第三節 潜む影 ②
「この遊園地だけに起きるポルターガイストなら、そこまで気にしなくても大丈夫でしょうからね。だけど、ここには確実に『排除しなければならない何か』がいるわ……。気をつけて」
そう言うと、ユリアは光陰の柄を握り、鞘から抜き取った。
「なるべく何も壊さないように戦ってくれ。この遊園地の所有者がまだはっきりしていない。場合によっては、面倒事になるかもしれないんだ。──所有者もセオドアと関係していれば、壊れても仕方がなかったでいいんだけどな」
と、ラウレンティウス。
「わかっているわ。なるべく壊さないために、私は光陰で戦うのよ。なんらかの現象を発動させる魔術は使わないわ」
「光陰でも、鉄くらいなら簡単に斬れるだろう」
「少しは私を信じなさい」
「『前科あり』の人間に言われてもな」
「──信じられなくても信じなさい」
ラウレンティウスから容赦なく事実を言われ、ユリアは不貞腐れたように矛盾した台詞を呟く。
「なんなら、オレらが戦うか?」
クレイグが提案すると、ユリアは悩む。
「う~ん……。魔道庁の大会で優勝と準優勝したあなたたちの腕なら大丈夫、と思いたいけれど……」
「ちょっとヤバめの敵か?」
「ええ、ヤバめかもしれないわ。魔力の気配を遮断するなんて、知能があるからこそすることだと思うもの。──ところで思ったのだけれど……クレイグが大会で準優勝した時は、きっと魔術師社会に染まっている人たちは悔しかったでしょうね」
「おう。そりゃあもちろん。だから笑っといた」
「あら、素敵じゃない」
そんな軽口を言い合っていると、低い唸り声のような音がわずかに届いた。
「ふたりとも、この建物から離れて。ここは私だけで戦うわ」
「わかった」
「なら、しゃーないな」
その唸り声が聞こえた後に、離れたところで大きな魔力の気配が現れた。大きな建物を破壊しかねない魔力の気配だ。
「……あら、豪快ね。私も豪快なことしたいのだけど──」
なるべく何も壊さないようにと言われたばかりだ。
ラウレンティウスとクレイグが敷地から離れた瞬間、廃墟病院を模したお化け屋敷が半壊した。
崩れる建物の中からユリアに突進してきたのは、紫の長い毛を持つ虎のような姿をした大型の魔物だ。その巨体には、刃のような切れ味のある風をまとわせている。それが建物を破壊したようだ。
(この魔物は……あの人が教えてくれた種族のものね)
ユリアは魔物の姿を捉え、片手で光陰を構えた。
虎に似た魔物は、牙が見えるくらいに大口を開け、ユリアに突進し──光陰と、魔物がまとう風の刃と牙が交わる。
(こんな大きな魔物と戦うなんて、久しぶりだわ──)
ユリアは光陰に魔力をまとわせる。その刹那、魔物がまとう風の刃と光陰の魔力が相殺された──相手の魔術を解除する術だ。
光陰は、ただの刀ではない。強力な魔術にも耐えうる希少な鉱石で鍛えられている。魔力濃度が高い環境下だった時代からこそ誕生したものであり、その素材となった鉱石は、現代では姿を消してしまった。
そして、ユリアの武器はこれだけではない。
光陰で魔物の動きを抑えながら、左手に魔力を集めて竜の手に変化させる。そして、ユリアは目にも留まらぬ速さで、鋭い竜の爪を魔物の目に突き刺そうとした。
魔物は間一髪で間合いを取る。だが、頬には血が滴っている。
(良い動きをする魔物ね……)
次に、虎に似た魔物はいくつもの閃光を放ってきた。この地の魔力濃度は街よりも濃い。魔力の扱いに優れている魔物であれば、現代の魔術師でも難しい魔術を放ってくる可能性があるとみていたが──やはりそうか。
ユリアは瞬時に光陰に魔力をまとわせ、ふたたび魔術を無効化するために閃光を切り伏せていった。これらを避けてしまうと、遊園地がさらに崩壊してしまう。
さて、どのような手で倒そうか。第一に優先することは、遊園地を壊さないようにすることであるため、規模が大きな魔術は使わないほうがいい。光陰に魔力を通し、斬っていったほうがいいか。魔道庁への報告やその証拠、そして、今後の調査のためにもなるべく魔物を傷つけずに倒したほうがいい。
ユリアが考えを巡らせていた、その時だった。
「──え」
突如として、魔物の輪郭がぼやけた。そのまま全体が朧げになり、ある姿にカタチを変える。
それは、古い時代に生きていた人間──軽鎧を身にまとった、騎士のような風貌の老いた男。
『……なにゆえ貴女様は、のうのうと生きていらっしゃる?』
