第五節 ひとときの休息 ③
そんなことを心の中でぼやいていたら、携帯端末が着信を知らせるバイブレーションが起動した。電話はホルストからだ。
『ユリアー。すまーん。全然、任務とかじゃないんだけどさ、今って空いてるか?』
「ええ。どうしたの?」
『実は、ミコトが「おねえちゃん、もしも、時間ある、なら、来る、言う、お願い」って言われてさ──ちょっとだけでもいいからさ、時間があったら遊んであげてくれないか?』
その言葉に、ユリアは「あ」と短い声をこぼす。彼女とは一緒に遊ぶと約束をしていた。今日は、リベラ寮へ行ってミコトと遊ぼう。
「大丈夫よ。ちょうど予定はないから、今から準備して行くわ」
『それならよかった。今だったら、イヴェットがミコトとジョシュアに魔術を教えてるからさ。覗いてみるといいよ』
「イヴェットも? あの子、もしかしてリベラ寮によく来ているの?」
『そうそう。いずれは、ここの教師として就職したいらしいからさ。まだ時期は早いけど、インターンシップみたいなのを兼ねたアルバイトで。大学の講義がないときに来てもらってるんだ。実際にやってみたら理想と現実のギャップを掴めるだろうし。あ、当然、給料はしっかり払ってるよ』
「そうだったの……。ジョシュアの魔力感知は、イヴェットから教わったものだと聞いているわ。新米とはいえ、なかなかの感知力だったと思う。──もちろん、これはイヴェットが身内だから甘く言っているというわけではないわよ」
『へえ? そんじゃ、ちょっとふたりに加点しておこうかな。──んじゃ、リベラ寮で待ってるからさ。着いたら裏庭に行ってくれ。そこで勉強してるよ』
◇◇◇
新市街地の郊外にある、リベラ寮。内装がリノベーションされた元貴族の屋敷は、広大な土地に抱かれている。
その屋敷の裏側にある華やかな庭園の一角にて、ミコト、ジョシュア、イヴェットの三人はいた。
「あっ! おねえちゃんだ!」
なんらかの魔術を練習していたミコトがいち早くユリアの姿を見つけ、大きな声を出した。
「あれっ? ユリアちゃん、なんでここにいるの?」
彼女の来訪にイヴェットは驚く。
「うわ。先輩じゃん」
ジョシュアは、『任務でもないのにここに来るなんて意外』と言いたげな驚きの声を発した。
「遊びに来たわ」
「遊びに?」
イヴェットが問う。
「ホルストから連絡が来たのよ。ミコトちゃんが呼んでいるって──。それに、ちょうどジョシュアも来ていて、ふたりはイヴェットから魔術を教えてもらっているからとね」
「あ、そっか──。ユリアちゃんって、少し前にミコトちゃんやジョシュアくんと偶然知り合ったんだっけ。ふたりから聞いたよ」
イヴェットがそう言うと、「つい何日か前の任務でね」とユリアは付け加える。
「──それにしても、少し前までイヴェットは普通の学生だったのに、いつの間にかすっかり先生ね。ふたりに魔術を教えていたなんて」
「でも、自分はまだまだひよっこ以下なんだって、すごく思い知らされてるよ……。教えるのってすごく難しくて、四苦八苦してる。ミコトちゃんやジョシュアくんは私の話を聞いてくれるけど、そうじゃない子もいるし……。リベラ寮にいる子たちは、すごく特殊な環境下に置かれていた子が多いから──」
「そうよね……。私も教えるのは難しいと思ったわ。私は特に、手加減の感覚がわからなくて……」
すると、ユリアは目線をそらして遠い目をした。
「あ~……だよねぇ……。ラルス兄とイグ兄、頑張って食らいついてたけど、修行が終わった瞬間に魂抜けたように倒れてたもん……」
イヴェットも過去を思い出し、遠い目をする。
「それと比べたらあなたは上手くやっているわ、絶対に」
「うん。なんかやっぱりユリアちゃんと比べたらあたしは全然マシかもって思えてきた」
そんなふたりにミコトは不思議そうに首をかしげている。ジョシュアは怪訝な目を向け、口を開いた。
「……先輩と先生って、同年代だよね?」
その瞬間、イヴェットは彼を見てにこりと笑う。
