第八節 英雄の過去 ①
「おかえりなさい。アイオーン」
「ただいま──って、ラウレンティウス。お前もいたのか。……何かあったのか?」
それから、アイオーンが帰ってきたのは少し経ったあとのことだった。この時、ラウレンティウスはユリアに魔術の稽古をつけてもらっていたため、ふたりは居間にいた。
ユリアが泣いていた時間は短かった。泣いているうえ、ラウレンティウスに抱き締められているところを見てしまったら、アイオーンは確実に面倒な勘違いをしまうと予測したため、すぐに泣き止んだのだった。
「……逆だ。何も無いからここに来たんだ。ダグラスさんから『いい加減に休みを取れ』と言われたから、仕方なしに休暇を取ったんだが……セオドアのことが気になって、落ち着かなくてな──。だから、魔術か武術の修行でもしようかと思ってここに来た」
「気持ちは解るが──『休み』ではないな、それは」
アイオーンは小さく笑う。
「セオドアの件が解決すれば、ゆっくり休むつもりだ。どこかで長めの休みをもらって、ヒノワにいるじいちゃんやばあちゃんの家に泊まって、ブラブラと観光しに行こうかと思ってる」
ヒノワ国は、ラウレンティウスの母の生まれ故郷であり、祖父母が住んでいる場所だ。そして、彼にとっては愛着のある国であり、その文化も性に合うという。
(私も、久しぶりにヒノワに行きたいものだわ──)
ユリアは、ふとそう思った。ユリア自身も、ラウレンティウスたちがまだ学生だった頃に、彼らの家族や親族たちと共に何度かヒノワ国に行ったことがある。
初めて見る景色、聞き馴染みのない言葉、新鮮な異文化──ヒノワ国は、それらに触れる面白さを教えてくれた。それらを想像するだけで楽しみが溢れてくるが、それを抑え込みながらユリアはアイオーンに問う。
「……アイオーン。分析結果はいつ判りそうなの?」
「今日の夜には判るだろうとアシュリーが言っていた。今、アシュリーの実家にあるラボで、イヴェットと一緒に解析を頑張ってくれている」
「イヴェットも手伝いに行ってくれているのか」
と、ラウレンティウス。
「ああ。早く分析するためにも人手が欲しいと、アシュリーが電話をしてな。本来ならば国立研究所に頼むべきものだが……今回は、魔道庁の規律に違反していることから、身内にしか頼めん」
昨日の任務にて、ユリアはラウレンティウスに犯人たちが持っていた銃弾を調べてほしいと頼んだ。
すると、彼はまさかの魔道庁の規律を犯すこと──銃弾をこっそりと数個ほど横領──をした。
「魔道庁に犯人の所持品を通してから、研究所に分析するという流れは時間がかかるだろうからな。だから、今回はそれをすっ飛ばしたほうがいいと判断した」
魔道庁や研究所に許可を得て調べていると、かなりの時間がかかる。そのため、ラウレンティウスは魔道庁が押収するべき銃弾を無断でいくつか拝借してユリアに渡したのだ。
セオドアは明らかに『普通』ではない。だからこそ、多少の違反をしてでも早く真相を知るべきだと彼は思ったのだろう。
「だが、今後の出世に関わりかねないほどの違反だろう? お前自身は不思議なほどにあっけらかんとしているが……」
「別に俺は、出世になんか興味はないからな」
「そうであったとしてもだ。最悪の場合、信頼を失ってクビになる可能性もあるだろう? そうなったらどうするつもりなんだ」
「そうなった時は……父さんに俺を勘当するよう頼んで、ヒノワ国に移り住んだほうがいいかもな。評判の悪い人間がいれば、家族に迷惑がかかる。──けど、正直に言えば、ヒルデブラントよりもヒノワのほうが住みやすい。だから、どちらに転んでも構わないとは思っているんだ」
ラウレンティウスが平然とヒノワ国のほうが住みやすいと言い切れるのは、ヒノワ国での彼の立場がただの一般庶民だからだ。
ヒルデブラント王国では、『旧家であるローヴァイン家の跡取り息子』という肩書きが嫌でも付いてくる。
「まったくお前というヤツは……。生真面目そうに見えて、実際は周囲の目をまったく気にしない我が道を行くタイプだな」
そして、アイオーンは「まるでテオドルスだな」という言葉を小さな声でこぼす。
「そんなに心配するな。これでも、基本的には守るべきものだとは思っている。──お前は、最後までルールを守る派か?」
「……いや。規律が鬱陶しく感じたら、守ることを放棄するだろうな」
「その言い方、俺以上の不良に聞こえるぞ」
そして、ふたりは小さく笑い合う。
彼の言葉を聞いていたユリアは思う。アイオーンがこっそりと呟いたとおり、ラウレンティウスのそういうところはあの人に似てる。アイオーンがこういったヒトになったのも、あの人の影響があるだろう。
「ローヴァイン家やベイツ家は、そういう人が多いわよね」
そして、ユリアは所感を言った。
「あとは、ばあちゃんの実家であるスエガミ家もな。自由人気質な家柄同士惹かれ合ったのか、どこの家も周囲から白い目で見られている」
「そうね。そのうえ、ナナオさんやリチャードさんは武術家だから、解り合うこともあったのでしょうね」
彼の祖父母とは、ユリアもかつで会ったことがあった。
