第九節 ふたつの『星』 ①
それからも、テオドルスはたびたびユリアの自室へとやってきた。まだ側近ではないため、こっそりと。そして、ときおり無断で。
テオドルスは、〈預言の子〉であるユリアから『未来の側近』という言葉を貰ったが、不躾に侵入したことについて両親からこっぴどく叱られたらしい。それなのに、今でもユリアの部屋に無断侵入する。どうやらこの少年は、根っからの自由人であるようだ。
それでいて、隙あらば自分と本気で戦ってほしいとねだってくる。くわえて戦闘狂の類だったとは。なのに、本人は『自分は守るべきことは守る男』だと堂々と言う。不法侵入していたくせにどの口が言うのか。
テオドルスは、ユリアが想像していた以上に、誰かの目を盗んで忍び込むことが非常に上手かった。その証拠に、うっかり堂々とユリアの部屋から出てしまったあの日以外、城の警備隊に見つかっていない。城の警備隊は間違いなく精鋭たちばかりなのだが、その者たちを出し抜けるほどの腕前だ。ユリアも気付かなかった。
ラインフェルデン家の次男であり第四子にあたる者が、また〈預言の子〉の自室を訪れているなど、おそらく城内の者たちは気づいていないだろう。それでも、あの日にユリアが彼を『未来の側近』と認めたため、見つかっても大事になることはない。
「──ちょっと待った、ユリア・ジークリンデ。オレの名前は、テオドルス・マクシミリアン。『お前』じゃない」
初めて邂逅した時もそうだったが、彼はユリアに対して敬意を示す言葉遣いを使わなかった。普通ならば不敬極まりないことだが、ユリアは気にすることはなかった。
むしろ、いけないことはいけないと臆せず注意してくれることが嬉しかった──今のユリアはそう語る。
「あっ、あぁ──……気分を害してしまって申し訳ない……。人の名前を覚えるのは、その……自分が想像していた以上に苦手だったようだ……」
「それじゃ、オレのことは『テオ』でいいよ。それならまだ覚えやすいだろう? その代わりに、オレも君のことを『ユリア』と呼ばせてもらおうかな。──あ。なんなら『テオお兄ちゃん』と呼んでもいいぜ?」
「側近になると言っていたくせに、『お兄ちゃん』とはどういうことだ……」
「側近とお兄ちゃんは両立できるさ」
ユリアは〈預言の子〉だ。世間からは、神の化身や現人神だと言われている。『普通の人間』ではない。
しかし、彼女自身は『普通』を求めていた。テオドルスはその心を察し、そして、彼女のその精神は間違っていないことだと受け入れてくれた。
〈預言の子〉は『普通』であってはいけない。
ユリアが成長してから、彼女を盲目的に神聖視して崇める者たちが現れた。当時は、各地で争いが多発していて世の中は不安定だった。
そのうえ〈黒きもの〉が現れ、得体の知れない怪物がいつどこで襲ってくるか判らない──ユリアは、そんな世を暁に導く存在と預言された。
彼女自身は、そんな期待の重圧に押しつぶされそうになっていたが、その預言は間違いではなかった。
ユリアが成長するにつれて、彼女の魔術と武術の才能がどんどん開花していったのだ。そして、人間よりも魔術や武術に長けるとされる星霊たちを、まだ未成年ながらも打ち倒していくほどに成長していった。
『〈預言の子〉ユリア・ジークリンデ』を神聖視する者たちを刺激すれば、さらなる混乱が起こるのは明白。それを防ぐためにも、彼女は神聖性を保つ必要があった。
「……テオ。今から問うことは、後学のために知りたいだけだ。それをはじめに断っておく」
「? どうしたんだ、急に」
「──私と同じくらいの年齢の者は……どのような者たちがいる? いつも、どんなことをしている? どんな服を来て、友とはどんなことを話す?」
初めてテオドルスと出逢ったあの日から、ユリアは封じていた本音を彼にのみ言えるようになっていた。
