第三節 潜む影 ⑤
「俺の年齢が、比較的まだ若いってのもあるんだが……それだけじゃない。俺は、表向きでは『施設育ち』ってことになってるだろ? 総長の座に就いた人間が名家出身じゃないってことも、少なからずある。しかも連続で、だ。さっきのふたりは上流階級の出身だから、そのへんが妙に気に障るんだろうな」
ダグラスが養護施設育ちなのは、結果的にそうなってしまったからである。
彼の母親は、水商売をしていた。
父親は、現女王であるカサンドラの実の弟にあたる人間だ。しかし、彼は昔から素行が悪かったらしく、魔術を使って家出を繰り返し、遊んでばかりいたという。当時の王室は、そんな不良王子の素行に手を焼いていたらしい。
そして、不良王子は水商売をしていた女と出会い、ダグラスが生まれることとなる。
しかし、その女は息子ができたことを理由に、私も王族になれるはずだと行き過ぎた野心を抱き、息子の存在を王室に主張した。
当然、父親となった不良王子は認めず、そんな関係ではないと否定した。もちろん王族も認めることはなかった。
この頃の王室は、この問題でかなり荒れていたようだ。
やがて、女は諦めて息子を捨てた。
ダグラスが養護施設に入っていたのはそのためである。その頃、父親であった不良王子は王室から勘当されたらしい。
その後、女王となったカサンドラの命を受けた側近のエドガーがダグラスを引き取った。
そして今に至るということだ。
ダグラスが女王の側近の養子になれたのは、王家の血を悪用されないよう保護するためらしい。
だが、カサンドラ個人としては、親族として罪滅ぼしがしたかったことと、伯母として甥を助けたかったからという。
ダグラスの真の生い立ちは表沙汰にはできない。なので、彼の経歴は『施設育ち』となった。
この話を初めて聞いたとき、ユリアとアイオーンは絶句した。
なんの変哲もない中年の男として振舞っているが、きっと心の中では言葉にできない『澱み』が渦巻いていることだろう。仕事に、差別に、過去のこと──。
「総長……」
「ん?」
「……栄養のあるものを、しっかりと食べていますか?」
ダグラスを案じる感情から、ユリアの頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
彼のことだから、大丈夫なのかと聞いても『大丈夫だ』という言葉しか返ってこない。だから、少しだけ質問の内容を変えてみたのだが、少しずつ『これはなんだか変な質問だったかもしれない』という気持ちが出てきた。
「なんだよ、急に。姫さん、いつの間にか母親みたいなセリフ言うようになったな」
おかしそうにダグラスは笑う。それは彼女自身も思った。
なんだろう、このセリフは──ユリアは、頬をほんのりと赤らめながら笑う。
「いえ……すみません。なんとなく気になってしまって……」
「この近くに、夜遅くまでやってる大衆食堂があるんだ。そこでたらふく食ってるよ」
「それならいいんですけど……たまには、私がごはんを作りますよ。だって、私と総長は血の繋がった親戚ですから。私は、総長のことも家族のひとりだと思っています」
ユリアの母親は、ヒルデブラント王国の王女だった。ダグラスとは、生まれた時代がかなり離れているが、実際の家系図上では繋がりがある。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。でも、血筋は千年近く離れてるけどなー?」
「それでも、私にとっては親戚に違いないです。だから愚痴くらい聞きますよ」
気恥ずかしいが、ユリアは本当に言いたかったことを真っ直ぐ伝えた。
すると、ダグラスは息をついて微笑んだ。
「そうか……ありがとな。んじゃ、俺からも言わせてくれ。──姫さんだって、昔からいろいろ抱えてるだろ? それは、俺らに感情をぶつけてもいいんだ。家族なんだから。言ったら案外、すっきりするもんなんだぜ?」
その瞬間、ユリアは固まった。
私が、昔から抱えているものを──。
それを考えると、恐怖が心を支配した。
「……そう……ですね」
言えた言葉は、ただそれだけだった。
執務室に微妙な空気が漂う。
今の私は、どんな顔をしているのだろう。泣きそうな気持ちでいっぱいだ。でも、私に泣く資格はない。
今は、任務のことだ。これは、私がすべき仕事。私の使命。セオドアは危険人物。ならば、私は、セオドアを追わねばならない。
この人たちを守るために──。
「……すみません。関係のない話を広げて……。そろそろ報告に移らせていただきますね──」
逃げてしまった。
厚意を受け取れなかった。家族だと言っておきながら──。
「そうだな……。報告してくれ」
ダグラスはユリアの異変に追求しなかった。あえて触れずにいてくれた。
ラウレンティウスとクレイグも、ダグラスと同じく何も言わないまま、報告の話へと移ってくれた。
「──……」
そのことにホッとした。
だが、そんな自分に腹が立ち、悲しくもあった。
◇◇◇
数十分後。ユリアたちは報告を終えた。
「──私たちからの報告は以上です」
「ん。ご苦労さん。証拠となる魔物を、跡形もなく消滅させちまったのは……まあ、『極秘部隊の中でもやり手の隊員だから』って言えば、まだ納得してくれるだろうな……。極秘部隊には『規格外な魔術師』もいるってことは、魔道庁も知ってるしよ」
「すみません……。そう言っていただけると助かります……」
そう言いながら、ユリアはばつが悪いように目線をそらす。
