第八節 英雄の過去 ④
「待て待て。人間と星霊は、誕生した状況から違う。そのことを留意せよと言うておろうに──〈預言の子〉は、まだまだ小さき者じゃ。せめて、もっとわかりやすく言うてやる必要があろう」
と、妖精のような星霊が言う。
「しかし、生まれた意味については、おおよそでも解かっておくべきではないか? いつまでもこのようでは、民草だけでなく戦士たちも不安がってしまう。それは、共存派の士気にも関わる」
続いて、宙に浮かぶ人魚の星霊。
「それには同意だね。自分は『違う』のだという実感は持ってもらわないと。そういった意思がなければ歩めない道だろう? それなりに老いた人間が言っていたよ──〈預言の子〉の歩む道は、大人でも尻込みするものだってさ」
最後に、赤い羽毛を持った二足歩行の鳥類に近い星霊が言う。
会話を聞いていたユリアは、なんとなく嫌な予感がした。どうしてかはわからないが、そう思ったという。
「明日は、修行ではなく市街地を巡覧しよう。見聞も修行の一環となろう」
「それもそうか──」
「……あ、あの……先生……?」
星霊たちの話し合いに、ユリアは声をかける。
「──〈預言の子〉よ。明日は街を見て回ろうぞ。そなたが生まれた意味は、皆の未来を安寧に導くためなのじゃ。ゆえに、あの穏やかな光景を見て、その美しさを知るのも必要となる」
「それは……私の父と母も、望んでいたことですか?」
「もちろんじゃ。……いつも、そなたを天から見守っておるぞ。目には見えぬが、ずっとそなたのそばにおる」
妖精のような星霊は、少しだけ顔を固まらせたような気がした。まるで感情を悟られぬように。
「──はい」
この時のユリアは、自身の両親はすでに死んでいると教えられていた。
そして、両親や自分は庶民の出であること。名前がふたつ持つことができるのは貴族の人間だけだが、名付け親が大星霊アイオーンであるため、例外的に許された名前であること。王家のように城内の一角にある塔の最上階に住んでいるのは、自身が特別で重要な立場にあるからということ──。
幼いユリアは、事実とは違うことを教えられていた。
このことは、ユリアが『先生』と呼ぶ星霊たちの独断の行動ではない。実の両親であるシルウェステル・ヴィーラントとカタリナ・ゲルトルーデによる意向だった。
両親と自身の血筋について嘘を教えられていたことについては、ある人物による判断でユリアは知ることになる。
その時の彼女は、何を思ったのか──それは、来るべく時に語る。
◇◇◇
その翌日。ユリアがヴァルブルク王国の市街地を巡覧する日がやってきた。
普段のユリアは、動きやすくて質素な意匠の修行着、上質だが装飾の少ない部屋着、そして簡素な寝間着の三種類しか服を着ない。しかし、今日は使用人が持ってきた服を着ることとなった。
使用人に服を着させてもらい、鏡のような効果をもたらす魔術で自分の姿を見たとき、ユリアはまるで王子様のような服だと思ったという。お姫様ではなく王子様だと思ったのは、スカートではなかったからだ。
左肩に、スカートに近いシルエットになる短い布が被せられたが、そうではない。腰に長いものを履きたい。
「……スカートでは、ダメだったのか……?」
使用人やヴァルブルクの戦士などの者には丁寧にしゃべる必要はないと、星霊の先生たちから言いつけられていた。そんおため、当時のユリアはこのような口調になっていた。
本当は、スカートを履いてみたい。くるりと勢いよく回れば、ふわっと裾が膨らむのがかわいい。せっかく修行着ではない服を着ることができるのに、どうしてこれが選ばれたのか。なぜ、選ばせてくれないのか。
「協議の結果、こちらの衣装がもっとも相応しいとのことです」
相応しい? 何に?
