第五節 ひとときの休息 ①
店から出ると、ここでまた、ユリアは新たな縁に出会う。
「わっ……! 知る、ない、人!」
ユリアが店の扉を閉めていると、後ろから慣れない言葉を口にするような口調の少女の声がした。振り返り、目線を少しだけ下げると、長い黒い髪と黒い目を持ち、利発そうな顔をした十歳ほどの少女がそこにいた。
「あら、こんにちは。このお店にご用があるの? まだお店は開いてないんですって」
ユリアが声をかけると、少女は驚き、目線を泳がせて「えっと、えっと」と言いながら戸惑っている。初対面だから恥ずかしがっているのか。あるいは、何を言っているのかわからないのだろうか。顔の雰囲気がヒルデブラント人には見えない。どちらかといえば、遥か東方の国々の人に見える。
ややあって、少女は覚悟を決めた目をユリアに向け、背筋を伸ばした。
「えっ、と──はじめまして。わたしの名前はミコトです。カンナギ・ミコト。リベラ寮、住む、してる」
「リベラ寮に、住んでいる……? それに、『カンナギ・ミコト』……? 『カンナギ』が苗字で、『ミコト』が名前ということよね──」
名前はヒルデブラントのものではない。やはり少女は外国からやってきたようだ。自己紹介だけ流暢に話せていたのは、よく使うことになるその一文を暗記していたからだろう。
ユリアは少し考える。少女が名乗った名前の雰囲気に、少しだけ聞き覚えがあった。
「もしかして……あなたは、ヒノワ国から来たの?」
「そう! ヒノワ国! 出身!」
ミコトと名乗る少女は、嬉しそうに目を爛々とさせた。
「やっぱり。──はじめまして。私はユリアです」
「よろしく。おねえちゃん、リベラ寮、知る?」
「ええ、知っているわ。私は極秘部隊だから」
「ミコト、未来、それ! なる!」
彼女もなんらかの理由があってリベラ寮に入ってきたのだろう。見せかけではない明るい雰囲気をまとっていることから、大人たちから非道なことはされてこなかったとみえる。
(ほとんど単語だけで会話をしたほうが、この子にとっては解りやすいかしら。けれど、こちらの言葉を覚えるためには、普通に話したほうがいいのかもしれない──)
ユリアがそんなことを考えていた、その時。
「──へー。先輩、ユリアって言うんだ」
後ろからジョシュアの声が聞こえてきた。ユリアは驚いた顔で振り向く。
「ちょ、ちょっと……。急に話しかけてこないで……。というか、どうしてここにいるの?」
「ごはん食べたら玄関先を掃除しろって、エマおばちゃんに言われたからね。それに、ミコトの声も聞こえてきたし」
「ミコトちゃんと知り合いだったのね」
「一応はね」
そして、ジョシュアはミコトを見る。
「ミコト。用は?」
「ベイツ先生、伝言、ある」
「伝言?」
「明日、宿題、魔術、テスト」
「うげっ。テスト……」
テストという単語に、ジョシュアはあからさまに顔を顰めた。
「ベイツ先生……?」
聞き慣れた苗字が聞こえたことにユリアが首を傾げていると、ジョシュアは不思議そうに思いながらも説明してくれた。
「ベイツ先生っていうのは、魔術総合大学の教育学部に在籍してるお姉さんのことだよ。その人、ヒノワ人のクォーターみたいで、ヒノワ語ペラペラでさ。だから、ミコトはその人からヒルデブラント語と魔術を教えてもらってて、ボクもその人から魔力の気配を探る魔術を教わったんだ」
「もしかして、その先生というのは……イヴェット・ベイツのこと?」
「あ。知ってるんだ」
「もちろんよ」
ここでは、さすがに家族だとは言えない。それでもジョシュアは少し腑に落ちないようだ。
「でも、先輩って、滅多にリベラ寮には来ない人だよね……? 先生とどこで知り合ったの?」
「イヴェットは、あの有名なローヴァイン家の親戚でしょう? 私はローヴァイン家と繋がりがあるから、その縁で知り合ったのよ」
