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泥の花  作者: 怡土
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北の神話、黄色の大地

父親を亡くした10歳の少女レイが、母の実家の農場で、若い叔父や新しい親友と出会い、成長し恋や冒険をする話です。

ロングランド諸島に伝わる神話より

———————————————

はじめ、世界には神々が溢れていた。

神々が争い合うようになると、洪水が起きた。

太陽神アグナタタと、その妹の月神エピトェレだけが葦の小舟に乗って助かった。

2人は辿り着いた島で子供を作った。

エピトェレは最初、泥を産んだ。海に落ちた泥は魚になり、山に落ちた泥は獣になった。

エピトェレは次にイパを産んだ。

これが原初の人間である。

———————————————




「ベルハンだ。部屋は2階の奥に用意してある」

叔父であるというその男が、そっけなくそう言った。


わたし、レイ・カティクは叔父であるというその男の人を見て、こんなに背の高い男の人を見るのは初めてかも、と思った。

その人は叔父という言葉から想像していたよりも若く、まだ青年と言える年頃に見えた。

鼻筋の綺麗で華やかな顔立ちをしているのに、ニコリともしていないから怖く見えて、わたしは緊張して「レイです」と震えるような声で言った。

切妻屋根の古い家の前で、ベルハンと名乗った叔父と、初めて会う祖母に私は緊張していた。

横にいた母は長旅の疲れが出たようで、挨拶が終わるとよろけるように家の中へ入っていった。


わたしは自分に叔父がいるということもつい先日まで知らなかったし、母方の家名がカティクであるということも知らなかった。

一ヶ月前まで、わたしはレイ・マルキナだった。

産まれた時からわたしの名前はレイ・マルキナで、いつか大人になってどこかの家に嫁ぐまで自分はずっとレイ・マルキナなんだと思ってた。


ところが一ヶ月前に商家を営んでいるお父さんが死んで、父方のお祖父ちゃんは幼い弟だけを引き取ってわたしとお母さんをマルキナ家から追い出した。わたしたちは母方の実家であるカティク姓を名乗ることになった。

そうして船を乗り継いで、ロングランド諸島にあるこの家、母の実家である、お祖母ちゃんと叔父さんが暮らす家にやってきた。


本当はここには来たくなかった。

わたしはずっと街暮らしで、子どもでも実感できるくらい、それなりに裕福な暮らしをしていた。

ロングランド諸島の一番端にあるこの島、ボラルビ島は古い言葉で「豊かな地」という意味で、名前の通り山や川の他には農地ばかりの島だと聞いていた。

わたしは農場やそこに居るであろう虫や獣には慣れていないし、煉瓦造りの街並みの無い暮らしは想像ができなかった。生まれて一度も会ったことのない叔父と祖母に会うのも怖かった。





「すこしお祖母ちゃんと話すから」と言って居間の椅子に座ったお母さんをおいて、私は叔父さんのあとをついて行った。

叔父さんに案内されて2階の奥の部屋に入って、わたしはその部屋の殺風景と古めかしさに落胆した。

その部屋はマルキナ家のわたしの部屋の半分くらいの広さで、板張りの床は踏むときいきい軋んで、漆喰が塗られただけの壁には黄ばみやシミがあった。置いてある家具はベッドと箪笥だけでどちらも古びていた。

