第二節 そして、幕が上がる ④
「なんか仕事振られたん?」
もぐもぐと市販のパンを頬張るアシュリーが問う。
「セオドアという犯罪者を探すために、かつてその人が使っていたらしい研究所を調査してほしいのですって。話を聞くかぎり、なにやら厄介そうな案件だわ」
「ほ~ん」
「……ユリア。調査の際には、念のため光陰を持っていったほうがいい。この件は、魔道庁の内部にも深く知れ渡っているものだ。ダグラスが総長の座に就いたとはいえ、身勝手にほかの魔道庁の者が調査にやってくるかもしれない──魔術師社会は面倒だからな」
魔術師社会の負の側面を察知したアイオーンが言う。
光陰──ヒルデブラント王国と関わりが深い、東方の島国であるヒノワ国で鍛えられた刀であり、ユリアの愛刀。それを持っていく理由は、魔術に代わる武器となるからだ。国や魔道庁に所有している武器の使用許可を申請しているため、魔道庁からの協力要請を出された任務や、国からの出動を命じられたのであれば、光陰を使用してもいいことになっている。
「ええ。私もそう思ったわ。持っていくつもりよ」
「……しかし、お前はそろそろ『力加減』というものを本格的に学ぶべきだとは思うがな。わざわざ光陰を持ち歩く必要もなくなるぞ」
「わ、わかっているわよ……。それでも、できる気がしないのよ……」
実は、ユリアは、幼い頃から魔力の力加減がこの上なく下手である。
その理由は、彼女の幼い頃の境遇に起因しているという。これ以上のことは、彼女の過去に深く踏み込むことになるため語りたがらないが──。ともあれ、彼女は規模の小さな魔術でちまちまと戦うことが不得手だ。何の変哲もない武器を手に持って、それだけで戦うという意識をしていれば、まだ現代の魔術師のように戦える。ただ、たまに目にも止まらない素早さで武器を振り回すという現代の魔術師らしからぬ動きはするが。
なので、本人曰く、扱い慣れている武器を振りまわしているほうが、面倒ごとを起こす確率が低く役に立てるという。ということで、極秘部隊の一員として、限定的な刀の使用許可をもらっている。
「『手加減する気がない』の間違いではないのか?」
「で、できるわよ。──たぶん」
「そうか。『できない』んだな」
「決めつけは失礼ではないかしら!?」
まったく信じてくれないことにユリアが力強く異を唱えるも、アイオーンはもう諦めているようだ。
「どんな感じで厄介そうなの?」
イヴェットもそう思っているのか、特にユリアへフォローを入れることなくその話を流す。ユリアは唇を尖らしているが、アイオーンは彼女をそのままにして質問に答えた。
「どうやら、幻覚術や傀儡術といった魔術を使うことができるらしい。そのせいか、二年ほど前からダグラスたちが追っているようだが、未だに奴の手掛かりは掴めていない──。詳細なことは、ラウレンティウスとクレイグから聞く予定だ。今夜はふたりも帰って来るぞ」
「たしかに、ユリアちゃんとアイオーン以外でそんな術使える人って、ただ者じゃないかんじ──。にしても、イグ兄だけじゃなくて、ラルス兄もこっちに来るって珍しくない?」
「ああ。ダグラスの命令で、仕方なくな──。忙しいんだろうが……あいつらが魔道庁に就職してから、顔を合わすどころか電話で話しをする機会すら減ったな」
アイオーンはどこか寂しそうに言葉を紡ぐと、パンを食べるアシュリーが「そういう血筋やねん」と言葉を発する。
「ローヴァイン家とベイツ家の子世代と親世代は、帰って来んどころか連絡もあんませえへん自由な一族やからな」
「本当に自由だな……。だが、それで良い。それでこそお前たちだからな」
アイオーンは、微笑みながら小さくため息をついた。そして、壁のフックにかけられていたエプロンをとり、それを着用する。
