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第一節 十年前の出逢い ③

 ある星霊は気づいてしまったのだ。当時のその者は、死への恐怖のあまり理性を失っていた。


『人間は、魔力がなくなっても、食物さえあれば生きられる。さらには、星霊に必要な魔力を体内で作ることができる……。ならば、人間の魂を消滅させて、その身体を自分の器としていけば……この世に魔力がなくなっても、自分は生き延びることができるんじゃないか──?』


 人間の身体構造に希望を見出した星霊は、無辜の人間の魂を奪った。そして、その肉体を自分のものとした。

 その後──この事件を知った者たちは、殺人を犯した星霊を罪を犯した者と断じ、処刑した。


 悲劇は、これだけで終わらなかった。


 この事件が知れ渡ると、星霊による人間の殺害が世界中で増加し、人間は星霊に不信感と反感を持つようになった。


『星霊は、今となっては常に命の危険に脅かされている存在だ。それゆえ、いつ人間を殺すかわからない。ならば、一刻も早くそいつらをこの世から消すべきではないか……? でなければ、我々人間が危ない──!』


 そして人間は、星霊という種族への不信感を止められず、ついに罪のない星霊を無差別に殺していく者が増えていった。

 この事件から、星霊も人間に猜疑心と反感を抱くようになった。


 こうして世界は、戦乱の時代へと移り変わる。


 自分とは違う他種族を信じない不信派と、かつてのように共に歩もうとする共存派、どこにも属さない中立派が生まれた。


 魔力が減衰していった原因は、現代でも不明である。

 一説には、星の老化現象ではないかと言われているが、その確証はない。


 やがて、人間と星霊にさらなる絶望が現れる。


 不信派と共存派の争いに呼応したかのように、謎の怪物が突如として現れたのだ。この星にある、海底を含めたすべての地に──。


 やつらは、『魔物』と呼ばれている魔力を操れる野生動物ではない。

 記録によれば、そもそも生き物と称していいのか判らない存在だったという。外見は、特定の形を持っていない、異形という言葉がふさわしいもの。

 端的に例えると『黒い泥』──このことから、その怪物は〈黒きもの〉と呼ばれるようになった。


 〈黒きもの〉は、人間と星霊を見つけると見境なく襲ってきた。泥に呑み込まれると、跡形もなく消し去っていく。

 この時代は、魔力の減少から発展した争いだけでなく、〈黒きもの〉が到来した。

 ──世は、さらなる混沌に飲み込まれた。


 この怪物の正体や現れた原因も、魔力の減少と同様に、今に至るまで何も判っていない。



 そんな時代に、英雄は生まれる。



 彼女が誕生したのは、人間と星霊の共存を望み、なおかつ謎の怪物〈黒きもの〉と戦う者たちが集まっていたヴァルブルク辺境伯領。

 そこは、のちに同盟を組んでいた国々からの支援や共存派の象徴としての存在感があったこともあり、都市国家として認められた歴史を持つ。


 彼女は、その国の王の娘として誕生した。名前は、ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルク。

 ユリア・ジークリンデの母は、ヒルデブラント王国の姫君であった。そのため、ユリア・ジークリンデはヒルデブラントの姓を名乗ることが許されていたという。


 彼女は、赤ん坊の頃からすでに並外れた力を持ち、幼い頃から頭角を現していた。

 一般的な人間や星霊よりも強い力をもつ星霊──大星霊にもその類稀なる力を認められ、十歳の頃にはすでに戦場へ出て戦果を上げていたという。


 彼女は、〈黒きもの〉の討伐だけでなく、無辜の人間を殺す星霊や悪意なき星霊を殺す人間──不信派の者たちを罰し、各地の混乱も鎮圧していった。そのことから、彼女の存在は争いの抑止力ともなった。

 彼女の存在は、ヴァルブルク王国だけでなく、周辺国や遠く離れた国々にとっても『光』であった。


 やがて、彼女は、謎の怪物である〈黒きもの〉が出現する根本的な原因を発見する。

 彼女はそれを滅し、〈黒きもの〉は二度とこの世から現れなくなったという──。



◇◇◇



「──やがて、ユリア・ジークリンデは、戦場で受けた傷が悪化して死んだ。そして、墓を荒らされないよう隠されて埋葬された……。今では、この説が有力視されているね」


「ねぇ、先生。ユリア・ジークリンデはヴァルブルク王国で誕生したっていう記録と、戦いの活躍は残ってるけど……肖像画とか、本人が使ってた武器とか、一個も残ってないよね? 本当にその人いたの? って、思っちゃうんだけど」


「それじゃ、歴史に残っているユリア・ジークリンデは、いったい何だと思う?」


「何、っていうか……最初からいなかったとか……? それか、ユリア・ジークリンデの功績を妬んだ人が、その人が死んだときに肖像画や遺品を片っ端から捨てちゃったから、現代には残ってないとか……?」


「まあ、妬む人はいたかもしれないな。でも、彼女の存在自体を疑う声は、昔からけっこうあるんだ。だから、ユリア・ジークリンデは〈彷徨える戦姫〉と呼ばれてる」


 その後の彼女の行方は、誰も知らない。どの公式記録からも姿を消した。彼女を看取った者や、遺体を埋葬したという者はおらず、墓の存在すら確認されていない。

 そのため、ユリア・ジークリンデという人間は確かに存在していたが、ほかの名もなき人たちの功績も一緒になって『ユリア・ジークリンデ』となったのではないかという説がある。