「ジョシュアくん。口じゃなくて、魔力を動かしてほしいな~? 少し練習したらテストするよ? この魔術も大切なものだから」
「……はいはーい」
イヴェットが彼の質問を切ったのは、練習を促すためではない。その何気ない質問は、秘匿されるべき事柄に繋がっているからだ。
「──というわけで、ユリアちゃん。ちょっと向こうに行こう。ここで話してたら練習中のふたりの気が散っちゃうから」
イヴェットはユリアの腕を引っ張り、少し離れたところにある女神像の前へと移動した。ここまで来たら大声で話さないかぎり話は聞こえないだろう。
「なんかさー、ふたりっきりで話すのって久しぶりだよね」
「そうよねぇ。イヴェットも大学に入ってから多忙になったし……。アイオーンがいるけれど、それでもたまに寂しくなってしまうわ」
「もうちょっとガマンしててー。三年生になったら、もう少し遊べるようになると思うから。そしたら、また遠出しようよ。ユリアちゃんの行きたいとこでいいよ」
「あら、いいの? では、どこに行こうか候補を決めておくわ」
ヒルデブラント王国は広い。まだ行けていない観光地がたくさんある。だが、本音を言うと遠い国に行ってみたい。特にヒノワ国。イヴェットたちの祖父母がその国にいることから、昔から何度か訪れたことがある。それでも、まだまだ行きたい。興味があるからだ。愛刀の光陰が生まれた地であり、両親が降り立ったことがある土地でもある──。
「……ねえ、イヴェット。話は変わるのだけど──イヴェットは、どうして先生になろうと思ったの?」
「ユリアちゃんとアイオーンの影響だよ?」
「私たちの?」
「うん。ユリアちゃんとアイオーンは、あたしたちに昔からいろいろなことを教えてくれてるでしょ? 何かができるようになると、そのたびに世界が広がっていった気がして、見えるものも違っていったもん。『見える世界』が違ってくる感動を、家族以外の誰かにも感じてもらいたい、そのワクワクを共有できたらいいな──って、思ったのがきっかけ。それに、昔は〈持たざる者〉だったイグ兄が魔術師になる夢を掴んだのは本当にすごいと思ったし、そこまで導いたユリアちゃんとアイオーンがカッコいいと思ったよ。ああいう人になれたらなって、漠然と思ったの」
そして、イヴェットは青空を見上げる。
「あと……ラルス兄やイグ兄は、さすがに初めのうちはユリアちゃんやアイオーンには手も足も出なかったけど、だんだんついていけるようになっていったでしょ? それで、ついには四年に一回の魔道庁の武闘大会で、一位と二位になった──。ユリアちゃんとアイオーンから教えてもらった知識は、あたしたち以外の誰かの可能性も広げられるんじゃないかなって思ってさ。そうなったら素敵じゃないかなって思って、この道に行ったんだ」
「そうだったの──」
まさか、教師の道に歩んだきっかけが自分たちだったとは。
意外な事実にユリアが呆けていると、イヴェットは不安そうにとある話を口にする。
「──そういえば、セオドアのことなんだけど……なんだか、いろいろと不穏なことがわかってきたね」
「ええ……。イヴェットは、特に何も情報はない?」
「うん、なにも……。あたしが関わりを持っているのは、今のところ大学やリベラ寮だけだから──。それに、ヴァルブルクのことも気になることが出てきたよね……」
アイオーンの調査についても、みんなに報告が行っているようだ。
セオドアとヴァルブルク──疑問が出てくるばかりで、確実にわかることは増えてくれない。考えれば考えるだけ不穏な気持ちに支配されてしまいそうになる。
「おねえーちゃーん! ルシー、帰る、したー!」
そんな気持ちになりかけていた時、ミコトの大きな声が耳に入った。
「──え? ルシーって、誰……?」
ユリアは、ミコトがいる方向を見る。だが、彼女とジョシュア以外は誰もいない。
「いつも顔を包帯で隠してる、十四歳か十五歳くらいの女の子だよ。顔を隠してる理由は、ケガとかじゃなくて……自分の顔があまり好きじゃないからなんだって」
すると、イヴェットが説明してくれた。
「そんな子がいるの?」
