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第九節 ふたつの『星』 ②

 ──やがて、ユリアの心にある変化が訪れる。


 英雄や〈預言の子〉として見られることに、昔ほど苦しいとは思わなくなっていたのだ。


 本性を見破られることは、変わらず恐ろしかった。

 しかし、何かを恐ろしいと思うのは自分だけではない。

 民も、戦士も、他国の者たちも、世の中の不安定さや〈黒きもの〉へ恐怖心を抱いている。

 その者たちは、誰しもが強い精神力や大きな力を持っているわけではない。それでも懸命に毎日を生き、生きるために協力し合い、何かのために戦い続けている。

 その姿が、魂が、美しいと感じるようになっていた。


 ユリアは、そのことをテオドルスに伝えた。

 彼は「実は、オレもそう思っていたんだ。同じだな」と微笑んだ。

 いつも近くにあったのに、今になって気付くとは──やはり、私は愚か者だ。


 ヴァルブルクは守るべき存在。

 そして、守りたいと想う存在。


 己にも、そう想う心がある。それを知ることができたのは、きっとテオドルスが隣にいてくれているからだ。

 彼がいなければ、大切なことが何もわからなかった。

 そのことも合わせて「教えてくれてありがとう」とユリアは伝えた。すると、彼は、「オレは何もしていないよ。ユリアが見つけた素敵な気持ちだ」と爽やかな笑みを彼女に向けた。


 いつか私も、こんな素敵な人になれるだろうか。

 なってみたい。

 もちろん、問題児であることに関しては反面教師にして。



◇◇◇



 それから数年が経った。


 ある日、ユリアとテオドルスが街から遠く離れた平原を歩いていた時のこと。

 この時のふたりは、ヴァルブルク王国の領地を巡回していた。〈黒きもの〉が出現する予兆がないかを探すためだ。


 〈黒きもの〉は、突如として現れる神出鬼没な怪物ではない。

 大きな戦い、あるいは一定の区域内で何度か争いが起きていると、そのあたりの地中から『黒い霧』のようなものが現れる。そして、それから少しの時間をかけて、さまざまな姿となれる『泥』へと姿を変えるという特徴を持つ。

 第一形態となる『黒い霧』の発生条件が『争い』であるがゆえ、〈黒きもの〉は心から生まれる負の感情を糧として成長し、人間や星霊を無差別に襲って呑み込む『黒い泥』となるのではないかと多くの学者が提唱していた。


「──やっぱり奇妙よね……? ここ数年、他国と比べると争いは少ないはずなのに、ヴァルブルクやヒルデブラントに〈黒きもの〉がよく出現する傾向にあるなんて……」


 しかし、ヴァルブルク王国やヒルデブラント王国に現れる〈黒きもの〉は、学者たちの見解とは異なる動きを見せていた。

 この二ヶ国では、ユリア・ジークリンデが活躍するようになってからは、彼女が『抑止力』となっていたのか争いの数は減っていた。

 それなのに、〈黒きもの〉の発生頻度が増えていたのだ。


「ああ……。けれど、これについては判断材料がまだ足りない。憶測を立てても不安になるだけだから、ひとまず『その傾向にあるかもしれない』という事を留意しておくだけに留めておこう。──そして、オレが気になるのは……〈黒きもの〉と戦うようになってから、大星霊アイオーンを見かけたことがないということだな」


 気になったら考え込んでしまうユリアの癖を知っているテオドルスは、彼女がそうなってしまう前に、思考回路の軌道を変えるために別の話へと切り替えた。


「そうね……。アイオーン殿は、私の名付け親となってくれたけれど……いまだに一度も会ったことはない……。絵姿は見たことがあるけれど──噂によると冷たい性格なのよね……」


「オレも絵姿を見たことがあるだけで、実際のアイオーン殿は見たことがないな。人間にも星霊にも興味がないからこそ冷たいヒトみたいだね」


「それなのに、私の名前を付けてくれた……。あのヒトは不老不死で、数千年も生きている……。そして、昔の記憶がなくて、はるか昔からそれを探す旅をしていらっしゃるのよね……」


