第四節 偽りなき想い ②
「──たとえ、誰かがお前を責めたとしても、俺はお前の味方だ」
「……うん」
「それから──お前は何も悪くない。あれは仕方がなかったことなんだ……。あんなことが起これば……平然としていられるはずがない……」
「……」
ユリアは口を閉ざした。アイオーンは小さく息をつき、ユリア側の布団の位置を整えた。
「……眠れ。明日も急な任務が入るかもしれない。セオドアが関与している案件は、いつやってくるかわからないだろう」
「……眠りにくい」
「俺が、目の前にいるからか?」
ユリアは首を振る。
「昔のことを考えてしまうから……あなたの魔術で……お願い……」
「……こっちに来い」
アイオーンは、腕を上げて懐に来るよう促す。ユリアは素直にアイオーンの懐に寄り添った。
そして、自身の二の腕が彼女の枕になるよう、アイオーンはユリアの頭の下に腕を敷いた。
「──おやすみ」
アイオーンは、自分の額とユリアの額をくっつける。
その瞬間、ユリアは瞼をゆっくりと降ろし、深い眠りについた。穏やかな寝息を確認すると、アイオーンは手の甲で彼女の頬を優しく撫でた。
◇◇◇
小鳥のさえずりが聞こえる。明るい光が瞼の裏から感じる。朝だ。うずくまるように寝ていたユリアは、身体を伸ばそうと足を動かす。すると、隣に大きな何かがあった。
「──おはよう。眠れたようだな」
アイオーンの声。
ああ、そうだった。一緒に寝ていたのだった。そのことを忘れするほどに寝ぼけてしまっている。
ユリアは顔をあげた。そこには、頭にふたつの捻れた角と、頬あたりにまで鱗が現れている、長い銀の髪を持った眉目秀麗な男が、身体をユリアの方に向けて横たわっていた。
いや、待て。なぜ角と鱗があるのだ。
「……ん……?」
枕が、硬い。幅が狭い──いや、枕だと思っていたものは、アイオーンの二の腕だ。その腕の手が竜化している。腕全体が鱗で覆われており、指までも完全に鱗が生え、その先は鋭い爪へと変化している。
(えっ、なんなの!?)
一瞬だけ良からぬ想像をしてしまったユリアは、ガバッと勢いよく上半身を起き上がらせた。上から横たわるアイオーンを見ると、竜の尻尾までもが生えている。生えていることを隠そうとしていたのか、できるかぎり尻尾を下にさげていた。
「りゅ……竜になって、どうしたの……?」
おそるおそるユリアが問うと、アイオーンはばつが悪いように目をそらす。
「……魔力を使おうとはしていない。目を開けたら、なぜかこうなっていたんだ」
「えっ」
「……自分でもよくわからん。ともかく、そのせいで尻尾が下半身の寝間着を破いてしまってな……。ヴァルブルクの調査が終わったあとに、新しい寝間着を買いにいくしかない……」
鱗や角が生える程度の竜化であれば、服をダメにすることはない。
だが、尻尾や翼は別だ。簡単に服を突き破ってしまう。さらに魔力を解放すれば、身体が大きくなり、ユリアを軽々と背中に乗せられるほどの巨躯の飛竜となる。
「目を開けたら竜化していたものだから、食べられてしまうのかと思ったわよ……」
「食べたいわけじゃない。そもそも、お前を食べても美味しくはなさそうな気がする。よくわからん珍味までバクバク食べるだろう」
「おだまり。珍味を馬鹿にしないでくれるかしら?」
「──まあ、あまり気にするな。この突然の竜化は、『器』の異常ではないことは確かだ。直に収まるはずだ」
さらりと軽快に言い争いはじめたかと思えば、アイオーンは話をもとに戻して寝台から立ち上がった。そして、自身に生えたねじれと曲線を描く灰色の角と、白銀色の太く長い尾を邪魔そうな目つきをしながら触る。
「やはり、人間の姿のほうがいいな──。半人半竜など好みではないし、尻尾や翼があることに違和感がある」
「……ねえ。尻尾って、感覚はあるの?」
と、ユリアは断りを入れず、後ろを向くアイオーンの尾に近づき、尾の根もとを撫でた。すると。
「ん──ぅ、っ……!?」
アイオーンは身体を強張らせた。振り返った顔は引き攣らせており、そのままユリアから距離をとる。
「……そこ、弱いのね?」
ユリアは、なんとも思っていない顔をしている。
「違う」
「強がらなくていいのに」
「強がっていない」
アイオーンは真顔だが、声色に余裕がない。
このとき、ユリアは思う。
(意外な弱点を見つけてしまったわ)
良いことを知れた。アイオーンにしてやられてばかりなのは、やはり悔しかった。今度は、こちらからいじわるなことをしてやろうか──。
だが、その会話はここで中断する。
サイドテーブルに置いていたユリアの携帯端末の画面が点き、小刻みの振動をはじめたのだ。電話がかかってきたようである。
ユリアは携帯端末を手に取り、画面を見た。表示されていた名前は『ホルスト』だった。
