第六節 秘めたるもの ②
中にはない。だが、外にはあった。
かなり微弱だったが、人工魔力の気配がある。
「……」
ここに来てから十五分ほどが経った。
まだ誰も来ない。忙しいのか。それとも、なにか急用ができてしまって来客の対応ができずにいるのか。
ユリアはワイシャツのボタンあたりを触り、あるもののスイッチを入れる。
「……ラルス。約束の時間から十五分ほど経ったけれど、まだ誰も来ないわ」
ユリアがあえてこの髪型──社会人としてはあまり好まれない髪の括り方──にしているのは、髪に隠している方の耳に小型の通信機があるからだった。マイクは、ワイシャツの裏側に付けている。
『忙しいのか……それとも、何かに勘づいて泳がせるつもりか──』
「今のところ、建物の中に問題はないわ。けれど、外にいると人工魔力の気配がわずかにするの。──この会社は、確実に『クロ』だと思うわ」
星が生み出す魔力と人工的に生成された魔力の気配は違う。
魔道庁が集めた情報によると、この工事には魔術師はひとりも勤めていないという。なのに、なぜ魔力が漂っているのか──この会社は、法を冒している。
『人工魔力がどこから出ているのか、辿れそうか?』
「そうね……。今のところ、廊下に人の気配はなさそうだから、姿を消して探ってみるわ」
『わかった。気を付けて動いてくれ』
「ええ」
持ってきた鞄の中に重要なものはないため、荷物は置いておく──ユリアは、ゆっくりと扉を開いた。左右を確認するが、人の姿も気配もない。
廊下に出て、音を立てずに扉を閉めると、ユリアは目くらましの術と気配遮断の術を使って姿と魔力の気配を消した。防犯カメラにそれまでの行動が映っているかもしれないが、そもそもこの会社には魔術師はいないとのことだ。いたとしても、ユリアは高い魔術技能を持っている。なので、万が一、騒ぎになっても問題はない。
(正面玄関の自動ドアから出ると、無駄な騒ぎが起きるかもしれない。一応、目立たないところにある窓から外へ出よう──)
ユリアは足音を立てることなく、建物の隅にある女子トイレへと向かい、そこの窓を開けて外に出た。
ふたつの魔術を使いながら、弱い人工魔力の気配を追っていく。場所は、どんどん工場から離れていき、敷地内の端にある、よくわからない建物の付近までやってきた。しかし、この建物には出入り口がない。
気配は、おそらくこの地下からだ。足元から人工魔力がわずかに出ている。どこかに換気口があるのだろうか。
「……ラルス。おそらく、敷地の一番端にある建物の地下に何かがあると思うわ。あの建物だけ新しくて、なんだか不自然な場所にある。──足元から、人工魔力の気配がわずかにするけれど、この建物に入るための扉がどこにもないの。もしかしたら、地下から入るのかもしれない。入り方を見つけるまで少し待っていて」
『わかった。時間のことは気にするな』
ユリアはふたたび女子トイレの窓から建物の中へふたたび入り、これからのことを思案した。
(──おそらく、あそこへ辿り着くためには、なにかしらのセキュリティもあるはず。となると、まずは情報収集かしら)
そのために、人がいそうな場所へ。
ユリアは、足音を立てずにオフィスがある建物から工場へと続く渡り廊下に向かった。すると、渡り廊下の先にあったのは、頑丈そうな見た目をした扉。そばにはカードキーをかざすための機械がある。
やはりセキュリティはあった。さて、どうしようか。扉を破壊して進んでもいいが、そのせいで余計な面倒事を招いてしまうことは避けたほうがいい──。
(……? 人の声がする……)
一瞬だけ、扉の向こう側から声らしきものが聞こえてきた。その時、短い機械音がなり、扉が開いた。姿と魔力の気配を消しながら、ユリアは扉のすぐそばに移動し、潜みつづける。
(──なにかしら、この人たちは……。事務職の人でも、工場勤務の人でもなさそうだわ)
現れたのは、高濃度の魔力が充満するところで活躍する防護マスクをかぶった、二人の大人。頭から首元までを覆う防護マスクをかぶっているため性別はわからないが、風貌はまるでどこかの戦闘員のような印象がある。なぜなら、長銃を携えているからだ。
「俺の勘では、消えたお客はまだこっちだろうぜ」
(私を探している──)
話を聞いていれば、なにかわかるかもしれない。だが、ずっと扉が聞いているわけではないない。問題を起こさずにセキュリティが施された扉を開くのは無理だ。この機を逃せば、次にいつ工場のほうへ行けるようになるかわからない。
ユリアは、ゆっくりと閉じていく扉の隙間に身体を滑り込ませ、わずかに扉を開きながら二人の会話を聞く。
「なんにせよ、早く侵入者を見つけないとな……。あの女社長の機嫌を損なえば、報酬金が減っちまうかもしれん」
「魔道庁のヤツか、極秘部隊か──どっちだろうな」
「たぶん、極秘部隊だな。たったひとりで来たんだから」
「ひとりとは自信たっぷりだな。でも、この『魔術師殺しの弾』があれば、どんな奴も無力化できる──」
(え……? 『魔術師殺し』……?)