「……な、なぜ……」
この男を知っている。
なぜなら、この者は──。
『貴女様には失望しましたぞ……。我らが〈預言の子〉よ──』
失望。
その言葉がユリアの耳に届いた瞬間、彼女の思考回路は止まった。
──うふふっ。こんな言葉で固まっちゃうなんて、かわいい人。でも、今のきみは、やっぱり好みじゃないなぁ……。だから、わたしはきみに期待しているし、応援しているよ。わたしの運命の人。……わたしの期待を裏切らないでね。
昨日の──声なき者の意思からの干渉。鎧を身にまとう老いた男は、携えていた剣を鞘から抜き取り、ユリアとの間合いを詰めた。ユリアが我に返ったのはその時だった。目の前に、剣の刃が見える──。
「おいッ! しっかりしろ!」
「ぼーっとするなんざアンタらしくねぇな!」
気が付くと、ラウレンティウスとクレイグは凄まじい威力の足蹴りを繰り出し、牙を見せる魔物の突進を防いでくれていた。
ユリアの目の前にいたはずの、あの騎士のような老いた男はどこにもいない。
「──っ」
ユリアは己に苛立ちながら、魔物に拘束術をかけ、額に切っ先を勢いよく食い込ませた。そこから自身の魔力を流し、魔物の体内を巡る魔力の主導権を奪い取る。そして。
「……散れ」
刹那、魔物の身体は、爆発したかのように弾けた。細切れの肉片となり、その肉片もやがて風に吹かれた塵のように形を失っていく。
魔物の肉体は、ユリアの魔術によって内側から切り刻まれ、肉片や血飛沫は魔術によって蒸発した。
「──」
戦いが終わり、ユリアは深く息をつく。その目は、ひどく疲労していた。
「……ごめんなさい。魔物がいたという証拠を、完全に消してしまって……」
せめて、少しの血や肉片くらいは残るくらいに手加減すればよかった。苛立ちや焦りの感情に振り回されていたため、そこまで気が回らなった。
「それはいい。なんとかなる。──それよりも、戦闘中だというのに、どうして急に固まったんだ。何があった?」
ラウレンティウスが怪訝に聞く。
「何って……あの魔物は、急に人間の姿になったでしょう? それなりに年がいった鎧姿の男の人。それに驚いてしまって──」
「鎧姿の、年がいった男……?」
「いや……なってねえけど……?」
「……え……」
そんな、まさか──。
ふたりを魔物から離していたが、それでもあの戦いはずっと見ていたはずだ。しかし、彼らの反応は嘘をついているものではない。本当に見ていないらしい。
「あの人を見たのは、私だけ……? そんな……有り得ない……」
「……ヴァルブルクの近く、だからか……?」
ラウレンティウスが案じた声色で問いかけると、ややあってユリアは納得した様子で頷いた。
「──そうね……。そうかもしれない……。だから、私は……役立たずだったんだわ……」
ユリアは役立たずと言ったが、ふたりは「そんなわけないだろ」と否定の言葉を零した。
彼女の様子がおかしい。今の彼女は、まるで出逢った頃のような薄暗い雰囲気をまとっている。ラウレンティウスとクレイグはそれぞれに目を向け、密かに困惑していた。
「……なあ、ユリア。さっきの嫌な気配の正体は、あの魔物で間違いないよな?」
薄暗い空気を払おうとしているのか、クレイグは少しだけ声に力を入れた。
「そうね……。ほかに魔物らしき気配はないから、そうだと思う」
「あの魔物の気配さ……魔物だから、あんな薄気味悪ぃ気配がしたのか? 微弱だったけど禍々しさがあったというか、なんとなく悪意みたいなのを感じたっつーか」
「禍々しくて、悪意のような感じを……? たしかに魔物という生き物は、人間が生み出す魔力とは少し違うけれど……そこまで嫌なものだったかしら……? ──クレイグは、魔物を見たのは今回が初めて?」
「まあな」
「だからかもしれないわね。初めて感じたものだから、変に感じてしまったのかもしれないわ」
そう言ってユリアは微笑むが、クレイグはあまり納得していない顔をしている。
「……なぁ」
「なに?」
「──いや。やっぱ、いいや。瓦礫の下、何か資料でも残っていないか調べてみようぜ」
と、クレイグは踵を返し、半壊したお化け屋敷へと歩いていった。ラウレンティウスも瓦礫へと足を進める。
「……ラルス、クレイグ」
ユリアは、そんなふたりに声をかけた。
「私が持っている知識や経験での判断なのだけれど……おそらく、あの魔物は、誰かに命じられてここを守っていたのではないかと思うの」