マルキナ家の、薄い桃色とレモン色の壁紙が張られて、素敵な鏡台や、大きな姿見がある部屋とは大違いだった。


わたしの服や日用品が詰まった旅行鞄を運んでくれた叔父さんが、わたしには重かった鞄をまるで中身の入ってない紙袋でも置くような素振りで床に置いて言った。

「掃除はしたしシーツも張り替えたんだが、子供部屋にしちゃ質素だな。悪いな。追々揃えよう。机も要るし、壁紙も貼るか。何色がいい?」

わたしはびっくりした。

叔父さんがそんなことを言う人だとは思わなかった。もっと無口で怖い人かと思っていた。

そして驚きも束の間、壁紙を張ってもらえると聞くと、急に心が弾んだ。本当は、マルキナ家の私の部屋の薄い桃色とレモン色の壁紙は、もう子供っぽいなと思っていた。

もう10歳なんだもん。もっと大人っぽい壁紙の部屋で過ごしたい。

「水色か、ラベンダー色がいい!」

自分でも驚くような、弾んだ声が出た。

叔父さんは唇の端を少し持ち上げて頷いた。




叔父さんのあとを追って一階に降りるとお母さんとお祖母ちゃんが居間で向かい合って座っていた。

お母さんは椅子に座ったまま、上半身だけ倒れ込むようにして、お祖母ちゃんの膝で泣いていた。

わたしはそれを見て、ぴたりと足が止まってしまった。

今すぐ駆け寄ってお母さんの手を握ってあげなくちゃいけない気がした。お母さんが泣くと、お母さんの悲しみがわたしの中にも入ってくるような気がする。まるで産まれた時に切れたはずの臍の緒が、本当は切れてなくてまだ繋がってるみたいに。


「気にしなくていい。昔からよく泣く人だ」

叔父さんが小声でわたしに言った。

わたしが驚いて叔父さんを見上げると、叔父さんは優しげにニヤっと笑い、わたしの手を握った。

あっ、と声をあげる間もなく叔父さんに引っ張られて、わたしは家の裏口から外に出た。多分、居間にいるお母さんとお祖母ちゃんはわたし達が外に出たことに気づいてないだろう。


暦の上では春だと言うのにまだ寒い風の中で、「農場と納屋を案内しとくよ」と言って、叔父さんは歩き出した。

叔父さんの手はもうわたしの手を握ってなくて、ポケットの中に入っていた。長身の男が、ポケットに手を入れて少し背を丸めて歩くのは妙に絵になった。グレーの寒空と枯れ草が広がる黄色い大地に、叔父さんのシルエットがぴたりとはまって美しかった。

ずっと街暮らしのわたしは、見慣れぬ美しい光景に見惚れてしまっていた。

そうしてる間におじさんはずんずん先に進んでいってしまった。


わたしは慌てて追いかけながら訊いた。

「お母さん、子供のころも泣き虫だったの?」

「いや、子供のころのことは知らない。俺が生まれた時、あの人はもう15だったからな。歳の離れた姉弟なんだよ」

15歳のお母さんというのはわたしには上手く想像できないし、それが泣いてる姿だなんてまるで思いつかなった。代わりに他の疑問が湧いた。

「叔父さんっていくつなの?」

「叔父さんってやめろよ、ベルハンでいい。17だよ」

「17歳!もっと大人かと思ってた!」

ベルハンは足を止めて、わたしの顔を覗き込むようにした。

「お前、急に沢山喋るなぁ!さっき玄関で挨拶したときは、緊張して見えたのに」

そう言ったベルハンの顔は、笑うとくしゃっとなって、愛嬌があって人懐こかった。

わたしは何故だかその笑顔にひどく安心して、安心するとほんの少しの反抗心が湧いて「ベルハンも最初はそっけなかったよ、ベルハンがそっけなくて怖かったから緊張したんだよっ」と言い返した。

ベルハンはちょっと面食らった顔をした。

「そりゃお前、……初めて会う姪なんだから、俺だって緊張くらいする。」

「そういうもんなの?」

「そういうもんさ。でも、ま、安心したよ。レイが面白そうな子で」

「面白いの?どういう意味?」

「おしゃべりちゃんって意味」

ベルハンは意地の悪そうな顔で言った。わたしが頬を膨らますと「なに?怒ったの?」とますます意地悪な顔をする。その顔にまた愛嬌があって、わたしの小さな怒りはすぐに消えてしまった。


「私も安心した」

最初は本当に緊張していたし怖かったこと、でもベルハンの笑顔になんだかすごく安心したこと、この島の風景に溶け込んだベルハンの姿が絵画みたいに美しかったこと、それらを伝えたかったけど、上手く言えない気がした。仕方なくこう言った。

「綺麗なところだね。枯れ草がこんなに黄色くて綺麗だって知らなかった、空の色のすごく合うんだね」


ベルハンがまた人懐っこい顔で言った。

「うん、綺麗だろ。今日からおまえの家だよ、ここが」

次回、初めての学校、友達との出会い。

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