「う~ん……。君くらいの年頃の女の子なら、きれいな服や装飾品を身に着けたり、刺繍をして自分できれいなものをつくったり、作曲家が作った曲を弾いたりしているんだと思うよ。姉上や妹がそうだったからさ」
「きょうだいがいるのか?」
「ああ、いるよ。兄がひとりに、姉がふたり。オレは四番目に生まれて、そのあとに双子の弟と妹がひとり──七人きょうだいなんだ。だから、きょうだい全員でカードゲームとかボードゲームで遊ぶと、いつも騒がしくしてしまうから、よく両親や使用人たちから『うるさいからもっと静かにしろ』って怒られてしまうんだ」
そう語るテオドルスの顔は笑顔だった。
その時、ユリアこう思った。私にきょうだいがいれば、また違っていたのだろうか。寂しさや苦しみを解ってくれる誰かが他にいれば、テオのように普通に話すことができて、もっと心が軽くなるのだろうか──と。
「──あ。でも、妹は狩りも好きだったな。オレも狩りが好きだし。あと、楽器も得意だ」
「狩り、か……。それはいいな。いざという時のために、腹を満たすための術は持っておいたほうがいい。それに、狩り自体が武術の訓練にもなりそうだ」
「いや、思考回路が戦士すぎ──オレもそう思うけど。妹は、元気が良いだけのただの女の子だよ。もしかして、狩りのことが気になるのか?」
「……そう、だな……。あとは……これでも、楽器にも興味がある」
「だったら、オレが側近になったら教えてあげるよ。楽器は、手で弾く小さな弦楽器なら夜でも弾けるだろうからね。狩りは鍛錬のついでにできることのはずだ」
その時、ユリアはふと物憂げな顔を浮かべた。
「誰かに、見つからないだろうか……。こんな『普通』のことをしていたら──失望されたり、しないだろうか……?」
「そうだな……一部の人間は、そうなってしまうかもしれない……。けれど、君は間違いなく人間だ。俺は許すよ。──たとえ世界が許さなかったとしても」
「……ヴァルブルクやヒルデブラントの民たちだけでなく、諸外国の者たちも、私を『神の化身』だと認識している。もしも、お前が『無礼者』だと世に露見すれば……只事では済まないぞ……」
「その時は、君が助けてくれるだろう?」
と、テオドルスは笑みを浮かべる。その件についてはまったく恐れていないらしい。そんな彼に、ユリアは「もちろん、助けるに決まっているだろう」と俯きながら弱々しく答えた。
「……テオは、いつか私も『普通』になれると言っていたが……本当になれるものなのか……?」
「なれるさ。きっと。〈黒きもの〉を完全に滅することができれば、そういう時代が来る──。そういった時代が来た時のためにも、まずは言葉遣いを改めてみるかい? 今のその話し方は、ちょっと『普通』じゃないからな──オレとふたりきりの時にだけでも、話し言葉を変えてみないか?」
「話し方を……? たとえば、どういったものにだ……?」
「語尾を少し変えるんだよ。『だわ』とか、『なのよ』とか、『でしょう』とか」
「……このように──する、の……?」
ユリアは、おそるおそる顔を上げてお淑やかな言葉を発した。いつもは堂々した口調であるため、その差にギャップを感じる。
そのせいか、言い出しっぺの彼は──。
「うわっ。似合わなっ」
「……うっ──るさぁぁぁいッ!」
「ちょ、待って待っうわぁあああッ!!?」
その日、ユリアの自室の窓から爆風と黒煙が発生した。
月日が流れ、ユリアが十二歳、テオドルスが十七歳となった時。
ついに、待ち望んでいた日がやってきた。
「はぁ~……。叙任式がここまで長いなんて、聞いていなかったんだが……」
ユリアの自室に帰ってくるやいなや、テオドルスは彼女の寝台へと仰向けに倒れ込んだ。
「叙任式だけで疲れてしまうなんて、本当に私の側近が務まるの? やっぱり少し不安になってきたわ」
「オレの主君はひどい人間だな……。少しは労ってくれてもいいじゃないか」