「最後に、要点だけもう一度確認させてくれ──。まず、セオドアが研究所として使っていたらしき廃墟の遊園地には、残された資料等はなかった。だが、特殊な習性を持った凶暴性と知性が高い魔物を発見し、それを討伐。実際に戦った姫さんは、その魔物はセオドアが連れてきたか、あるいは研究によって生みだしたものかもしれないと思ってるんだな?」
「はい。幻影術や傀儡術を使える魔術師ならば、可能性があるかと……。その理由は、幻影術と傀儡術というものは、とても繊細で高度な魔術技能を求められる術だからです。現代でそれらの術を学ぶ機会は無いに等しいのに、それを知っているだけでなく、術を成功させることができるなど……セオドアは、私から見ても明らかに『普通』ではありません。今後、セオドアが関与している可能性があるところは、私たちが調査したほうがよろしいかと思われます」
ユリアの口から油断ならない言葉が出てくると、ダグラスは腕を組み、息をついた。
「……姫さんがそう言うほどだってんなら──総長として、この件に関する協力を要請する。姫さんとアイオーンの手を借りたい。頼めるか?」
「もちろんです」
「助かる──それじゃ、今後はふたりにも情報を送る。……けど、全部自分がすべき任務だって抱え込もうとするなよ? 戦いの最中に幻覚を見るって、普通じゃねえんだからな?」
ダグラスが強い口調で釘を刺すと、ユリアは少しだけ慌てたようすで目をそらす。
「……はい。なので、今日は早く寝るつもりです」
「そうしろ。疲れなんざ溜めるもんじゃねえからな。──んじゃ、姫さんは帰りな。ラウレンティウスとクレイグは、この任務の報告書作りだ」
「へーい」
「わかりました」
クレイグとラウレンティウスが返事をする。
ユリアは、ダグラスに「失礼します」と声をかけて執務室を出ようと扉のノブを掴むと、何かを思い出したかのように振り返った。
「──クレイグ。あのようないけ好かない者たちを見返すための修行ならば、いつでも歓迎するわよ」
「おう。やる気満々じゃねえか。つーか、オレよりアンタが苛立ってんな?」
「……正直、何かしそうになったわ」
先ほどの会話を思い出し、ユリアの目が暗いものへと変わる。自分のことならまだ我慢できるが、身内のこととなると我慢しづらい。
「魔術師社会の闇を煮詰めた言葉なんざ、アンタは今まで直接聞くことなかったもんな──でも、何もすんなよ? アンタが、ああいう連中と同じとこに立つ必要はねぇんだ。なにか騒ぎを起こしても、少しも環境が良くなることはねぇ。……逆に面倒な事が増えるだけだ。こういうのは、長い時間をかけながら変えていくもんだからよ」
「ええ、それは解っているわ……。こういったことは、そう簡単には変わらない……。嫌なことがあっても、今はそのまま大人しくしていたほうが良い場合もある──私も、そのことはよく知っているわ……」
そう言いながら、ユリアは心の底に燃える怒りを静めた。
すると、話をしていたダグラスが口を開く。
「ああいう奴らは、元〈持たざる者〉に負けてるってことを信じたくないんだよ。大会で準優勝したことを認めたくないからこそ、あいつらは陰口を言わないと気が済まないのさ。──なにせ、魔道庁に就職してまだ間もない若者ふたりが、庁内の大会で優勝と準優勝を掻っ攫うなんざ、大会が始まって以来初めての出来事だったからな。しかも、そのひとりは元〈持たざる者〉ときたもんだ。間違いなく、姫さんとアイオーンが考案した『地獄の特訓』の賜物だな」
「えっ、『地獄』……? 死を覚悟したことがあるとは言われましたが、ふたりは諦めずに食らいついてきていましたけど……」
ユリアは、自分とアイオーンが考案した修行内容がそう認識されていたとは思わず、きょとんとした。その反応に、ラウレンティウスとクレイグは有り得ないものを見るかのような目で彼女を見つめる。
「いや、たしかになんとか食らいついてたけどな……あの頃はフツーに地獄だったからな? 一回だけじゃなくて、何度も『あ、これ死んだな』って感じたことあんだからな?」
「お前と俺達を一緒にするな。こっちは現代人かつ普通の魔術師だぞ……」
と、ふたりは愚痴る。
「ということは、もっと手加減してほしいの?」
「いらねぇ。今更だし」
「今更、必要ない」
そして、ふたりは同時に否定の言葉を口にした。そのことにユリアは嬉しそうに笑う。
──そうか。現代人にとっては、それでも大変だったのか。
ユリアは、手加減することが苦手なため、現代人がほどよく耐えうるほどの手加減ができていなかったかもしれない。それでも、彼らはそれを乗り越えた。だからこそユリアが手加減をする必要はもうない。
「そう言うと思ったわ。──では、あとはよろしくね」
ユリアが去る。
執務室の扉が閉まると、ダグラスは不思議な生き物を見るかのような目でふたりの部下を見た。
「……物好きだなぁ、お前さんら」
「手加減されるのは性に合いませんから」
「そうそう。いつかは、ユリアをギャフンと言わせんのが目標なんですよ」
「叶いそうにない良い目標だな」
ダグラスは笑う。
ラウレンティウスは息をつき、執務室の扉をちらりと見つめた。
「──ですが、今日のユリアなら……俺でも確実に一本取れたとは思います。それくらい、いつもと様子がおかしかったです」
「あー……それはオレも思った」
彼女の異変に勘づいていても、なにもできない。それとなく聞いてみても、はぐらかされる。
「そうか……」
ダグラスは静かにため息をついた。




