第七節 告白 ③
その瞬間、ラウレンティウスの顔と声が呆然としたものとなった。
ユリアは変わらずピアノの鍵盤を見続けているため、彼の様子に気づいていない。
「現代の歴史の教科書に書いてあったと思うわ──ヴァルブルク王国とは、人間と星霊の共存を象徴するものとして興った国。大気中の魔力が減っていくことは避けられないため、星霊はいつか人間とは一緒に暮らすことはできなくなる。だから、共存派の象徴であるヴァルブルク王国は、穏やかに消滅していく国でもあった。ヴァルブルク王国という国は、人間だけでなく、星霊がいなければ意味がない国だから──。そういう理由から、政略結婚をする必要はなかったのだけれど……いろいろあってね……」
そして、ユリアは何かを思い出したのか、ふっと笑みを浮かべる。
「……あの人は、年上で明るくて楽しくて、頼れるけれど少し困った人──たぶん、兄のような感じの人だったと思うわ……。あの人も、私を妹のように思っていたからか、『まったく知らない人よりも、よく知っている君がお嫁さんになってくれたほうが、気が楽で良いなと思ってね』とかなんとか言いだして……。いつの間にか、私は、あの人の婚約者になってしまったのよ。そこに行くまでの手際があまりにも良かったから、私はもはや唖然とするしかできなくて──。あの人、たぶん職権乱用でもしたのだと思うわ」
と、ユリアは笑いながらラウレンティウスのほうを振り向く。そこで、ようやく彼の様子がおかしいことを認識した。
「……結婚……してたのか……?」
「──いえ……。できなかった……」
「……すまん」
婚約者の身に何かが起こったと察したのか、ラウレンティウスは謝罪した。
ユリアには、彼の様子がおかしくなった理由がわからないでいた。婚約者の有無など、ほとんどどうでもいいはずだ。現代に伝わっている歴史と違うということなど、自分がこの時代に生きていることで、すでに理解しているはずだ。
「……気にしないで。あなたが謝ることなんて、なにもないわ。……暗い話をしてしまったわね。──もう一曲、何か弾きましょうか。次は、あなたが好きな曲を弾きましょう」
だから、ユリアは話を変えようとした。彼から目線をそらし、ピアノに向かった。
「……ひとつだけ、お前に言いたいことがある」
「……なに……?」
だが、ラウレンティウスはそうしてくれなかった。あの変な雰囲気も変わらない。
変だ。何かが変だ。そのせいか、ここにいたくない気がする。
「……だが……このことは、何も気にしなくていい……。何も気にするな──」
彼は、縋るようにそう希う。口にしたいこととは何なのか。
ユリアは、おずおずとラウレンティウスを見た。その時の彼の目の奥には、『熱』の存在を感じた。
「──」
初めて向けられた感情に、ユリアは身体を強張らせる。
その『熱』は──本当に、私に向けてもいいものなの?
「ユリア……俺は……」
駄目よ──。
「俺は……お前のことが、好きだ。今でも憧れで……家族でもあるが……それでも──好きだ」
「──」
愛の告白。
それを伝えられた時、ユリアは『恐怖』を感じた。
(どうすればいいの……。……違う。それは何かの間違いよ、ラルス。その想いは、きっと『違う』わ──)
ユリアの心には、彼の想いを否定する言葉しか出てこない。
(ああ──ほら、やっぱり……。私は情けない人間……。こんな言葉しか思い浮かべられない人間……。私は『間違っている』──)
ユリアは、己の心に刃を何度も突き刺す感情を抱く。こんな自己嫌悪を抱く人間が、この人を幸せにできるはずがない。
この人に何を言えばいいのか、わからない。なにも言えない。その感情は、私には過ぎたもの。だから、私に向けないで──。
ユリアは、彼に顔を見られないように深く俯いた。
「……さっき言っただろう、気にするなって──。もう昔のことだ……。だから、俺の気持ちに応えなくていい」
優しい声だ。気遣ってくれている。
けれど、それならどうして今言ったの? 本当に昔のことなの?