しかし、我慢しなければならない。それが、今の立場だと先生たちは話していた。
先生の言うことは聞くものだと教えられた。だから、仕方ないことなのだ。
自室を出て、塔を降りると、すでに人間や星霊の従者たちが多くいた。ひとりの人間の従者に促されて城門に向かい、城下町へと足を進めていった。
(本当は好きなように街を見てまわりたいけど──私には、それができない……)
顔には出さないが、この時のユリアはわくわくしていた。
民家の玄関先には、花壇が置いてあるところが多い気がする。花が好きな人が多いのだろうか。私も花は好きだ。──あそこにネコがいる。毛がふわふわしていそうで、かわいい。触ったことがないから、いつかは触ってみたい。
ユリアが従者を伴って市街に出ると、道を歩いていた市民たちは種族に関係なくユリアに礼を示していく。
前に街を見て回ったときもこんな感じだった。誰も、私に話しかけようとはしない。遠巻きに礼を示して、何かを期待するように微笑む。あるいは、神に祈るかのような姿を見せてくる。
「……あ」
広場にて、自分と同じくらいの子どもたちが遊んでいるのを見つけた。何をして遊んでいるのだろう。
あっ──ひとりの男の子が、遠くから見ていた女の子に遊ぼうと声をかけて、女の子は嬉しそうに混じっていった。いいな、うらやましい。私も見ていたら、遊ぼうと声をかけてくれるだろうか。
「──いかがいたしましたか?」
すると、急にひとりの従者に話しかけられた。心臓が飛び上がりそうになるも、ユリアは平然を装う。
「いや……だた、子どもたちが元気に遊んでいるなと思っただけだ」
「良き光景ですな。この日常が未来でも見られるよう、我々も頑張りましょう」
「そうだな……。子どもたちが安心できるように──」
がんばったら、私もあそこで遊べるようになるのかな。
あそこにいる子たちは、私に遊ぼうと誘ってくれるのかな。
「……私の姿を見れば、子どもたちは少しでも安心するだろうか?」
近づいて、聞いてみたい。何をして遊んでいるのか。遊ぼうと言ってくれるだろうか。
「そうですね。行ってみましょうか」
やった──。
ユリアは、初めて同世代の子たちと話せることに心を踊らせた。
「……こんにちは。はじめまして」
ユリアは、子どもたち全員に聞こえるように声を張って挨拶をした。
子どもたちはいっせいにユリアのほうを見る。なんだろう、だれだろう、と言いたげにポカンとしている。
その時、少し離れて子どもたちを見守っていた母親らしき人たちが集まってきた。
「──ほら、みんな! ぼーっとしてないで、ごあいさつを! お母さんたちが、みんなによくお話ししていたあの御方が話しかけてくださったのですから!」
その瞬間、子どもたちの目が変わった。
「え!? 〈預言の子〉!?」
「ホンモノ!? すごい!」
「ごあいさつ! えーっと……来てくれて、ありがとーござーます!」
思っていた反応とは違った。
他の子たちと同じように、遊びに誘ってくれるのだと思っていた。
どうして? 私だって、みんなと同じくらいの年齢なのに。
「あたしたちのこと、たすけてくださるんですよね!? あたしたちとはぜんぜんちがう『トクベツな人』だからって!」
少し年上らしい女の子が言う。
ぜんぜん、ちがう──。
「あ……まあ……」
「すごーい! しゃべれないと思ってた! お話ししにきてくれるなんて!」
なんだろう。みんなは喜んでくれているのに、私はぜんぜん嬉しくない。
私は、おかしいのだろうか。ここにいたくない。逃げたい。そんな気持ちがする。
「……みんなのことは……私が守るから──」
そう言った途端、子どもたちから歓声が上がった。かっこいい。すごい。そんな言葉がたくさん、何度も上がる。
しかし、そんな称賛の声など耳から滑り落ちた。
「やっぱり、ふつうじゃないんだ! すごーい! かっこいー!」
悪意なき稚拙な称えが、ユリアの心をえぐる。
ふつうじゃない。ふつうじゃ、ない──。
心が痛い。
私は、みんなとは違うのか。
私が感じているこの『痛み』は、『おかしい』のか──?
「……」
この日をもって、自分が置かれていた立場をようやく理解することができたとユリアは語る。
自分は、他人ととても遠く離れた存在なのだ。
みんなとは違う。だから私は〈預言の子〉と呼ばれていた。
みんなを守るため。みんなの未来を安寧に導くため。死んだ父と母はそれを望んでいる。
それが、自分がここにいる理由。
自分自身が望もうが望むまいが、永遠に変わらない生き方──。
その日から、ユリアは笑顔の作り方を忘れてしまったかのように、表情がなくなったという。自分の感情がよくわからなくなってしまったかのように。
実は、この場には、彼女にとっての『運命』がいた。ユリアよりも四、五歳ほど年上の男の子だった。
運命の少年はその時、少し遠くからユリアを見つめていた。ユリアのぐちゃぐちゃな心をじっくりと読み解いているかのように、微笑みの仮面をかぶった幼い彼女を見つめていた。
しかし、本心を隠すことに精一杯だったユリアは、そんなことに気付けるはずがなかった。
──ぜんぜん違う。
──普通ではない。特別な御方だ。
──我らが〈預言の子〉。
──神に選ばれし御子よ。
どうして、みんなと私は違うの?
同じになるには、どうしたらいいの?
『特別』なんかじゃない。だって、私は『違う』と言われて苦しくて悲しい気持ちになってしまう。だから私は『特別』なんかじゃないはず。
ダメ。そんなことは誰にも言えない。だったら、この気持ちはどうすれば消えるの? 必要ないものだとわかっているのに、消えてくれない。
誰か、教えて。
──平和な未来へと導いてくださる暁の化身のような御方。
こんなことは誰にも言えない。
みんなは、私が『みんなとは違う存在』であることを望んでいるのだから──。
やがて、ユリアが八歳になった頃から戦場に立つようになり、〈黒きもの〉と戦う者となった。
みんなは、私が〈黒きもの〉と戦い、それに勝つことを望んでいる。
それが、私が生まれた理由。
身体にどれだけ傷を負おうとも、果敢に立ち向かえば士気が上がる。
戦場に小さな子どもがいることに、誰も疑問に思わない。
この頃から、ユリアはある夢を言い抱くようになった。
それは『兵器』になりたいということ。自分には、心というものは必要ない。むしろ邪魔だと感じていたからだ。
ユリアは当時の己を語る。
この頃の私は、まったく少女らしくない顔をしていたと思う。笑顔を『作っていた』という記憶しかなかったから。
笑顔って、どうやってするんだったかな──。
そんな時だった。
テオドルス・マクシミリアンという貴族の男の子に出逢ったのは。
彼こそが、あの日にユリアを見つめていた『運命』。
彼との出逢いは、あまりにも唐突にやってきた。
その理由は、品格を重んじる貴族という身分にしては何にも囚われない──まるで、風のように自由な少年だったからだ。




