第二節 そして、幕が上がる ⑥
「──ねえ、ラルス兄。今更な話なんだけど、セオドアのことや任務の話って、あたしやアシュ姉も聞いててよかったの?」
「あー。それ、思った。ローヴァイン家の親戚でも、さすがにアカンのんちゃうん?」
と、イヴェットとアシュリーが言うと、ラウレンティウスは首を縦に振った。
「ユリアやアイオーンのことを知らない人間に漏らさなければ大丈夫だ。むしろ、お前たちにも情報共有してもいいと総長から許可をもらっている」
「そこまで許可するほど、セオドアに関する情報って少ないんだ……」
イヴェットが呟く。
「ところで、セオドアがいたかもしれない研究所とは、どういうところなの? 調査はいつ?」
「出発は、明日の朝だ。俺とクレイグの三人で、廃墟の遊園地についてきてほしい」
「廃墟の遊園地に……研究所?」
「まるでホラー映画かよって感じだよな。実はそこ、山中にある昔の遊園地でさ、じょじょに経営難になって潰れたとこらしいぜ。ちなみに、賑わってた当時から、心霊スポットだって噂が立ってたんだとさ」
と、クレイグが面白そうに微笑みながら説明する。
「心霊スポットでもあるの?」
「おう。意外とこういったの苦手だったか?」
クレイグの問いかけに、ユリアは素直に頷く。
「苦手かと言われたら、苦手ね……。だって、幽霊って、生きている人間ではないし魔物でもないもの。そもそも、幽霊の身体が魔力でできているものなのかわからないし、もしも物理攻撃だけでなく魔術も効かないとなると──敵として出てきたら、ちょっと困るわ」
「って、そっちの苦手かよ」
「バカ。倒そうとするな」
「やっぱアンタの脳みそ、筋肉でできとるやろ」
「……どうしてお前は時々、そんなことを真面目に言い出すんだ」
クレイグ、ラウレンティウス、アシュリー、アイオーンの順で呆れられたユリアは、「聞かれたから答えただけなのに……」と不服そうにしながらもしょんぼりする。
「……というか、そんな曰く付きかもしれないところでわざわざ研究するんだね」
イヴェットは、あえてコメントすることなく任務先の感想を述べた。
「法に触れたことしようとしたら、そういうところしかないんだろうぜ」
と、クレイグ。
「その遊園地の所有者は? この研究所について何か絡んでいるのか?」
続いてアイオーンが口を開き、ラウレンティウスが答える。
「所有者は一応、把握できてるんだが……少し複雑なことになってるんだ。だから、まだどこの誰かとははっきりと言えない」
「──なあ、ラウレンティウス。遊園地の詳細な場所のこと、念のため言っておいたほうがいいんじゃねえか? ユリアにとったらデリケートなことだろ」
その時、クレイグが妙に真面目なようすでラウレンティウスに話しかけると、彼は「そうだな……」と言って雰囲気が引き締まる。
「……なあ、ユリア。実は、その遊園地は……旧ヴァルブルク領の近くにあるんだ。まだ離れているほうではあるだが……」
旧ヴァルブルク領。
その言葉が出てきた瞬間、ユリアの顔が凍り付いた。
旧ヴァルブルク領は、ユリアの生まれ故郷だ。しかし、彼女は故郷を懐かしむ素振りなど今までに見せたことはない。ラウレンティウスたちと出逢ったあの日に、過去のことは聞かないでほしいと言ったことから、そこで何かがあったことは間違いない。
「……ユリア。無理はするな」
アイオーンがやさしく囁く。
ユリアは何かを我慢しているように顔を強張らせている。それでも、それ以上に感情を出そうとはしない。
「……いいえ──私が行くわ。総長からの頼み事だもの。断るわけにはいかない」
「今回の任務は、俺が代わりに行くことができるはずだ。魔道庁からの同行者はラウレンティウスとクレイグだけだろう? それに、光陰があれば、俺も魔力を使わないで戦うことができる」
