第五節 ひとときの休息 ②
「何度も言うが、私には興味がない。放っておいてくれ」
(ラルス──)
ユリアは歩く向きを返え、声がした場所へと急ぐ。会議室らしき部屋の扉の隙間から光がもれている。あそこにいるようだ。
ユリアは、半開きとなった部屋の扉をノックして開いた。
「……ああ。やはり、ローヴァイン殿のお声でしたか。ちょうどいいところに」
ユリアは、何も知らなさそうな微笑みを浮かべた。ラウレンティウスにとっては予想外の事態であるため、彼はユリアの姿を見ながら唖然としている。
彼と一緒にいたのは、後輩と思わしき女性だった。彼女は、邪魔をするなと言わんばかりにユリアを軽く睨んでいるが、ユリアは無視をする。
ユリアが魔道庁の制服とは異なるものを着ていることから、後輩らしき女性はユリアが極秘部隊の一員だということを理解しているはずだ。付き添いもなしに庁舎内を歩けるのは、ここの職員と極秘部隊だけである。
さらに、極秘部隊は魔道庁の上層部を除き、職員よりも立場は上。それなのに、彼の後輩らしき女性は、礼を示すことなく平然と睨みつけている。
このことから、おそらく彼女は元貴族の家系の出身なのだろうと判別できる。
「……っ──何か、私にご用でも?」
ラウレンティウスは、仕事中では『私』と言っているらしい。
あまり似合わないわね、というのが正直なユリアの感想だが、もちろん口にはしない。
「はい。ロイ総長とローヴァイン殿にお伝えしたいことがありましたので、こちらに参りました。お時間がよろしければ、私とともに執務室へ来ていただきたいのですが」
「……わかりました」
ラウレンティウスを部屋から出すと、ユリアは彼の背中を押してそそくさにその場から立ち去った。
それからしばらく歩き、執務室に到着する。
「──ラルス。何があったのか、聞いてもいい……?」
すると、ラウレンティウスは少し悩んだ。その末に、ゆっくりと口を開く。
「……婚約の話だ」
「婚約……?」
「ローヴァイン家は、魔術師社会では有名な旧家で、俺はその家の一人息子だ。だが、いつまで経っても婚約者すらいないものだからな。そのことで、さっきのやつは自分が婚約者になりたいという話を振ってきた──」
「……魔術師社会というのは、魔術師としての能力を次世代に繫ぐことを重要視するものね」
「ああ……。貴族制度がなくなった今でも、『貴族』のような思想が魔術師社会にはこびりついてる。さっきのやつの場合は、多少なりとも自分の家柄に箔をつけたいという欲望も入っているだろうけどな」
あらかた説明すると、ラウレンティウスはため息をついた。
「それでも──前にも言ったが、昔に比べるとだいぶマシになった。俺の感覚では、同期や後輩には、俺と同じような考えをする人間のほうが多いからな。さっきのようなのは少ない」
「……あなたは、結婚しないつもりなの?」
「総合的に考えれば、そっちのほうがまだ幸せだからな……。ああいう人間が鬱陶しいのは確かだが、それでも受け流していればいい。もう少し時間が経てば、こういったこともなくなっていくはずだ」
それでも、彼の顔には疲労感が見える。仕事のせいもあるが、多少なりとも精神的にくるもののはずだ。
「それまで我慢するというのも、なかなか堪えるわね……」
「それでも俺は、それらを受け入れてこの道を選んだんだ──」
そして、ラウレンティウスはどこか口ごもったような雰囲気を見せ、ユリアから目をそらす。
「……お前、は……?」
「私? 結婚のこと?」
ユリアはわずかに首を傾げる。すると、ラウレンティウスは戸惑うように目線を泳がせ、窓から外の風景を見た。
「あ、いや──このまま、極秘部隊を続けるつもりなのかという意味で聞いたんだ。現代社会の安全を陰ながら支えてくれるのは正直ありがたい。……だが、お前がここに来てからもう十年が経つ。何かほかに新しい夢を見つけても、おかしくないと思ってな……」