その言葉を聞いたユリアの脳裏に、ある記憶がよぎる。
いや、まさか。名前が似ているのは、きっと偶然だ。効果も似ているが──。
声が聞き取りづらくなった頃、ユリアは扉を閉めた。
そして、防犯機能がなさそうな女子トイレに行き、ワイシャツの裏側に付けている小型マイクにしゃべりかけた。
「──ラルス。運良く、工場エリアに入り込めたわ。会社側は、私が消えたことと、正体が魔道庁か極秘部隊の魔術師であると認識しているみたい。あと、ここには雇われ兵のような人たちがいるわ。そいつらは、一時的に魔術を使えなくするという効果を持った銃を装備していて、警戒しながら工場内を巡回しているわ」
『……わかった』
「報告は以上よ。調査を続行するわ──」
工場内には、大きな管やよくわからない機械がたくさんある。だが、人工魔力の気配はしない。
そのまま奥へ進んでいると、何人かの人の声が聞こえてきた。声が聞こえたほうへ行くと、そこには、先ほどのふたりと同じ風貌をした人間が十人いた。全員がまた防護マスクをかぶっている。
「──やっぱり、ここじゃなくて事務室がある建物のほうにいるんじゃないか? まだセキュリティはどこも突破されてないだろ?」
(さっきの人たちと同じ……)
姿と魔力の気配を隠したユリアは、ゆっくりと近づき、雇われ兵らしき者たちの話を聞く。
「だろうな……。けど、念のため半分は残るべきだ。何かを利用して、セキュリティに見つかることなく入ってきているかもしれない」
「だな。では、我々の班はあの社長のところへ行こう」
(また運が味方してくれるとはね──。ある意味、この雇われ兵たちがいてくれて助かったわ。ひとりだと、なにか騒ぎを起こしながら進まなければ判らなかったはずだわ)
社長のところへ行くメンバーの後ろをついていき、それから数分が経った。工場の奥側に古びた扉があった。その向こう側は、地下の階に続いている薄暗い階段室だった。そこを降りて、しばらく歩くと、また階段があった。そこを上がりきると、ひときわ大きくて丸い鉄の扉──外部からの破壊攻撃や、耐火性を兼ね備えていそうな金庫扉のようなもの──があった。どうやら、ここは重要な場所らしい。メンバーのひとりがそれを開錠する。
(──今だわ)
刹那、ユリアは姿を現し、格闘技と魔術を使って全員を素早く気絶させた。
「ぐっ……!?」
「──ごめんなさいね」
最後の一人が倒れると、ユリアは開錠された扉を開いた。
「……これは……」
扉の先にあったのは、研究所と思わしきところだった。誰もいないが、奥には扉がある。そこからわずかに人工魔力の気配がする。
(きっと、あそこが──)
目的の場所だ。ユリアは扉を開いた。
その先にあったのは、円柱型の広い空間だった。天井は高いが、無機質で暗い色味のメタリックな壁で覆われているため太陽の光は一切入ってこない。離れたところにあるふたつの階段が二階へと繋げており、その奥には地上から天井まで大きなガラスが張られていた。ガラスの向こう側にも広い空間が広がっているが、やはり太陽の光はない。すべてが人工物に覆われた空間。だからだろうか。ここだけ、雰囲気がまったく違う。照明も薄暗く、いまく言えないが居心地が悪い。
「──やっぱり、今日の来客は『お客様』ではなかったのね」
ユリアがフロアを茫然と見ていると、二階の自動ドアが開き、白衣を着た四十代ほどの女性が現れた。
「……あなたが、社長さんですか? セオドアと関わりを持っているかもしれないという──」
ユリアは単刀直入に問いかけると、女性は薄く笑いながら階段を下りてくる。そして、一階と二階の間にある踊り場で止まった。
「……あら、まあ。バレちゃったのね」
焦ることもなく、悪びれることもなく、女性は言葉をこぼす。
「この会社には、人工魔力を取り扱うどころか、生成する許可すらないはずです。なのに、どうして魔力の気配がするのでしょうか……?」
「決まっているじゃない。──必要だったからこそ、道具や材料を揃えたのよ。ここまで揃えるのはなかなか苦労したわ」
「娘さんのために……求めてはいけないものに手を伸ばしたのですか……?」
「……この渇望は──あなたなんかには、何もわからないでしょうね……」
その時、女性の目と声色に、悲しみと怒りが宿る。ユリアはそれを見逃さなかった。
「……どうでしょう。これでも、わかることはありますよ。……それでも、あなたは願ってはいけなかった──」
「ふふっ。お嬢さんは心が綺麗なのね……。あなたのその目──綺麗なものしか映していなさそうだわ。この世の中はね、誰もが『当たり前』に『普通』の幸せを享受できる世界ではないのよ」
その瞬間、ユリアは呆気にとられた。
そして──。
「……あっ、はは──」
口元を隠すように手を添えながら俯き、小さく笑った。その笑い方は、少しだけ嘲る感情が含まれているようだった。
ユリアの様子が変わったことに、女性はわずかに眉を顰める。




