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第八節 英雄の過去 ②

「なんなん……?」


「先ほど、総長から電話があったの。犯人の尋問で、その銃弾の制作者はセオドアだと判明したらしいわ。……だから、もう確定してもいいと思うのよ──セオドアは、ヴァルブルクを出入りできる存在であり、なおかつ現代人では知りえない知識を持っているということをね」


「いや、けどさ……どっかの文献に、その魔術師殺しとかいう実についての記述が残されとったって線もあるやろ? それに、そういう実やったらどっかにもあるんちゃうん?」


 と、アシュリーはユリアの結論に待ったをかける。信じられないというよりは、信じたくないという気持ちが強そうだ。


「たしかに、偶然にも現代に伝わっていたという可能性もあるわ。──それでも、魔術師殺しの実が成るには、特定の環境や十分な魔力が必要なの。現代人が踏み入れないほどの魔力濃度がね……」


 そして、ユリアは息をつく。


「……私は、弓矢で狩りをして、魔物を獲っていたわ。その時の矢じりには、魔術師殺しの実から絞り出して採れる油を使っていた──。だから、その実のことはわかるのよ」


 一般的には、防護マスクや薬があっても、ヴァルブルクには踏み入ることができないとされている。頭をすべて覆う防護マスクと、魔力を遮断する特性を持った服を着て、酸素ボンベを背負っていてもだ。濃度の高い魔力は、いずれその服をすり抜けて皮膚へと到達し、そこから体内に浸透してしまう。現代の技術を駆使しても、死から逃れられない。それなのに、セオドアはヴァルブルクに入り、戻ってこられることが証明できた。

 しばらくの間、全員が口を閉ざした。


「……解析、お疲れ様。助かったわ。──さあ、座って」


 ユリアに促され、アシュリーとイヴェットはソファーの空いているところに座った。そんな衝撃的なことが判明したうえで、これから伝えられることは、ユリアとアイオーンが今まで決して話そうとはしなかった過去の話だ。そのため、イヴェットとアシュリーだけでなく、ラウレンティウスとクレイグもどこか落ち着かない顔をしている。


「……あの、さ──ホントに、いいの……? ユリアちゃんって、過去のことは……その──」


 イヴェットが控えめに問かける。


「ええ……。けれど……きっと、私はこのままではいけないと思ったの……。だから、まずは──私の両親とアイオーンとの出会いから話そうかと思うわ。すべてのはじまりは、そこからだから……」


 そして、ユリアはアイオーンに目を向ける。ユリアと目を合わせたアイオーンは、ゆっくりと目を伏せた。


「……あれは、ユリアが生まれてすぐの頃だった──」



◇◇◇



 時は、約千年前に遡る。


 ヴァルブルク領から少し離れたところにある森の奥地に、生まれたばかりの我が子を抱いた若い女性と、彼女の夫である男性が獣道を歩いていた。

 ふたりは薄暗い森を歩いていると、やがて開けた場所に出た。そこには、透き通った水がある湖があった。

 その浅瀬にはいくつかの大きな岩があり、そのなかで一番大きな岩の上には、毛先がうねった長く美しい銀髪を持つ人物がいた。その者が身に着けていたのは、一枚の大きな布を巻いただけのようなローブのみ。鋭いとも表現できる凛々しい目つきや、はだけたところから見えるがっしりとした体格から男性と判断できる。だが、顔立ちだけを見ると神秘的な美しさをまとった女性にも見える。その者は、風を感じながら空を見上げて座っていた。


「──探したぞ、アイオーン殿」


 赤ん坊の父親が、銀髪の人物に声をかける。

 その人物は、当時の人間から見てもまるで彫像のように美しい外見だった。しかし、目に生気はなく、どこか退廃的な雰囲気があった。


「……何者だ、人間」


 アイオーン曰く、この頃の自分は、不老不死かつ高い治癒力があることから死ぬことができず、そのうえ、それらの力を狙う輩と戦い続けていたことで精神が擦り切れていたという。そのことから、他者を信じられなかったらしい。