ラウレンティウスの祖母ナナオ・ベイツはヒノワ国出身のヒノワ人であり、旧姓をスエガミという。深窓の令嬢のような物腰をしてながらも武術を愛する女性だ。
そして、祖父リチャード・ベイツは、ヒノワ国の文化や伝統的な武術を好んでヒノワ国にやってきたらしく、その縁で妻と出逢ったらしい。大雑把ながらも義を重んずる性格であるという。
ラウレンティウスによれば、祖父母は昔、ヒルデブラント王国にたびたび訪れては長く滞在していたことが多かったらしく、その時にヒノワ伝統の武術を教えてもらっていたという。
「そのせいで、母さん達や小さい頃の俺達は、武術の修行に巻き込まれてたけどな……」
「その経験が巡り巡って、私たちとの稽古に役立っていたと思うわ。私たちが想像していた以上に、あなたたちはついてきてくれたし、武術の飲み込みも早かったもの」
「その結果、お前とアイオーンがノリノリで考案した修行で死にかけたことに繋がるんだな──。こんなことになるなんて、思ってもなかったな……」
「あら。私達に教えを請うたこと、後悔しているの?」
「していない」
ささやかな文句を零しながらも、ラウレンティウスは即座に言い切った。きっと、あの三人も同じことを言うことだろう。そういう人たちだ。
私も、迷わずにはっきりと言い切れる人間になりたい。そういう人は、かっこいいと思うから。過去と向き合えなかったことから、何も見つけられずに彷徨っていた。そんな自分を仕方ないとして甘やかすのは、今日までで十分だろう。
『ユリア・ジークリンデ』は、みんなが望む『英雄』になれたことは一度もなかった。歴史に残されている『ユリア・ジークリンデ』は、虚偽だ──。
まずは、それをラウレンティウスたちに伝えなければ。
「……アイオーン」
今まではみんなの気遣いと厚意に甘えて立ち止まっていたが、もうそろそろ歩き出さなければ。
私は、今を生きている。──『生きたい』。
だからこそ、幼い頃から抱くこの恐怖から抜け出さなくては。
今だからこそ。今が、きっと一番『前に進める時』だ。
「なんだ?」
「近いうちに……私たちの過去を、みんなに伝えようと思うの」
「……何が……あった……?」
ユリアからの想定外な言葉に、アイオーンは静かに驚いた。
ユリアを見、そして、その言葉を聞いても特に驚いていないラウレンティウスを見て、アイオーンは何かを察するように彼を見つめた。
「少し前まで、ラルスといろいろな話をしていたわ……。その時に、私が持っている苦しみは、私の弱さに起因しているものだと思ったの……。みんなに過去を話すことで、前へと進めるのかわからないけれど──まずは、過去と向き合えるようにならないといけない気がするのよ……。いつか、みんなに迷惑をかけてしまうかもしれない気がするから……」
「……」
アイオーンからの肯定の言葉はない。
過去を話すことは、避け続けていた過去を明確に思い出さなければならない。そのことを案じているような顔をしている。
「──やけに心配した顔だな、アイオーン。少しは戦友を信じてやったらどうなんだ」
「……周囲から心配性だと言われているお前に、言われたくはないのだがな……」
ラウレンティウスに目線を向けるアイオーンが呆れを滲ませると、ラウレンティウスは息をついた。
「今のユリアは、前に進むことを望んでいるんだ。その心配性は、ユリアの望みの妨げになる」
「……わかっている。だが、これでも……俺は、ユリアの名付け親でな──。実の両親の代わりにユリアを守ると決めているんだ。その想いと板挟みになってしまう……」
「……なんだって……? お前が、ユリアの……名付け親……?」
想像していた過去とは違っていたからか、ラウレンティウスはかすかに戸惑っている。
「そうだ。だから、ユリアの過去を語るには、まず俺がユリアの名付け親になった経緯を話さないといけない。実の両親ではなく、なぜ何の縁もなかった俺がそうなったのかをな……」
ラウレンティウスは口をつぐむ。
しばらくの沈黙の後、アイオーンは腕を組み、目をそらした。
「……ユリアは、生まれる前から『普通』ではなかった。だから、お前達が想像しているような話ではないぞ──」
そして、ユリアの過去の話は、今日の夜にすることとなった。
アシュリーとイヴェットは、銃弾の解析ができたら屋敷に来るようにと伝え、クレイグにも仕事が終われば来るように連絡をいれた。
◇◇◇
アシュリーとイヴェットがやってきたのは、仕事を終えたクレイグが屋敷に到着してから数十分後のことだった。
「……ウチらで最後か」
「ほんとだ……」
居間のソファーには、ユリア、アイオーン、ラウレンティウス、クレイグがすでに座っていた。この屋敷に、ふたたびこの六人が揃った。
「おかえりなさい。分析はどうだった?」
その先の答えを察しているのか、ユリアは真っ直ぐにふたりを見つめて問う。
「あの銃弾と、『魔術師殺し』とかいう木の実の成分──ほぼ同じモンやと判断してええと思うわ……」
「やはり、そうなのね……」
ユリアは息をつき、拳を握り締める。アイオーンも眉を顰め、不穏な表情をした。




