第七節 告白 ①
任務から一夜が明けた。
今日は、任務を命じられていない。しかし、もう何が起きるかわからない状況といってもいい。
(もしも、本当に予想通りだったら──)
アイオーンは今、魔術師殺しの実を採取しにヴァルブルクへ行ってくれている。今日は採取できれば街に戻ってくると言っていたため、おそらく昼頃にはアシュリーに実を渡してくれるだろう。それから分析が始まるはずだ。
工場にいた兵たちが持っていた銃弾も、ラウレンティウスがいくつかこっそりと懐に忍ばせてくれたおかげで、すでにアシュリーの手元にあるという。
現場の証拠品を無断で奪ったことが露見すれば、庁内での評判に差し支えるというのに、彼は迷いなく規則を破った。できれば早めに欲しかったことは確かだが、危険を冒してまでしてくれるとは、まったく変なところで思いっきりがいい。
そのようなことで、明日か明後日くらいには、魔術師殺しの実と銃弾の成分が一致しているかどうかが判明するだろう。
もしも、予想が当たっていれば──。
「……!」
ユリアの携帯端末に、電話を知らせるバイブレーション機能が作動した。ディスプレイを確認すると、『イヴェット』との文字。
もしかしたらアシュリーからではと思ったが、よく考えてみれば、さすがにそれはない。アイオーンすら、まだヴァルブルクから帰ってきていないのだから。
「──イヴェット? どうしたの?」
『ごめん、ユリアちゃん。今日って、時間あるかな?』
「今のところ何もないわ」
『実は、ミコトちゃんとクッキー作りしようって話になってね。今から買い物に行く予定なんだけど、時間があるならユリアちゃんも一緒に作って食べない? ミコトちゃんが、おねえちゃんも呼ぼうって』
ミコトはまだ幼い。そして、少し前までは、したいことを自由にできなかったこともあり、遊びたいという欲望が抑えきれずにいるのだろう。
彼女がそれを望んでいるのなら、その気持ちを叶えてやりたい──ユリアの心には、その感情があった。
それに、今は誰かと何かをしていたい。そのほうが、まだ不安にはならない。この気持ちを紛らわせたい。
「あら、嬉しいわね。では、行かせていただくわ。──今は、なんだか気晴らしになることをしたいから……」
『そうだよね……。今は、けっこう不穏だから……』
「ええ……。とりあえず、今から準備をしてリベラ寮に向かうから、買い物のほうはよろしくね」
◇◇◇
(高級車……? 誰が来ているのかしら──)
リベラ寮に到着すると、敷地と公道の境目にある門の前に、車体が大きな黒い高級車が停まっていた。
こんなものに乗ることができるのは富豪だ。しかし、リベラ寮の管理人であるホルストやその親族は、こんな車には乗らなかったはず。
車の運転席を見ると、スーツと白い薄手の手袋をつけた運転手がいる。要人か誰かが来ているのだろうか。
「あえぇっ!?」
すると、ユリアの視界に入っていないところから、少年の驚く声が聞こえてきた。
「あら、フェリクスじゃない。珍しいわね、ここにいるなんて」
ユリアが振り向くと、そこには十三、四歳ほどの身なりの良い少年が唖然としながら立っていた。
彼はフェリクス・フォルクハルト。ヒルデブラント王国の女王であるカサンドラ・オティーリエの孫にあたる。
「あっ、あー……はい、ちょっとー……」
フェリクスは、顔を引き攣らせながら後退った。少年の顔からは、焦りと戸惑いが見える。
「? どうしたの?」
「い、いやぁ……ユリア様がいるとは思わなくて──。あのー……どうして、ここに……?」
「リベラ寮にいる友達に会いにきたのよ。フェリクスは?」
「へ、へぇ〜、奇遇ですねぇ〜。僕も、ちょっとだけ用事があってぇ……あはは〜……」
ものすごい棒読みだ。そのうえ顔が引き攣っている。
何かを隠しているように見えるが、そのことを聞くとフェリクスは涙目になるかもしれない。なんだか可哀想だ。変なことをしていなければ、何も気にしないことにしようとユリアは思った。だが──。
「あ、あの! ちょっとだけ、ここで待っててくださいね! 来ちゃだめですからね!?」
フェリクスは、覚悟を決めた目をしたかと思えば、早口で説明するやいなやリベラ寮へと走っていった。
「……?」
ユリアは、眉を顰めて不審な目をしながら首を傾ける。
しばらくして、リベラ寮に入っていたフェリクスが出てきて、まるでスポーツ選手のような走りを見せながら戻ってきた。
「おまっ、たせ……しました……! お入りください……!」
