第三節 潜む影 ①
翌日。ユリア、ラウレンティウス、クレイグの三人は明朝に屋敷を出発し、昼前に目的地へと到着した。数十年前に廃墟となった、小高い山の上にある遊園地だ。
「……実際に来てみると、すごい雰囲気ね」
今日は任務であるため、ユリアは極秘部隊の制服である白のワイシャツと赤いネクタイ。そして、黒のスラックス──実は、極秘部隊の制服というのは、社会人が着るようなスリーピース・スーツとほぼ変わりない。今は春であるため、ジャケットとベストは着ていない──を着ている。ラウレンティウスとクレイグは魔道庁の職員であるために、スーツとトレンチコートの特徴を融合させた濃紺色を基調とした軍服のような印象のある制服を着用している。
「今はこうでも、昔はたくさんの人がここに遊びに来ていたんだろうな」
はしゃぐ声や笑い声が飛び交っていたであろうところは、今となっては想像以上に荒れ果てており、不気味な気配を漂わせている。色鮮やかな建物やオブジェの塗装はほとんど剥がれ落ち、鉄が錆びた色に覆われていた。
目に映る光景は、ただでさえ薄気味悪さが満点に近い。それにくわえて、今日の天気は薄暗い曇り空だ。ホラーの雰囲気がさらに出てしまっている。が、幸いなことに、この三人は背筋が凍るような雰囲気に耐性があった。それよりも恐ろしいことを経験しているからだろう。
「──クレイグ。今の魔力濃度だと、身体は大丈夫なの?」
クレイグは、体内で魔力を生成する力が弱い。なので、魔力濃度が高すぎるところに居続けると、何の対策もしていなければ体調不良に陥ってしまい、命の危険性が出てしまう。
「一応はな。念のため、薬は飲んでる。……つーか、ユリアこそ大丈夫なのかよ? 車の中でずっと寝てたろ」
「……大丈夫よ。車の中では、しっかり眠れたから。昨日は、なんだか少し寝づらかったのよ」
その言葉に何かを察したのか、クレイグは何も言い返さなかった。ラウレンティウスも黙り続けている。
おそらくふたりは、ユリアが来ることを避け続けていたヴァルブルクの近くに任務で行くことになったことで、何か良くないことを思い出していたのだろうと思っている。
それもあるが、それだけではない。
昨日の夕食後に突如としてやってきた、謎の存在からの『声なき意思』の伝達──。
(あれから何もなかった……。いったい、なんだったのかしら……。自分の心のなかに、まったく知らない人が入り込んでいたような感覚だった──)
ユリアは、気味が悪そうに目を細めながら、赤い組み紐とベルトを組み合わせて帯びているヒノワ国の刀・光陰の柄や鍔を触る。
あの時、どこからも声は届いていなかった。あの者は直接、心のなかに意思を伝えてきていた。言葉遣いだけで判断すると、あの者は女性という印象があった。心を乱すだけ乱していき、最後は力がなくなったという理由で消えていった。
(私が『運命の人』……。どういう意味なのよ──そもそも、なぜ私が〈予言の子〉と呼ばれていったことをあいつは知っていたの……? 現代の歴史には残っていないことなのに……。まさか、あの者は……私が生まれた時代に生きていた存在……?)
「──おーい」
クレイグに呼ばれ、ユリアはハッとした。
「あ、ごめんなさい……。何かあった?」
「ここにもあったんだよ。爪痕っぽいの」
クレイグが指差すところを見ると、鉄製の柱に鋭い何かで引っ掻いた跡のような深い傷痕があった。そして、ラウレンティウスが口を開く。
「車の中で寝ていたお前は知らないだろうが──ここに来るまでの山道では、これと似たような爪痕らしき傷を負った大木を見たんだ。大型の熊がいるという可能性も捨てきれないが……魔物の可能性もある」
「ええ、そうね。ヴァルブルクが近いから、魔物の可能性はあるわ。あるいは、実験によって生み出された生物かもしれない……。ともかく、鋭い爪かなにかを持った大型の生き物がこの辺りを根城にしていると考えてよさそうね」
『魔物』とは、人間と同じく魔力を生成できる動物、あるいは生きるために魔力を得なければならない動物を指す名称である。時を経て、地上の魔力濃度が低下していっていることにより、魔物も魔術師と同じく数を減らしていっている。現在では、魔力を多く消費する大型の魔物は絶滅し、中型や小型の一部の種しか現存していない。その多くは、魔孔が付近にある地に生息している。現代の普通の人間であれば、実際に目にすることはできない非常に珍しい生き物だ。
「ユリア、クレイグ。何か感じるか?」
ラウレンティウスにそう聞かれたふたりは、精神を集中させて周囲の魔力の気配を探る。しばらくしてから、ユリアとクレイグは同時にとある建造物を目に映した。