「うん。その子がいつ極秘部隊に入ってきたのか、あたしもよく知らないんだけどね……。あまり他人と関わろうとはしない子なんだけど、すごく強い子なんだって。いつも何かの仕事を任されてて、リベラ寮にはあまりいないみたい」
「へえ……」
「──ルシー! なぜ、隠れるー!? だめー! 出る、してー!」
ミコトが誰もいないところで訴えている。
やがて、そこから人の姿がはっきりと現れた。極秘部隊の制服を着た──今日は比較的温かいが、それでもワイシャツや上着をしっかりと着込んでいる──人物。
「……」
少女の目は、青みを帯びた淡く美しい緑色をしている。そして、鼻孔と口以外のところは隙間なく包帯に包まれている。どのような顔つきをしているのかは判らない。
髪は、段カットが施された深紅のセミショートだ。頬が隠れるほどの長さがあり、毛先が少しだけ跳ねている。
少女は『ルシー』と呼ばれていたが、どこの国の出身だろうか。このあたりでは聞きなれない名だ。
それにしても、彼女から魔力の気配を感じない。消しているようだ。
「あ! 出た! ほら、おねえちゃーん!」
「はーい」
ミコトに呼ばれたユリアは、包帯の少女に近づいた。
「──こんにちは。はじめまして」
イヴェット曰く、あまり自分から進んで他人と関わろうとしない子らしいが、はたしてどういう反応をしてくれるだろうか。
「……は、はじめ、まして……」
(……? この子、少し身体を震わせている? 初対面だと緊張してしまうのかしら……? 顔が包帯に巻かれているから、調子が悪いのかもわからないわね──)
顔が包帯で隠れているため、性別の判断も少し難しい。声は、どちらかといえば少女というものだった。人によっては、少年と感じるかもしれない。
「あなたは、ルシーというお名前なの?」
「いえ。お──あ、いや……」
少女はそう言って戸惑うように目をそらしたが、すぐに何かを悟るように落ち着き、身体の震えも止まった。やがて、ユリアと向き合う。
「……いや。ルシーという名前は、ミコトが舌っ足らずだからそう言っているだけ。……名前は、リュシエンヌ」
「リュシエンヌというのね。ということは、出身はサン・ブラン共和国?」
「そう。移住してきた」
先ほどの戸惑った様子は何だったのかと思うほどに、少女はやや無機質な喋り方をした。感情が見えないが、これが普段の言葉遣いなのだろう。
「──申し訳ないけど、これからすることがあるから。失礼する」
淡々とした口調で説明すると、リュシエンヌは踵を返して去っていった。
「……ルシー、いつもコレ」
リュシエンヌの姿が遠くなった時にミコトがぽつりと言い、ジョシュアも頷いている。
「たまに見かけても、いつもあんな感じ。だから、気にしなくていいよ。ちょっと変なとこあるし」
「変なとこ?」
「だって、真夏でも長袖のワイシャツに黒い上着を着てるんだよ? さすがに暑すぎでしょ。本人は平気そうに過ごしてるみたいだけど」
もしかしたら、リュシエンヌは体質的な問題で肌を晒せないのかもしれない。なぜなら、ユリア自身がそうだからだ。
「私も、夏場だろうとほとんど長袖で過ごしているわよ?」
「えぇ……? なんで……?」
「身体中に傷があるのよ。それを隠すために長袖を着ているわ」
「……腕だけじゃなかったんだ」
「小さい頃から戦っていたから、傷だらけなのよ」
「ふーん……。でも、だからって暑すぎない?」
「魔術で身体全体を冷やしていれば、けっこう耐えられるわよ。もしかしたら、リュシエンヌもそれをしているのかもしれないわ」
体内の温度を低くする魔術は、一応この時代にも残っている。しかし、魔術をかけ続けなければ意味がないため、それを使おうとする人は少ないらしい。
「なにそれ……。そんな面倒くさそうなことやってんの?」
「たくさんの傷がある腕を堂々と晒していると、いろんな人たちに驚かれるもの。きっと、リュシエンヌには身体を隠したい理由があるのだと思うわ。顔にも包帯を巻いているし……私と似たようなことになっているのかもしれない」




