第六節 秘めたるもの ③
「……私の目は、そんなふうに見えますか。それは光栄──と言いたいところですが……この世は、誰もが『当たり前』に『普通』の幸せを享受できる世界ではないということなど……幼い頃から知っています。そのような世界でないのは、遥か昔からですよ」
幸せであれば、あんな思いは抱き続けなかったはずだ。
きっと、『跳ね返せて』、『勝てていた』はずだ。
この時、ユリアは失念していた。ラウレンティウスが持つ通信機と自身が持つ通信機が繋がったままだということを──。
「……あら、なあに? 不幸自慢?」
「そのような趣味はありません。時間の無駄ですからね。──私があなたに言えることは、ひとつだけ……。『死んだ人は蘇らない』ということです」
そして、ユリアの雰囲気が戻る。
彼女の失念により、通信機越しに心の澱みの言葉を聞いてしまったラウレンティウスは黙り込んでいた。
「いいえ。また生き返るわ──。だって、魔力には奇跡を起こす力があるんだから……。星霊の核に合う身体を作れるのなら、あの子の魂が入れられる身体だって作れるはずよ」
「……あなたは、セオドアをどこまで知っているのですか?」
「ちょっとだけよ。直接、顔を合わせたことはないわ。人伝やメールで関わっていただけ」
間接的であっても、やはりセオドアと関わっていた。
ユリアは浅く息をつく。
「……もう、やめませんか。何をしても……死者は蘇りません」
そのとき、ユリアの脳裏にとある青年の姿が浮かんだ。後ろに三つ編みを垂らした、青い髪を持った青年の明るい笑顔──太陽のような人。
「正論の言葉は要らないわ。私が欲しいのは、それを超えた『奇跡』よ」
ユリアは悲しげに目を細めた。
やはり、この人はもう遠いところにいる。それでも戻ってきてほしい。愛情深い母親だったからこそ、この人は『あちら側』へと行ってしまったのだろうから──。
すると女性は、天井に顔を向けた。
「お嬢さんには理解できないと思うわ。『病気が治って、何かを心配することなく生きられたらいいな』と願っていたあの子の気持ちが、どれほどのものだったかなんて……。大切な人を失った者の気持ちもね……」
「失礼ながら──これでも私は……その両方を理解できますよ」
ユリアの脳裏に、またとある人物が浮かんだ。王族のような立派な服装を身にまとう中年の男女の後ろ姿。男の頭には、王冠。そして、ユリアよりも四、五歳ほど年上らしき青髪の青年──。
(私は『生きないといけない』、『生きることを望まれた』──なのに……その『選択肢』を奪われたことがあるから……)
この人は『過去に囚われた』者。セオドアも、なんらかの過去に囚われている。そして、私も──。
「社長さん──『私』という人間は、どちらかといえば……魔道庁側ではなく、社長さんのような人間寄りだと思っています。私だって、あの人たちを失いたくなかった……。できることなら、戻ってきてほしい……。もう昔のことですが──今でもそう思うことがあります」
魔道庁とともに任務を遂行する極秘部隊に属していながら、敵側寄りの人間だと戸惑いなく言い放つなど──いったい何を考えているのだろう。矛盾している。それは、ユリアも自覚していた。
思い浮かんだ言葉が、戸惑うこともなく、理性によって堰き止められることもなく口から出ていく。ここに『己の正体を知る者』がいないからだろうか。本心を語るという行為は、不思議と心を軽くしていく。
そういえば、少し前にそんなことをダグラスさんも言っていた気がする。そうか。こういうことだったのか──。
ユリアはしばらくの間、口をつぐむ。ややあって、否定するように首を振った。
この人には、もはやどんな言葉も届かない。それでも、少しの可能性があるのなら止めたい。無意味な行動であっても──。ユリアは、彼女に言葉を投げ続けた。
「──もしも、娘さんが生き返ったとしても……あなたは、もう犯罪者となってしまっている。我々は、あなたを野放しにはできません。この道を進んだ瞬間から、穏やかな幸せは手に入らないもとなってしまった」
「別に、私は犯罪者でも構わないわ。娘が返ってくることが、私の幸せなのだから──。それにしても、自分は魔道庁側ではないと言っていたくせに、偉そうに私に説教するのね?」
そして、女性は誰かに合図をするかのように手を挙げた。その瞬間、二階や一階の部屋からぞろぞろと銃を持った者たちが現れ、ユリアに銃口を向けた。
普通の人間ならば、間違いなく絶体絶命の状況に陥ってしまっている。しかし、ユリアは怯むことなく女社長を見据えていた。
「私には、この道を行く理由があります。そもそも、私は……『勇気』がない……人間ですから……」
「勇気はないのに、今の状況を怖がらないなんて──なかなか変わった感覚ね。でも、もう二度とここから出してあげないといったら……あなたはどうする?」
ユリアは、少しも怯えることなくまっすぐ女性を見続ける。
「別に、武器を向けられることは恐ろしくありません。そんなことよりも──たとえ、娘さんが戻ってきても、きっと生前のような日々は過ごせませんよ。魔道庁や警察から逃げ続け、世間から隠れ続けないといけません。……そんな日常で、生き返った娘さんは幸せだと思いますか……?」
この時、ユリアは思う。
私の『幸せ』って、なんなのだろう。
──くすっ……今のきみも、『逃げ続けて』、『隠れ続けている』よね。偉そうに言える立場かな? かつてのきみを知る、今は亡き人たちは……それを聞いてどう思うかな……?