「残されてる資料はめちゃくちゃ少ないし、もう何が正解なのかなんてわかりっこないんじゃない?」


「その可能性もあるし、これから出てくる可能性もある。あるいは……『正解の歴史』がわからないほうが、誰かにとって都合がいいのかもしれない──」


「なにそれ」


「先生の想像だよ。歴史というのは、おもに強い権力を持った人たちが作っていくものだと思ってるから」


「……?」


「まあ、それはともかく──あきらかに創作だとわかる説だと、彼女は神に見初められてこの世界を去ったとか、さらなる戦いを求めて時空を超えたといったものがあるな。でも、彼女には、『神のような力』を持った大星霊の親しい友がいたとされている。これは史実である可能性が高いため、創作だと思われている説もあながち間違いではないと思う人もいるんだよ」


「なんか、ユリア・ジークリンデの歴史って本気でなんでもアリな気がしてきた──。大昔って、魔術がかなり発展してて、新しい魔術の発明もしてたよね……? 過去や未来にも行けたりしたのかな?」


「さあ……。先生は魔術師じゃないから、よく判らないなぁ……。今の環境だと、何もないところから火を出すとか──機械でもできることが限度らしいけど」


「それでも、普通の人間にとったらめちゃくちゃ怖いよね。自分的には、肉体強化が普通に怖い」


「たしかに怖い人たちだ。実際、魔術師を怖がる人はいる。だからこそ、魔術を使える人は、小さい頃から厳しい訓練や勉強することを義務づけられているんだ。そして、魔術師社会では、人の役に立つ職業に就くことが当たり前のようになっている。魔術師の家系に生まれながらそれができない人間は、社会からはじき出される──今はそうでもなくなってきたんだけどね……。それでも、魔術師という人間は強い力を持っているからか、昔からけっこう傲慢な人は少なくない。こんな人たちが多かったから、いつしか血筋を重視する社会を形成し──って、ユリア・ジークリンデの話から脱線しまくったな……。はい、教科書に戻るぞー」


「もっと脱線してー」


「先生だって無限に時間があるわけじゃないんだよ。次のご家庭に行って、ほかの子にも勉強を教えないといけないし」


「うぇー……」


 〈彷徨える戦姫〉──史実と創作を彷徨う英雄ユリア・ジークリンデ。

 そのうちのひとつの真実を知るのは、ヒルデブラント王家に連なる一部の人間のみ。


 彼女は、生きている。


 『神のような力』を持った親しい友である、大星霊とともに──。



◇◇◇



──ここは、どこなのかしら……。


 少しずつ意識がはっきりとしてきた。

 明るい光が、窓から射している。時刻は昼前か。

 座面がふわふわとした椅子に座っている。机には、赤みを帯びた茶が淹れられた質素なティーカップ。

 目の前にいるのは、上品そうな初老の女性。彼女を認識すると、自然と名前が判った。名は、カサンドラ・オティーリエ。今の時代のヒルデブラント国王。

 そして、彼女の隣には、自分よりも十歳ほど年上らしき男性。名前はダグラス。魔術師の犯罪捜査を担う組織『魔道庁』の職員。王族の血筋だが、複雑な出生ゆえに王室の一員ではない一般人として生きている。だが、こうして王室とのつながりを持つ少し変わった立場にある人。名字は『ヒルデブラント』ではなく、養父の名字である『ロイ』を名乗っている。

 その人たちと『私』は、何かを話している。聞き慣れない言語のはずなのに、理解できる。きっと、アイオーンが誰かの魔力を経て手に入れた知識だろう。


「……少し待ってくれ、ユリアが起きたようだ」


 その時、ユリアの身体を操るアイオーンが、初老の女性と若い男性にそう言った。ふたりは少しだけ驚いた様子を見せている。


──起きたか。ユリア。


 アイオーンは、深みのある赤色をした茶が入ったティーカップに目を落としながら、心の中でユリアに話しかけた。


──アイオーン、待って……。状況がまだ、いまいち掴めないわ……。


──ハインリヒ七世と交わした約束が果たされたんだ。俺たちは、あの時からおよそ千年が経った時代にいる。目の前にいるふたりのことは、なんとなくでも判るか?


──ええ……。カサンドラ・オティーリエ・フォン・ヒルデブラント様とダグラス・ロイさん、よね……? 迎えに来てくれて、魔力から現代語を習得させてくれて、それから一日が経って……今は、衣食住をどうするかの話をしていたの……?


──ああ。少しだけでも挨拶をするか?


──そうね……。これから、お世話になるのだから……。表に出させて。


 ユリアが了承すると、アイオーンはカサンドラとダグラスに顔を向けた。


「……すまないが、ふたりとも。ユリアが表に出て挨拶がしたいと言っている。──変わるぞ」


「……はじめまして。ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルクと申します。私のことは、ユリアをお呼びください。おふたりの名前は存じておりますので……大丈夫です。喋り方も、アイオーンと同じで大丈夫ですので、お気遣いなく……」


 彼女が発した声は、今にも消えそうなほど小さいものだった。

 それにくわえて、アイオーンから彼女へと人格の主導権が変わった瞬間、彼女の目はどこか空虚なものとなり、憔悴、困憊、諦念といった負の雰囲気をまとうものへと変化した。彼女の顔立ち自体は、品の良さを感じさせるものなのだが、その印象が塗りつぶされた。

 ユリア・ジークリンデが死んだとされる年齢は、およそ二十歳。そんな若い女性が、いったいどのような人生を歩めばこのような雰囲気になってしまうのか──。向かい側に座っていたカサンドラとダグラスは、思わず固唾を呑む。


「……現代でも、私のようにふたつの名を持つ方がいらっしゃるとは思いませんでした」


 自分が現れた瞬間、ふたりの雰囲気が良くないものになったのを感じ取ったユリアは、なんとか場の空気を和らげようと思いついた話題を振った。

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