アイオーンは、限定的な条件が揃ったときのみ活動が許されている極秘部隊の一員だ。その理由は、簡単な魔術であっても発動させてしまうと、身体の一部が竜になってしまうという体質にある。なので、任務の同行者がラウレンティウスかクレイグ、あるいはダグラスのいずれかのみでなければ仕事はできない。
「ありがとう。でも、大丈夫よ。ふたりがいるから」
「……わかった。では、頼むぞ」
アイオーンはユリアの判断を信じた。
場の空気が少しだけ張り詰めていることに申し訳なさを感じたユリアは、いつもの声色で話を変える。
「──それにしても、ヴァルブルクから近いのに、よく遊園地なんて作ろうと思ったものね」
「その遊園地のことを少し調べたんだが、開園したのは今から三、四十年くらい前のことらしい。当時のその地は、国が定めていた魔力濃度の規定値より低かった──。でも、そのくらいの時代は、まだそこまで魔力の研究が進んでいなかったんだ……。研究に協力してくれる魔術師も少なかったから、よくわかっていなかった。だから、この遊園地が経営難に陥ったのは、おそらく魔力濃度と現代人の魔力耐性についての研究不足が原因なんだろうな」
当初、魔術師が研究に非協力的だったのは、先祖代々受け継がれてきた特別な力を、研究者の好奇心なんかに使われてたまるかというプライドや拒絶感があったらしい。それでも時代は少しずつ変わっていき、研究が進んでいった。
「今かって、年々ちょびっとずつ落ちとるもんな。現代魔術師の魔力耐性値」
アシュリーは魔力の研究者であるからこそ、そのことがすぐに判った。
これは毎年、魔術師を対象にその検査がおこなわれている。その結果、現代人は少しずつ魔力に対する耐性力が落ちていっているということが判明している。
「ああ。研究不足によるガバガバな魔力濃度の規定値を信じ、かつ現代魔術師の魔力耐性力は想像以上に落ちていた──だから、遊園地に遊びに来た人が、具合を悪くすることが多かったんだ。そのことを、一部の人が心霊現象だとみなして、その騒ぎが大きくなったんだろう」
「それらが積み重なった結果、経営難に陥って閉園した……ということね」
「まあ、俺の考察はともかくとして──。明日は、車で現地に向かう。朝早くに出発するから遅れるなよ」
「了解」
この時、ユリアの心臓は激しく鼓動していた。
大丈夫。ヴァルブルクに行くわけではない。そもそも、魔道庁がそこへ行けと命じるはずがない。あそこは現在、国の所有地となっている。だから落ち着け。
(思い出すな。顔に出すな。明日は任務──早く、ご飯を食べて部屋に戻ろう)
◇◇◇
食後、ユリアは明日のために早く休むことを理由に、アイオーンたちに洗い物を任せて自室に向かっていた。
「……」
長い廊下を足早に進む。自室に入ると、ユリアはゆっくりと息を吐いた。
まだ心臓が早く脈打っている。
ヴァルブルク。私の故郷。それでも、いまだに帰れない──。
──ふふっ。
気のせいか。誰かに笑われたような気がした。しかし、自室にはユリアのみ。誰かの声は聞こえていない。
それでも、どこかに『誰か』がいるような気がする──。
──まさか、気づいてないフリでもしてる? ……ひどいなぁ。やっと少しだけお話ができるようになったのに。
姿も声もない。だが、確かに『いる』。声は聞こえていないのに、そう言われたと認識できてしまう。この感覚は、いったいなんなのだ。
「……何者だ」
──わたしはね、またきみに会いに来たんだよ。……わたしの運命の人は、きみだから。
「私は、貴様が何者なのかと聞いているのだが……?」
──それは言えないなぁ。でも、わたしの運命の人は、間違いなくきみなの。もう逃がさないんだから。
(どこだ……。こいつは、どこに隠れている……)
みんなに伝えないと。姿も声もない敵がいる。こんなことは初めてだ。
──みんなに言わなくても大丈夫だよ。今のわたしは、きみにしか話しかけられないから。それ以外、何もできないだもん。
「──!?」
どういうことだ。思考が読まれている──!?