(ッ……!?)
突如としてやってきた、『声なき意思』。ユリアは動揺し、足を一歩動かす。
その時、どこからか破裂音に似た音が響いた。それと同時、ユリアの頬から血が流れる。銃弾が撃たれた。しかし、ユリアは、アイオーンが持つ不老不死の力を得ているため、すぐに傷が閉じていく。
「……? なんなの、あなた──。まさか、傷がすぐに治る力を持っているの……!?」
治癒能力の高さに気づいた女性は、その瞬間、目を見開いた。
──ふふっ。ごめんね? ついイジワルしたくなっちゃった。でも、こんな程度でやられるきみじゃないでしょ? わたしを失望させないでね。
(……ッ、消えろ……! 今すぐに!)
ユリアは、心の中で叫ぶ。恐ろしいものが付近にいるかのように、鼓動が激しくなる。
「まあ、素敵……! あなたの身体に興味が出てきたわ!」
女社長は、稀有なユリアの能力に好奇心を示し、恍惚とした目を向ける。
表沙汰にしてはいけない力なのに──ユリアは顔を歪ませた。
「……娘さんが生き返ったら、他の人と違う存在となったことに苦しまないと言えますか? 娘さんは、罪を犯した母のことをなんとも思わず、生き返ったことを感謝する子なのですか……!?」
「……他人の娘の将来を気にするなんて、ずいぶんと余裕ね?」
ユリアは思った。もしかしたら、生き返った娘の幸せよりも、この人は自分が抱える悲しみを完全に消すことを目的としているのかもしれない。
永遠に癒えない悲しみは、私にもある──ユリアは、ひそかに彼女の心情に共感した。
「あなたの娘さんのことは、何も知りません……けれど──」
ロケットペンダントにあった少女の写真には、眩しい笑顔があった。娘は、きっと母を愛していた。母も娘を愛していた。だから、天にいる彼女は、今の母を見たら悲しむように感じた。これは身勝手な妄想にすぎない。それでも、そう感じたのだ。
「私は、あなたを止める。私の親が悪いことをしていたら、やっぱり悲しいし、止めたい──やめてほしいと思うから……! どんな理由があっても、それは求めてはいけなかったことだから──!」
法を順守する側の人間として、ユリアは綺麗な言葉を口にする。──その陰で、本心がこぼれる。
(羨ましい──娘さんが、羨ましい……。法を犯すほどに、親から愛を示されているなんて……! いいなぁ……)
──だったら、憎めばいいじゃない。何をためらっているの?
『声なき意思』が伝えてくる。
ユリアは苛立ちながらも、本心をぶつけた。
(たしかに、私は……『行き場のない怒り』を持っているわよ……。全部終わったのに、いまだに……)
──だろうねぇ。
(それでも──憎しみはない。……邪魔だ。消えろ)
ユリアの姿が、消えた。魔力の気配もない。
女性は呆け、銃を構えていた者たちは狼狽える。
それから一秒もしないうちに、ひとりの兵が倒された。そして、ひとり。また、ひとり。さらに、ひとり──兵たちの身体は地に落ちる。銃はへし折られ、あるいは握り潰されたように変形していく。
「な、に──!? ……きゃあッ!?」
唐突に姿を消したかと思えば、周囲にいた戦闘員たちがなすすべもなく倒れていく。やがて、全員が気絶した。その光景に動揺していた女性は、突然、なにかに引っ張られたかのように体勢を崩し、尻もちをついた。そして、勢いよく背と地面が合わさる。
「……終わりだ」
馬乗りをするように、ユリアは女性の身体の上に現れた。感情のない無慈悲な目を向けて、女性の首を掴んでいる──いつでも喉を締められるのだと脅すように。
「──ユリアぁッ!!」
背後からラウレンティウスの叫び声。ユリアはハッとして、声が聞こえたほうへと振り向いた。
「……! ラルス……!? 連絡はしてなかったはず──なのに、どうして……」
「っ──! そ、それは……直感だ。あれから連絡が途絶えていたから、もしかしたら敵と戦っているのかと思ってな……。それで、襲ってきた兵を倒して、この場所を聞き出したんだ。だから、迷わず来ることができた。──犯人に手錠をつける。退いてくれ」
「……わかったわ」
ラウレンティウスは腰に帯びているポーチから手錠──体内の魔力の動きを抑制する術式が施されているもの──を取り出し、女性を拘束した。
ユリアは女性から退くと、ふと彼の腕を見る。腕部分の服の端には、銃を受けた跡があったが、幸いにも血は出ていない。きっと危険な状況のなかを突っ込んできたのだろう。
「ローヴァイン隊長ー!」
少し遅れて、魔道庁の制服を着た魔術師が五名やってきた。
「倒れている奴らを捕らえてくれ。敵は全員、戦闘不能だ」
ラウレンティウスが命じると、魔道庁の魔術師たちは倒れている者たちに手錠をつけていく。




