第三節 潜む影 ④
ダグラスは小声でユリアに命じる。ユリアは頷き、自身の姿をその場に溶け込ませるように消した。目くらましの術である。その状態で、ユリアはダグラスが座る椅子の後ろへと移動する。
こうするように命じたのは、おそらく面倒ごとが起きそうだと直感したのだろう。ラウレンティウスとクレイグも、まとう雰囲気が重くなっている。
「……入れ」
ダグラスが入室を許可すると、扉が開く。現れた人物は、ダグラスよりも十歳ほど年上に見える魔道庁の制服を着た男と、同じく魔道庁の制服を身にまとう二十歳ほどの年若い少女だった。
「──失礼いたします。……おや、意外と早いお戻りですね。ローヴァイン殿」
「……どうも。フレーゲ殿」
やってきた男は、ラウレンティウスを見つけると微笑んだ。その笑みを見たユリアは、ラウレンティウスをどこか見下すようないけ好かないものだと感じた。ラウレンティウスもまったく好意的な目をしていない。
「特に執務室へ来いとは命じてないが、何をしに来た? フレーゲにシュライヒ」
ダグラスは、総長として毅然とした口調でフレーゲという男とシュライヒという少女に問いかける。呼ばれた名前は、おそらく苗字だろう。
「いえ、ね──ローヴァイン殿のほかに、ベイツまでもが例の遊園地への調査に行ったと小耳に挟みましてね。まさか、今はそこまで人手不足なのかと思い、そのことについて少しばかり提案をしに来た次第でございます」
「わたくしも、フレーゲ様と同意見です。いくらローヴァイン家の次期当主様がいらっしゃるといっても、相方が元〈持たざる者〉であったお人だけというのは不安が残る人選ではありませんか?」
クレイグの実力を知りながら、まだ異論を説くか──ユリアは拳を握り締める。
「俺は、このふたりで大丈夫だと思ったから命じたんだ。お前らよりも、ベイツの腕前はよく知っている。そして、俺の予想通り、ふたりは無事に任務を終えてここに戻ってきた」
ダグラスが言い返す。
「なるほど……要らぬ世話でしたか。それは失礼いたしました。──たしか、その任務には、極秘部隊の方も同伴されていたとも聞きました。ヒノワの刀を使う女性だとのことですが……その方は、今どちらに?」
「次の任務に向かった。その人は腕の立つ魔術師だから、常に動き回ってる」
「それは残念。是非ともお会いしてみたかったのですがね……。その方が使うヒノワの刀は、魔道庁の支給品ではなく、個人の持ち物らしいですから」
ここで姿を隠さずにいれば、きっと話はさらに長引いていただろう。ダグラスはそれを読んでいたようだ。
「納得したなら、仕事に戻れ」
「──総長。申し訳ありませんが、少しだけお時間をくださいませ。ラウレンティウス・ローヴァイン様に少しだけお話があるのです」
シュライヒという少女は、総長の命令を聞き入れないどころか身勝手な要求をし、ラウレンティウスと向き合った。ダグラスは眉を顰めるも、自身の命令を押しつけなかった。この女性はそうしても聞かないのだろう。あるいは、古い身分関係があるのかもしれない。
「……総長の命令すら聞けない者からの話など、聞きたくはないんだが」
ラウレンティウスは睨む。だが、少女は怯まなかった。
「こうでもしなければ、貴方様はわたくしと話をしようともなさらないでしょう? なので、失礼ながら強引な手口を使わせていただきましたわ。──本題ですが、わたくしは新人ではあれども、元〈持たざる者〉である人間より、純粋な魔術師として生まれたわたくしのほうがきっとお役に立てます。幼少期より受けてきた教育から違いますので。だから、次の任務では──」
「ふざけるな。俺は、お前などに興味はない」
「……」
ぴしゃりと冷淡な言葉を吐いたラウレンティウスに、少女は冷ややかな目線を送る。ラウレンティウスも、少女の態度に不快な声色でさらに言葉を紡ぐ。場には、一触即発な雰囲気が漂っている。
「『元〈持たざる者〉』で何が悪い? 俺の家族を侮辱するな」
「事実を言ったまでですが?」
「〈持たざる者〉への差別を肯定するつもりで、その言葉を吐いているのか? そのような言葉がすぐに出てくるだけでなく、深く考えもせずに口にするなど、人としての品性を疑うな──。魔術師としての使命やら責務といった着飾った言葉は吐けるくせに、ずいぶんと人を笑わせる才能があると見受ける。まさか、下劣なネタを専門とする芸人を目指すために、わざわざ魔道庁に入ってきたのか?」
「なっ──」
ラウレンティウスからの容赦ない嫌味や罵倒に、少女は絶句した。口調は淡々としているが、ラウレンティウスは想像以上に苛立っている。
ユリアは唖然とする。あのような雰囲気をまとう彼を見たのは、これが初めてだった。
「ローヴァイン、落ち着け。──おい、シュライヒ。入庁説明会の時にちゃんと説明したはずだぞ。『〈持たざる者〉、あるいは元〈持たざる者〉であっても、一時的に魔力を増やせる薬を飲んでいれば身体能力を上げて魔術師のように戦える』ってな」