この頃から、ユリアは、テオドルスの前だけで使う言葉遣いが物腰柔らかいものとなっていた。テオドルスも、〈預言の子〉の側近という立場を得たことで、公的な場では一人称が『オレ』から『私』に変わる。とはいえ、ユリアとふたりきりの時は、主君であっても変わらずため口を継続していた。
「ひとまず、『お疲れ様』と『おめでとう』は言っておくわ。──いろいろと狂っている従者だけれど」
「ははっ。それでも、宣言したとおりに、オレは君の側近になれただろう? それに、〈預言の子〉の従者としての外面は完璧にこなしている。狂っているように見えて、有言実行の従者だぞ。──というわけで、もう君を困らせることはしないと誓おう」
「相変わらず無断で女の部屋に忍び込むような男からそんなことを言われても何も信じられないわよ」
ユリアは真顔で言い放つと、テオドルスは爽やかに笑った。
「あっはっは! 正論すぎて何も言えないな! ごめん!」
「なんて軽い謝罪……。まあ、一応は悪いことをしていたという自覚はあるのね。少しだけ安心したわ。ほんの少しだけど──。あと、安心したことといえば……あなたの性格が落ち着いてくれたことかしらね……。あの調子のまま大人になるのかと思ったら少し──いえ、かなり不安だったもの……」
「……それは……どうだろうな──?」
自分自身のことを言われているのに、テオドルスはなぜか不安そうな顔で答えた。
ユリアが「え?」と声を出した、その時だった。
「……んん……? ──痛っ!?」
少しの奇妙な間があったあとに、ユリアの頭上に何かが降ってきた。
落ちてきた物を見てみると、少しだけ反りがある鞘に入った大きな刃物だった。
「ユリアって、昔からオレの罠を見破るのがなぜか下手だなぁ。──あ。オレしかいないから、気が緩みすぎているのか」
「ん──もうっ! テオったら!」
図星だったユリアは顔を赤らめる。ふたりきりの時は、ユリアはただの少女の顔を見せることに、テオドルスは満足そうな顔で笑った。
「すまなかったよ、イタズラして。それは、ヒノワ国で作られた刀と呼ばれる武器なんだ。名前は『光陰』。君に側近ができたお祝いとして贈りたかったから、イタズラをしたうえで贈ろうと思ったんだ」
「側近ができたお祝い!? その側近があなたなのに!? なんで謎に手の込んだイタズラを仕込むのよ普通に渡したらどうなの!? 顔が良いからって爽やかな笑みを浮かべていたらなんでも許されると思っていない!?」
「許されないのか!? かっこいいから大抵のことは許されるはずだと二人の姉上と妹は言っていたんだが!? 兄上や双子の弟たちもなぜか微妙な顔をしながらではあったが一応は納得してくれたぞ!?」
「それはあなたの問題児っぷりに匙を投げた言葉よ!!」
ユリアが光陰を持っていた理由は、このようなことからだった。
しかし、ここで疑問が残る。テオドルスは、なぜヒルデブラント王国の武器ではなく、わざわざヒノワ国という異国の武器をユリアに贈ったのか。この時は、彼女もその意味がよくわからなかったという。
理由を聞いても、それを振り回せる身長になったからという返答しかテオドルスはしてくれなかった。振り回せるようになったからといっても、ユリアには実用性のないものであったというのに。
(私は、比較的濃い魔力さえあれば、自分で武器を作り出すことができる──大気中の魔力が、私の武器。そのことは、彼もよく知っているはずなのに……。どうして、ヒルデブラントでは見慣れない刀というものを贈ろうと思ったのかしら……)
扱い慣れていないという理由だけでなく、ユリアの武器はすでにある。間違いなく宝の持ち腐れとなる代物だった。
しかし、ユリア・ジークリンデ個人にとっては、光陰は他者から貰った数少ない『お祝いの贈り物』。贈られたものが武器であっても、疑問が残る贈り物であっても、貰った嬉しさで心がぽかぽかとしていたと彼女は語る。