 それでも、誰か傍にいてほしいという気持ちが消えなかったとアイオーンは語る。

 矛盾した気持ちを持ちながらも、誰にも本音を打ち明けることもできず、強がって孤高を演じていた──己の心を守るために、そうしていたという。


「私はヴァルブルク王国の王──シルウェステル・ヴィーラント・フォン・ヴァルブルクだ。こちらは妻のカタリナ・ゲルトルーデ・フォン・・ヒルデブラント・ヴァルブルク。彼女は、ヒルデブラント王国の王女だった」


 ユリアの顔つきは父親似であり、髪と目の色は母親から受け継いでいるらしい。アイオーンも、ユリアにはシルウェステル・ヴィーラントの面影があるという。


「立場あるふたりの人間が、このようなところに来るとはな……。ヴァルブルクの王というものは、暇を持て余す程度の立場なのか?」


 アイオーンは、当時の己の精神状況をこう振り返る。

 本心では、裏切りや死別が恐ろしかった。そして、人間や星霊を信じられず、関わるのも疎ましく思っていた。

 ヴァルブルクの国王と王妃を前にした時のアイオーンは、嘲った笑みを浮かべ、嫌味な態度を振る舞った。礼儀もない耳障りな言葉をかけられた国王夫妻は、特に怒ることも動揺することもなく、ただまっすぐにアイオーンを見据えていた。

 過去を語るなかで、アイオーンはとある言葉をこぼす。きっと、この初対面の時点で、国王夫妻は俺の本性を見破っていたのだろう、と。


「……それは、お前達の赤子か? 生まれたばかりと見えるが……わざわざ夫婦揃って俺を探していたのか」


「そうだ……そなたでも、耳にしたことはあるだろう……? この子が、例の──〈預言の子〉だ」


 〈預言の子〉

 それは、ユリア・ジークリンデという名よりも先に付いた二つ名である。


 その二つ名が付いたきっかけは、大いなる神を祀る神殿にて行われる、年に一度ある神事の最中に起こったことだ。それには、シルウェステルとカタリナも参加していた。

 その神事の最中に、突如として輝く光が目の前に現れたという。そしてそれは、神事に参列していた者たちの脳裏に、ある言葉を刻んだ。


『ヴァルブルク王妃の腹に身籠った御子こそが、世に蔓延る〈黒きもの〉を払い、今を生きる者たちを暁に導く英雄なり』


 その言葉を刻んだ後、輝く光は消えていったという。その光の正体は、誰にも判らなかった。

 しかし、間違いなく起こったことだった。大いなる神を祀る神殿にて催されていた、年に一度の神事の時に──そのことから、参列者たちに刻まれた言葉は『神託』だと判断された。

 そして、カタリナの腹の中にいたユリアは、自らの名を授けられるよりも先に〈預言の子〉という二つ名を付けられたのだった。


 しかし、それならば『預言』の子ではなく、『神託』の子となるのではないか──実は、二つ名をつけるのなら『神託』という言葉は使うなと命じたのは、ユリアの両親だった。少しでも、娘に神聖さを持たせたくはない──本音をいえば、そうなることを認めていない──という、国王夫妻としてできる小さな『反抗』だったのだ。


