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第七節 告白 ②

「その実は、『魔術師殺し』と呼ばれていてね……。旧ヴァルブルク領の一部の地域に生息する木がつける実なの。その実の成分が体内に入ると、魔力の生成が一時的に阻害されて、魔術が使えなくなるわ。そのうえ、身体を麻痺させて気を失わせる効果もあるのよ。それは魔物にも効くものだから、昔から狩りのときに矢じりに塗られていたの。……私も、狩りのときに使ったことがあるわ」


 魔力生成の阻害と麻痺を起こす成分には、即効性がある。姿と気配を消したうえで、矢じりにその果汁をつけて対象の人物に射れば、その魔術師は反撃できずに倒れてしまう。

 この実だけで死ぬことはないが、武器として使われたら何もできなくなることから、古くから毒の一種と認識されていた。


「そんなこと……知ってる現代人なんて──」


「ええ。知っている現代人は、きっと存在しない……。防護マスクや薬があるといっても、足を踏み入れることができるのは旧ヴァルブルク領の端あたりまでが限界のはず──」


 防護マスクも薬も、万能ではない。

 ならば、考えられることといえば──ユリアやアイオーンと同じく高い魔力耐性を持った者がいるということ。


「先生? 準備、大丈夫?」


 静かなふたりに気がついたミコトが声をかけると、イヴェットはハッとした。


「あっ──そうだ、準備しないとね。ごめんごめん」


「……始めましょうか。気晴らしのためにもね」


「……うん」



◇◇◇ 



 調理後、ユリアは器やカップが置かれた盆を持ち、ある部屋に向かっていた。


(……ここが、リュシエンヌの部屋ね)


 鍵はかかっていなさそうだ。両手が塞がっているため、ユリアは魔術を使って扉を開いた。


「……」


 部屋の中は、勉強机と椅子とチェスト。そして、寝台だけだった。私物は置かれていない。

 寝台には、布団を顔まで深くかぶり、壁側に顔を向けて寝ている人がいる。リュシエンヌだ。


(……寝ている時にも、顔に包帯をしたままなのね──)


 ちらりと見えた彼女の顔は、白い包帯に覆われていた。

 イヴェット曰く、彼女は自身の顔を疎んでいるという。それほど人目に晒したくないのだろう。

 彼女は今、深い眠りについている。ユリアは音を立てないように、卵粥とハーブティーが乗った盆をサイドテーブルにゆっくりと置いた。


「……ねえ……さ、ん……」


「──?」


 姉さん。

 小さくてかすれた声だったため聞こえにくかったが、そんな言葉が聞こえてきた。

 起きているのか──いや、寝ているように見える。


「……イカや貝の……リゾット……食べたい……」


(寝言……)


 うなされているわけではなさそうだ。このまま居続けると起きてしまうかもしれない。

 ユリアは扉の取っ手を掴み、立ち去ろうとした。その時──。


「姉さん……。兄さんは……? 元気……?」


(また、寝言……)


 ユリアは振り返る。リュシエンヌは起きていない。彼女には、姉と兄がいるのだろうか。

 リュシエンヌは、おそらくフェリクスと同じく十代半ばほどの年齢の子だ。魔術に長けていて、すでにひとりで任務をこなしているとしても、まだ精神は年相応のはずである。


「……魚介類のリゾットが食べたいのなら、今度、私が作るわ。今は、身体を休ませて──」


 リュシエンヌには聞こえていないだろう。それでも、その時のユリアは言わないといけない気がした。



◇◇◇



 クッキーを作り終えた時刻は、ちょうど昼時だった。

 三人は、それを昼の軽食として食べ、その後にイヴェットとミコトは魔術の授業を再開した。ユリアもその授業に付き合ってよかったのだが、屋敷に帰る用事ができた。

 ラウレンティウスから屋敷に帰ってきてほしいと連絡を受けたのだ。

 理由は、総長から『いい加減休め』と言われたため、休暇をとったらしい。なので、ユリアに武術の稽古をつけてほしいとのことだった。


(ラルスったら、せっかく休みを貰ったのに稽古をつけろだなんて……。そんなの休みになってないじゃない──)


 稽古は短めに切り上げて、身体を休ませるよう言ったほうがいいか。しかし、彼が素直に聞くとは思えない。彼は頑固なところがある。


(あら……。ラルスが、ピアノを弾いているなんて──久しぶりに聞いたわ。ということは、ラルスは音楽室にいるのね)


 ユリアがローヴァイン家の屋敷がある敷地に足を踏み入れると、屋敷からピアノの音色がかすかに聞こえてきた。テンポはゆっくりで、哀傷を感じる美しい旋律だ。

 あの屋敷の音楽室には、グランドピアノが二台もある。ラウレンティウスのものとユリアのものだ。

 ラウレンティウスがピアノの習いはじめたのは母の影響らしい。魔道庁に就職することになるまではピアノを習っていた。

 そして、ユリアもそんな彼に影響され、ピアノを習っていた。二年ほど前まで個人レッスンへ通って習っていたのだが、極秘部隊に入隊することが決まったときに辞めた。それでも、今でもたまに弾くことがある。