「さあ、そろそろ夕飯の準備を始めるぞ。今日のメニューは魚介のリゾットと、クレイグの好物である唐揚げだ。鶏のもも肉は冷凍庫にあったはずだ。あとは、適当に緑色野菜を盛りつけたサラダや、賞味期限が近い野菜を適当にぶちこんだスープでも作っておけば十分だろう。──十分だな? ユリア」
そして、唇を尖らせ続けている彼女に確認する。
「……十分よ。そもそも、私はそこまで食いしん坊じゃないわ」
「え?」
「ほ?」
「は?」
イヴェット、アシュリー、アイオーンの三人はたったひとつの言葉を使って「嘘つけ」と言った。同時に放たれた一言と三人の目が、ユリアの精神に容赦なくたたみかける。
「……」
ユリアは、真顔のまま目線をそらすことしかできなかった。
◇◇◇
「──ただいま」
「ふぁ~……なんか疲れたな……」
四人が夕飯を作り終えてからしばらくののちに、ラウレンティウスとクレイグが部屋着姿で厨房室にやってきた。
この屋敷は広いため、玄関の扉が開いても場所によっては開く音が聞こえてこない。そのことを知るとセキュリティ面は大丈夫なのかと指摘されそうだが、その点については万全である。警備サービスの契約にくわえ、ユリアとアイオーンが考案した現代の環境下でも可能なセキュリティ魔術が、屋敷を入れた敷地全体に施されているのだ。ふたり曰く、そのセキュリティ魔術に引っ掛かると、『最悪の体験』をしなければならないという。
「あら、おかえりなさい。ちょうどさっき夕食ができたのよ。手は洗っているわよね? 料理を食事室に運んでくれる?」
「わかった」
ラウレンティウスは、手に持っていた黒い鞄を椅子の下に置いた。
彼は、あと数か月で二十七歳となる。髪型は昔と変わっていないが、顔つきは逞しさと男らしさが増し、くわえて背も高くなった。彼が十七歳の時、ユリアとの身長差は、彼女の頭のてっぺんがラウレンティウスの額あたりだった。今では、彼の頬あたりにユリアの頭のてっぺんがある。
「あー、メシ~……」
大人になったクレイグも、雰囲気がさらに色気が増した。顔まわりの髪を軽めのオールバックに仕上げており、ゆるい部屋着であろうとも、魔道庁の堅い雰囲気の制服を着ていようともお洒落な青年という印象を抱く。
ラウレンティウスとクレイグは、ユリアに言われたとおりに食事が盛られた皿を持って隣接する食事室へと運んでいく。その時、調理道具を洗っていたアイオーンが、クレイグの顔を見てあることに気がつく。
「……どうした、クレイグ。やけに疲れた顔をしているな。あまり休めてないのか?」
「まあ、それもあるけど……帰る間際に、運悪く鬱陶しい連中に絡まれてよ。こっちは疲れてんのに、飽きずにまた『本来なら〈持たざる者〉が魔道庁にいるのはおかしい』だのグチグチ言ってきやがったからな……」
昔のクレイグは、魔力を生み出せない〈持たざる者〉だった。旧家ゆえに有名なローヴァイン家のいとこであるため、魔術師社会は彼が〈持たざる者〉であることを知っている。
しかし、十年前にユリアが、クレイグが〈持たざる者〉であった理由が特異体質だったからということを見抜き、体質の矯正と魔力の生成力を鍛えたことで魔術師となれた。
「……本当に、魔術師社会というのは愚かな輩が多いな……。古い社会が作り上げた『常識』に囚われ、未だに上層部の決定も受け入れられないとは──。器の小さい者たちが、悪を取り締まる職に就いているなど甚だ滑稽だ」
しかし、魔術師となれて魔道庁に就職できたとしても、魔術師社会の偏見はなくならない。
魔術師社会では、魔術師の両親から生まれた〈持たざる者〉という存在は、血筋が持つ『使命』を全うできないことから昔から差別の対象だった。それは現代でも根強く残っており、昔ほどではなくとも心無い言葉を向けられることがある。
「腹立つけど、何か言い返すとアイツらは『やっぱり〈持たざる者〉は愚かだ』とか言い返してくるからよ……。無視すんのが一番良い」
「それでも、腹の虫が収まらないだろう? だから、代わりに俺がその連中に『雷』を落としてきてやろうか? もちろん、普通の魔術師では判らない方法でな。──それで、クレイグ。そいつらの名は?」