「〈黒きもの〉が現れてからは、記憶を探すためというよりも、〈黒きもの〉を倒すために旅をしているのかもしれないな──。偶然にもアイオーン殿に助けられたという人間や星霊の話を、数年ほど前からたまに聞くようになったからね」


「たしかにそうね……」


 それまでは、ヴァルブルク王国やヒルデブラント王国内でアイオーンの姿を見たという目撃情報はほとんどなかった。

 どの国でも、アイオーンという星霊は特異な存在だった。数多の星霊たちから『まるで神の力』と言わしめる能力を持っている。そのため大星霊という通り名がついた。ヴァルブルク王国やヒルデブラント王国にとっては、協力者としてこのまま国内にいてほしいと思っているが、本人の気質的に難しいだろう。


「……テオ。気配が──」


 ほんの僅かだが、ユリアは『悪なるもの』の気配を察知した。

 ふたりは立ち止まり、周囲を見渡す。すると、視界に微々たる『黒』が現れた。


「薄っすらと見えるのは……〈黒きもの〉ね。その気配がするわ」


「ここで争いがあったという報告はないし、そんな形跡もないというのに……まったくもって不可解なものだ」


 この状態だと、魔力を使って分解していけば、〈黒きもの〉を消滅させることができる。

 しかし、この『霧』は、地中から出てきているものであるため、消滅までどのくらいの時間を要するのか不明だ。くわえて、細かい粒子の状態であるため、呼吸をするたびに〈黒きもの〉を体内に取り込んでしまうことになる。それへの耐性や許容量については人によって違うが、一定量以上の『霧』を吸うと、まずは精神に異常が現れ、やがて内臓にも損傷を与えることになる。そして、最悪の場合、死に至ることもある。物理的な戦いは起きずとも、〈黒きもの〉を倒すには常に死と隣り合わせだ。

 『霧』が『泥』となった場合、危険度は増す。『泥』は、人間や星霊に成り損なったような気味の悪いかたちの異形に変化して攻撃してくることもあれば、海のように広範囲に広がった液体となるときもある。変化のタイミングは不規則だ。もしも『泥の海』に呑み込まれたら、誰であっても身体が溶けるとされている。現に、呑み込まれた者たちを助けようと〈黒きもの〉を消滅させても、誰も戻ってくることはなかった。

 〈黒きもの〉を倒す方法はひとつ──魔力を分解すること。姿が『霧』や『泥』であるため、物理的な攻撃は効かない。その姿を形作っている魔力を、例えるなら複雑に編まれた糸を解くかのように、あるいは無理やり断ち切って消滅させていくのだ。

 その間にも〈黒きもの〉は抵抗して攻撃してくる。〈黒きもの〉と戦うためには、まず魔力の扱いに長けている必要があり、かつ攻撃を避けて防ぐほどの戦闘技能、そして、精神的や肉体的に頑丈でないといけない。


「……何かが近づいてくるわ。注意して」


「ああ……これは〈黒きもの〉──おそらく『泥』だろうね……」


 ユリアとテオドルスのふたりだけだが、あまり問題はない。〈黒きもの〉の気配からそこまで強さは感じないからだ。〈黒きもの〉と戦っていると、肌でその感覚が掴めているようになっていた。


「そこにいるのは判っているぞ! 姿を現せ!」


 ユリアは、大気中の魔力を凝縮させた。ユリアの掌に、月白色の細長く鋭利な槍のようなものが出来上がっていく。そして、ユリアがそれを勢いよく投げ飛ばすと、月白色の槍は爆風を伴いながら何もないところへ向かっていく。


「──!」


 音速のごとく風を裂いていた槍が、急にぴたりと止まった。

 そして、槍を止めた『何者』かが姿を現す──。


「そ、そんな──まさか……」


 そこにいたのは、アイオーンだった。

 初めて顔を見た。だが、なにやら様子がおかしいとユリアは感じる。

 外見は、まさしく絵姿で見たアイオーンそのもの。しかし、魔力の気配は〈黒きもの〉と同じだったのだ。


「アイオーン殿! どうされたのですか!?」


 テオドルスが叫んだ、その時だった。魔術で動きを止められていた月白色の槍が、粉々に破壊された。そして、アイオーンの姿が一瞬にして消える。


「え──」


 瞬時に、テオドルスの目の前にアイオーンが現れた。振りかぶった手には、高濃度の魔力が凝縮してできた剣を持っている。


(させない──!!)