「……ああ──人間らしい名よりも先に、期待の名を授けられた哀れな赤子か」


 父親は眉を顰めながら頷く。


「……そうだ。そして先日、我が子への祝福と加護を授けるために神殿を巡っていると、ある神殿でふたたび神託があったのだ」


「はっ──神託など、くだらない。〈黒きもの〉が跋扈するこの世界に、神はいると本気で思っているのか?」


「思っていないに決まっているだろう」


 ヴァルブルク王国を治める王は、苛立ちを込めた声色できっぱりと神の存在を否定した。

 この時代は、現代に比べると神への信仰心が非常に強かった。信仰心の無いものは異端者と見做され、迫害されることもあった。

 そのことは、当時のアイオーンも知っていた。だから、ヴァルブルクの国王が間髪入れずに否定したことには内心驚いたという。


「王として神事に参列し、神殿参りをしているが……私達は、この世に神はいないと思っている」


 そして、シルウェステルは肩を落とし、息をついた。


「しかし、心ある者には『心の拠りどころ』というものが必要なのだ……。神を信じぬと吐き捨てた私や妻にも、心の寄る辺がな──。だからこそ、我々はこの子の未来のために神殿を巡っていた。そのときに神託が起こったのだ。我が子の名を、アイオーン殿に名付けてもらえと──」


「その神託とやらは、お前達の不安定な精神と願望が作り上げた幻ではないか? 仮に、本当にそのような事象が起こったのだとしても、この星が気まぐれに見せた『不確実な未来』だ。……神は信じないと断言しておきながら、そんなものを信じるのか?」


「信じたいからこそ、信じると決めたのだ。たとえ矛盾した愚かな答えであってもな──」


 それは、揺るぎない言葉だった。

 シルウェステルは続ける。


「……その神託には続きがある。名付けたことが(えにし)となり、互いに道を照らす光となるだろう、と……。そなたと我が娘には、そうなる可能性があるのだという」


「……フ──光ときたか……」


 アイオーンは小さく笑い、目線を空へとやった。


「俺は、人間や星霊には関わらない。──去れ。……去らぬというのなら、俺がこの場を去る」


 その時だった。

 名もなき赤ん坊が眠りから目覚め、アイオーンの方に目を向けた。愛らしい声をこぼしながら、小さく短い腕を伸ばす。


「あっ……!? 抑制術が解けて……!」


 カタリナが小さく悲鳴を上げたとき、湖のまわりの魔力が大きく揺らいだ。その術者は、赤ん坊──しかし、母がすぐさま魔力を鎮め、魔術は不発に終わった。

 生まれたばかりの人間の子は、基本的には魔力を扱えない。しかし、たまに生まれてすぐに魔力を操ることができる赤ん坊がいる。この赤ん坊はそれだったようで、いたずらに魔術を使わないように抑制術をかけていたようだ。


「──っ……!? な、んだ……この痛みは……」


 赤ん坊にかけられていた魔力の抑制術が解かれたことで、アイオーンは名もなき子が生み出す魔力の気配をここで初めて察知した。

 その瞬間、アイオーンに頭痛が起こった。不老不死であり、高い治癒能力を保持していることから、病など罹ったことはなく、怪我も瞬時に治る。それなのに、急に起こり、頭の痛みは簡単には無くならなかったならなかった。


「カタリナ……この子の魔力を封じていてくれ。私の術で、抑制の応急処置をする。……生まれたばかりだというのに、大人がかけた術をいとも簡単に解除するとは──」


 この時、夫婦は我が子への抑制術の処置に対応していたため、アイオーンが頭痛で顔を歪めていることに気が付かなかった。


「……痛みが、止んだ……か──」


 夫婦が娘に施していた処置が終わった頃に、その頭痛が止んだ。

 あの頭痛は、何が原因で起こったものなのか。それは今でもわからないという。

 ただ、あの赤ん坊は『普通』の人間とは違う──そう感じたようだ。


「……お前たちからは、我が子を愛そうとする意思が見える。子に名を付けるのは、そんな親の役目であるはずだ。それなのに、なぜ俺に名付けてもらおうとする……?」


「──……」


 アイオーンの異変を知らぬ夫婦は、思いもしなかった問いかけに目を見開く。

 しばし無言が流れると、シルウェステルは目線を落とし、肩を落とした様子で口を開いた。


「……我々には……できないからだ……」


「何ができない?」

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