刹那、アイオーンの顔に悪い笑みが浮かび、体内から魔力が渦巻く気配が現れ──やがて、アイオーンの頭には角が生え、襟から見える首筋には白い鱗が広がり、笑った口から見えていた犬歯が鋭い牙へと変化した。
アイオーンの姿を見たクレイグは引いた笑みを見せ、静かに皿を運ぶラウレンティウスやユリアたちは呆れたようにジト目を向けていた。
「おい、勘弁してくれ……。んなの一発で総長やカサンドラ様にバレるだろ。ついでに、止められなかったオレたちも怒られるからな?」
「そうか──。ならば、今回はおとなしくしておこう。せめて、お前の好物の唐揚げは好きなだけ食べていけ」
断られるとアイオーンはすんなりと引き下がり、竜化していた部位がもとに戻る。
「いや、子ども扱いすんなって」
「齢数千年の俺からすると、お前はまだまだ子どものような年齢なんだがな」
「実年齢で比較してくんな。つーか、ふつうは大星霊でも最長で千年と少しくらいの寿命なんだろ? なのに、なんでアンタそんなにも長生きで、今もピンピンしてんだよ」
「それは、俺でもよくわからなくてな──。もはや、この星そのものに聞いてみなければ、この件に関する手掛かりは掴めないのかもしれないな」
「魔孔に行って、噴き出てる魔力をじっくり調べるってか? 見つかる可能性は無きにしも非ずとはいえ、絶対ぇ途方もない作業になるな……」
「ああ。だが、ときどき思うことがある──星霊は魔力の塊のような存在で、人間は星と同様に魔力を生み出せるだろう? だから、もしかしたらこの星にも意識があったりするんじゃないかってな……。疑問を投げてみたら返事をしてくれるかもしれん」
「逆に怖すぎるだろ、んなの……」
「──え? クレイグ。あなた、唐揚げ食べないの? だったら、私があなたの分を食べていいかしら?」
クレイグがアイオーンの「唐揚げは好きなだけ食べていけ」の言葉に反応しなかったことに、ユリアは自身の希望を添えて言及する。
「誰も食べないとは言ってねー」
返ってきたのは呆れの言葉。わかってはいたが、それでもユリアは少しだけ期待していた。
「あら、残念」
「ユリアちゃん、相変わらず食い意地張りすぎだよ……」
イヴェットに指摘されるも、「私にとっては普通なのだけれど」と心外そうに呟く。彼女の胃袋は普通ではないようだ。
やがて、皿や食器を並べ終え、調理器具も洗い終えると、六人はそれぞれ椅子に座って食事を始める。
「──では、いただきます」
この一言は、ヒノワ国の習慣だ。ここヒルデブラント王国ではあまり浸透していない。
ラウレンティウスたちが東方の島国であるヒノワ人の血を引いており、ヒノワ国の文化や習慣もよく知っている。そのことから、食事を始める際にはユリアとアイオーンも食材への感謝の一言を言うようになった。
「……というか、アシュリーとイヴェットは、なんで揃ってこの屋敷に来てたんだ?」
食事が始まってからラウレンティウスが問いかける。
「ユリアが久しぶりに遊ぼって。今日、ちょうど仕事休みの日やったし」
「あたしは、大学のゼミが急に休講になったから。今日はゼミしかない日だったから、一気に暇になっちゃって──だから、久しぶりにこの屋敷に行ってみようと思ったんだ。そしたらアシュ姉もいたから、ユリアちゃんとアイオーンと一緒に女子会してたの」
アシュリーは休日。イヴェットは偶然にも休講。女子会は、意外な偶然の重なりで開催されていた。
「それで、アイオーンが女装することになったのか……」
「久々に女子会でもするかーってウチが言うたら、アイオーンが『俺は無性別だが参加してもいいのか?』って不安そうに言ってきたんよ。そんなん、性別気になるんやったら一時的に『女の子』になればええだけの話やろ──ってことで女装させた」
「……」
それ以降、ラウレンティウスはなにも言わなかった。