「夢──」
願いなら、ある。
この生活が続けばいいということだ。
でも、これは夢と言ってはいけない気がした。
なぜなら、これは──。
「……おそらく、私は……このままでは、いけないのだと思う……」
「……? なんで、そう思うんだ……?」
ユリアは口を閉ざした。
どう答えればいいのだろう。
やがて、ある言葉が脳裏に浮かぶ。
「……自分でこんなことを言うのは変だけど──〈彷徨える戦姫〉というあだ名は、言い得て妙だと思うわ……」
急に、何を言っているのだろう。きっと彼もそう思っているはずだ。
それでも、彼に教えてほしいことがある。何も知らない人だからこそ、その手掛かりを見つけられるのではないかと思うのだ。
「私は……昔から『彷徨ってばかり』だったと思う……。でも、何をどうすればいいのか……よくわからない……」
彼は、私が英雄と呼ばれていた人間だと知っている。だが、こんなことを言っている時点で、もう己は『英雄』とは言い難い存在だ。
それなのに──ここまで言えるくせに、あと一歩前に踏み出せない自分がいる。
助けてといえば、助けてくれる人だと言っていたくせに──恐怖に囚われて、前に進めない。
「……だったら……今は、このままでいいんじゃないか……? 今は、たぶん──まだ『その時』じゃないんだろう」
今の彼は、きっと疑問に思っていることだろう。だが、どうしてそんなことを言うのかとは聞いてこない。
それもそうだ。過去に踏み込まないでほしいと頼んでいるのだから──。彼やほかのみんなは、今もその約束を守り続けてくれている。
「……そう、なのかしらね。──変なこと言ってしまったわね。ごめんなさい……」
結局、何も言えなかった。彼の気遣いに甘えてしまった。昔に伝えた『壁』に隠れて、逃げてしまった。
◇◇◇
「ほ~……。姫さんですら気付かなかった、連動した術式の罠……ね」
それからダグラスが会議から戻ってきて、ユリアは執務室でダグラスとラウレンティウスに任務の報告をした。
この世に生まれた魔術師よりも腕が立ち、ユリアを騙せる魔術師がいる。そして、それはセオドアであろうことに、ふたりはますます眉を顰めた。
「はい……。実は、私には、魔術を使わない弓矢での狩りの経験がありますので、弓矢のことは多少知っています。だから、罠に使われていた矢は、誰かが手作りしたような……かなり本格的な矢だと感じました」
それから、ユリアはひとりごとを呟く。
「どうして、わざわざそんなことをとしたのか……。ただの鉄の棒でもよかったはずなのに……。私の気にし過ぎかもしれませんが……」
「待て、姫さん。その罠を設置したのがセオドアなのかということは、まだ確定していない。ヤバい罠を設置できるやつがいるってのは確かだけどな」
思い詰めるユリアにダグラスが声をかけると、彼女は浮かない顔をしながら「そうですね……」と言った。
そして、ユリアはもうひとつ伝えなければならないことを思い出す。ロケットペンダントだ。ユリアはスラックスのポケットの中を探り、それを取り出してダグラスへと渡す。
「そうだ──忘れるところでした……。それから、アパートのなかでこれを拾ったのです、ロケットペンダント。中には、女の子の写真が入っていました」
「セオドアの関係者の物かもな。写真の子が誰なのか、念のため調べてみるよ」
「お願いします。──それと、もうひとつ。今日は、アイオーンが旧ヴァルブルク領へ行っています。遊園地にいた虎のような魔物がそこにも生息していれば、そこから連れてこられてきた可能性が浮上します」
「……となると、どこかに旧ヴァルブルク領の魔力濃度に耐えることができて、なおかつ、あの魔物を倒す力を持った奴がいるかもってことだな」
「はい。アイオーンが帰ってきたら、報告のメールが届くと思いますのでご確認ください」
「ん。わかった」
「報告は以上です。では、私はこれで失礼します」