見かねたダグラスが間に入る。少女は怒りに震えているが、ぐっと堪えながら総長と向き合う。
「……それでも、能力は純粋な魔術師に劣ります。〈持たざる者〉には、濃い魔力に耐えられる身体は持っておりません。くわえて、薬に頼るということにも限界がございます」
「クレイグは、国が定めた基準を満たしているからこそ、魔道庁の魔術師としてここにいるんだ。なぜ、その事実を受け入れられない? こいつが今まで抱えてきた苦しみすら知ろうともしないで──」
ラウレンティウスの怒りは収まらない。しかし、クレイグはそんな従兄の腕を掴み、首を振った。
「ラウレンティウス、落ち着けって。もういい──時間がもったいない」
クレイグに制止されたラウレンティウスは、ゆっくりと息をつき、その後、黙り込んだ。
ラウレンティウスとシュライヒの言い争いを静観していたフレーゲは満足そうに微笑む。
「シュライヒ殿。これで、よくわかっただろう? ローヴァイン家の次期当主殿は、それはそれはご家族が大好きなお方なのだ。我々が魔術師の在り方を説こうとも、心に届きはしない。ベイツの言うとおり、時間の無駄となる」
「……そうですね……。噂に違わず、変わり者の一族なのだと実感しました。誇れる血筋を持ちながら、我ら魔術師の使命よりも家族への情を選ぶとは」
「……だったら、なんだ? お前には何も関係ないだろう。こんな俺達につっかかるほどに暇だというのなら、もっと世間に貢献できるように鍛えたらどうだ?」
このままでは、さらにローヴァイン家とシュライヒ家の確執が生まれてしまう。
姿を隠し続けることしかできないユリアが焦っていると、「いい加減にしろ」とダグラスが声を荒げた。
「ローヴァインとベイツは、任務の報告でここに来てるんだ。それなのに、適当な理由をこじつけて、つまらん言葉ばかり吐き続けるお前らはいったい何の仕事をしようとしているんだ? まさか、使命やら責務やらを説いておきながら給料泥棒でもするつもりか?」
「まさか! そのような下賤なマネはしたしません。それに、元〈持たざる者〉への不安を抱くことは、特段おかしなことでは──」
「シュライヒ。お前は、ずっとなにか勘違いしているようだから言っておくが──魔道庁の総長は、俺だぞ? お前が自分んとこの家の格を落とすつもりでここに就職したのなら、お望み通りに落としてやるよ。シュライヒ家は、上からの命令すら聞けない問題児を育てるお家だってな」
ここでダグラスは、先ほど命令を受け入れなかったことを利用して、容赦なく脅しにかかった。少女は悔しそうに目線をそらす。
「っ……申し訳ありません」
どうやらこの少女には、家の格を落とすという言葉が一番効くようだ。
そして、さらにダグラスはフレーゲを睨む。
「おい、フレーゲ。お前──後輩の指導すらできないボンクラだったのか。だったら、魔道庁から出ていけ。仕事の邪魔だ」
もはや『お前は使えない人間だ』と言われているようなものだ。しかし、フレーゲはさほど反省していないようすで微笑み、ダグラスに一礼する。
「善処いたします。では、失礼」
「……失礼します」
そして、フレーゲとシュライヒは執務室を出ていった。
嵐はようやく去った。
「はぁ~……今日、運悪ぃな……。出遭いたくないやつらと連続で出遭っちまった……」
ふたりが出ていってしばらくした後に、クレイグは盛大にため息をつく。
「──クレイグ。あなたは、いつもあのような言葉をかけられているの……?」
姿と魔力の気配を消していたユリアが現れ、心配したようすで問いかける。
「いや。今日が厄日ってだけだ。いつもなら、オレらと感覚が近い人としか話す機会がねぇし」
「俺達の親世代にあたる人達は、ああいう感じなのが半々だが──後輩は、俺達と同じような考え方をしているのが多い。古い価値観に染まったさっきの新人は、逆に浮いてるな」
ラウレンティウスが続く。
「だな……。これでも昔と比べれば、かなりマシになったんだよ」
そして、ダグラス。
あの会話を聞いていたら本当にマシになっているのか、いささか疑問が残るが──三人がそう言うのならそうなのだろう。
「そうでしたか……。それにしても、なんというか……やはり、仕事の時となると普段と比べてかなり雰囲気が違いますね、ダグラスさん。総長になったこともあると思いますが」
先ほどの彼と今の彼の雰囲気の差に、ユリアは内心、少しだけ戸惑っていた。ダグラスがあそこまで厳しい雰囲気でまくし立てているところを見たのは初めてだった。
「あれくらい言わんと、言うこと聞かないんだよ。ああいう連中は」
「それは、ストレスが溜まりますね……」
「もう少し総長歴が長くなりゃ、また変わるだろうさ。こういうのは長期戦なんだよ。──前の総長のときも、そんな感じだったらしいしな」
「若干、舐められているような雰囲気があったのは……まだその座に就いたばかりだからですか……?」