──くすっ。どうして考えが読まれたんだって思ってるよね? でも、ごめんね。今はヒ・ミ・ツ。
「……ふざけるな」
──わたしと喋っているときは、言葉は口に出さないほうがいいよ。わたしの言葉は、きみにしかわからない。だから、他の人から見たら、きみは不審者のように見えちゃうから。
なにがどうなって、自身と相手は意思疎通ができているというのだ。
お前の意思を、なぜ私は理解できる──!?
──ひとつだけ、はっきりと言えることがあるよ。……あなたは、〈預言の子〉だということをね。
「っ!? 貴様……! なぜ、そのことを──!? 」
──あはっ。本当にこの言葉が苦手なんだ。昔にたくさん呼ばれてきたから、耳にタコができそうでイヤになってるの?
心臓の鼓動がさらに激しくなる。ユリアは顔を引き攣らせながら胸に手を当て、その部分の服を強く握りしめた。
なぜ、その名を知っている。なぜ、私のことを知っている。お前は何者だ。
──わたしが何者なのか、きみはさらに知りたくなったと思う。どうして今、出てきたのかということも……。でもね、ここで種明かしをしたら何も面白くない。わたしは、きみの『この状況』を楽しみたいの。だって、今はこれしかできることがないから。せめて、少しくらいは楽しませてほしいな?
「……消えろ」
──ふふ、怖いなぁ。……ねぇ……〈預言の子〉なのに、どうしてこんなところにいるの? お国は? 民は?
「──っ……」
──ああ……きみが生み出した負の感情を感じる……。思い出しちゃった? 苦しい? 許せない? そうだよね、悲しいよねぇ……! ふふっ!
口調からして、この者は女だろうか。
何もできないことがもどかしい。
ユリアの心に、恐怖のほかに怒りが沸き起こる。
──もっと怒って? そのためにも、きみはもっと苦しまなきゃ。この十年間、ずっとぬるま湯に浸かっていたでしょ? もう十分、甘受したよね? そのせいで、当時のきみと比べて、武術の腕も戦士としての感覚もなまっているでしょ? ダメだよ。そんなのぜんぜん楽しくない。だから、きみはたくさん苦しまないといけない。
「何が目的だ……」
──わたしが望むことは、きみがもっと強くなること。気高い心を持って、もっともっと強くなってほしいということ。また崇拝されるくらいに気高く、そして強くなってほしいの……!
「とっとと失せろ──下衆め」
そう言い放った瞬間、ユリアの目にはっきりと憤怒が宿る。しかし、姿がない者はさらに気持ちを高ぶらせた。
──あははっ。きみからのその感情、ゾクゾクしちゃう……! きみの根本的な性質は穏やかなものなのに、それにそぐわない強さや過激さを秘めている。だから、もっと怒ってよ。『過去』に怒ってよ。あなたは、もっと怒ってもいい。今だって怒りを抱いているくせに……どうして我慢しちゃうの? 怒りは人間にとって必要な感情。だから、誰もが持っている。……でも、きみは理性を選ぶんだろうね。きみが苦しむだけなのに。
ユリアは黙り込む。
今、ユリアの心にあるのは、苦しみ、後悔、悲しみ──そして、怒り。それでも、ユリアは平静を保とうと堪えていた。
──ああ、残念だなぁ……力が少ないから、そろそろお別れしないといけない時間になっちゃった。でも、わたしのことは忘れないでよね? 今のきみは、とても怖がりになってしまっているけど、いつかはあの頃のきみに戻ってもらうんだから。もう絶対に逃さないよ……わたしの運命の人。わたしがこうなったのは、きみのせい。ちゃんと、責任はとってよね……?
その言葉を最後に、何者かもわからない意思は届かなくなった。
「……今、のは……」
あれは、混沌とした己の感情が作り出した幻覚か。それとも敵によるものか。それすらも、はっきりとしない。
「わた、しは……私は……っ──」
かき乱されたユリアの柔い心には負の感情が渦巻き、そこに囚われつづけていた。
己の心は、あの時から何も変わってない。ただ、表面を見繕っているだけ。仮面を被り続ける力を、また持てるようになっただけ。
このままでは駄目だと、何かが自身の心を揺さぶる。それでも、なにをどうすればいいのかわからない。
ずっと、このままなのか。
ユリアは拳を握りしめ、悔しそうに奥歯を噛みしめた。