ユリアが執務室から出ていく。この数日で、事態は少しずつ深刻になっていることにダグラスはため息をついた。
「……にしても、姫さんって、弓矢での狩りもできたんだな。魔物でも食うためかね」
ダグラスがこぼすと、ラウレンティウスは「だと思いますよ」と答える。
「昔に、ある人から弓術を教えてもらっていたと聞いたことがあります。『狩りがしたかった』かららしいですが」
「姫さん、手加減が下手だもんな……。そんで、食べ物に目がないのは昔っからか」
「……そうですね」
ラウレンティウスは、少しだけ物憂げに呟いた。
◇◇◇
「ただいま、アイオーン」
「ああ。おかえり」
ローヴァイン家が所有する旧市街郊外にある屋敷に、ユリアは帰宅した。そのまた厨房室に向かうと、アイオーンがエプロンを着て調理具を出しているところだった。
「ヴァルブルクは、どうだった……?」
「ああ──。ダグラスにも先ほど報告は入れたが……あの魔物は、ヴァルブルクに生息していた。外見の特徴も、お前の証言どおりのものがな」
「やっぱり……!」
「……そして、調査の最中に……人間らしき姿を一瞬、目にした」
「──!」
「すぐにその場をくまなく探したが、見つからなかった。魔力の気配もな──。ただの見間違いということもありえるし、変身を得意とする魔物の仕業という可能性もあるが……もしも事実だとすれば、あれは現代人だとは考えにくい。だからこそ、俺は、これからも定期的にヴァルブルクを調べに行くつもりだ」
旧ヴァルブルク領は、未だに魔力濃度がどこよりも高い危険地帯だ。魔力の耐性がなくなっている現代人が入れば、すぐに体調を崩して動けなくなってしまう。
「……そうね。お願いするわ」
「──そして、もうひとつの可能性は、未確認生命体だな。あのあたりにも、昔からそういう伝説があっただろう?」
と、アイオーンはユリアを和ませるために、わざと軽い口調で冗談を言った。
「どちらかといえば、そっちのほうがいいわね」
ユリアは微笑む。
ヴァルブルクに戻っても、アイオーンはそんなことを言って支えてくれる。アイオーンは強い。
私は、未だに故郷へ帰れそうにない──。
「とりあえず、ヴァルブルクのことは俺に任せてくれ。──部屋に戻って着替えてこい。食事の準備をしよう」
ユリアは頷き、厨房室を出ていった。
すると、アイオーンは、ユリアがある程度離れたことを確認すると、ズボンのポケットから携帯端末を取り出して、ある人物に電話をした。
「──アシュリー。急に悪いんだが、極秘部隊の一員として頼みたいことがある。もしかしたらだが、セオドアの件は……お前達が要となるかもしれない……」
その言葉に、電話の向こうにいるアシュリーが『なんでウチらが要になんねんな。まあ、明後日か明々後日くらいやったら話聞けるけど』と言うと、アイオーンは憂いた目を虚空に向けた。
「……まだ、あくまで可能性の話だ。だが、それが現実となってしまえば……お前達の力が必要となるかもしれない──」
アイオーンからの言葉に、アシュリーは『んぇ……?』と理解に苦しむ声を出した。
「……ともかく、時間ができたら連絡が欲しい。国立研究所へ行って詳細を話す。頼んだぞ」
◇◇◇
数日後。
朝食を食べ終えると、アイオーンは、今日もヴァルブルクに向かった。その後はアシュリーを訪ねるらしい。
今日は特に任務を命じられていないユリアは、屋敷の温室で洗濯物を干している。ここは日がよく当たり、窓を開ければ風も通る場所だからだ。今日は心地良い天気だから、よく乾いてくれるだろう。
(……セオドアのことを知ってから、休むに休めないわね)
しかし、いつも通りに日常を過ごしていても、先日のようにはいかなかった。心にはセオドアのことが度々ちらつく。しっかりと休まないと任務に支障が出てしまうというのに。せめて、何か用事があれば、セオドアのことを考えずに済むのだが──。
「……! 電話──」