すると、ジョシュアは「あー」と声を出す。ひとまず納得してくれたようだ。それにしても、ジョシュアのような少年にもローヴァインの名は知れ渡っているとは。さすがはヒルデブラント王家と関わりがある旧家だ。
「……おねえちゃんと先生、ともだち?」
これまでの会話の内容がまだいまいち解らなかったのか、ミコトが不思議そうに聞く。
「ええ。ベイツ先生と私は友達よ」
「ともだち!? ミコトとおねえちゃん、ともだちなれる?」
「ええ。ミコトと私も友達よ」
そう言いながらユリアが微笑むと、ミコトは「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべて元気よく礼を言った。
「ところで、ミコトちゃん。少し、聞いてもいい?」
「なに?」
「あなたは、どうしてリベラ寮に来たの?」
その瞬間、ミコトから笑みが消え、口を閉ざした。
「……伝える、むずかしい……。ミコト、ヒルデブラント語、単語、知る、少ない……」
言うことを嫌がっているわけではなく、知っている言葉でちゃんと伝わるかが不安らしい。
「それでも大丈夫よ」
「えっと~……。ミコト、力……古い、人間、似る。魔力、たくさん持つ。古い、死ぬ、した、人……力、ミコト、戻る。──あっ。古い『いでんし』……?」
「古い人間の、遺伝子? ということは……もしかして、先祖返り?」
その単語を呟くと、ジョシュアが「正解」とこぼした。
「先輩の言うとおり、ミコトは先祖返りなんだってさ。だから、普通の人よりも魔力の生成力がすごく高いらしいよ。今は、特殊な服を着ているおかげで、魔力の気配をなるべく消してるらしいけど」
「ああ……。だから、あまり魔力を感じなかったのね」
「そう。ミコトは、家族や親戚とか住んでた村から『偉人の生まれ変わり』だって崇められたんだって。村中から大切にされすぎて、小さい頃から軟禁じみたことされてたらしいよ。両親からは、娘というよりも『生まれ持った力』しか見てもらえてなかったみたい。……羨ましいところはあるけど、そこまでいくとボクも嫌だな──」
家族に愛されなかったジョシュアと、生まれ持った能力を過剰に愛されたミコト。真逆なようで、実はミコトも我が子として真の意味では愛されていないといえる。だから、ジョシュアはあまりミコトに嫉妬心を抱いておらず、どちらかといえば同情的なのだろう。
「そうね……。私もそう思うわ……」
ユリアが寂しそうに呟くと、ミコトはユリアの服を引っ張る。話を聞いてほしいようだ。
「昔……ミコト、外、出る、できない。たいくつ……。遊ぶ、できない……。ともだち、ない……。家と村、すっごくイヤ……。みんな、ミコト、言葉、聞く、しない……。だから、ヒルデブラント語、勉強、はじめる、した」
「そう……頑張って耐えていたのね。ミコトちゃんはすごいわ。ヒルデブラントの言葉も上手よ」
「ほんと?」
「本当よ。よく頑張りました」
持って生まれた力ではなくて、自分の力で頑張ったことを褒められたいわよね──。
ユリアは中腰になり、ミコトの肩にポンと手を置いた。褒め言葉を貰った少女は、嬉しそうに微笑む。
「ミコト、すごくガンバる、した。ここ来る、時間、悪い人いた。でも倒した!」
ミコト自身は、もっと褒めてもらおうと思って言ったのだろう。しかし、その内容が耳を疑うものだった。
「んっ? ん……!? 悪い人がいて……倒した……?」
「ミコト、ヒルデブラント、ひとり、来た! ヒルデブラント、来る、時間! 悪い人、倒した!」
「ちょっと待って!? あなた、もしかしてひとりでヒルデブラントに来たの!? だから外国語を勉強していたの!?」
あまりにも予想外な事実にユリアは驚愕した。すると、ミコトは人差し指を唇にあてて「しーっ」と言う。