「オレは、あの建物から嫌な気配を感じる。あれは、たぶん──廃墟病院をテーマにしたお化け屋敷だな」
「私もよ。私たちとは異なる気配をかすかに感じるわ」
「わかった。それじゃ、あそこを調べてみるか」
三人は、閉じられている背の高い鉄格子の門を難なく飛び越えた。体内で魔力を生み出せる魔術師は、自身の肉体を強化できる。なにかしらの現象を起こす魔術と比べると地味なものだが、これも魔術の一種である。
しかし、この魔術はある意味では凶悪なものだ。魔力を感じ取れない一般人にとっては『見えない凶器』と評しても過言ではない。手には何も持っていない、さらには目立った筋肉も持っていないように見える人間が、素手で鉄を破壊できるようになる魔術なのだ。
「──建物の中は暗いから、戦いが起きてしまったら魔術で光を出しながら戦うことになるわ。大丈夫?」
「さんざんアンタから稽古受けてきたからな。それくらいできるっつーの」
「まったくだ。子ども扱いするな」
と、クレイグとラウレンティウスが反論する。
「そうよね。ふたりとも大きくなったものね。それに、ふたりは魔道庁の武闘大会で優勝と準優勝したことがあるものね」
「アンタの稽古を受けてたら、現代の魔術師の攻撃が『子どものお遊び』に見えてくるんだよ……」
クレイグがため息交じりに言うと、ユリアは嬉しそうに笑った。
「あら、言うようになったわね。お役に立てたようでなによりだわ」
「何が『お役に立てたようでなにより』だよ。稽古があるごとに死を覚悟してたんだぜ、こっちは」
「それでも、あなたは私に何度も食らいついてきたじゃない。ならば、手加減することは失礼だと思ったのよ」
ユリアがそう言うと、クレイグは複雑そうに唇を尖らせた。
「……そのおかげで、俺たちの戦闘能力は上がったんだろうな」
ラウレンティウスも複雑そうに呟く。
そして三人は、魔術で光の球を作り出し、薄暗い廃墟病院を模したお化け屋敷のなかへと足を踏み入れた。
やはり、建物のなかも荒廃していた。窓ガラスはどこも割れており、カーテンは引き裂かれていて、もはや使い物にはならない。天井はところどころ崩れ落ちており、機材や小道具は散乱している。
すると、建物の中に入ってすぐに、奇妙な魔力の気配が消えた。気配遮断をしているのかもしれない。
「──気配が消えたわね」
「けど、これで何かいるってのは間違いねぇってことだな」
「ええ。……思った以上に物は散乱しているし、このまま奥へ進んでも戦いにくくなるだけでしょうね。ここで油断しているフリをして、敵をおびき寄せてみましょうか」
「おびき寄せるって、何をするんだ?」
ラウレンティウスが問う。
「まずは、私たちの気配を漂わせながら、しばらく雑談でもして様子を見てみましょう」
そして、ユリアはラウレンティウスに話を振る。
「──ねえ。ラルスが魔道庁に就職しようと思ったのは、お父さんとお母さんの影響なの?」
「ああ。両親ともに魔道士だからな。小さい頃からその話を聞いて育ったんだ」
彼の両親は現在、魔道庁へ入庁した新人の指導官として地方の支部へ出向中と聞いている。
「両親の背中を見ていたから、なのね──」
私と同じだわ。
口には言えないが、ユリアはそう思った。
「クレイグは?」
「オレは、小さい頃から〈持たざる者〉への偏見に腹が立ってたからな。それに挑んでやろうと思って、魔道庁に就職した」
「しれっとそんなことを──あなたは強い人ね。誰にでもできることではないわ」
と、ユリアは笑った。
彼の強さは羨ましい。素直にそう思う。
「今は間違いなく魔術師だと証明できるからな。だから、〈持たざる者〉だった当時と比べると、向けられる差別意識はかわいいもんなんだよ。だから、ある程度は堂々とできるってだけだ」
それでも、陰で中傷されている可能性は高い。昔からあった差別意識は薄まってきているとはいえ、完全にはなくなっていないのだから。
雑談と言いながらも、ずいぶんと真面目な話を振ってしまった。次はもっと気楽な話題にしよう──と思っていた、その時だった。
「……音がしたな。比較的、近くで」
瞬時に場の空気が張り詰め、ラウレンティウスが口を開く。
「ああ……。何かが盛大に落ちたか、崩れたっぽい音だな。不思議なことに、さっきの魔力の気配は消えてるんだが……ワンチャン、ポルターガイストって可能性もあるかもな」
クレイグが冗談を口にすると、ユリアは少し困り顔でこう言った。
「ポルターガイストなら別にいいのだけれど、肝試しに来ているわけではないから、いたずらしたり怒らないでほしいわね……」
「ポルターガイストならいいのかよ」
クレイグがツッコむ。