「あら……ホルストからだわ。どうしたのかしら」
ホルストとは、カサンドラの再従姉妹にあたる人の息子だという。彼は、極秘部隊に所属する一部の隊員たちのための宿舎──リベラ寮の管理人をしている。
リベラ寮の管理人とは、ただの大家ではない。魔道庁からの協力要請を受ければ、その任務を遂行できそうな隊員にその任務を命じる立場でもある。
また、極秘部隊というのは、国から個人情報を保護されている魔術師たちの組織を指す。そこに入隊する者の多くは、『一般人』にも『普通の魔術師』にも属せない特殊な魔術師である。
極秘部隊の入隊に年齢制限はなく、どちらかといえば十代から三十代ほどの若い隊員が多い。くわえて、天涯孤独だという者も少なくない。
そして、『普通』ではないことから、己の身の振り方がわからないという者もいる。リベラ寮は、そんな人たちの居場所となっている。
ホルストをはじめとしたリベラ寮に関わっている人たちは、極秘部隊となった人たちを温かく迎い入れ、これからの将来をともに見つけようとしてくれる人たちでもある。
「おはよう、ホルスト」
『あ。おはよう、ユリア! 朝早くに電話とか、テンション下がることしてごめんなぁ。今日、仕事入ってない? ちょっとした仕事頼みたくってさ。今、大丈夫?』
元気がよく、人懐っこそうな声が聞こえてきた。年はユリアの実年齢よりも少し年上で、ユリアは敬語をつけずに話している。
「ええ、大丈夫よ。どうしたの?」
『実は今日、初任務の子がいるんだ。十七歳の男の子。でも、同行者となる予定だった人が、急務を命じられて、その子と任務に行けなくなってしまってさぁ……。その任務、ほかの誰かに振ってもいいんだけど、やっぱりその子の今後を考えると実務経験は必要だし……。だから、代わりの同行者をユリアに頼みたいんだけど、どうかな?』
「いいわよ。その代わりに、総長に伝えておいて。今日の私は、初任務の同行をしているから、何かがあってもすぐには行けませんって」
『お安い御用! んじゃ、今から二時間後にリベラ寮の玄関先に来てくれよな。任務内容はそこで伝えるよ。その子と一緒に待ってるから!』
その言葉のあとに電話が切れると、アイオーンが口を開く。
「ホルストがなんだって?」
「極秘部隊に所属している十七歳の男の子の初任務に同行してほしいんですって。詳しい任務内容は向こうで聞くわ」
「……」
すると、アイオーンは黙り込んだ。何かを考えているように目線を落としている。
「どうしたの? アイオーン」
「いや……そういった仕事なら、別に断っても──」
そう言いかけると、すぐさま何かに気付いたようにハッとし、否定するように首を振った。
「……なんでもない……。俺は、お前の親でも兄でもないのにな。仕事をしていたほうが逆に落ち着くこともあるか……。──さて、早く朝食の準備をしないとな。今日は、俺もヴァルブルクへ行って魔物を調査しないといけない」
そう伝えると、アイオーンは足早に部屋を去っていった。
ユリアは思う。今の自分は、アイオーンが過剰に案じてしまうほど弱々しい人間に見えてしまっているのだろうか。実際、元気なように見せかけているところはある。しかし、今はそうしながら仕事をこなすしかない。今だって、約束の時間まであまり猶予がない。
ひとまず、朝食を摂って任務に行こう。
◇◇◇
極秘部隊の者たちのための宿舎、リベラ寮。
そこは、ユリアとアイオーンが住んでいる旧市街地ではなく、新市街地の郊外にある広い屋敷だ。貴族が住んでいた三階建ての広大な屋敷をリノベーションしたところだという。
屋敷の中の意匠は、開放感ある現代的なものとなっており、調度品もそれに合うものだ。外観こそは中庭に噴水がある貴族の屋敷だが、中身は綺麗な現代のアパートである。
そんな屋敷の玄関前に、ホルストと十代後半ほどの少年が立っていた。
「あー、ユリア! ほんと急にごめんなぁ」
彼はリベラ寮の管理人という立場だが、本人があまりかしこまった服を好まないことから私服を着ている。
「大丈夫よ。何も用事はなかったから」
「総長には伝えてる。だから、今日はこの子をお願いな。ジョシュアっていう子なんだ」
「──よろしくね。先輩」
ジョシュアという少年は、柔らかいしゃべり方と目つきでユリアに微笑んだ。少年を一見したユリアは、少しチャラさを感じる子だと思った。
一部の色素を抜いた前髪は長く、片目が少し隠れている。後ろの髪は、肩に届く長さで、ゆるくひとつに括っている。極秘部隊の制服であるワイシャツのボタンをふたつ外しており、首から下げているペンダントを晒していた。
「こーら、ジョシュア。敬語」
「あぁ……すみません。とりあえず、今日はよろしくお願いしまーす」
ホルストから注意されても、ジョシュアの態度はあまり変わっていない。