「ミコト……少し前、家、出る、した。魔力、発見、ムリ、大きい布、着る。親、言う、してない。ぜんぶヒミツ」
「内緒で家出したの!?」
「トラック、秘密、乗る。船、秘密、乗る。寝る──」
「連続の無断乗車!?」
「起きる。またトラック、秘密、乗る。ヒルデブラント、着く」
「それって密入こ、ぐぅッ──!?」
ミコトは、自分の手でユリアの口を強く塞いだ。
おそらく、それはまだ最近のことのはずだ。そんなことが起こっていたという報告は聞いていない。密入国したのが先祖返りの子どもということで、おそらく極秘裏に処理されたのだろう。
「……先輩って、意外とツッコミキャラなんだ」
ミコトの行動に驚くユリアを見ていたジョシュアがぽつりと呟く。ユリアは口を塞ぐミコトの手を引き剥がし、息をついた。
「いえ……たぶん、ツッコミキャラではないわ──。先日、総長からは、『ツッコミの才能はときどき皆無になるよな』と言われたから……」
「魔道庁のトップといつもどんな会話してんの?」
ユリアにとってダグラスは、魔道庁の総長というよりは親戚のような感覚──ということも言えない。
ユリアは愛想笑いを返し、話をもとに戻す。
「──ミコトちゃん。それは悪いことよ。もうしてはダメ」
「うん……。たくさん悪い、した……。みんな、怒る、した……」
「でしょうね……」
行動力もそうだが、とんでもない豪運があってヒルデブラントへとやってきたようだ。無事で何よりだが、ミコトは将来、極秘部隊になると言っていた。ということは、もう故郷へは戻らないのだろうか。
「ミコト、ヒノワの家、帰る、しない。あの家、村……イヤ。だから、ミコト、いつかヒルデブラント、みんな助ける仕事する、決める、した。親、わかる、した。うるさい、言う、ない」
「そう……よかったわ」
「まだ、みんな助ける仕事、できる、ない。ミコト、小さい。だから、ジョシュア見る、ミコトの仕事」
「……ちょっと待ってよ。まさか、ミコトがボクのお目付け役だって言ってる? むしろ、ボクを含めたいろんな人がミコトのお目付け役でしょ」
これほどの行動力の塊ならば、お目付け役がひとりでは足りないか。ユリアが呆れた笑みを浮かべていると、ミコトはユリアの服を引っ張った。
「ミコト、いつもリベラ寮いる。おねえちゃん、リベラ寮、来て! ともだち!」
「わかったわ。では、近いうちに遊びに行くわね」
そういうと、ミコトは笑みを咲かせた。
◇◇◇
それから数十分後。ユリアは魔道庁に到着した。
報告すべきことは、現場に落ちていた少女の写真が入ったロケットペンダントのことと、ユリアでも感じ取れなかった矢を用いた術式の罠のことだ。ダグラスは、ここにいるのだろうか。
「すみません。ロイ総長に報告すべきことができたので参りました。今は、執務室にいらっしゃいますか?」
ユリアは、魔道庁の受付係に入庁許可証を差し出しながら要件を伝えた。受付係は「お待ちください」と言って、大きな薄い板状の端末を操作する。
「──ただいま会議中ですが、予定ではそろそろ終了する時刻となります。いかがいたしましょうか? よろしければ、執務室までご案内しましょうか?」
「道は存じておりますので、大丈夫です。では、執務室の外で待機しています」
「恐れ入ります」
庁舎の老化を進み、エレベーターを使って執務室がある階へと向かう。
(──ん……? ローヴァイン……?)
エレベーターを降りて廊下を歩いていると、ユリアの進行方向とは違う方面から、聞き慣れた単語を発する女性の声が届いてきた。
「まったく……いつまで意地を張り続けるおつもりなのですか……? 貴方様の血筋には、どれほど尊き歴史が積み重ねられているか……! さすがの貴方様でもご存知のはず──!」