しかし、今のユリアは、その疑問を口にすることができなかった。
それでも、何かを伝えなければ。何かないか。何か──。
「……どうして……? なぜ、私なんかを……好きになってくれたの……?」
頭に浮かんできたのは、そんな疑問だった。
昨日のあの任務では、間違いなく澱んだ感情を吐き出していた。彼はそれを聞き取っている。それなのに、なぜ告白してくれたのか。
「……初めて会ったときに見た笑顔が……可愛いと思った……。あと、幸せそうにたくさん食べる姿も、何かにはしゃいでいる姿も──可愛いと知った。それから……一緒にいると落ち着くことも……。嫌いなものや、根本的な部分が似ているからか──」
「あなたは……きっと、魔術師社会に疲れているのよ……。私は極秘部隊だから、魔術師社会に生きてはいないわ。だからそう感じるのではないかしら──」
気のせい。あるいは勘違い。
彼の感情は、その可能性があるのではないか。
「……魔術師社会に属していないから、お前を好きになったんじゃない……。歴史に名を残す人間だから、お前を好きになったわけじゃない──お前がお前だったから、俺は好きになったんだ」
だが、真っ向から否定された。
そんなの──私にはもったいない。
「……」
ユリアはまだ俯いている。
綺麗でもない人間に、綺麗な感情を向けないでほしい。
眩しい。まっすぐな言葉がくすぐったい。
すると、ラウレンティウスは時間差で恥ずかしい気持ちが沸き起こったのか、顔を赤らめながら目線をそらした。
また、ふたりの間に静かな時間が流れる。
「……あなたが見ている私は……『本当の私』ではないわ……」
ユリアが沈黙を破ると、ラウレンティウスは首を左右に振った。
「誰だって、裏の顔くらいあるものだろう。──俺だって、それくらいあるぞ。澄ました顔をしていても、心の中では罵詈雑言を吐き捨てているときがある。……ヒルデブラントの魔術師社会など、クソくらえだからな」
そして、ラウレンティウスは息をついた。
「俺は……お前には、笑っていてほしいと思ってる。けど、お前は……昔から、なにかを抱えて生きている──俺では、何もできないんだろう……。それでも、支えたいと思うんだ。一人の男として、家族のひとりとして──」
やはり、自分にはもったいない想いと言葉だ──。
「……どうして、私に告白をしようと思ったの……? もう昔のことなのでしょう……?」
彼のその気持ちが、先ほど問うことを戸惑った疑問を吐き出した。
「……自分なりに、ケジメをつけたかっただけだ。……昔から解ってる。俺とお前は『きょうだい』のようなもので──弟のようにしか見られていないことくらい……」
「私は……今でも『恋』という感情が……よくわからない……。そんな感情とは、無縁の人生だったから……」
ユリアは、自身の気持ちを再確認する。
婚約者はいたが、婚約者との関係は『血の繋がらないきょうだい』のようなものだった。今なら、あのときの自分の気持ちが判る。
あの人に向けていた感情は、身内への情だ。みんなに向ける感情と同じだと──。
「ラルス……。そもそもの話──私は、あなたから想われるような人間ではないわ」
彼の気持ちを否定したくはない。だが、否定しなければいけないように感じた。
刹那、ラウレンティウスの目が、ショックを受けたように感情が移り変わる。
ごめんなさい。ごめんなさい──。
「そんなこと……──」
「私は……『正しくない』感情を持ってしまう──。あなたたちは、私の家族だから──どこにも行かないでほしいと思ってしまう……。あなたたちの人生は、私のものではないというのに……」
「……」
ユリアが内に秘める淀み──独占欲を垣間見せると、ラウレンティウスの様子が少しだけ変わった。ユリアを真っ直ぐ見つめている。
「ラルス……。私はね……小さい頃から『何かがおかしい』のよ……。『英雄』という言葉が聞いて呆れるほどに……『みんなが望む私』にはなれなかった──」
ユリアは自分を嘲るように微笑み、言葉を紡ぎ続ける。