 光陰を鞘から抜き取ったユリアは、隣にいたテオドルスに転移術を施し、離れた場所へと瞬間移動させた。そして、テオドルスを斬るはずだったアイオーンの剣は、ユリアの光陰の刃と交差する。


「……ッ、アイオーン殿……! 私はユリア・ジークリンデです! あなたの、敵では……ありませんッ……!」


 思った以上に力が強い。

 アイオーンが〈黒きもの〉と同じ気配を漂わせている理由は何だ──。

〈黒きもの〉と接触しすぎてこうなってしまったのか? しかし、アイオーンは神のような星霊と呼ばれている存在。普通の星霊とは違う。

 あるいは、〈黒きもの〉の『泥』が作り出した偽物か──しかし、〈黒きもの〉は、人間や星霊ともいえない異形にはなるが、ある特定の姿をそのままを写したものになるとは聞いたことがない。


「……」


 アイオーンは何も答えない。不思議なことに、かの者のはユリアではなく光陰をまじまじと見ていた。

 すると、〈黒きもの〉の気配をまとうアイオーンは、剣を持っていない方の手で光陰の刃を掴んだ。その瞬間、アイオーンの手が黒い泥へと変わった。


「なっ!?」


 ユリアは混乱した。目の前にいる名付け親は、本物か偽物か。どちらにせよ倒さないといけない。


「──なんて、(ちから)……!」


 光陰を動かそうとするも、びくともしない。〈黒きもの〉の力がユリアを上回っている。

 その時、黒い泥に覆われた部分から煙と火花が散りはじめた。


(っ……!? まさか、光陰を溶かそうとしている……!?)


「……ほう──? 人間のほうではなく、そのような武器に好奇を示すとは……ますます奇妙な存在だな。それとも、その武器のほうが『奇妙』なのか?」


 その時、ユリアの背後に大いなる力を漂わせたそよ風が起こった。


「──え」


 ユリアの耳に届いたのは、男の声。

 背後から伸びてきたのは、大人の手。


「……この〈黒きもの〉は俺が倒す。お前は、その間に向こうにいる人間とともに遠くへ行け。邪魔だ」


 冷静な言葉が届いた直後、ユリアの周囲に光と強い風が起こった。

 眩しさのあまり、ユリアは目を細める。光のなかで、光陰にまとわりついていた黒い泥は消えた。そして、誰かに身体を持ち上げられ、放り投げられた。


「えっ、えっ!? ──わあ!?」


 光の外に放り出され、ユリアの身体は宙を舞っていた。魔術で風を操り、かすり傷をつけることなく地に降り立った。


「ユリア! 大丈夫か!?」


 テオドルスが寄ってきた。放り投げられた先は、彼がいたところだったようだ。


「だ、大丈夫……」


 そう言いながら、手に持っていた光陰を確認する。刀身はどこも溶けておらず、欠けてもいなかった。そのことにユリアはホッとする。


「まさか、〈黒きもの〉がアイオーン殿の姿になっていたなんて──」


 前例がないことだったため、ユリアは大きな隙を見せてしまった。しかし、本物だろうが偽物だろうが、話したことがない相手であっても、自身の名付け親であるヒトを斬りたくはなかった。

 ユリアとテオドルスは、荒々しい音と方角を向くと、そこには激しい白兵戦が繰り広げられていた。似たような剣術を使い、容赦なく凄烈な 魔術が絶えず発動している。地は抉れ、幾度となく響き、風が荒れ、焦げた匂いが鼻腔に届いてくる。


「……どうする? ユリア──」

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