「──ただいま」


 音楽室の扉をノックしてから開くと、ピアノを弾いていたラウレンティウスがユリアに気がつき、鍵盤から指を離した。


「ああ……。アイオーンは、まだ帰ってきてないのか」


「ええ。ヴァルブルクに行ってから、アシュリーがいる研究所に向かう予定なの。今日は、少し遅いかもしれないわ。──稽古、今からしましょうか」


 と、言いながら、ユリアはラウレンティウスのピアノへと近づいた。


「……その前に……」


 ふと、ラウレンティウスはどことなく憂いた顔をした。


「?」


「お前……なにか、思い詰めていることがあるんじゃないか……?」


 そして、遠慮がちに問いかける。

 ユリアは表情を変えることなく、少しずつピアノのほうへと目線をそらしていく。


「……どうして、そう思うの?」


「昨日の任務の──お前が主犯格の奴と会話をしているとき……俺は、通信機を切っていなかった……」


「──」


 ユリアはラウレンティウスに目線を向けて、目を見開く。

 どうして、と言いたげな目に、彼は申し訳なさそうに俯いた。


「……お前とあの女社長との会話は、俺に聞こえていた──。全部……」


「……」


 ユリアは口を開こうとはせず、ふたたびピアノのほうへ目線を向けた。

 あの時のユリアは、通信機の電源をつけたままでいるということを頭から抜けていた。いつ何が起きるかわからないため、ラウレンティウスも通信機の電源を落とすことはできない。

 あの時は、心にある淀みを躊躇いなく吐き出していた。そばに己の正体を知る人が誰もいなかったから──。

 しばらくのあいだ、居心地の悪い雰囲気と静かな空気が室内を支配した。


「……何も、言わなくて……悪かった……」


 それから少し経った後、ラウレンティウスがおそるおそる口を開いた。


「……別に──大丈夫よ。私の……うっかりミスだから……」


 そう言いながらも、ユリアは動揺していた。

 見られた。見られてしまった──。

 ユリアの動揺する顔を目にしたラウレンティウスは、しまったと言いたげに顔を歪ませていく。

 そして、ユリアは、そんな彼の顔を見て焦りと悲しみを顔に浮かばせた。やがて、不自然な微笑みを作る。


「──よければ、久しぶりにピアノを一緒に弾いてくれないかしら? 躍動感があって、気分転換になるような明るい曲が弾きたいわ」


 明らかに空元気と思われてしまう声色。今のユリアには、そんな声しか出せなかった。


「……だったら、お前が昔から好きな『二台のピアノのためのソナタ』でもするか。第一楽章から第三楽章まで止まらずに──。この曲は、昔に嫌というほど練習していたから、落ちてもまた復帰できる。練習なしでも大丈夫だ」


 それでも、ラウレンティウスは今のユリアにできるかぎり雰囲気を合わせた。


「ええ。その曲なら私も大丈夫よ。暗譜もできているわ」


 と言って、ユリアはラウレンティウスの隣にある、もうひとつのグランドピアノの椅子に座った。動揺はまだ続いているのか、彼女の指先が震えている。


「パートは? 一と二、どっちを弾きたい?」


「では、一を。あと、テンポの速さはどうしましょうか」


 それを問うと、ラウレンティウスは早めの間隔で手拍子をする。


「……このくらいだな。この曲は、テンポが速いほうが弾いていて楽しい。それじゃ、やるぞ──」


 ギクシャクとした空気から、明るいダンス曲のような旋律が始まる。

 はじめの数小節はどちらのパートも同じ旋律だが、それが過ぎると音という名の『糸』を編み上げるような構成となる曲だ。片方のパートが目立つ旋律を編んでいるとき、もう片方のパートはそれを引き立てる音を編む。その役割は、忙しなく交代する。

 はじめのうちは、ラウレンティウスの音が絡まったり、一部の音が消えることがあったが、時間が経つごとにそれがなくなっていった。勘を取り戻しているようだ。

 第一楽章が終わると、休憩を入れずにゆったりとした曲調の第二楽章へ。そして、ふたたび明るい曲調の第三楽章へと進む。


「……楽しかった──」


 第三楽章の最後の小節を引き終えると、ユリアはぽつりとこぼす。

 ここまで長く集中して、かつ誰かと弾いたのはいつ以来だろう。別の場所に行きたくなるようなあの微妙な雰囲気は、いつの間にかなくなっていた。


「付き合ってくれてありがとう。ラルス」


「いや、俺も……楽しかった。久しぶりのピアノだったが、やっぱり楽器を弾くと気分転換になるな」


「ええ。私もそう思うわ。だから、この時代でも楽器を習いたかったの」


「……。──昔も……何かを習っていたのか? 戦ってばかりだと思っていたが……」


「ええ。ハープに似た小さな楽器よ。膝に乗せて弾くものでね……。それを教えてくれたのは、私の側近であり……それから、国王代理となって……私の婚約者となった人だったわ……」


 ユリアは懐かしさと寂しさを浮かばせた顔で、ピアノの鍵盤を撫でながらそういった。ここまで詳しく言うつもりはなかったが、その人のことを思い浮かべていると、無意識にユリアの口から言葉が出てしまっていた。


「──……は……? 婚約者……?」

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