「……まさか、何かイタズラでも仕掛けてきたの?」
息切れを起こすフェリクスに、ユリアはジト目を向けながら思っていることを口にした。その瞬間、フェリクスは吹き出す。
「ぶふぉっ!? ち、違います! 僕の行動、たしかに怪しいとは思いますけどぉ!? 誓ってそんなことしてませ──ごほっごほっ!」
早口のせいで唾が変なところに入ったのか、フェリクスは咳き込む。
「あー……だったら、ごめんなさい……。こういった発想が出てきてしまうのは、あの人のせいでね……」
「あ、あの人……?」
「……昔、お世話になった人よ。──ともかく、寮の中に入ってもいいのね?」
「は、はい! では、僕はこれでしゅつれいちまつ!」
そして、フェリクスは急いで高級車に乗り込み──彼は、車のドアを開くために控えていた付き人を無視して自分で開けた。付き人とユリアは、思わず目線を合わせる──やがて、車は去っていった。
(ものすごく噛んでいたけれど、本当に何をしていたのかしら……)
ともあれ、ユリアはリベラ寮の中へと入ることにした。
台所へ向かうと、そこにはイヴェットとミコトがいた。台の上には、クッキーを作るのに必要な材料や器具が置かれている。
「ふたりとも。お待たせ」
リベラ寮では、台所がふたつある。ひとつは雇っている料理人たちが食事を作っているところ。もうひとつは、誰でも自由に使用してもいいところだ。
「あ。待ってたよ」
「クッキー、作る! しよう!」
ミコトの嬉しそうな顔に、ユリアは顔を綻ばせた。こういう雰囲気のときは、誰かと共にいたほうがいいとユリアはしみじみと思う。
「……というか、急にごめんね。いろいろと大変なときなのに」
「いいえ。私も何かしたいと思っていたから。──そういえば、さっき門のところでフェリクスと会ったわ」
「あ。フェリクス様と会ったんだ。リュシエンヌちゃんのお見舞いに来ていらしてたんだよ」
フェリクスは女王の孫であるため、イヴェットは様付けをしている。ユリアもヴァルブルク王国の王女の娘だが、ユリアは例外だ。
「リュシエンヌのお見舞い?」
「うん。フェリクス様とリュシエンヌちゃんは友達なんだって」
リュシエンヌに意外な人物と繋がりがあったと判明すると、ユリアの頭にさまざまな疑問が浮かんだ。
どのような経緯で友達になったのだろう。もしや、フェリクスのあの焦りようは、彼女に対して何か特別な感情でもあるのだろうか──など、ふたりの関係性に少しだけ興味を抱いた。
「そう──。リュシエンヌ……無理をしていたのかしら……」
「そうみたい……。フェリクス様によると、最近は任務ばかりだったんだって。まだ春だし、少し前から気温差が激しいから体調を壊しちゃったんだと思う」
「……だったら、リュシエンヌにお粥でも持っていこうかしら。お粥のほうがエネルギー補給しやすいわよね。飲み物は、風邪に効くハーブティーがいいかしら」
風邪のときに粥を食べる習慣があるのは、ヒルデブラント王国ではなくヒノワ国だ。
ユリアやアイオーンの周囲にいたのは、ヒルデブラント王国に住みながらもヒノワ国の習慣に慣れた人達ばかりだったため、無意識にヒルデブラントとヒノワ両国の習慣が思いつく。
「あたしもそう思ったから、卵粥を作るための材料も買ってきたんだ。もちろん、ハーブティーも」
と、イヴェットは少し離れたところに置かれている小さな米袋とパック詰めされた卵、調味料とハーブティーが入った小箱を指す。
彼女はヒノワ人のクオーターであり、家族はヒルデブラント王国に住みながらもヒノワ国の習慣を取り入れた暮らしをしている。なので、ユリアたちと同様にヒノワ国の習慣も自然と思いつく。
「では、お粥は私が作るわ。ふたりはクッキーの下地作りをしておいてくれる?」
「はーい!」
ミコトは元気よく返事をすると、足元に置いていた台に乗り、レシピ本を開いてクッキーの作り方が書かれているページを探しはじめた。
「──イヴェット。あなた、セオドアの件はどこまで知っているの?」
ユリアが粥の準備を始めながら、小声で問いかける。
「ユリアちゃんが昨日行った任務まで。ラルス兄からメール来たよ。……そこにいた兵たちの銃弾が、なんだか怪しいんだよね?」
イヴェットも小声で返す。ミコトはページを探すのに夢中で気づいていない。
「ええ……。もしかしたら、ヴァルブルクにしか採れない実の成分が含まれているかもしれないの」
「……! それ、どんなの──?」




