことは慣れている。今の俺は、お前達の手助けすらできない『お荷物』だ。俺を助けるのではなく、放っておくことが正解だった──」
「いや……。ここから出る方法は、なくはないはずですけどね……」
しかし、テオドルスはまたもアイオーンに言い返す。
「死にかけている自覚がないようだな、小僧。恐怖の感覚が鈍しているからこそ、戦士になれたのか」
「ははっ。その『まさか』ですよ──私は、死ぬことに恐怖は感じないんですよ。けれど、それ以前に、私という人間は『負けず嫌い』で『しつこい』と定評がある人間でしてね……」
目の前にアイオーンがいるため、テオドルスは立場を弁えて一人称を『私』へと改める。
身体が異常を警告する冷や汗を滲ませながらも、彼は微笑んでいた。
「可能性はまだありますよ……。あなたが、許してくれたらの……話ですがね……」
「テオ……」
ユリアは不安げに眉を顰めていると、テオドルスは彼女に微笑みかけた。
「──大丈夫……。私も、ユリアと同じ考えだ。だからこそ、共にアイオーン殿を助けにいったんだよ」
それを聞いたユリアは安心した顔で頷き、アイオーンを見る。
「アイオーン殿──あなたの力を……どうか、私たちに貸してくれませんか。ずっと前から考えていたのです。私たちが協力すれば、きっと──」
その瞬間、アイオーンの顔に怒りと悲しみの表情が表れた。
「断る──。無欲な人間かと思えば……結局、お前達も俺の力が目的だったか」
「違います。そのような輩と一緒にしないで下さい。──私は〈預言の子〉です。そして、テオドルスは私の側近。この力はすべて、この世を平和に導くためにあります」
ユリアの顔や声色に嘘はなかった。それでも、アイオーンにとっては簡単に許すことはできなかった。
「たとえ、そうであったとしても──ただの人間が、『神』と呼ばれている俺の力をなんの苦もなく手に入れられると思っているのか?」
「思ってはおりません……。ですが、私は、小さい頃から共存派の星霊たちから力を貰い、『人間ではない特殊な体質』へと身体を変えてきました──なので、多少は耐えられるはずです。そのことは、ここにいるテオドルスも同様です」
『力を貰う』という行為は、血を飲むということである。『体質の変化』というものは、人間にしかできない特性だ。
ユリアの体質を変えることは、彼女が幼いころに師であった星霊たちが考案したことだった。
しかし、人間の特性といえども、頻繁に変化を促せばどうなるかはわからない。そのことから、彼女にすることは人体実験と同義ではないかという声もあった。
だが、背に腹は代えられない時代だったため、許可が下りた。そうして彼女は、求められるがまま星霊たちの血を飲み──人間の血ではなく星霊の血である理由は、星霊という種族が人間よりも優れた力を持っているからである──、苦しみに耐えながら少しずつ人間ではなくなっていった。
体質を変えるということは、テオドルスにもおこなわれていた。周囲から促されたからではなく、彼自身が志願したからである。彼曰く、そうしなければユリアの側近としていられないし、彼女の戦い方にもついていけないからだという。
「私たちは、まだ死ぬわけにはいきません。〈黒きもの〉を倒し、この世に安寧を取り戻す……。その力は、それ以外のことには使わないとお約束します──信じられないのであれば、私たちを監視しても構いません」
「〈黒きもの〉が完全にいなくなれば、俺はまた記憶を取り戻すための旅に出る。──なぜ、お前達を監視する時間を作らねばならない?」
「では、〈黒きもの〉がこの世から完全に消え去れば、私達のことを消してもらって結構です」
アイオーンの脅しに屈することなく、ユリアは即答した。テオドルスはユリアの決意に対して、特に驚いていない。アイオーンだけが、命が惜しくないのかと言いたげに少しだけ目を見開いていた。
冷たい人だと言われているけれど、本当は優しさも持っている。優しいからこそ、冷たくしていたのか。でないと、そんな顔はしないはず──アイオーンの本質をなんとなく掴み取ったユリアは微笑んだ。
「──あるいは、ひとつ提案があります。監視ができないのであれば、私たちがあなたの旅についていくというのはどうでしょうか? そのなかで、アイオーン殿の力だけを取り除く方法を見つけられるかもしれません」
神のような力を持つという、ある意味恐ろしい大星霊に臆せずそんな意見を言えたのは、多かれ少なかれテオドルスとともにいた影響だろう。あるいは、両親の血か──。返答に困ったアイオーンは目をそらし、ため息をつく。
「……誰かに似ていると思えば……忘れていた──。人間の子は、似るのだったか……」
「……はい……?」
現代に生きるアイオーンは、この時を語る。
この時、ユリアの態度や顔を見て、彼女の両親であるシルウェステルとカタリナを思い出していたという。
あのふたりのように、悪意はなく、臆することなく話しかけてきた。そんな人間は、思い出せる記憶を探るかぎりあのふたりが初めてだったらしい。
それゆえ、シルウェステルとカタリナのことが鮮明に思い出せたのだという。
「──そこの人間。お前が望んでいることは、最悪、死が待ち受けていることだぞ。その覚悟はあるのか?」
アイオーンは苦しみに耐えていたテオドルスに声をかける。
「……当然だ。死の覚悟が云々以前に──オレは、死が隣にいれば心が高ぶる人間だ。だからこそ、ユリア・ジークリンデの側近になれたのさ」
垣間見えた狂人の片鱗。それも彼の側面のひとつ。
そして、テオドルスは苦しみに耐えながらも愉しげに笑う。
「もしも、死ぬことしかできないのであれば……〈黒きもの〉よりも、アイオーン殿の力に耐えきれずに死んだほうが、いくらかマシかな」
その笑みを向けられたアイオーンは一瞬だけ呆気にとられ、そして、ゆっくりと口角を上げた。
「……ははっ──。普通の人間が、神の如きと呼ばれる『大星霊』を前にしてそのような大口を叩くか」
アイオーンは、意外にもはっきりと笑みを浮かべた。
その時に抱いた感情は、嘲りや蔑むようなものではなく、関心や愉快さだったとアイオーンは言う。
「大星霊だろうが人間だろうが、なんだかんだでそんな大差ない存在だと感じるのが私の感性でね。──というか、私の名は『小僧』でも『人間』ではないんだけれどね。私には、テオドルス・マクシミリアン・フォン・ラインフェルデンという名前がある。どうか、テオドルス・マクシミリアンと呼んでくれ」
「その無駄に長い名前……お前は、王侯貴族とやらか。まったく……立場のある人間の名前というのは長い。『テオドルス』だけでいいだろうに──」
「あははっ。ユリアと同じことを言うとはね。名付け親とその子どもという関係でも、意外と似るものなのかな?」
「俺は『親』ではないのだがな」
この時には、もはや『噂に聞いていたアイオーン』の姿はなかった。
もしかしたら、このヒトは、私と似たところがあるのかもしれない。そう思ったユリアは、アイオーンにある言葉をかける決心をした。
「……アイオーン殿。私たちは……友達になれるかもしれません」




